ドイツ留学体験記

このページでは、これまでにドイツ留学(オーストリア、スイスのドイツ語圏を含む)をした獨協大学の学生の体験記を中心に紹介しています。実際に留学した先輩達の貴重な話を読んで、ご自身の留学に役立ててください。そして、あなた自身の素晴らしい留学体験を次の1ページのためにお寄せください。

「ドイツ留学体験記」では皆さんからの体験記(獨協大生もその他の方も投稿可)を募集しています。体験記掲載ご希望の方は、こちらの画面よりご投稿ください。

 イエナ大学

Sommersemester 2005 bis Wintersemester 2005/06 渡辺 裕美子さんからの体験記
2005年の4月から一年間、Jena大学に認定留学をしていました。

Jenaの町
Jenaはとても過ごしやすい町だと思います。小さな町ですが、自然もいっぱいあり学生の町ということもあり、若者が多く、町全体の雰囲気も穏やかで温かいです。小さな町&学生の町ということもあって町を歩いていると一日に必ず一回は誰か知り合いに出くわすというなんともアットホームな町です。

授業・キャンパスライフ
授業は基本的にDaFの外国人用の授業をとっていました。それプラス、ドイツ人と一緒に受ける講義をいくつかとっていました。しかし話すスピードも速く、テーマによっては単語も凄く難しく、前期ほとんど内容が理解できませんでしたが、後期になると、耳もなれ、話している内容をなんとか把握できるようになりました。

後期は中国語の授業もとっていました。また学生向けに安く受けられるスポーツのコースがあり、さまざまなコースが設けられています。

DaFの授業は、他の学生は皆積極的に発言するしディスカッションなどでも自分の意見を言うのがうまく、そういった意味ですごく刺激されました。

住居
住居については、日本にいる時点で確保することができました。私の知っている限りでは、Jenaに留学した人で、ドイツにきてから家を探さなきゃいけなかったというケースはきいたことがありません。しかし、私の場合、4月からしか寮に入ることができないといわれ、一週間以上ペンションに泊まる羽目になりました。またその寮は壁が薄くありとあらゆる音が筒抜けだったこと、大学から遠かったこと、一人部屋だったということでWGに引越し、5人のドイツ人と暮らしていました。WGは当たり外れが大きいと聞きますが、私の場合は幸いにも皆親切で、楽しく暮らせました。

Mentor
また、Jenaの留学生一人一人にMentorという、最初の手続きなどをお手伝いしてくれる人が付きます。なので最初のビザやら保険やら手続きが大変だということをよく聞いていたのですが、Jenaにかぎってはそのような心配はいりません。ただ、Mentorの中にもごくまれに外れがあり、私のMentorもあまり親切じゃありませんでした。しかし、万が一はずれにあたった場合でも、JenaのAAAはとても親切で、親身になってお世話してくれるのでご心配なく!

これから留学を考えている皆さん、迷っていうなら思い切って留学してみるべきだと思います!大変なこともありますが、今思い返すと凄くいい思い出です。もう一回留学したいな〜って思います(^^; 私は留学してよかったと思います。

Sommersemester 2005 bis Wintersemester 2005/06 藤吉 奈緒さんからの中間報告
私は、2005年の夏学期から、イエナ大学に認定留学しています。

イエナは、大学の街として知られているように、街には学生が非常に多く、授業のない土日には街から普段の半分以上の人の姿が見えなくなってしまいます。

 夏学期は、DaF(外国人・第二外国語用のドイツ語)のドイツ語の授業とゼミ、民俗学の講義、体育の授業を取っていました。授業に出ていると、大切なのはドイツ語が話せるということではなく、その人がどれだけたくさんの知識と自分の考えを持っているかということなんだとよく実感させられました。 平日は、課題をこなしたり、発表の準備など毎日やらなくてはいけないことがいっぱいありましたが、週末は、友達とパーティーにでかけたり、お互いの母国の料理を教えあったりと、できるだけ外に出て友達と遊ぶようにしていました。

発表の際には、がんばって準備した成果があり、内容を教授や学生からほめてもらえ、本当にうれしかったです。

 また夏休みには、大学での勉強以外にもなにか自分の力として得られるものがほしいと思い、モーゼル川沿いにある小さな村のワイン醸造所でプラクティクムを行いました。もともと、私は製造ではなく、販売のほうに興味を持っていたので、ワインの瓶詰め・ラベル貼り作業や、ブドウの収穫のときには、いったい私は何をしにわざわざここまで来たのかと悩むとこもありました。
そこで、私のもともと興味を持っている領域内で、企業に負担のかからない私にできる仕事は何だろうと考え、マーケティングの仕事をさせていただくことにしました。
今から考えると自分の仕事環境を整えるため悩み考え、自分でそれを改善していくことができたことが、この研修で私が得た一番の大きなものだと思っています。

冬学期からは、民俗学の勉強と平行して、自分でワインについても勉強していこうと考えています。

Sommersemester 2004 bis Wintersemester 2004/05 赤羽 歩さんからの体験記
Jenaの町
東ドイツのチューリンゲン州にある小さな町だった。市内に店は全て集中しているので便利だった。思ったよりも人はやさしく、丁寧に対応してくれるので良かったと思う。小さすぎず、大きすぎず、とても素敵な町です。

大学での授業
留学生用の語学コースを主に履修し、週に3つくらいはドイツ人学生と一緒の授業を受けた。最初は理解できないことの方が多かったので毎日大変だった。前期と後期両方でレポート75枚と発表を行なった。

生活
ドイツ人3人と一緒に寮に住んでいたので交友関係が広がり、一緒にパーティーに行ったり、バーベキューをしたりした。家も雰囲気がとても良く、楽しく一年間を過ごせた。クリスマス、ジルベスターはドイツ人の友達と遊んで過ごした。

留学を終えて
ドイツ語を話すのが楽しくなった。ドイツ語でのレポート、研究発表も挑戦し、成し遂げることができたので自信を持てました。

アドバイス
とにかく何でもチャレンジすることが大事だと思います。失敗しても必ずその経験が自分の実力になっていると思うので。

 ゲッティンゲン大学

Sommersemester 2003 bis Wintersemester 2003/04 吉川亜希さんからの体験記
ドイツでの留学生活ではいろいろな人と知り合い、違った文化に触れられ興味深いことがたくさんありました。
初めのころは語学学校に通っていたため、先生以外は他の国から来た人たちでした。そこではドイツ語を勉強する一方で他の国についても知ることが出来ました。

大学が始まってからはドイツ語の授業だけではなく普通の学科の授業にも出ていましたが、語学学校で聞くドイツ語とは明らかに違い速く、専門用語、話し言葉も多いので聞き取り理解することがとても難しかったです。授業では教授が何かを黒板に書くということがあまりなく、ひたすら90分口頭でテーマについて話していました。もちろんその中には生徒が話すことも多く、生徒のドイツ語は先生以上に分かりづらいものでした。その中でもたまに教授の言ったことが分かりましたが、何が重要なことだったのかはわからずノートは真っ白。隣を見てみると一生懸命何かを書き取っているドイツ人たち。この時ほど授業に対して好奇心をおぼえたことはないかもしれません。
さらにいつも資料を読む課題があり、読めても理解するのに時間がかかりました。よく友達に、この文章は何を言いたいのか、と聞き助けてもらった気がします。

後期になってから学科の授業だけではなく課外授業のようなものも取ってみました。その授業では色々な学部の人が来ていて年齢もばらばら、話すこともバラエティーに富んでいてみんな個性豊かな人ばかりでした。この授業は10〜15人という少人数だったため、普通の授業で抱くようなストレスはなく毎週楽しみに通っていました。

授業以外に日本語を勉強しているドイツ人の子と頻繁に会い、ドイツ語・日本語の表現の仕方やお互いの文化についての疑問や質問をし合ったりしました。時には国が違うということを実感し、時には国が違っても同じだ、と思うこともありました。ドイツでの生活はドイツ文化を知るだけではなく、ほかの国の文化も知ることのできた、私にとって新鮮なものでした。

 デュースブルク=エッセン大学 (ロゴをクリックして下さい)

 トリーア大学

Sommersemester 2008 bis Wintersemester 2008/09 園田 梓さんからの体験記
Trierの町について
 Trierはローマ時代の遺跡を数多く残し、ドイツ最古の都市と言われている人口約10万人の小さな町です。しかし、駅前には大きなスーパー、郵便局、中心地にはデパートや雑貨屋、飲食店、大学の近くにもスーパーや本屋があるので、買い物などの面では特に問題はありません。アジア食品店もあるので、日本の食べ物を手に入れることもできます。

部屋探しについて
私は、Trierに着いて、ホテルに泊まりながらまず部屋探しをしました。大学寮の空きがなかったので、大学内の外国人課へ相談に行ったり、インターネットでPrivatの寮やアパートの空きを調べたりしましたが、最終的には、大学内にたくさん張られているWG(Wohngemeinschaft=学生数人でお風呂やキッチンを共有する形態の住居)の住人募集の張り紙の連絡先に直接電話をかけ、家の所有者と連絡を取って部屋を見せてもらい、契約をしました。

 WGでは少人数で一緒に家を共有しながら生活するので、ほかの人と話す機会もあり、学校外でドイツ語でのコミュニケーションがとれるいいチャンスだと思います。

大学・授業について
 大学では、正規の授業が始まる前の春休み中に約3週間のEinführungsseminarという、これからTrier大学で勉強を始める留学生向けのドイツ語の準備コースがありました。クラス分けテストによってレベル別のクラスでドイツ語の授業が行われました。

 学期が始まると、ドイツ人学生に混ざっての正規の授業に参加するようになりました。授業は主に、1年通してDaFのドイツ語コースと、前期はSoziologieのVorlesungや、後期はEthnologieのSeminarに参加し、また、Trier大学にはJapanologieがあるので、JapanologieのSeminarもとっていました。また、日本語の授業に手伝いとして参加させてもらい、ドイツ語や日本語でドイツ人学生に日本語を教えていました。後期はそれぞれの授業でドイツ語でのプレゼンテーションをやりました。

 また、日本人とJapanologieの交流イベントが頻繁にあるので、そこで知り合ったドイツ人学生とタンデムパートナーになり、週に何回かタンデム(お互いに日本語とドイツ語を教えあう)をしていたので、会話力はそれによって来たときよりもだいぶ身についたと思います。

一年を振り返って
この1年で、授業や普段の生活での難しさの経験や、また様々な人との出会いを通してとても成長できたと思います。留学は自分から積極的にチャレンジしてみることですごく充実したものにできるということを実感しました。語学力を伸ばすということだけではなく、他にも日本では得られないような多くの貴重な経験をすることができました。

Sommersemester 2008 bis Wintersemester 2008/09 藤枝裕貴さんからの体験記
1、大学や町の様子
Trierは人口約10万人ほどの小さなところです。「黒い門」という意味のポルタ・ニグラを中心として、多くの遺跡や大聖堂が世界遺産に登録されています。このTrierはモーゼル川沿いに位置し、ワインの産地としても有名です。

小さい町ですが、駅前の大きなスーパーを始め、買い物には全く困りません。日本食が恋しくなった時は、駅からほんの少しだけ歩いたところにアジア食品店が2ヶ所ぐらいあるので、そこに足を運べば問題ないです。もちろん少しだけ値段が高いです。

2、授業
授業はDaFのコースを中心としていました。その他の授業は聴講生という形で興味あるものに参加しました。中でもJapanologieの授業には数多く参加しました。DaFのコースは週に6コマあり、試験は学期に2回ありました。この試験は普通に授業に参加し、自分なりに予習や復習をしていれば、まったく問題ないと思います。

3、生活について
とにかくTrierについてからは部屋を探しました。まずは駅前にあるホテルにとりあえず泊まりながら、大学に毎日通いました。大学の掲示板の前で、辞書を片手に慣れないドイツ語と必死に戦いました。そして、良さそうなものがあったら電話してコンタクトをとり、その部屋を見学しに行きました。そういったことを一週間ぐらい繰り返しいたら、たまたま先に留学している友達にドイツ人を紹介してもらい、結果的にその人から学生寮に空きがあることを教えてもらいました。大学まで歩いて15分ぐらいのところだったのですが、ちょっと面倒くさいと思い、留学の後半は大学の目の前にある違う寮に引っ越しました。 

  大学が始まった頃は、Einführungsseminarで知り合った他の国の人たちとよく遊びました。映画やクラブに行ったり、一緒にご飯を作ってテレビを見たり、単純にみんなでパーティーをして飲んだりしました。その他にも一緒にドイツ国内、また違う国も旅行したりしました。しかし、Japanologieの学生達と友達になり始めてからは、そちらの友達とほとんど遊ぶようになりました。Japanologieの学生とは一緒にタンデムをして、お互いにドイツ語や日本語を話して勉強しました。自分はタンデムにすごく力をいれていたので、ほぼ毎日誰かとタンデムしていました。

4、留学を終えて
この留学は私にとって一生忘れられないものとなりました。ここでは本当に多くのことを学び、経験しました。なんとなく憧れていた留学が現実となり、不安を抱えながらドイツに飛びました。そして、色々な思い出とともにあっという間にこの一年間が過ぎて行きました。

学習面においても多くを学びましたが、私にとって一番大きかったことは、なによりも、多くの他の国の人と交流し、違う価値観や考え方に触れたことです。これは、勉強なんかよりももっと大事だと私は思っています。時には楽しく、時にはお互いの意見をぶつけ合って喧嘩したりなど、全てが本当にいい思い出です。この経験から自分は少しだけ変わったと確信しています。

5、アドバイス
現在、少しでも留学を考えている人がいるならば、私は間違いなく行くことをお勧めします。誰でも留学に対して不安はあります。私はドイツ語がそんなにできなかったので、かなり不安でした。だけど、そんなことはいくらでも変えられると思います。今しかチャンスがないなら絶対に行くべきです。自分もそんな不安の中で留学を経験した一人なので、やはり留学を強くお勧めします!!!

Sommersemester 2008 bis Wintersemester 2008/09 清水綾乃さんからの中間報告
 Trierはルクセンブルク国境付近、モーゼル川沿いに位置し、世界遺産が数多く存在するドイツで最も古い都市のひとつです。日本ではあまり有名な街ではありませんが、観光地としてヨーロッパでは有名で、週末には街中で観光客をよく見かけます。小さい街ですが、必要なもの(アジアンマーケットなど)は揃っており、生活するには困りません。

家探し
  私は新規留学生のための準備コース開講の1週間前にTrierに到着し、安ホテルに宿泊しながら家探しをしました。学生課の住居案内や、学内に張り出されているWG募集のチラシ、AAAの方にPrivatの寮の連絡先を教えてもらい、とにかく電話をしました。語学力が及ばず中々うまくいきませんでしたが、運よく学校から徒歩2分のPrivatの寮に空きがあり、3月中は仮住まいで友人と2人暮らし、4月からはキッチン、風呂付の一人部屋に入居することができました。

準備コース
 準備コースは、午前中はレベル別語学コース、午後は手続きとなっており、学籍登録、住民登録、口座開設、ビザの申請、保険申込など、必要な諸手続きをクラス全員で学生チューターに助けてもらいながら一斉に行います。履修登録の相談などにものってもらえます。また交流イベントも多く、夜はKneipentour(居酒屋ツアー?)やFilmabend、週末にはExkursionがあり、他の留学生と仲良くなる絶好の機会でした。ぜひ参加することをお勧めします。

授業
 夏学期中、私はDaFコース3コマ、JapanologieのProseminar(日本の歴史・文化について)、GeschichteのVorlesung(第三帝国における教会の抵抗運動および同調について)、そしてJapanologieの日本語の語学コースにアシスタントとして参加しました。空き時間にはJapanologieの学生とタンデムをして、お互いの宿題を手伝ったり、日常会話から語彙を増やしたりしました。Japanologieの学生はタンデムパートナーを探している人がとても多く、日本人留学生がパートナーを探すことはとても容易です。私は夏学期5人のタンデムパートナーに恵まれました。正規の学生と机を並べる授業では、残念ながら内容をほとんど理解できなかったので、私はタンデムの時間を重要視しました。

余暇
 夜は友人と一緒に勉強をしたり、一緒に食事をしたりし、週末はカフェに行って勉強したり、パーティ、バーベキュー、旅行など…さみしさを感じることはほとんどありませんでした。Trierに来て本当に良かったと思うのは、ここでしか会うことのできなかったたくさんの人たちと仲良くなれたことです。

 私は歌うことが大好きで、日本でもアカペラサークルや地域の合唱団に所属していました。ドイツでもその趣味を続けたいと思い、大学の合唱団に入団しました。ドイツ語での練習は、最初は何が何だかわからなくて大変でしたが、夏学期の終わりに大学の大講堂でコンサートの舞台に立つことができたのは一生の思い出です。

  留学を半分終えて
 現在は専門演習でのテーマに沿った文献を読んだり、DaFコースのレベルも上がってプレゼンやレポート提出など、夏学期よりさらにつっこんだ勉強をしています。帰国準備や就職活動など、するべきことに追われる毎日ですが、今ここでしかできないことを存分にして、胸を張って日本に帰りたいです。

Sommersemester 2007 bis Wintersemester 2007/08 石崎敬司さんからの中間報告
Trierの町の様子
 Trierは人口10万人の小さな町です。しかし日常に必要なものはほとんど町の中で手に入るのですごく暮らしやすいと思います。例えば日本食材がほしいときなどは駅の近くにあるアジア食品店か、そこから少し離れたところにあるもうひとつのアジア食品店に行けば大体は手に入ります。そのほかにも町の中にはボーリング場、プール、ディスコ、映画館などもあり、小さい町だけれど飽きることはないと思います。

 この町のシンボルはローマ時代に建てられ、現在は世界遺産になっている黒い門「ポルタ・ニグラ」です。そのほかにも町のいたるところにローマ時代の遺跡があります。そのため休日になると、ルクセンブルクなどから来た旅行者がたくさん訪れます。しかし旅行者が多いにもかかわらず、治安はすごくいいと思います。また夜になると、一面に広がる星空を眺めることが出来ます。しかしTrierの天気は変りやすく、晴れていたのにいきなり雨が降ったり、また雨が降っていたのにいきなり晴れたりと不規則なのでそれが少し困ります。

大学・授業の様子
 大学は町からバスで15分くらい行った丘の上にあります。大学までのバスは多いのでそこまで交通面での不便はないと思います。大学の周りは本当に静かだし、図書館やスポーツ施設も充実しているので留学生活を送るにはとてもいいところです。

 私は学期が始まる前に三週間ほどEinführungsseminarをしました。これは大学の授業についていけるかどうか不安のある留学生を対象にしたドイツ語コースです。最初にクラス分けテストをして、3つのグループに分けられました。それぞれのグループには大学の正規の学生が一人ずつチューターとして、いろいろ相談にのってくれたり、手伝ってくれます。またこの時に学籍登録、銀行口座の開設、住所登録など留学で必要なことをすべてやるのでこのコースには参加したほうがいいと思います。

 学期が始まると私はDaFのコースを中心にとっていました。週に6コマあり、進んでいくスピードも速いので大変でした。試験は学期中に二回行われました。これらの試験は普段の授業で予習復習をしていれば何にも問題はないと思います。私のグループにはスペイン人、トルコ人、フランス人、イタリア人など、いろいろな国の人がいました。そのほかにもJapanologieのSeminarに聴講生として参加していました。

 学期中はさまざまな催し物がありました。例えばJapanologieで月に一度あるStammtischや、七夕、友達の誕生日会、そして学期末には日本や、それぞれの国に帰っていく友達のためのAbschiedspartyなど、本当に楽しかったです。

 また学期中には一週間くらいPfingstferienという休みがあり、前学期から留学していた日本人の先輩と一緒にドイツ国内を旅行しました。

生活について
 私は町の中心から歩いて15分くらいのところにある、モーゼル川沿いのPrivatの寮に住んでいます。ここではキッチンとシャワーが共同で、ひとつのフロアにだいたい15人くらい住んでいます。私のフロアにはドイツ人はもちろんこと、シリア人、アメリカ人、カメルーン人、モロッコ人などいろいろな国の人が生活しています。この寮に住んでいるほとんどの学生は正規の学生なので、ドイツ語がまったく問題なく話せます。そのためよくキッチンで顔あわせたら、勉強を教えてもらったり、ドイツ語の表現を教えてもらったりしています。しかし学校までが遠く、毎日片道約45分かけて行かないといけないので大変です。

 休日は仲の良いほかの国から来た留学生達とサッカーをしています。またサッカーをしないときもほかの友達と映画を見に行ったり、その人の家でご飯を作ったり、モーゼル川沿いでみんなでバーベキューをしたり、町まで行って飲みに行ったりしていました。私の寮には日本人が私しかいないので、一緒の時期に留学しに来て同じ寮に住んでいるアメリカ人とオーストラリア人たちととても仲良くなり、学校が終わったあとなど必ず誰かしらの部屋をノックしてちょくちょく遊びに行っていたと思います。特にオーストラリア人とはいつも一緒で、二人でジムに行ったり、ディスコに行ったり、飲みに行ったりしていました。

留学を半分終えて
 私の中でこのSommersemesterはとても充実したものだったと思います。ほかの留学生と仲良くなったり、Japanologieの学生とタンデムをしたり、日本人の学生たちとパーティをしたり。こんなに充実したのは初めてだと思うくらい色々なことがありすぎました。この学期で仲良くなった留学生はほとんどそれぞれの国に帰ってしまい、少し寂しいです。しかし来学期にまた素敵な出会いがあるということを信じて、あと半分の留学生活を楽しんでいこうと思います。

Wintersemester 2005/06 bis Sommersemester 2006 伊藤志織さんからの体験記
生活や寮について
ドイツに来る前に日本で5日間くらいTrierの安いホテルを予約して、そのホテルに泊まりながら部屋探しをしました。

インターネットと大学のWGメイト募集の張り紙をチェックして、良さそうなところは見に行ったり、大学のAAAには「部屋が見つからなくて困っているので寮の空き部屋があったら教えて欲しい」と伝え、その後もAAAには空き部屋が見つかったかどうか、こまめに足を運びました。

ドイツ語がかなり拙かったことも手伝って部屋探しは難航し、結局ホテルには8日間ほど滞在しましたが、10月の始めにAAAから大学まで徒歩5分ほどの寮の一部屋(トイレ・お風呂・キッチンが共同の3人部屋)を紹介してもらいました。

家賃は毎月インターネットと水道代・光熱費込みの265ユーロ(Trierの平均家賃と比べるとこの金額は高めです)で、入寮するときに300ユーロくらい敷金を払いました(この敷金は寮を出るときに返ってきました)。ちなみにTrier大学の寮は全部で7個あって、その他にprivatの寮もあります。

授業
冬学期はDaFの週12時間の集中コースに加えGermanistikの講義を2つ(ロマン派についてのものと、演劇についてのもの)、Kunstgeschichteの講義を1つ(色彩方法についてのもの)、Geschichteの講義を1つ(ヨーロッパの独裁者についてのもの)と、Japanologieの授業、 夏学期はGermanistikの講義(ドイツロマン派についてのもの)、Kunstgeschichteの講義(フランス印象派の画家について)、Geschichteの講義(ヨーロッパの宗教と社会についてのもの)、Politikの講義(ドイツの政治体制についてのもの)に行きました。

「単位振り替えはそんなにできないもの」と割り切って、授業を楽しみました(実際、単位振り替えの為の提出書類や審査はとても厳しいです)。

留学を終えて。アドバイス。
私は3年生の5月半ばあたりまで留学の時期を4年生の春からにするか、3年生の後期からにするか悩んでいましたが、「善は急げ」「思い立ったが吉日」だと、締め切りぎりぎりに心を決めてはバタバタと必要書類を送り、9月末にTrierへ渡りました。

始めの2週間ほどは寂しくてどうなることかと思いましたが、その後色々な国の友達はできたし、旅行もたくさん行ったし、大充実の一年になりました。支えてくれた友人、家族には本当に感謝しています。

これから留学する学生さん、自分次第で楽しさは無限です。たくさん刺激を受けてきてください。

Sommersemester 2005 bis Wintersemester 2005/06 片倉友佳さんからの体験記
大学や町の様子
トリアー大学は町からバスで15分程離れた山の上にあります。大学行きのバスは結構あるので、交通面での不便はありません。大学の周りは、目の前のバス通り以外はとても静かで、とても良い環境です。トリアーはモーゼル川に面した小さな町です。世界遺産である黒い門「Porta Nigra」がシンボルです。

トリアーはワインがとても有名です。町の中心部を外れるとたくさんのブドウ畑が目に入ります。とてもキレイな町です。
やはり大都市とは違い、治安も良く過ごしやすいと思います。ただ、真夜中の街中や、駅前などは危険だと思います。
天気ですが、この町の天気はとても変わっていて、天気予報があまり当たらない気がします。急に雨が降ったり、急に晴れたりと変な天気が多いです。冬はあまり雪が降らないので過ごしやすいと思います。

授業
私はDaFのコースが中心でした。前期は、DaFのコースが週に6コマありました。クラスには、イタリア人、トルコ人、スペイン人、アメリカ人など色々な国籍の学生がいました。
その他には講義を1つとゼミを1つ取っていました。ゼミは日本学科のもので、授業はドイツ語で進められていました。グループ発表が一度ありました。

後期もDaFのコースが中心で、週に4コマ取っていました。取りたい授業が他にもあったのですが、冬学期は留学生が多いため、希望する授業全てを取るのは難しいようです。獨協大学は交換留学提携校ではないため、余計に優先はしてもらえませんでした。

DaF以外では講義を1つ、日本学科のÜbungを1つ取っていました。この日本学科の授業では、ドキュメンタリー映画を作るのが目的で、来学期には完成される予定です。講義は、聞き取るのが難しいので、単位をもらうことではなく、聞き取りの練習のために取っていました。前期も後期も、空いている時間は、だいたいTandemをしていました。

生活
私が住んでいたところは大学から歩いて2分、バス停は目の前だったので、どこに行くにも不便ではありませんでした。買い物は家から歩いて10分程のところへ行くか、バスに乗って駅前まで行くかどちらかでした。日本食材が欲しい時は駅前のアジア食品店か、駅から少し離れたところにあるもう1件のアジア食品店に行っていました。だいたいのものはこの町で手に入ると思います。

夏の週末はだいたい仲の良いメンバーで、パーティをしていました。ドイツ人は、勉強する時はしっかり勉強し、遊ぶ時はしっかり遊ぶ。メリハリのある生活だと思いました。
冬になり寒くなると、みんなで集まることは少なくなりました。私は日本学科の先生や、友達と一緒にサッカーの練習・試合を観に行っていました。

8月から10月末まで、長い夏休みがありました。私はスペインとフランスを旅行してきました。あと、一度ホームステイでお世話になったホストファミリーの家に遊びに行ってきました。
クリスマス休暇はドイツの友達は、ほぼ実家に帰ってしまい、いませんでした。私は日本から友達がきていたので、旅行をしていました。 1年を通して、色々なイベントが日本学科でありました。月に一度のStammtisch や、バーベキューパーティー、七夕、ソフトボール大会、クリスマス会、新年会など。私は学生会のメンバーだったので、準備・片付けなど色々大変な部分もありました。

留学を終えて
あっという間の一年でした。毎日が楽しく、本当にあっという間に一年が経ってしまったという感じです。ここにきて、国籍を問わずたくさんの人に出会いました。そして色々な刺激を受けました。この1年間で、自分の中での価値観が大きく変わったように感じます。勉強はもちろんのこと、得られたものは他にもたくさんあったように思います。
後期から少しずつ、就職活動を始めたのですが、やはりドイツにいる間にできることには限界があるのできつかったです。2月末まで授業があるため、忙しい時期が重なってしまい、どちらかが犠牲になることも多々ありました。

これから留学をするみなさんには、勉強はもちろん、留学生活も楽しんで欲しいと思います。留学生活の中で、色々なものを感じて、吸収できたらいいと思います。

Wintersemester 2004/05 bis Sommersemester 2005 前田沙也香さんからの中間報告
 2004年の冬ゼメスターから2005年の夏ゼメスターまで、私はドイツのトリアー大学で過ごしました。大学からの留学許可が下りる前の8月のはじめにドイツに行きました。許可が下りていない状況でドイツに行くことに不安はありましたが、それよりも現地で生きたドイツ語にすぐにでも触れたいと思い、獨協大学の試験が終わった直後にドイツに行くことにしました。
 始めの2ヶ月はSchwäbisch Hallのゲーテ・インスティトゥートに通いました。トリアー大学から許可が下りたので、10月にトリアーに引っ越しました。留学は留学し立てが一番大変ということは聞いていたのですが、まさにそのとおりでした。たった2ヶ月で上手にドイツ語が話せるわけもなく、たどたどしいドイツ語でアパートを探したり、電話やインターネットの契約をしたりと本当に大変なことばかりでした。ゴミの捨て方ひとつ理解するのもやっとでした。しかし色んなことをしているうちに、ちょっとした決まり文句など自然と身についているのに気づき、うれしかったことを覚えています。

 トリアーという町は小さな町ですが、その小ささが便利であったと思います。駅もそれほど大きくはありませんが、隣国のルクセンブルクやフランスに旅行するには便利でした。
 町にはデパート、かわいらしい小さなお店、レストラン、映画館やプールなどもあり、日常生活を楽しむには充分だと思います。ボンやケルンもそれほど遠くないので、そちらの方でショッピングを楽しむのもいいと思います。

 大学の授業はDafというコースをとっていました。このコースは4つのレベルに分かれています。私は初めFolgekursに入りました。授業は獨協大学の総合の授業のような感じですが、進度はとても速いです。そして1ゼメスターの短い間に2回試験がありました。その試験が授業とは比にならないくらい難しかったです。それでも6割をとれば単位はもらえます。そのほかに語学系の講義にも出ました。それらはノートをとるのが精一杯といった感じでした。それでもドイツ人の学生に混じって授業をきくのは良い経験でした。
 夏ゼメスターはMittelstufeに入りました。今までの授業とはまったく違って、もっと専門的な勉強をしました。ある文法のクラスではグループ発表を行い、文法の説明をしたり、例文を挙げたり、また練習問題を自分たちで作ったり、ほかのクラスメイトからの質問に答えたりと、ふだん何気なく理解して使っている文法を説明するのがこんなにも難しいことなんだなと思い知らされました。

 ドイツに1年間留学して、信じられないくらいの苦労をしました。色々な壁にもぶつかりました。それでもその苦労以上に、自分自身成長できたと思います。今考えても、なんであんなことできたんだろうと自分でも不思議です。ドイツ留学のおかげで、ドイツ語はもちろん、精神的にも強くたくましくなることができました。


世界遺産のローマ遺跡Porta Nigra

Sommersemester 2005 bis Wintersemester 2005/06 川村 愛さんからの体験記
Trierの街にきて最初の問題は住居探しでした。日本にいるときからTrier大学の寮に問い合わせをしましたが、やはり寮は空いていなくて、Trierに着いてからすぐに住居探しを始めました。しかし、やはり簡単に家は見つからずに、一緒に来ていた友人と途方にくれました。しかし、学期が始まる1日か2日前に、運良く、大学から歩いて5分の距離にあるアパートを見つけることができ、家が決まったときは本当に嬉しかったです。

授業について
Sommersemesterは主に留学生向けの語学コース(DaF)を週に6コマ受けていました。それに加えて、JapanologieのSeminarとÜbungを取っていました。後者の授業では『ドイツにおける日本人のイメージ』というとても興味深い授業でした。 WintersemesterでもDaFコースを受けています。そして、もともとこちらで勉強しようと考えていたSoziologieの講義を2コマとっています。Soziologieの授業は聞いていてとても難しいのですが、来年のゼミで役立つのではないかと思い、毎回欠かさず授業に出ています。特にUmweltsoziologieの授業はドイツの環境問題や、失業問題、住居環境などについての講義でとても興味深いです。難しい単語や聞き取りにくいところもありますが、メモを取ったり、隣の人に質問したりしています。

その他
私が一番お世話になっているのはJapanologieの学生たちです。私はJapanologieの学生とタンデムをしています。お互いの宿題を手伝ったり、会話の練習をしたり、一緒に料理をしたり、学校生活だけではなく、私生活の面でもとてもお世話になっています。 そして、Japanologieの色々な行事に参加させてもらったりしました。また、Japanologieの学生向けのテキストのCDの日本語吹き替えもさせてもらいました。

最後に
初めは自分のドイツ語能力のなさに自己嫌悪でいっぱいで、必死になって語学力を伸ばそうと努力しました。しかし、時間が経つにつれて、生活にも慣れてきたこともあり、日本語を使ってしまうことが多くなり、それもまた自己嫌悪になってしまい、悪循環でした。しかし、落ち込んだりしたときは日本人の友達に相談してお互いに励ましあいました。


Internationales Essenパーティーにて

一年という短い期間で文化の違いや考え方の違いを身を持って体験しました。しかし、自分の納得のいくまで勉強するには短すぎだと思いました。今後、またドイツで勉強しようという意欲も出てきました。 この一年を何の問題もなく過ごせることができたのも両親や友人のおかげだと思っています。心から感謝したいです。

Sommersemester 2003 bis Wintersemester 2003/04 水戸麻奈美さんからの体験記
 私は2003年の春から2004年の春にかけてドイツの南西の町Trierというところで一年間の留学生活を送りました。一年間というのは本当にあっという間なものでドイツへ向けて旅立った日がまるで昨日のことのような気がしています。

 ここTrierは人口わずか10万人足らずの小さな街ですが、観光街として様々な国から観光客が訪れます。私はここにあるTrier大学でドイツ語学、そして日本学を主専攻として2セメスター学びました。ここは勉強するには自然も多く、静かでとてもいい環境です。人同士の触れ合いも多く、学生同士も皆とても仲が良いです。

 授業は主に講義、そしてゼミを中心に取っていました。その他にも外国人留学生用にDaFというドイツ語の語学コースも設置されているのでこれも受講しました。よくドイツ人の学生は勤勉だ!ということが言われますが、私もここにいてそれを本当に強く感じました。皆遊ぶときは大いに遊び、勉強するときは本当に勉強する。頭の切り替えがとても早い気がします。授業に関してですが、母国語をドイツ語としない外国人はそれ以上に大変といえます。テストは各授業では勿論の事、ゼミでは必ずReferatというプレゼンテーションをしなくてはいけないのでその準備に追われる毎日でした。

mein Geburtstag
 特に印象に残っている授業は日本学のEinführung in die japanische Linguistikという日本言語学概論のゼミです。ここでは日本語の分析はもちろん、日本語とドイツ語の比較をし、ドイツ人学生とディスカッションをしました。授業は全てドイツ語で進められるので自分の言いたいことが上手く表現できなかったなどということもしばしばありましたが、ドイツ人学生達の言語に対する考え方、価値観などに触れることができてとても興味深かったです。

 ここだけの話、正直にいうと私はもしかしたらあまり勤勉な方ではなかったのかもしれません。授業に出席し、毎日机に向かうことも非常に大事なことですが、私はそれ以上に授業以外の時間で多くのことを学ばせてもらいました。さまざまな価値観の人、違う

国から来た人々との触れ合いはいろいろなことを教えてくれました。こういう交際が私が獨協大学でドイツ語を専攻していて本当に良かったなと思わせてくれました。共通の 言語を介して人とコミュニケーションできるというのは本当にラッキーなこと、素晴らしいことだと思います。時には摩擦、衝突などはありますが、私はこの一年間本当に良い仲間に恵まれていたと思います。本当に一年間幸運の女神がついていました。

 初めはいろいろと住居探し、言葉の壁など困難にぶち当たることも何度かありましたが、この留学一年間で学んだ教訓のひとつとして、(人間なんとかなる)というものです。人間はもしかしたら自分が思う以上にタフなのではないかという気がしています。

 人間は失敗から必ず何かを学び取り、それをプラスに持っていく力を備えているものなのだと思います。この留学の成果が今すぐに何か私に役に立つとは考えていません。ただこの特別な一年間が後々私の人生においてもし何かにぶち当たったり立ち止まったりした時に何らかの手助けになったり、または何らかの道標になったりしてくれれば良いと思っています。

 15歳の時の家族とのドイツ旅行の時以来、この国の大学へ留学するというのが私の一番の夢でした。その夢を叶えることができたのも全て両親そして私のまわりにいる人達のおかげです。この一年間は離れてみてあらためて自分の身近にいる人の大切さに気がついた一年間でもありました。

 ドレスデン工科大学

Wintersemester 2003/04 bis Sommersemester 2004   近藤雅子さんからの体験記
 私は2年生終了後、まずは一年間休学してドイツに留学しました。半年間は語学学校に通い、ドイツ語の勉強だけをしていました。その期間、学校が合わなかったこともあり、正直語学力がそれほど身に付いたようには思えません。もちろん、私自信甘えていたところもあったと思います。

そこで環境を変えようと、大学に入ることにしました。私は歴史に興味があったので、歴史の授業を中心に講義を聴いていました。けれども、語学力の不足もあり、なかなか思うように理解できず、苦労しました。ドイツ語の勉強に関しては、大学が外国人学生のために用意している週2回のコースに参加していました。コースも充実しており、自分の語学力に合わせて参加できるので、大変満足できました。

半年間大学で勉強し、一年間の留学生活を終えた後、このまま帰るのではまだやり残していることが多い様に感じ、半年間延長しました。最後の半年間は、勉強面、生活面でも大変充実しました。この時期に、より多くの友達ができました。やはり留学生ということもあり、他の外国人の友達は多くできますが、現地の人と付き合う機会はやや少ないです。けれども最後の半年間は、本当に多くの人と知り合いました。悩むことや戸惑う事も多くありましたが、それ以上に得たことも多く、本当に大満足の留学生活でした。

 バーゼル大学

Herbstsemester 2008/09 bis Frühlingssemester 2009 A.N.さんからの留学体験記
Basel
バーゼルにきて早1年が経ちました。最初の印象は暗くて小さい街。でもちょっとずつこの街を愛せるようになりました。国際都市、とまでは言えませんがバーゼルは世界でも重要な位置にあるのだとこの1年で気付かされます。世界でも大きなメッセがあるなかで、そのうち2つはバーゼルで行われています。1つは中間報告でもご紹介したBASELWORLD、時計とジュエリーのメッセです。
もう1つはArt Basel、アートの祭典です。どちらも世界中から人が押し寄せ、またこの会場になるところにあるビルはスイスで1番高く、バーゼル人からするとかなり誇れるものみたいです。

最近では5年に1度行われるスイス26州を対象とした企業立地の魅力調査で、公共交通網の充実度が幸いしてバーゼルは前回の7位から3位に上昇。ビジネスの可能性がある街として勢いが増してきています。確かにトラムやバスは田舎から中心地までしっかり通っているので、これだけ細かく網羅している街はなかなかないんじゃないかと、このニュースをうけて改めて感じます。

またここでもう1つ良いところはフランスとドイツが近いということ。スイスは物価が高いです。でもバーゼルだとちょっとドイツに行って買い物ができるんです。そこではおつりはユーロで返ってきますがスイスフランも通じます。税関はありますが、自転車で行けるのでひっかかることはありません。ドイツビールやお肉が安いのはやっぱり魅力的で、スイスにいながらすぐにドイツにもフランスにも行けてしまうのはバーゼルならではだと思います。

またここでもう1つ良いところはフランスとドイツが近いということ。スイスは物価が高いです。でもバーゼルだとちょっとドイツに行って買い物ができるんです。そこではおつりはユーロで返ってきますがスイスフランも通じます。税関はありますが、自転車で行けるのでひっかかることはありません。ドイツビールやお肉が安いのはやっぱり魅力的で、スイスにいながらすぐにドイツにもフランスにも行けてしまうのはバーゼルならではだと思います。

大学
大学生は本当に真面目です。図書館へ行くことはしばしば。金曜日に講義がない人が多いので、木曜日の夜に大学付属のバーに行きます。大学の地下にあるのですが、バーといってもみんなのディスカッションの場です。スイス人は本当に話し合うことが大好きだなと実感する瞬間です。

講義以外にもUni Sportという大学主催のスポーツがあります。これは一般の方も参加できます。 ダンス、ヨガ、ウィンタースポーツ、バスケなどなど。単位は出ませんが気分リフレッシュできて良いと思います。

あと私は今学期からデザイン学校の写真のオープンクラスに通っています。大学以外で好きなことができるのもバーゼルの魅力の1つだと思います。

WG
仲良い友人が住んでいるWGで1つ部屋が空くというので寮から引っ越しました。建物自体を友人のご両親が所有しているものなので、他に2世帯が住んでいますが仲良くしてもらっています。

私を含め男女3人ずつの6人で、私以外全員スイス人。最初ドイツ語で話してくれていた友人が急にスイスドイツ語になったのには内心、え?と思いましたが、そのおかげでまた大分スイスドイツ語がもどってきました。大学で勉強するうえで必要ありませんが、かわいくて大好きな言語なので今はスイスジャーマンとミックスで話しています。やはり現地人と暮らすことは大きいと思いました。

スイスドイツ語
これからバーゼルに留学する方の不安要素の1つだと思ったので残しておこうと思います。 スイスなまりのドイツ語。といっても日本でいう東京と大阪のレベルではありません。 外国人のためにスイスドイツ語のコースがあるくらいで、ドイツ人の友人は最初の1、2ヶ月は全く分からなかったと言っていたほど。もはや別の言語です。

スイスではギムナジウムの時から授業はドイツ語で行われていて、大学でも同様です。生徒たちの発言もドイツ語なので安心です。スイスドイツ語はスーパーや日常会話で使われるだけなので、勉強するにはさしつかえありません。 昔からそう育っているのでドイツ語をしゃべることに抵抗はないし、もともとフランス語やトルコ語が入り乱れている国なのでスイスドイツ語がしゃべれないからといって、スイス人は嫌な顔はしないので大丈夫です。

延長
1年の交換留学が終わり、これから認定留学としてもう1年延長してバーゼルに残ります。 今回で2回目のスイス留学でしたが、毎回新たなスイスを発見できて、ますます愛おしくて、変で、州ごとにプライドがあって、スイス人は本当に自国が好きなんだと実感します。

大学で勉強することがまず第1の目的。そうじゃなくても私は良いと思います。何をここでやりたいかってことは重要だと思いますが、行ったら講義は受けなきゃいけないし、ドイツ語も話さなきゃいけない。状況に追い込まれると人間、力を発揮できるものです。

ただハイジがいて、空気が良くて、山に囲まれていて、チョコレートとフォンデュがおいしい。 確かにどれもあってます。水道水もそのまま飲めるほどキレイ。でも来たらそんなクリーンなイメージが一新されると思います。 バーゼル大学との協定がきっかけでドイツ語圏でドイツやオーストリアだけでなく、「スイス」に興味をもつ方たちが増えてくれれば、こんなに嬉しいことはないです。この体験記が少しでも役に立つことを願っています。

最後に、この1年を支えてくれた家族、友達、Werner先生、高島さん、そして立澤さんに感謝をこめて。

【参 考】A.N.さんからの中間報告 

 ハンブルク大学

Sommersemester 1999 bis Wintersemester 2000/2001   鴉 隆太郎さんからの体験記
ハンブルクには親戚が居て、めぐまれた環境のなか、留学以前に夏休みを利用して、4・5回訪ねた事があり、ドイツ語に自信があったが、いざ行ってみると、何も話せず、何も聞き取れずだった。しかし、自分の従兄を通してドイツ人の友人が沢山でき、最初は若者の言葉から学び始めた。当初は留学は1年間の予定だったが、1年では中途ハンパで終わる気がして2年間にした。そして、大学の授業が始まり、最初は何も分からなかったが、根気強く授業や講義に出席し、ものにした。

やはりドイツだけではなく、海外で留学したいと思うならば、自分の中で全てを切り換えなければならないと思う。そして、日本人といつも一緒にいるのではなく、自分から気持ちをオープンにして分からない事があったら聞くようにする。自分はここの獨協大学にいた時よりはるかに勉強したと思う。一週間月曜から金曜日まで、しっかり勉強してその後の友人との遊びが十倍にも二十倍にも楽しかった。一つ言える事は楽しむ事。

ハノーファー大学

Wintersemester 2002/2003 bis Sommersemester 2003 小宮朋子さんからの体験記
2002年10月から1年間、ハノーファー大学に留学していました。ハノーファー は、ニーダーザクセン州の州都だけあって、欲しいものは日本食から何からすべて手 に入るし、意外と多くの緑に囲まれており、交通の便も整っている、本当に住みやす い町でした。ただ、便利すぎるせいか、町が広すぎるせいか、または歴史的な建物が 第二次大戦で破壊されてないせいか、少し物足りないなという贅沢な悩みも抱えられ る町だったようにも思えます。

留学当初は、見ず知らずの土地で、自分の語学力のなさを痛感することもあったり、 毎日、生活に必要な手続きに追われて焦っていたような気もします。自分で動かなけ れば何も始まらないし何もでき


ないこともわかりました。本当に自分との戦いでした。 ただその中で、ドイツ語を学ぶだけでなく、精神的な面や、自分自身の知らない部分 や、広い視野も留学生活を通じて学ぶことができました。そんな生活も、まわりの人 たちが支えてくれて、笑顔を分けてくれたからこそできたのかなと感じます。小さな 出会いも大切にしてください。

学習面では、前半は外国人向けのドイツ語の授業と講義の聴講を中心に、後半は、ド イツ語の授業やゼミ以外に、自分の専門である歴史学のゼミを1つ取りました。ドイ ツ人しかいない空間で、ドイツの歴史について発表するのは大きなプレッシャーでし たが、私の拙い発表を一生懸命に聞いてくれ、発表後にはひたすら「よかったよ、あ りがとう」と繰り返し言ってくれた先生や受講生たちの姿は、いろんな意味で今でも 忘れられません。このゼミやドイツ語コースのドイツ文学のゼミでの発表は、獨協で 所属したゼミで学んできたものが役立ちました。大学への留学希望であれば、日本語 でもいいから自分の専攻分野の知識を多少でも詰め込んでおくことをオススメします。

1年間というのは、本当にあっという間です。そして、いつ何が起きるか本当にわか りません。何かのアクシデントに見舞われて、突然帰ることになるかもしれません。 そんなとき、あんなこともこんなこともやっておけばよかったという後悔が残らない よう、やりたいことは思ったその場でやるようにしてみてください。次にと思うと、 そのチャンスを逃してしまう可能性だってあります。そうすると、帰国時の満足感や 充実感をより多く感じることができるのではと思います。

Wintersemester 2000/2001 bis Sommersemester 2001  稲本麻里さんからの体験記
私はドイツのハノーファー大学で1年間の認定留学をしました。出国前の諸手続きを含め、この期間は、ひたすら“自分との戦い”というイメージを私はもっています。 まず、留学中の大学生活の中で、特に大きな意味をもったのは、ゼミの口頭試験や語学クラスの発表に向けての作業、そして獨協での卒論に関する情報収集です。数日自室や図書館にこもって机に向かうこともあれば、他の人の意見や協力を得るため、外ではしり回っていた時もありました。これらの経験からは、自分にとって日本では全く出会ったことのなかった新たな専門知識や、自信を身につけることができたと思います。

 私生活においては、地元の剣道クラブに所属し、週2回の稽古をしたことが、特に印象深い想い出になりました。冬には日本から“Bundestraner”と称する先生がいらっしゃり、微力ながら通訳もさせていただきました。スポーツを通して通い合う心というのは、言語や年齢の壁を越える、独特なものだと改めて実感しました。その他自由な時間は、友人達とKneipeという喫茶店と居酒屋が合体したようなお店によく出かけては、ろうそくの火を囲んで時間を忘れて語り合いました。私はこうして過ごすひとときがとても好きでした。  これからまた新しく始まる日本での生活の中で、この1年間がただのいい思い出となるだけでなく、私の中で常にフレッシュな肥やしとして活き続けられるよう、日々努力していきたいと思います。

ブレーメン専門単科大学

Wintersemester 2008/2009 bis Sommersemester 2009  高橋 真梨さんからの体験記
時が経つのは本当に早く、新たな人生の節目となるブレーメン専門単科大学への留学が決定したのは、もう2年ほど前のことです。この留学を通して学んだことは数え切れないほど多く、実り多きものとなったので、今後留学をされる皆さんの少しでも参考にしていただけたら、そしてぜひブレーメン専門単科大学を候補に考えていただけたらと思います。

@町や大学の様子
 ブレーメン州は、ドイツ北部のヴェーザー川の河畔に位置する、一般的に"ブレーメンの音楽隊"で有名な『自由ハンザ都市ブレーメン』と、港町である『ブレーマー・ハーフェン市』により構成されています。全体の人口は約66万人、専門単科大学が位置する『自由ハンザ都市ブレーメン』の人口は約54万7千人です。

 マルクト広場の市庁舎やローラント像などの世界遺産がある歴史的・文化的にも有名な街であると同時に、小さなお店やカフェ、デパートが立ち並ぶショッピング通りが町の中心部にある近代的な街でもあります。また、アジアショップも数件あるので便利です。

 そしてブレーメン専門単科大学は、総合大学よりも規模が小さく、キャンパスが3つに分かれていて、さらに町の中にあるので過ごしやすいと思います。また学生参加型の実践的な授業が多いように感じました。日本人学生は随時3人でした。

A受講していた授業
 将来のためツーリズムに関する授業で幅広い内容を学ぶ事が留学の目的だったので、観光マネージメント学科の1年生の授業(ツーリズム学入門編・経営学・学術的方法論・マネージメント学)と、日本の社会と経済の1年生と2年生のクラス、そして留学生向け経済ドイツ語クラスを受講していました。

私にとっての1学期目である冬学期には、とにかく興味のある授業を全て選択したため、ドイツ人の学生並みかそれ以上の受講数だったので、日々の授業だけでなく、学期中や学期末のプレゼンテーション、筆記試験やレポートも大変でした。語学学習パートナーであるタンデムパートナーと定期的に会って勉強する際に、添削してもらうこともありました。2学期目の春学期は、前期を踏まえてより深く学びたい科目に絞って選択した上、さらに国際経済学と国際マネージメント学という英語で行われる授業を2つ加えました。

大学の授業が全てドイツ語もしくは英語なので、1コマ90分の授業の間まず集中力を持続させることに苦労しました。そしてディスカッションにはじめは入れず聞く側に徹していましたが、思い切って自分の意見を発表するうちに自然と慣れることができるようになると思います。

また、どの科目の先生方にも事前に直接受講許可をお願いしに伺ったので、留学生に対して理解のある方々でしたが、成績を得るための条件は特別優遇されるわけではなく、ドイツ人学生と全て同じでした。厳しいようですが、何度も先生にアドバイスをもらう間に、30分のパワーポイントのプレゼンテーションも、16枚のレポートも、仕上げることができるようになったので、大きな達成感を感じました。

その他、後期は日本人の先生に勧めていただき、経済&日本語学科の1、2年生に補講授業という形で、週に5コマ日本語を教えていました。ここでは獨協大学で専攻してきた外国語学習法と教授法や日本語学の授業が少し生かされたのではないかと思います。しかし、普段何気なく使用している母語の日本語と改めて向き合い、その複雑さを痛感しました。悪戦苦闘しつつも私なりに授業をすることを支えてくれた友人たちやアドバイスをくださった先生のお陰で、ドイツで働くというチャンスだけでなく、将来の道を考える良いきっかけもいただきました。

B生活全般について
平日は友人と授業後カフェへ行ったり、ジムへ通ったり、夜みんなで誰かの家に集まりご飯を作って食べたり、ゲームをしたり、バーへ飲みに行くことが多かったです。週末は友人とクラブへ行ったり、1人で以前留学した際のホストファミリーの家へ帰省したりしていました。

また、Unisportという専門単科大学と総合大学が共同で運営するクラブ活動のようなコースが授業時間外にあり、サッカーやテニスはもちろん、ヨガや太極拳などのユニークなものまで様々なコースを安価で体験できるので、私は前期にヨガとベリーダンスのコースを、後期はベリーダンスと中国マッサージのコースを受講していました。どちらも週に1回で約17ユーロでした。興味のある分野に気軽にチャレンジできる上に、新しい友人もできるのでオススメです。申し込みは、各学期始まりにインターネットで先着順です。

C留学を終えて
 観光学をできるだけ多く学び、そして単位を取得し帰国後すぐに卒業するという留学の目的を果たすことができただけではなく、多くの人々に出会い、支えられて改めて様々なことに気付かされました−友達や家族など周りの人ありきの私、チャレンジする時にBプランも必要だということなど。出発前、4年生の秋からという留学に迷いを感じたこともありましたが、現在全く後悔していません。お金や時間には変えられない、目には見えなくとも力になっているものは、私の大きな強みです。
D留学を考える皆さんへ
 迷っている方はぜひチャレンジしてみてください。しかし、ただ留学するのではなく、何を学びたいのかという目的やその後のおおよそのプランも事前にしっかりと考えてみてください。そうすればきっと期待以上に成果を得ることができるのではないでしょうか。

 また、留学先が決定したら早めに先生方や教務課の方と相談し、現地での受講科目を考えておくと、学期が始まってから慌てることはないでしょう。そして保険や航空券、住居や銀行も先輩にアドバイスを聞くなどして、時間に余裕を持って計画することをおすすめします。

 それでは、ブレーメン専門単科大学で有意義な時間を過ごしてきてください!

Wintersemester 2007/2008 bis Sommersemester 2008  古川 美菜子さんからの体験記
大学や町の様子
 ブレーメンはドイツ北部にあるヴェーザー川の河畔にある都市です。ブレーメンの音楽隊やマルクト広場の市庁舎、ローラント像など歴史的・文化的に有名な街です。

10月には約2週間中央駅周辺でフライマルクトという大きなお祭りが開催されます。飲食店はもちろんのこと、ジェットコースターなど移動遊園地がやってきて、とても華やかです。また12月にはいるとマルクト広場でクリスマスマーケットも開催されています。かわいいカフェがあり、またアジアショップもあるため、買い物に不自由することはありません。またゼメスターカードでハンブルクとハノーファーへ無料で行くことが出来ます。

 ブレーメン単科大学は他の総合大学に比べるとより実践的な内容になっており、規模も小さいです。そのため講義と言うよりは、グループワークなど学生の積極的参加が求められる授業が多いように感じました。

授業
1学期目は社会学、日本の社会と経済Tに参加していました。また留学生のために開講されているDaFのコースと経済ドイツ語のコースも受講していました。社会学は毎週教科書を30ページ以上予習として読んでおかなければならず、また学期末に筆記試験がありました。日本の社会と経済の授業では、「日本女性の社会の中での役割」というテーマでプレゼンテーションをし、さらに学期末には筆記試験がありました。その他のドイツ語のコースも筆記試験とプレゼンテーションがありました。

 2学期目は、集団と家族、法律学(女性の権利)、日本の社会と経済U、そして前学期同様DaFと経済ドイツ語を受講しました。集団と家族は講義形式とゼミ形式の中間のような授業でした。法律学はゼミナールで40分ほど「日本女性の就労に対する法整備」についてプレゼンテーションをしました。日本の社会と経済Uでは「日本の習慣と祭り」について3人のグループプレゼンテーションをしました、学期末には筆記試験がありました。DaFと経済ドイツ語は前学期同様でした。

生活や寮について
 私は大学から市電で30分ほどの寮の1人部屋に住んでいました。近隣にはスーパーが3軒あり、アジアショップもあったため、生活用品はたやすく入手することができました。部屋には小さなキッチン、WC、シャワーがついており、机、棚、タンスも部屋に付いていました。また同じ階にランドリーがありました。洗濯、乾燥とも1ユーロでした。

 休日は友達と飲み会、DVD鑑賞会、スタジアムでのサッカー観戦また他の都市に買い物に行ったり、学校帰りにカフェへ行ったりしました。夏にはグリルをしたり、バレーボールをしたりしました。

 1年間を通して私はたくさんの素敵なタンデムパートナー(友達)に出会いました。1学期目は毎日のように、2学期目は週3で行っていました。
プラクティクム
私は春休みの4週間、南ドイツの小さな街の幼稚園でプラクティクムをしました。子供たちと、毎日元気に室内、屋外で遊ぶこと、着替えやトイレや食事のお手伝いをしました。幼稚園の先生もとても親切に指導してくれました。

語学の面で不安を感じることもありましたが、子供たちの元気と笑顔で有意義な経験が出来ました。

留学を終えて
 とにかくたくさんの素敵な人に出会うことができました。学業の面では満足出来るほどの成果は残すことができなかったかもしれませんが、たくさんの友達が出来たこと、その友達と今でも交流をもっていられることは、私の支えです。1年間の留学を終えて、人と接することがもっともっと好きになったと思います。

アドバイス
 思ったこと、やりたいことは言葉にした方が絶対に良いと思います。

フライブルク大学

Sommersemester 2008 bis Wintersemester 2008/2009  星野 千恵美さんからの体験記
 私は、この黒い森に隣接する環境都市、Freiburgの大学で、Fakultät für Forst- und Umweltwissenschaften (森林環境学部)の学生として勉強をしました。

私は3月に1ヶ月間語学コースでドイツ語を鍛え、大学の準備をしました。認定留学の為、寮へ優遇して入れてもらえず、行ったばかりの頃はもちろん家がなかったので、家捜しをする為にも、この1ヶ月は語学コースで大学が用意してくれた寮に住み、午前中が語学コース、午後は家捜しや各手続き(住民届、保険、銀行など)をこなしていきました。

● 授業
日本でGermanistik(ドイツ学)を専攻していたという理由から、学籍上はGermanistikでした。他学科・学部の授業への参加は原則としていけないのですが、自分の興味のある授業の教授に直接メールすることによって、参加することができました。

前期は大学の語学コースを中心に、そして後期は授業をメインで勉強しました。後期ですが、環境学部では一学期生の必修授業として、毎日午前中基礎の授業がありました。文系(政治、経済、歴史…)・理系(生物学、土壌学、水文学…)様々な学問を「環境」というテーマに沿って講義が進められます。そしてもう一つ「環境政治」の授業を取りました。これはVorlesungなのですが、9人しか生徒がおらず、ゼミのように小さな教室で教授を中心に様々な意見・質問が飛び交っていました。

● 課外活動
 夏休みを利用して、(財)独日青少年協会(DJJG)の主催するインターンシップに参加しました。そこでは3週間自然公園でインターン、人口180人の小さな村にホームステイと、素晴らしい体験をしました。

また、趣味の楽器をできたらと思い、オーケストラにも入りました。そこでは週末に合宿があったり、学期末にはコンサートもあったりと、多くの友達と知り合うことが出来ました。

● これから留学を考えている人・留学をする人へ
絶対に行ってください。ドイツ語は絶対に上達します。それ以上にたくさんの経験があなたを待っています。知識は今この瞬間からでも遅くはありません。大事なのは頑張ろう、やってみようという気持ちだと思います。不安なのは誰でも一緒です。留学を通しての学び・経験・知識、それらはその不安だった日々を逆に懐かしい思い出にしてくれます。

またドイツで暮らすのですから、ドイツ語の勉強はその日々の生活の中にもたくさん隠れています。地域新聞の気になる記事を読んでみたり、料理のレシピや買い物など、小さなことにも気を配ってみてください。そしてあまり肩に力を入れず、友達とお茶したり、パーティーしたり、そうした楽しみの中にもドイツ語力UPのポイントがあります。

Wintersemester 2006/2007 bis Sommersemester 2007  荻原 絵里香 さんからの体験記
 私は2006年の冬学期から2007年の夏学期にAlbert-Ludwigs-Universität FreiburgでMusikwissenschaft(音楽学)とGermanistik(ドイツ文学)を勉強していました。

留学先の決定
 ドイツで勉強したいと思ったときに、私には一つの大きな前提がありました。それは、音楽を勉強したいということでした。

ドイツで勉強したいということをゼミの先生に相談し、ある教授を紹介していただきました。その教授がFreiburg大学でW. A. Mozartの研究をしていらっしゃったので、留学先をこの大学に決めました。


 Freiburgはドイツ南西の大学の町です。フランスもスイスも目と鼻の先という国際情勢豊かな場所に位置しています。一目で愛着と好感を抱いた、小さな愛らしい素敵な町です。町の中へは自動車の進入を禁止するなど、環境保護の先駆都市としても知られています。

学生生活・勉強
 ドイツで勉強していた期間は、自分との戦いの1年間でした。というのも、私は7学期(3年半)が終わってから、Freiburgでもう1年勉強しました。ですので、(聞こえ方は悪くなってしまうかもしれませんが、)実は単位取得はそれほど重要な課題ではありませんでした。卒業するのに十分なだけの単位はほとんど取得済みだったのです。

単位取得という勉強への強制力がなかった分、自分で好奇心を抱き志を高める必要がありました。まさに自分のために、自分の知識のために勉強するということです。「ただ好きだから、知りたい。知識を深めたい。」今、振り返ると、とても贅沢な知的探索だったと思います。

 この大学のMusikwissenschaft学部の授業の特徴の一つとして、実践的であるということが挙げられます。ただ紙の上で無味乾燥な理論に浸かるのではなく、実際に見て聴いて触れて勉強する体制は収穫が多かったです。

和声学では、授業でまず理論を学びました。そして宿題で自ら作曲しました。聴音の授業では、リズムや音の書き取りやインターヴァルや楽器構成の聴き取りをやりました。まさに耳に意識と神経の全てを集中させたひとときでした。グレゴリオ聖歌の授業では、実際に昔の楽譜を読み、声を合わせて歌いました。参加した学生で修道院へ行き、本物の教会の聖歌にも触れてきました。

ゼミでは、大学内にある実際に演奏することのできるパイプオルガンを参考資料としてとったり、教会へ行ったりしました。この五感を総動員して勉強するやり方はとても良かったです。学生の学習意欲を上げ理論が実を結ぶ、授業の良い組織の仕方だと思います。
これからドイツで勉強なさる方々へ
 まず、豊かで良質な母国語を身につけて下さい(これを読んでくださる、多くの方にとっては日本語でしょう)。遠回りのようですが、外国語習得一番の近道です。母国語は全ての礎であり、考える源です。この根底がしっかりと安定したものであれば、外国語の力は自ずと後ろに続きます。

 それから、自分の持っている知識に磨きをかけて下さい。外国語ができても知識がないと、言葉は耳から入りすり抜けていってしまいます。言葉を頭にとどめる鍵は、知識です。

最後に
 波乱万丈で七転八倒の多かったドイツでの生活を支え、励まし実りの多きものに導いてくれた、家族と友達、国際交流センターの方々に心からの感謝を。最後になってしまいましたが、ここで深い感謝の念を伝えたいです。

Wintersemester 2001/2002 bis Sommersemester 2002  今門美和さんからの体験記
1人で異国の地で暮らすのはもちろん楽ではない。私は楽をしていた方かも知れないが。大きな問題はなかったものの、小さな細々とした難点はたくさんあった。最初は常に気が張っているし、例えば学校からの郵便をしばらく置いておいたら、再び警告料か郵便料か、余計な料金を取られちゃったりで、全ての管理を自分1人でやらなくてはいけないからだ。学校のシステムも違うし、色々な事に気を配っていなくてはならない。日本でどれだけ両親に甘えていたかを実感。

そんな時、心の支えになるのはやっぱり友達。私は人見知りをするので、友人は多いというわけではないが、いい友達ができたと思う。でも日本人の友人はつくらなかった。どこに居るのかわからなかったというのもあるが。ただし、日本人の知り合いは数人いると心強い。

私は帰国の1ヵ月くらい前、原因は不明だが、激しい吐き気で1週間ほど入院した。別に手術をしたわけでもないし、全く大した病気ではなかったのだが、病気の間、みんな本当に泣けちゃうくらい優しかった。お医者さんに電話してくれたり、友人に連絡をとってくれたり、お見舞いに来てくれたり、病院に送り迎えしてくれたり。言葉の壁は多少なりともあったが、病院の人々も明るくて面白くて親切だった。何が良かったかって、毎月払っている約100DMの学生保険のモトを取っただろうと思われること(笑)。

みんなと居ると嬉しいし、楽しいからどこへでもついて行った。旅行もしたし、ベーベキュー、パーティー、森の中へのハイキングも毎週のように。最後の1ヵ月はほとんど毎日友人と集まっていた。もちろんドイツ語も少々上達してくるが、何よりも友達って大切だなぁと感じた。

ドイツの文化や人々の温かさに感動することはもちろんだが、日本もいいなぁと思うこともたくさんある。日本が恋しいとか帰りたいということではない。例えば和食。本物の日本茶はないのか!?と何度叫んだことか。他にも、私の部屋は土足禁止にしてしまおうかなあと思ったり、日本の伝統芸能も素晴らしいと感じたり、もちろん日本の最先端技術や現代の音楽なんかもとっても素敵なのだ。

今まで「外国・外国!」ばかりだったが、これからは日本のこともちゃんと勉強して日本文化も大切にしていかなないとなあと思った。今国際化で何でもアメリカ化しているが、国際化はただ外国に倣うということではないと思う。外国から何かを学んで、そして再び自分自身を見つめ直して良くするということだと思う。今まではそれにも気がつかなかったのだ。

ベルリン自由大学

Sommersemester 2003 bis Wintersemester 2003/04 永田洋平さんからの体験記
ベルリンという街
ベルリンという街はドイツの中でも少し特殊な雰囲気があります。壁によって東西を分離されていたけれど、統一後は首都としてめざましい発展を遂げ、今ではドイツの、またヨーロッパの中心になりつつあります。今では旧西、旧東と目に見える差はほとんどないけれど、人々の中にはまだ多少のメンタリティーの差があります。そういう人たちが入り混じり、統一後はドイツ国内からの移住も多く、さらに外国人居住者の数も多いです。とにかくいろんな人が暮らしています。

この街に留学するメリットは、まず生活をする中で自然と歴史、文化を感じることです。壁の跡地はもちろん、第二次大戦で屋根を爆撃された教会もそのままの形で残されていて、今では普通の教会として使われています。どちらも大げさに飾られているわけではなく街の背景に、人々の生活にすっかり溶け込んでいます。

時間さえあれば文化的な活動もいくらでもできます。オペラハウスは3つあるし、劇場、コンサートハウス、博物館は山ほどあります。 交通の便はとても便利です。バス、電車、地下鉄がうまい具合に接続されていますし、夜遅い時間(明け方)にも深夜バスを乗り継げばどうにか家まで帰ることができます。学生にはSemesterticketという切符が支給されるので、それでほとんどの範囲のバス、電車に乗ることができます。

大学について
こちらの学生はみんな真面目でよく勉強をしています。図書館はいつも混んでいますし(テスト前は週末も)、授業中に質問や発言をする学生が多いです。これはドイツ人が特に真面目だからではなく、ドイツでは大学が最高学府だというのが当たり前のことだからです。どこの大学で学んだか、ではなく、何を学んだかが重要で、学生は卒業後、大抵、大学で学んだ専門的知識を生かした職業につきます。ドイツの大学教育は国際的な評価が高く、いろいろな国から留学生が来ているので、そういう人たちと知り合うのも楽しいことだと思います。

ベルリン自由大学は同じくベルリンにあるフンボルト大学との乗り入れが可能になり、 ベルリン自由大学で開講されていない授業をフンボルト大学で、またその逆の場合を、お互いに補うことができます。例えば僕は、興味のあった「日本法」という授業をフンボルト大学で受講し、その単位をベルリン自由大学で換算しました。

2度目の留学 (留学のススメ)
僕は1度交換留学をさせていただいたので、今回の認定留学は2度目の長期留学になります。 2年間くらい住むと、さすがにその地には随分慣れます。しかしそれでも日々学ぶことはいくらでもあります。 ドイツのいいところや悪いところはもちろん、日本のいいところや悪いところも見えてきます。 お互いに遠く離れた国なので、ドイツにおける日本の、日本におけるドイツの偏見はすさまじいものです。ドイツ人は決して毎日ソーセージとじゃがいもを食べてビールを飲んでるわけではないし(笑)、日本もすしと侍とハイテクとアニメだけの国ではありません。ドイツ人にも環境問題に関心の薄い人はたくさんいます。リサイクルの割合がいいのはリサイクルしやすい制度があるからなのであって、日本のように市民にだけ「環境保護」を訴えるような行政ではドイツ人はリサイクルなんてしなくなるでしょう。日本はドイツの環境保護政策を見習っているようでも、個人主義と全体主義という人々の生活の基盤にあるメンタリティーの違いを理解しない限りこのような誤解は常に生じてしまうものです。

また、留学は高くつく、と考えている人も多いと思いますが、留学中は獨協大学の授業料は免除されますし、ドイツの大学には今のところまだ授業料がありませんので、日本で学ぶより安くつきます。住まいもそれほど高いわけではありません。特にベルリンの家賃はドイツの中でも意外に安いです。交換留学生には奨学金の給付や事前研修費の補助といった支援もあります。修得した単位も獨協の履修科目に合わせて換算することもできます。4年次に留学をしてもがんばれば留学中に卒業単位を修得することができます。つまり、留学はいいことづくしです。

留学に興味のある人は是非実行に移してみてください。全く違ったものの見方や考え方に触れることで自分の視野も広がります。

 マインツ大学

Sommersemester 2007 bis Wintersemester 2007/2008  齋藤 舞さんからの体験記
 私は2007年の夏学期から2008年の冬学期まで、Johannes-Gutenberg-Universität Mainz に認定留学していました。

・大学や町の様子
フランクフルトからも程近く、マイン川とライン川の合流地点に位置するマインツは、大聖堂や活版印刷の父グーテンベルクの誕生地として歴史ある町です。大学はオールインキャンパスということで敷地がとても広く、また総合大学として学部学科枠を越え幅広い教養を身につけることが出来ます。そのため留学生も非常に多く国際色豊かで、異文化交流の場も数多く魅力ある大学でした。

・授業や生活について
 Deutsche Philologieを専攻し、授業は両学期とも留学生向けのドイツ語コースの他に、言語学、音楽学の授業を中心に履修していました。夏学期はドイツ語を聞き、理解するのに精一杯だったので、ドイツ語や授業に慣れることを第一に、暇な時はタンデムをして日々の積み重ねを心掛けていました。

 私は学生寮の2人用WGにフランス人と住んでいましたが、留学前から大学側とメールのやり取りで既に住居は決まっており、寮については全く問題ありませんでした。大学では、留学生の為のチューター制度がきちんと整っていて、到着当日から手続きをはじめ色々と手伝ってもらうことが出来たので心強かったです。

留学前から、夏休みを有意義に過ごすためにインターンシップをしたいという思いが強くありました。7月初め頃、フランクフルトにある旅行代理店や語学学校など計6社ほど履歴書と手紙を送り、8月の1ヶ月間、日系の旅行代理店にお世話になりました。日本人の旅行手配や、ドイツ人向け日本旅行のホームページ作成の準備など興味深いものでした。

・アドバイス
マインツ大学のようにDSHやTestDafが免除されない大学に行きたい場合は、いざという時にでも語学力を証明出来るように、獨協大学でTestDafを受験しておくことをお勧めします。

 1年という限られた時間の中で、目的意識を忘れず自分をしっかり持って日々過ごすことで留学の意義が見出せると思います。また、人それぞれ様々な困難に直面することもあるかと思いますが、その全てが貴重な経験になることでしょう。

留学を終え、視野が広がり柔軟性が身についたこと。学生達の授業に対する積極的な姿勢に刺激を受けたことなど、人との出会いと触れ合いの中経験したこと全てが、私にとって大きな収穫であり心の糧でもあります。多くの出会いを大切にし、自分にしか出来ない留学生活を送れることを願っています。

最後に、国際交流センターのお力添えと、留学生活を支えて下さった方々に心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

Sommersemester 2001 bis Wintersemester 2001/2002  Diese Studentin berichtet:
2001年4月1日に私は、1年という期間でドイツに留学するために日本を発った。あの時から約1年、あっというまの短い期間だった。けれど、私は様々な事を想い、色々な経験をし、たくさんの人と出会った。あんなに楽しく、充実し、一生懸命だった1年間はそうそうないだろう。ここに、少しだがその体験を記す事ができればいいと思う。

(町) 私は、マインツという町の大学に1年間通っていた。場所としてはフランクフルト空港から約30分という便利な位置にあった。町は大きすぎず小さすぎず、必要なものは全て揃っている、住み慣れてしまえば愛着のわく良い町であった。劇場などの芸術施設も充実していた。週に何度か朝、市場にできる新鮮なマーケットに買い物に行くのも、なかなか楽しみな事であった。

(大学) マインツ大学はオールインキャンパスで、かなり大きな校舎であった。端から端まで歩いたらきっと、1時間はかかるのではないだろうか。そこで私はドイツ文学を始め、自分が興味を持った授業にはどんどん顔を出すようにしていた。もちろん、ドイツ人が普通に受けている授業に初めからついていけるわけもなく、最初の頃はとても退屈だった。始めは、ほとんど聴講生の状態であったが、そのうちだんだんと、先生や周りの学生が発表していることが分かるようになってくる。そうなると、自分も授業に参加していくことができ、発表の機会も、やる気になれば与えられた。
それ以外にも、週2回、外国からの留学生のための語学コースに参加していた。こちらの方は、中心が自分達なのでやはり楽しんで学ぶ事ができた。ここでは、スペイン人、イタリア人、フランス人、イギリス人など様々な国籍の人と友達になることができた。

(WG―共同生活) 私が留学して一番、色々な経験をし、心に残り、良かったと思っているのは、実はこのWG(共同生活)である。ドイツでは、学生達は大概何人かで家をシェアして住む。一人一人には、それぞれ部屋が与えられ、キッチン、シャワー、トイレは共同で使うスタイルである。
実は私は始め、住むところがなかったのである。ユースホステルに住みつくこと2週間、毎日、家探しに明け暮れていた。というのも、私はどうしてもその、共同生活というものを試してみたかったのである。たがが1年、何事も挑戦だ、と持ち前の好奇心旺盛な性格が顔を出してしまったのだ。
ところが、この部屋探し、なかなか大変であった。私が探した時期も時期であったのだが、軒並み断り続けられた。しかし、頑張り続ければいい事はあるもので、見た中で一番好感を覚えた家の人達からOKをもらうことができた。そこは、ドイツ人の男の子2人、女の子1人、コロンビア人の女の子1人、そして私を含めた5人のWGだった。家自体は古く、キッチンなど、決して清潔とは言えなかったし、洗濯機もなく、(これはWGでは良くあることだが)極めつけは、シャワーに入るために1マルク必要だったことだ。今はユーロに変わりそれもなくなったのだが、マルク時代は10分、シャワーでお湯を使うのに1マルク払わなければなかった。
けれど、そんな事は問題にならないほど私はこの家が、とてもとても気に入っていた。日の当たる大きな部屋、木の床、しかし一番の理由にはきっと、一緒に住んだ人達に恵まれたからであると思う。みんな、それぞれ映画、教育、数学、本学など様々な学科を学ぶ学生であった。
キッチンで、朝食を一緒に食べたり、寿司を一緒につくったり、夏にはバルコニーでバーベキューもやった。湖に泳ぎにいったり、よく映画も観にいった、数えきれないくらい飲みにも行った、色々なことについて語り合った。
みんな友達なのに家族の様で、家族の様で友達な存在だった。困ったことがあると、みんなで相談し解決口を探す。掃除当番をさぼった人にはきちんとお叱りが待っている。毎日会えて、言葉を交わせる人がいることは、一人、留学生の私にはどれだけ心の支えになったことか。おかげで、私のドイツ語は口語表現ばかりになってしまったけれど、ドイツの若者の生活が堪能できたと思う。このWG生活は私の留学生活を2倍も3倍も楽しいものにしてくれたと思っている。

(出会い) 最後に、私がこの留学を通して一番心に感じたことは人との出会いの素晴らしさである。 WGの仲間を始め、大学でお世話になった先生、日本人の友達など、あらゆる場所で、色んな形で、私は人に出会い、人に助けられ、人に支えられてきた。私が充実した留学生活を送れたのもその人達との出会いあってこそだと思う。だから、出会えた人との縁を大切に、またこれから出会っていく人も大事にしていきたいと思う。そして、私が受けてきたぶんの優しさや、親切な心を今後、私も誰かに伝えていくことが出来ればいいと思う。
そしてもう一つ、この留学は私に「なんにでも挑戦してみるべき」という勇気ある教訓を心に残してくれた。「やらないで後悔するより、やってから後悔したほうがまだいい」という私のモットーで、私は色々なことに飛び込みチャレンジしてきた。その結果、もちろん失敗も多々あるけれど、やはりやって良かったと思う事の方が多い。今回の留学も本当にやって良かったと心から思う。そして、これからもなんにでも挑戦していける自分でいたい。

 マールブルク大学

Sommersemester 2009 bis Wintersemester 2009/2010  荻原 絵里香 さんからの中間報告
 私は2009年の4月からドイツにあるマールブルク大学で交換留学生として音楽学とドイツ語学を勉強しています。

大学での勉強
 夏学期には、合計で5コマの授業を履修していました。音楽学ではコロキウム、オーケストラ音楽に関する講義、19世紀の音楽に関する授業、ドイツ語学ではドイツ語の発音に関するゼミ、また英語の語学講座に参加していました。自分の研究テーマ(モーツァルトの教会音楽およびミサ曲)に直接関係している授業はありませんでしたが、全体的な知識の底上げに役立ったと自負しています。

冬学期には、音楽学学部で自分の研究テーマに直結したゼミナールを開講してもらえるよう手はずを整えたので、積極的に参加しようと思います。フーガに関する授業も履修しようと考えています。ドイツ語学では、音声学の講義をとるつもりです。将来的な目標のために、英語の講座にも参加し力を伸ばしたいです。また、論文を執筆するためのドイツ語の講座も開講されるので、それも履修する予定です。

インターンシップ
 2009年の7月及び8月にドイツのバート・ヘルスフェルトという町で開催されたオペラ祭で(Bad Hersfelder Opernfestspiele)1ヶ月間インターンシップを行いました。マールブルク大学で師事している教授に相談したところ、このオペラ祭ですでにインターンシップをしたことのある学生を紹介してくださり、その学生のつてでこのオペラ祭でのインターンシップが実現しました。私が担当したのは、助監督、衣装係、小道具係の3つの分野でした。インターンシップ中には働き方の違いや人との触れ合い方の違いに戸惑うこともありました。しかし私は将来的にドイツの音楽業界で働きたいと考えているので、就職以前に本格的な職業環境で経験をつめたことはとても意義深いことだったと思います。

Wintersemester 2008/09 bis Sommersemester 2009 Eine Austauschstudentin berichtet:

私は2008年の冬学期からマールブルク大学に留学しています。マールブルクはフランクフルトから電車で一時間くらいのところにある大学町で、町の人口の大部分が学生だそうです。小さな町と聞いていましたが、思っていたよりは小さくもなく生活するのにはちょうどいい規模の町だと思います。大学の学生証を使えば、フランクフルトやカッセルなどの近郊の町にも無料で行くことができます。また、フランクフルトからは、国内外の主要都市を結ぶ列車もでているので旅行をするときなどにも便利です。

私はこちらに来てまず、留学生のためのオリエンテーションプログラムと語学準備コースに参加しました。オリエンテーションでは、銀行口座の開設や、ビザの申請、保険の加入など、書類の記入から提出までマールブルク大学の学生スタッフが親切に教えてくれるので、すべてスムーズに終えることができました。また、パーティーやエクスカージョンなどのプログラムも用意されているので、参加すれば他の留学生と知り合うよい機会だと思います。

私は、大学からバスで10〜15分のところにある学生寮に住んでいます。キッチン、シャワー、トイレを1フロア(約12人)で共有するタイプの寮です。私の住んでいる寮は、ドイツ人よりも外国人留学生がたくさん住んでいるように思います。インターネットは月5ユーロで隣人のワイヤレスランを使わせてもらっています。

私は、ドイツ語力にまだ自信がなかったこともあり、冬学期は大学付属の機関で開講されている語学コースに参加していました。授業は月曜日から金曜日の午前中に毎日あり、初めにEinstufungstestを受けてその結果によりクラス分けされます。このコースで、毎日ドイツ語に触れることができたのはよかったと思います。また、他の留学生とも知り合うことができました。 大学の授業は、外国人留学生向けの授業3コマと、Vorlesung 2コマに参加していましたが、語学力と知識不足のため、あまりついていけていませんでした。夏学期は少しでもついていけるように頑張りたいと思います。

Wintersemester 2008/09 bis Sommersemester 2009  植木しのかさんからの中間報告

2年生の秋学期からマールブルクに留学しています。 私は7月から9月中旬まで獨協大学のドイツでのインターンシッププログラムに参加していたため、日本からではなく、ドルトムントから直接マールブルクに来て留学生活に入りました。

マールブルク:
マールブルクはフランクフルトから列車で1時間ほどのところに位置する比較的小さな街です。しかし、マールブルクの学生証はヘッセン州ならどこへでも無料で行けるチケットにもなっているので、ちょっとした小旅行をしたいときなどにはとても便利な町です。自然も身近にあり、散歩などの息抜きもできる落ち着いた街で、個人的にはここでの生活はとても気に入っています。

オリエンテーション:
私はインターンシップに参加していた関係で、9月初旬から行われていた外国人のための語学準備コースには参加できなかったのですが、オリエンテーションプログラムには参加しました。これは、マールブルクに住むために必要な諸手続きを、現地学生の助けを借りて済ませることができる外国人留学生専用のプログラムで、とても親切なシステムだと思いました。ドイツの事務手続きはなかなかうまく進まないことはわかっていたので、それほど期待して行かなかったのですが、スムーズに事が運び驚きました。また、ここではたくさんのプログラムが用意されていたため、多くの外国人留学生との交友関係が広がり、また、彼らのドイツ語能力の高さに刺激を受けました。

寮生活:
日本から部屋を予約していったので、オリエンテーションプログラムが始まった日から入室できるものと思い込んでいましたが、部屋の片づけが終わっていないなどの理由で3,4日は「緊急宿泊室」なるところに、他の運悪く入室できなかった人たちと過ごしました。これは日本から長旅をしてくる人たちにとっては、辛い状況だと思います。 学生寮はたいてい街の中心から離れたところにあり、バスでの通学となりますが、慣れてしまえば苦にはなりません。寮には9~12人で水周りが共同型のものと、3~4人が近い関係で一緒に暮らすWG型があるらしく、それぞれ値段も設備も違います。私は9人一緒に住んでいますが、他の住人との接点があまりなく、表面的な付き合いになってしまうので今もまだなじめていない感じがします。インターネット環境は基本的にありませんが、寮内の現地学生にきけば、月々に10ユーロほど払う形でワイヤレスランを分けてもらえます。

ドイツ人学生と同じ授業をとったことで、ドイツ人の友人もたくさんできたのですが、講義内では自分の語学能力のなさから内容が理解できず、ノートも満足にとれない状況が続き、悔しい思いをすることが多々ありました

学業:
私は社会学を中心に学ぶ計画をしていたのですが、日本でも社会学の知識がなかったため入門からしっかり学ぶ方が良いだろうと判断し、1学期生の授業を3コマとりました。また、そのほかにも入門の講義は単位認定が難しいと聞いていたので、単位修得のために歴史学から2コマ、文学から1コマ、それと語学力向上のために外国人留学生のための授業を3コマの計9コマ登録しました。個人的な見解ですが、外国人留学生のための授業は質があまりよくなく時間がとられるだけで、お勧めできません。ただ、ドイツの大学での学び方――特にレポートの書き方など、自分ではなかなか習得できないことを学ぶための授業(Wissenschaftliches Arbeiten in deutscher Sprache)は役に立ちました。

まとめ:
最初の学期は忙しかったこともあり、マールブルクの生活自体に慣れることにはあまり問題はありませんでした。ただ、学業に時間を取られたこともあって、日を増すごとに友人との接点がなくなっていき、寮に引きこもることが多くなりました。精神の安定は留学にしてもなんにしても一番大切なことだと思います。余裕のある生活を目標に計画すること、自分の特性を知っておくことは日ごろの生活でもそうですが、留学の最低条件だと感じました。来学期からはそのような視点を踏まえ、より充実した留学生活になるよう、無理をせず過ごしていきたいと思います。

Sommersemester 2008 bis Wintersemester 2008/09 橋本泰奈さんからの体験記
留学を終えて:

私は一年間(Sommersemester 08, Wintersemester 08/09)マールブルクに滞在しました。前学期は、授業でハイペースなドイツ語についていけない、集中力がもたないなど、色々と苦戦しました。しかし今学期では授業での理解度や課題、そしてノートのとり方など、改善できた部分がたくさんありました。仲良くなったドイツ人学生とたまに授業内容を確認したり、試験勉強をしたことは、とても大きな助けとなりました。またどれほど必死に準備しても、試験の結果・成績はあまり良くなかったのですが、今学期では2つ口答試験で満点をもらうことができて本当に嬉しかったです。

今回の留学では、興味のある分野をドイツ語で理解して知識を深めること、またそれを通して卒業論文の題材を探すことが私の主な目標でした。一年間に受けた授業の単位習得ができたことだけではなく、学問にたいする興味・知識が一層深められたことで、この滞在はとても有意義で今後の目標にもつながるものとなりました。また大学のオーケストラにもオーディションを受けて、参加することができました。そこで新しい音楽仲間もでき、皆でマールブルクだけでなくベルリンへもコンサート旅行に行けたことは本当に良い思い出です。

ドイツから去ることや、知り合って一年後もう友達とお別れをするのは悲しく、とても残念に思います。しかし今回の留学で習得したものを、獨協大学でどのように活かして卒業論文などの課題に取り組むことができるのかは、またこれから楽しみでもあります。

事前準備・留学中についてのアドバイス:
長期留学とは、ドイツで長期滞在をするということだけではなく、こちらの大学における教育システムの中で留学をするということを意味していると思います。初めて留学をされる方にとっては、一年間を海外で生活ということを考えただけでも、期待や不安でいっぱいになるかもしれません。しかしまず大切なのは、留学を通して皆さんが何を目標にどういったことを経験して何を得たいのか、またそのためには何が必要なのかを、留学する前によく考えて明確にすることだと思います。

そして現地に来たならば、身のまわりの環境をどのように活かすことができるのか、留学前の考えをさらに発展させることがとても大切になってきます。例えばDSH合格を目指している方であれば、ただ目標をDSH取得だけに設定するのではなく、具体的にDSH準備コースを通してどのような語学能力を身につけたいのか、DSHを留学終了後どう活かしたいのかという先の目標を持つことができれば、きっと目標(資格)以上のものも得られるはずです。ですから、夏休み・冬休みを利用してインターンシップやアルバイトをすることは、語学力を違った面から活かしながら伸ばすことができる機会として良いのではと思います。そうすれば、様々なチャレンジが後につながる一年間を過ごせるのではないでしょうか。

また留学先での単位修得を目指している方にたいしては、よく留学体験記で「専門知識」の必要・重要性が指摘されています。しかし獨協大学とドイツ各大学のカリキュラムの違いや、獨協大学入学からドイツ留学までの二・三年という短期間からしても、専門知識を事前に身につけることは難しいと個人的に感じます。前に述べたように、留学とはドイツの大学システムの中で就学ことでもあり、そこで必要とされる専門知識とは、あくまで大学が開設している学科・講義の範囲内で要求される知識を意味しているのではないかと思います。ですから、留学先大学の各学科のHPやVorlesungsverzeichnis(シラバス)を熟読して、各学科が何をコンセプトに、どのような講義・ゼミを行っているのかを調べることは留学の前提条件だと思います。

そして各講義・ゼミにおいて、どのような予備知識が求められ、どのようなことを目的とした授業なのか、また自分はそこで何を学びたいのかを明確にするべきでしょう。私自身も感じた「知識不足」は、例えば各講義の参考文献を(ドイツ語で)読んでおくことで少しは解消できたのではないかと思います。なぜならば、理解することができなくても、少なからず専門用語や学術的表現を知ることがでるので、実際の授業で教授が何をいっているのかさっぱり?ということが避けられるかもしれないからです。

結局のところ、専門知識とは短期間に身につけられるものではないと思うので、まずは授業の参考文献や専門辞典(Fachlexikon, -wörterbuch)を用いて、ある分野・テーマに特有な概念や語彙、表現・解釈方法などを学ぶことは良い事前準備であり、留学中においても大変重要なことだと感じます。

【参 考】橋本さんからの中間報告 

Sommersemester 2008 bis Wintersemester 2008/09 上岡麻美さんからの体験記
 私は2007年9月から2008年7月まで、ドイツのマールブルクに滞在していました。マールブルクはフランクフルトから電車で約1時間のところに位置する、小さな大学町です。

 最初の学期が始まる前に私はドイツ語の準備コースに参加していました。月曜日から木曜日の午前中、4週間のコースで、沢山の留学生たちがそのコースに参加していました。15人くらいのクラスが6クラスあり、そこでは1年間一緒に勉強していく友達がたくさんできます。一緒にご飯を食べたり、パーティをしたり、同じ授業に出たりと、準備コースの後もずっと付き合っていく仲間ができます。また、マールブルクには日本人の留学生が沢山います。私にとって同じ立場にある日本人の友達がたくさんいることは心強いことでした。

 マールブルクの大学Philipps-Universität Marburgで私は美術史の授業をとっていました。1学期目では講義(Vorlesung)の聴講、2学期目では1つのProseminarに参加しました。しかし、講義では内容を理解すること、またProseminarでは人の話を聞くことや会話すること、発表など、全てが難しく、あまりうまく行きませんでした。しかし、外国人留学生向けのドイツ語の授業や、Sprachenzentrumというところで開講されているドイツ語のコース・授業では、その充実した内容や、また友達がたくさんできたことなど、満足できるものだったと思います。


寮での誕生パーティー

 私は大学の寮に滞在していました。正直に言うと、私はその寮があまり気に入らず、最初は引っ越しも考えたのですが、優しい隣人達や当時シェアさせてもらっていたインターネット環境が良かったこともあり、ずっと同じ部屋に滞在しました。他の寮に住む友達の部屋に遊びに行ったり、キッチンでパーティをしたりと、楽しい思い出がたくさん残っています。

ドイツでの生活を振り返ってみて今思うこと(反省していること)は、現実から逃げずにもっとチャレンジするべきだった、ということです。私にとって文化や言葉の違う土地に暮らすことは、とても刺激的なものであったと同時に、時に辛いことでもありました。1年間はとても短く、あっという間に終わってしまいます。自分がどうしたいのか、どうありたいのか、目標やヴィジョンを持って生活すべきだったと思います。

Wintersemester 2007/08 bis Sommersemester 2008  小松愛理さんからの体験記
私は、2007年冬学期から2008年夏学期にかけてドイツのマールブルク大学へ留学をしていました。マールブルクは、小さな街ですが、大学生活にはとても良い街だと思います。フランクフルトから1時間程度なので生活面での不自由さはあまりありませでした。

私は大学の寮に滞在ましたが、大学寮は市内のいろいろな場所に点在しています。私はその中のWehrdaという寮で生活をしていました。各階フロア単位でキッチン、シャワー、トイレが共同のタイプで約15人程度の人数が使用していました。インターネット接続環境のない寮なので、シェアしてくれる人を探すか、自分でその環境を作らなければいけないので、それがこの寮の不便なところでした。


授業は、Vorlesungや、その他Übungの授業をとりました。これらの試験で、私は口述試験と筆記試験の両方を受けましたが、言語学の授業の筆記試験で文章記述形式だったのでその試験がとても難しかったです。口述試験は主にプレゼンテーションを評価されるものだったので、そのプレゼンテーションの内容を事前に調べて発表するために、たくさんの準備が必要でしたが、発表し終わった後はそのぶん達成感を得ることができました。


私は、学期開始前に4週間の事前準備コースに参加したことや、Sprachenzentrumというところで開講されている外国人の留学生向けの授業をとったこと、また授業や寮が一緒だったりしたことから、いろいろな国の友達ができました。なので、これらの友達と休日にはたくさんパーティーをしたり、街で遊んだりしました。

また、長期休暇の間にはスペイン人とカナダ人の友達と20日間のヨーロッパ旅行をしたり、その他の国の友達ともドイツ国内旅行をしたり充実した休暇は過ごすことができました。

帰国直前に2年前にホームステイをさせていただいた街の小学校へ訪問する機会があり、ホストマザーに連れて行ってもらい2年ぶりに子どもたちに再開しました。その際に、子どもたちが、私のことや教えた日本語を覚えてくれていて、また子どもたちが自分から日本文化について興味を持ってくれていたことが、とても嬉しかったし、楽しかったです。

最後に、私は大学のオリエンテーションより少し遅れてマールブルク入りをしたので、口座開設や住民登録を自力でやらなければいけませんでした。手続きをする場所が点在しているのでドイツ語も不安だった私はとても苦労しました。なので、今後マールブルクへ留学する方は、このオリエンテーションから参加することをお勧めします。

Wintersemester 2007/08 bis Sommersemester 2008  村木美緒さんからの留学体験記
3年の秋学期から、ドイツ・マールブルク大学に留学しています。 今回は後半の夏学期を中心に報告します。

*授業
前期と同様、ホームページからVorlesungsverzeichnisを参照し、興味のある授業を選んで受講しました。授業は主に歴史系の講義を履修・聴講しました。授業は、歴史の講義を2つ、文学の講義をひとつ履修、ほかに数講義を聴講しました。

Deutsche Geschichte seit 1800 (Teil 1)
Fruhchristriches Rom
Deutsche Literatur im 18. Jahrhundert

一番大変だったのは、冬学期で履修していたゼミナールの論文作成です。(授業は1月で終了でしたが、論文締め切りは4月末でした。)冬学期中に行った口頭発表を元に論文を作成しましたが、始めて書く長い論文、しかもドイツ語ということで、まともな形になってきたのは4月に入ってのことです。とにかく回りのドイツ人に幾度となく推敲をお願いして、学術的な文章を作っていきました。最終的に完成し、後日評価をいただいたときは、本当にうれしかったです。

講義の理解は、全学期よりはいくらかましになっていたかと思いますが、それでも専門用語にはなかなかついていけず、特に文学の講義は概論的内容であるはずなのに、非常に難解でした。またどの講義も板書が少なく、教授の仰る内容を各自ノートにメモするしかありません。期末試験も論述が多いので、これができないとなかなか単位取得は厳しいです。ディクテーション能力を強化しておくと、幾分か楽だと思います。

*最後に
幸運なことに、自分が専門的にやりたいと思っている授業を履修することができたので、大変な気持ちよりも、知識欲を満たす楽しみがまさった一年間でした。

留学を考えている方、まず挑戦してみてください。そして留学したら、興味のある授業をたくさん受講してください。せっかくドイツに留学するのですから、語学の学習以上の物を目指したほうが後に身になるものも多いと思います。(もちろん目標は皆さんあると思いますが、最終的に語学学習で終わってしまう留学生の方が多いと感じましたので。)もちろんはじめは講義もまったくわからないかもしれませんが、一年後に振り返ったときにいろいろと挑戦していたほうが悔いがないはずです。

また、授業以外のさまざまなことにも挑戦してください。10ヶ月間、どのように過ごすかはその人次第です。

【参 考】村木さんからの中間報告 

Wintersemester 2006/07 bis Sommersemester 2007  若井千紘さんからの体験記
今回、ここでは夏学期の授業について報告します。

 私は、夏学期にProseminar(Einfürung in die Sprachgeschichte des Deutschen) を1つと、ドイツ言語学のVorlesung(Grammatische Relation, Semantik, Pragmaliguistik)を3つ、また歴史学のVorlesung(Die Entwicklung von Wirtschaft und Globalisierung: Globalisierung-Backlash vom Ersten zum Zweiten Weltkrieg)を1つ、更に論文を書くための上級ドイツ語コース(Wissenschaftliche Texte verstehen und schreiben, Bereich Sozial- und Wirtschaftswissenschaften & Jura)の計6つの授業を履修、聴講していました。

 授業の形式は、基本的に学生と先生が共に考えながら進めていくという感じでした。そのために学生は、授業前に与えられたスクリプトや課題、参考書などに目を通しておくことが必要です。

これは決して日本の大学のように宿題という形で出されたものではありませんが、学生が進んで授業に参加していくという姿勢に、私はとても刺激を受けました。

 私もなるべく全てのスクリプトを読むように心がけましたが、一つの授業で扱う量が非常に多く、全てをこなすことはなかなかできませんでした。そんな時は、授業後に復習という形で友達に内容を確認したり、分からない部分を説明してもらったりしていました。

この毎回の授業のスクリプトを読みこなすというのが、私にとって一番大変だったように思います。なぜなら、専門用語ばかりなうえに、初めて習うものも多かったからです。

自分の知識不足に気付かされ、悔しい思いもしましたが、苦労して頑張った甲斐はあったのではないかと思います。最後にレポートや試験の結果として、いくつか評価をいただけたときは、本当に嬉しかったです。

留学生活をどのように過ごすか、またそこで与えられた環境をどう生かすかは本当に自分次第だと思います。私はこの留学生活で、勉強はもちろんですが、そこで出会った人々や様々な貴重な機会を通し、多くのことを学びました。それは、決して日本では経験することはできなかったと思います。

このような素晴らしい機会をくださり、留学中にも支えてくださった先生方、また何か問題があるといつも助けてくれた家族や友達には本当に感謝しています。

【参 考】若井さんからの中間報告 

Sommersemester 2006 bis Wintersemester 2006/07  中村真咲さんからの体験記
私はここでは学業に関してのみ報告します。

 履修したい科目を選ぶために、学科ごとにシラバスが売られているので(一冊1.50ユーロ前後)まずそれを購入し、出席する科目を選びました(それを買わなくても大学のホームページにもシラバスは出ています)。

夏学期も冬学期もProseminar(Einführung in die Linguistik des Deutschen / Einführung in die historische Sprachwissenschaft)を1つ、Vorlesung及びLektüre(Einführung in die Sprechwissenschaft / Logisch-pragmaische Propädeutik / Areale Sprache / Syntax / Grundbegriffe der Praktischen Philosophie)を3つ、計4科目を履修・聴講していました。

 内容については、予習を要求する科目が多く、事前に教授が用意している資料を大学のホームページから印刷したり、指定された文献をコピーして読んだり、学科付属の図書館にてSemesterapparatというファイルから必要な資料を印刷したりしました。

ドイツ語の講義について行くのは難しく、特に前半においては予習と今までの知識そして復習することでやっとこギリギリついて行けるという状態でした。

 大学生としての生活は、前半は勉強の土台作りが大半でした。シラバスを手に入れることから始まり、どの科目をどれだけ履修するのか、どのように履修登録するのか、履修している科目で扱われている教材や文献をどのように手に入れるのか、図書館はどうやって利用できるのか、印刷・コピーはどうするのかなどなど、次から次へと問題が出てくるといった具合で、落ち着いて演習や講義に参加できるようになるには1ヶ月以上かかりました。

初めの頃は頼れる人が周りにいなかったということもあり、どんな些細なことでも必死にならざるを得ず、しかし必死なときには「火事場の馬鹿力」のようなものが出るらしく、その都度その都度なんとかなっていました。口さえあればなんとかなるようです。大学に関しては(私が所属していたドイツ学科しかわかりませんが)、教授がとても親身になって学生に接してくれるので勉強したい学生にとってはとても勉強しやすいところであると感じました。

留学の仕方は人それぞれではありますが、それでも勉学においてはドイツの大学は1学期目の学生からすでに専門領域に入っていますから、留学を考えている人、特に勉強がしたいと思っている人は専門に関する知識を日本で少しでも付けておくと吸収できるものがそれなりに多くなると思います。

 「一年では何もできない」と焦りつつ始まった私の交換留学の10ヶ月半は本当に短く、「やはり何もできなかったのではないか」という疑問と共に終わりました。それでも少し経った今思い返してみると内容の濃かった10ヶ月半であったようです。

【参 考】中村さんからの中間報告 

Wintersemester 2005/06 bis Sommersemester 2006  栗林大輔さんからの体験記
2005年8月から2006年9月までドイツに滞在していました。
2005年8月はトリアの語学学校へ通い、9月から2006年の7月までマールブルクで交換留学生として滞在し、引き続き8月、9月とボンでインターンに参加しました。1年とちょっとのドイツ滞在を終えてみて感じることは、留学して本当に良かった、とても良い経験になったということです。
学習面と生活面の2つに分けて報告したいと思います。

◎学習面
まずは学習面から。肝心のドイツ語ですが、やはり留学始めの頃と比べるとおおいに上達しました。ですがまだ大学の講義やゼミにらくらくとついていけるようなレベルではありません。授業中は相当集中しないともうお手上げといった感じでした。期末テストも3,4つ受けて単位はもらえましたがどれもみなぎりぎりで合格といった感じでした。
ドイツ語は、語学学校を通しても上達しましたが、それ以上にやはり友達と話すことでもおおいに上達したと思います。言語は習うよりも慣れろとは言い得て妙なり。

マールブルクでの学生デモ
ドイツ語という1つの言語を通していろいろな国の人とコミュニケーションができたことはとても素晴らしい経験だったと感じます。

◎生活面
次に生活面。マールブルクという街は留学生には本当に良い街だと感じました。大学町なので同じ境遇の留学生の友達がすぐにできます。いなかで小さな街ですが、だからこそ良いのだと思います。
小さくて狭い街だからこそ毎日たくさんの友達と顔をあわせることができ、寂しくなることはそんなにありませんでした。また、マールブルクには学生向けのカフェやレストランや飲み屋がたくさんあります。良い雰囲気でおいしいお店がいくつかありました。

それにフランクフルトが近くにありますから、買い物などにも困りませんでした。
しかし、生活していて最後まで慣れなかったのはドイツのサービスの悪さです。店での対応の悪さ、統一性、一貫性のないサービスなどなど。しかし日本のサービスに慣れているのでどうしようもないのですが。郷に入っては郷に従えということでしょうか。

◎インターンシップについて
8月、9月に参加したインターンですが、これには落胆しました。
中途半端な気持ちで参加しなければ良かったと後悔しました。インターンの前に参加した集中語学コースですが、授業で行った内容は大学の講義ですでに習って知っているものばかり。職場で使える実践的なドイツ語を学べると期待していたのでひどく落胆しました。
その後、ボンにあるゲーテインスティトゥートという語学学校でインターンを行ったのですが、まずやる仕事がない。私自身も何をするのかわからないけどとりあえずやってみようという軽い感じで参加したのですが、それがそもそも間違いでした。受け入れ側も私に何をさせたらいいのかはっきりと把握していませんでした。何もしないまま時間だけがただ過ぎていきました。

クリスマスマーケット

それが時間の無駄だったとはいいません。ですが何のために参加したのかわからないまま終わってしまいました。ですから、自分はインターンでこれがしたいんだという強い希望がなければこのインターンには参加しないほうが良いと思います。

◎最後に
最後に。留学してみて感じたことを。留学する前、僕はドイツを理想郷か何かと勘違いしていました。何も知らないままただ綺麗な部分だけを想像してドイツに飛び込みました。
が、もちろん現実は違った。海外で生活するということはそんなに甘いものではありませんでした。でも、そういうことを体験して知ることができただけでも良かったと思っています。留学しなければそういう悪い部分さえもわからなかった。
1年という短い期間だったけど、ドイツで生活してみて自分なりにまた想像とは違ったドイツを見ることができました。今は前みたいに素直に「ドイツが好き」とは言えないけど、でも今回の留学で経験したことをまたこれから先につなげていけたらいいなと思っています。

Wintersemester 2005/06 bis Sommersemester 2006  山崎圭恵さんからの体験記

Marburgという町
マールブルクはメルヘン街道にある、小さいけれどとても美しい町で、電車で1時間ほどでフランクフルトに行ける距離にあり、ドイツのほぼ中央に位置するので、どこに行くにも比較的便利でした。

また小さな町なだけあり、治安がとても良く住みやすい町でもありました。

大学の学生証でヘッセン州のどこでも・近郊都市の一部がICを含め無料で乗れたので、移動面ではとても助かりました。

授業の様子
1年間を通して、ドイツ文学・言語学の講義、それに加えてドイツ語の授業・ドイツに関する知識が深められるような授業を受講していました。

タンデムの際に、予習や復習をしていて分からなかった点について説明してもらっていたので、難しくてついていけないという事はありませんでしたが、ドイツの古典文学の授業では、課題にされている図書が古文で読めなかったりと、教授の所に行って現代語訳版をコピーさせてもらったりと、教授に色々助けてもらうこともありました。

生活について
初めの1ヶ月間は大学の寮に住んでいました。しかし、マールブルクの寮はあたりはずれがかなりあり、私は入ったその日に引越しを決意し、大学の管理しているところではなく、不動産屋で部屋を探しました。

マールブルクにはドイツに1箇所しかない日本研究センターというものがあり、日本語学科専攻のドイツ人が沢山いるので、タンデムを探すのには困らなかったし、とてもフレンドリーで仲良くなることが出来ました。

長期の休みにはタンデムの家がある都市に遊びにいったり、ヨーロッパの都市に旅行をしたりと充実していました。

留学を終えてみて
私がドイツで過ごした1年間は、一生忘れる事のない素晴らしい時間でした。1年の間には大変な事や辛い事もあったけど、今思い返してみるとそれもいい思い出だし、自分で困難を乗り越えてきたというのが、自信にも繋がりました。

またこの留学で、沢山の素敵な人々に出会う事が出来たし、得るものが非常に多かったです。自分なりに満足のいく素晴らしい留学が出来て、本当に良かったです。

また絶対にドイツに行きたい!と心から思えるだけでも成功といえる留学だったのではないかなと思います。

 ミュンスター大学

Sommersemester 2009 bis Wintersemester 2009/2010  甲藤 史郎さんからの中間報告
◆街について
 ミュンスターは、歴史と異文化を感じさせてくれる建物、そして豊かな緑に囲まれた美しい街です。日常的な買い物をするための場所もそろっており、暮らしやすい街だと感じています。自然が多いためか、いたるところでたくさんの野生うさぎが草をはみ、通りかかるたびに和やかな気持ちにさせてくれます。

ここは人口28万人のうち約4万人が学生という大学街の顔を持つほか、自転車の街としても有名なところです。私の訪れたことのあるドイツ国内の街並みと比較しても、とりわけ専用の自転車道が完備されているように思いました。自転車なしで暮らすこともできますが、一台あればとても重宝します。値段は中古のものでもかなりの幅があり、Radstationでは最低でも220ユーロと高額ですが、他所で手ごろなものを探せば50ユーロ前後で購入できるようです。

◆専攻分野(外国語としてのドイツ語)の視点から
 夏学期中にVorlesung、Übung、Seminarそして語学コースという一通りの種類を履修していました。言語的な側面で苦労があったのはもちろんですが、私は獨協大学院にて「外国語としてのドイツ語(Deutsch als Fremdsprache: DaF)」を専攻しているので、下記へはDaFを専攻する学生の視点からミュンスター大学の授業や施設に的を絞って報告することにします。獨協の学部授業おいては、2005年よりAngelika Werner教授が同分野のゼミナールを開講されています。

 ミュンスター大学でのDaFは、あくまでPhilologieの一部として位置づけられており、独立した専門分野ではありません。また、ここで提供されている授業は、DaF教員の資格を取得するためのコースにもなっているようです。世界的に著名なDaFの研究者としてはFrau Prof. Dr. Susanne Günthner氏がいます。

 DaFはミュンスター大学であまり盛んとは言えないかも知れません。しかしそれにより、専門領域について学べないわけではありません。DaFの授業はSeminar形式のものがほとんどながら、Vorlesungにおいても自分の興味・研究の方向性から結びつきを見出すことは可能です。例えば、私は留学期間中の研究テーマを「外国語授業における文化性」とおおまかに定め、「Landeskunde」のDaF-Seminarのほか、間接的なつながりを持ちそうな「異文化コミュニケーション」、「談話分析」の授業を選択していました。留学に備えておすすめすることは、DaFにおける包括的な知識の取得、そして現在どのようなテーマが注目されているのかについて押さえておくことでしょうか。

 次に大学図書館・ドイツ学研究所の所蔵図書についてですが、DaFの専門書籍・雑誌は想像していたよりもあるという印象を受けました。ただし、ドイツ学研究所での図書の貸し出しは週末に限られ、それにコピー機が一台しか設置されていないために使い勝手があまりよくありません。また、ミュンスター大学にはJapanologieが存在しないので、日本語の書籍はもちろん、日本のDaFを中心的に扱った論文集や専門書はほとんどありません。必要であれば、日本語の文献は持参したほうがよいです。 専門書籍を取り扱った書店はミュンスターに少なくないものの、DaFの書籍を取り扱っているお店は、私の知る限り1店舗だけ(市役所前のpoertgen herder)です。

◆タンデムについて
 ミュンスター大学にJapanologieはありませんが、日本語の授業は小規模ながら提供されています。ですから、日本語に関心のあるタンデム・パートナーを探すことは不可能ではありません。私の場合、運よく日本語の学習へ興味を持つタンデム・パートナーを見つけることができました。ペースの目安は毎週1回90分でした。ただし、先述のとおり、この大学は日本語が盛んに学ばれる場所ではありませんから、とりわけ言葉のやりとりは、どうしてもドイツ語に偏らざるを得ない向きがあると感じました。

Sommersemester 2009 bis Wintersemester 2009/2010 木村安紀さんからの中間報告
 私が2009年3月にミュンスターに到着してから半年が経ちました。
●事前研修●
私は2月末に日本を発ち、ミュンスターへ行く前にDresdenで1ヶ月の語学研修に参加しました。Technische Universität Dresden 付属のTUDIASという語学学校です。1ヶ月の短期留学の日本人学生もいましたし、同じタイミングでDuisburg-Essenに交換留学する山口さんもいたのでとても心強かったです。

TUDIASは獨協のHPで紹介されていたので選んだのですが様々な課外活動も用意されていますし、なにより短期の学生に与えられるGasthausが非常にきれいな上に設備も充実していて大満足でした。


TUDIASの学生
●生活●
ミュンスターは過去の先輩方が報告されているように大きくはないですが学生が非常に多く自然も豊かで、穏やかで安全な街という印象を持ちました。ただTramやU-Bahnがなく市内はバスしか走っていない上に私に与えられた寮が駅から徒歩で1時間はかかる場所だったので入寮して3日後くらいには中古の自転車を購入しました。ここは自転車で有名な街ですが自転車は安くないです。

ミュンスターにはERASMUSの世話をしてくれる学生の団体はあるのですがパーティーなどイベントが中心なので、留学当初の手続き等は全て自分でやらなければなりません。私の場合は先に生活していた水野君と甲藤さんに大変お世話になりました。

本来交換留学生には寮の1部屋を用意してもらえるはずなのですが、私は大学側との様々な行き違いでDresdenを出なくてはいけない1週間前程にようやく寮を用意してもらうことができました。キッチン・風呂・トイレが全ての部屋に完備されている寮で、シーツや枕、布団なども用意してもらえます。ただ私の部屋は設備に不足が多く窓も壊れていて何度も管理人のところに行かなければいけませんでした。

Einzelzimmerは非常に気楽で過ごしやすいのですが極端に人との交流が少なくなってしまうこと、部屋の設備への不満などの理由から思い切って引越しを決意しました。とても不安はありましたが運がよかったのか割とすんなりWGの部屋を見つけることができ、今はドイツ人の女の子と2人で暮らしています。前の部屋よりもかなり広くきれいで、インターネットも速くなり快適です。他人との共同生活は気を遣うこともあるし、言葉の壁によりうまくコミュニケーションを取れないことが日常で大変ですが、Mitbewohnerinともっと話したい、仲良くなりたいという気持ちがドイツ語を勉強するモチベーションにもつながるのでやはり引っ越してよかったと思います。

出てしまえば、ERASMUSの学生がたくさんいて毎週地下のBarで飲んでいた騒がしいあの寮も懐かしく、留学の半期はあの寮でよかったと思えます。寮に関するゴタゴタに対応して下さった高島さんはじめ国際交流センターの方々には本当に感謝しています。

●授業●
この学期では週に3コマのVorlesungと3コマのドイツ語コースをとりました。私はV類で歴史のゼミだったので言語学の授業は一切取らず、歴史学科の授業に参加しました。Vorlesungを選ぶにあたりゼミで扱った内容と合う授業がなかなか見つからないというのも難しい問題でした。実際出席してみると教授の話していることを理解できないしノートもとれないという厳しい現実にぶちあたりました。歴史学科の授業は資料も配られないしパワーポイントもほとんど見えない上にめくるのがものすごく早いので、どうしたらいいかわからず他の学生がどのように授業を受けているのか見てみるとノートを取らずに聞いているだけでした。情けないことに見事にお手上げ状態でした。反対に語学コースでは留学生の友達がたくさんできて毎回折れた心を癒してくれる時間となりました。

ERASMUS-PARTYにてフランス人の友達と
●友人関係●
ここには日本学科がないのでドイツ人の友達を作りづらい環境ではあります。ただその代わりにたくさんの多国籍の友達ができました。私が特に仲良くしていたのはフランス人の女の子たちで、私だけが日本人だったのでいつもフランス語が飛び交いドイツ語の上達には当然良くないでしょうが、少しだけですがフランス語を耳で覚えました。他のERASMUSの学生もフランス人達も祖国に帰っていってしまいましたが、夏休みにパリへ旅行してそこで彼女たちに再会でき非常に楽しい時間を過ごしました。
ミュンスターにはたくさんの日本人も住んでいます。友人のつてで7月頃にたくさんの日本人と会う機会を得ることができ、定期的に飲み会を開いたり新たに友達を紹介してもらったり、この街に知り合いがどんどん増えることで生活が楽しくなるきっかけとなりました。 ここはDuisburg-Essen大学が近いので同じ交換留学生の山口さんが頻繁にミュンスターに遊びにきたり、逆に山口さん達のキャンプに参加させてもらえたり彼女のおかげで他の街にも友達を作ることができました。ありがとう。

泣いても笑ってもあと半分!学業はもちろん、悔いのないよう楽しく留学生活を送ろうと思います!

Wintersemester 2008/2009 bis Sommersemester 2009  阿部愛子さんからの中間報告
*受け入れ*
 先の交換留学生に引き続いて、ERASMUSの学生として留学しています。待遇の違いは、一方しか知らないので比較できませんが、学科の担当者を教えてもらえたり、定員オーバーの授業もERASMUSは別枠で受け入れてもらえたりと、結構使えます、"ERASMUS"。  
 お役所・大学関係の手続きは然したるストレスも問題もなく済みましたが、保険が2重に引き落とされていたり、インターネットが繋がらなくなったり、部屋の台所が浸水したり、思わぬところで伏兵に遭いました。これもまた留学の一興、後になってみれば笑い話にすぎません。

*寮*
 17平米、台所・トイレ・シャワー付き。バス停徒歩5分、スーパー徒歩13分、大学までバス15分。食器類などは入れ違いになった獨協の友人たちから譲り受けました。この場をかりて、ありがとう。

*学業*
 今期はドイツ文学概論、テクスト・テオリーの講義、文学とコミックについてのゼミなどを取りました。 午前中に授業を受け、午後は図書館で予習をしたり、ゼミレポートのための準備に費やしたり、たまに友人たちとカフェに行ったりして過ごしてました。 計画した通りに進まないことがほとんどで、歯痒い時も多々ありましたが、勉強だけでなく意外な方面でも、「書き換え」る要素に出会えた時間でした。
 授業期間と試験が終了してからはレポート書きに専念してました。終えたら春休みも終わってました。 読みたい本がたくさんあったのですが、やり遂げた時の充足感は格別でした。 (と同時に襲ってくる、これでよかったんだろうか、もっとまともなもの書けたのではないかという煩悶。まだ評価を貰ってないので余計に。)
 冬学期は不慣れさと飛び込む勇気のなさからゆっくりしすぎました。夏学期はランナーズハイの如く過ごせたらよいです。

 
ドイツで出会った稀有なもの。図書館目録とリヒテンベルクについて書かれた論文が掲載されている紀要。
オンマウスで画像が入れ替わります。
*図書館*
 5学期目のドイツ人ですら、ULB(本館)の使い方がよくわからないらしいです。 大部分は工事中、地下の書庫は整備した順かなにかで並んでおり分野もなにもかもぐっちゃぐちゃです。 最近になってLesesaalの工事が終わり、少しずつ本や設備が整い始めてきました。この開架スペースがどのように構築されていくのか、楽しみの一つでもあります。
 いつも利用している学科の専門図書館はきっちり区分されていて、蔵書量も満足のいくものです。 ゲーテ関連の書物たちがでーんと並んでいるのを見たら、プライバシーのないゲーテさんが可哀想になりましたが。


*Lichtenbergのこと*
 留学目的の半分ほどは、18世紀の教授、リヒテンベルクの資料集めでした。 日本で入手できるものが限られているため、ドイツの大学図書館を利用したいと思い、留学を決めたのでした。
 冬学期は授業と生活で手一杯で、合間に癒しとして手に取るだけに終わってしまいましたが、 ゲッティンゲン大学の旧図書館にたたずむ先生の姿に、諸々のことに対するやる気を再び、新たに確認しました。


リヒテンベルク先生とミュンスター大学図書館の梯子の上から。絶景かな。
オンマウスで画像が入れ替わります。


Wintersemester 2008/09 bis Sommersemester 2009 水野 信貴さんからの中間報告
 2008年10月からミュンスター大学に交換留学しています。Wintersemesterは2008年10月から2009年2月まででした。

 到着/寮/登録
 私は留学開始前に、9月末までドルトムントでインターンシップをしていたので、ミュンスターへはドルトムントから発ちました。ちなみに、フランクフルト空港からミュンスター中央駅までは、電車で3時間強です。ミュンスター中央駅から寮までは、徒歩で40分くらいかかりました。

入寮はスムーズにできましたが、最初は寝具や食器もなく、全て生活用品を買いそろえなければなりませんでした。寮はミュンスターの学生寮の中でも特に新しく清潔で、設備やセキュリティーもしっかりしていて、良い寮だと思います。台所、トイレ、シャワーは共有で、各個室には棚、ベッド、洗面台、机、暖房が備え付けてあります。インターネット回線はないので、個人で通信会社と契約して回線を引くか、または同じフロアで無線ランを持っている人に共有させてもらうことになります。私は個人で通信会社と契約して、回線を引きました。契約や工事に少し時間がかかり、料金も月々引き落とされますが、自分で通信会社や契約プランを選ぶことができ、通信速度や利便性も自分に合ったものを考慮して使用できるので、結果的には個人契約で良かったです。

 私は、ミュンスターに着き、まず最初に銀行口座を開きました。銀行口座を開いた際に、その銀行で月々7ユーロの損害保険にも加入しました。

 健康保険加入、学籍登録、住民登録・滞在許可取得は全て同じ日に行いました。保険加入、学籍登録はとてもスムーズに進みました。住居登録・滞在許可取得だけは、学籍登録をしているその場で、ヨーロッパ圏の留学生のみを対象に行っていましたが、ヨーロッパ圏以外の留学生は自分で役所まで出向かなければなりませんでした。役所の場所は大学で尋ね、役所に行ってみると、住民登録も滞在許可取得もすぐにできました。

 授業登録は全てインターネットを利用しなければなりませんでした。インターネット回線を引くのに手間取っていた私は、残念ながら授業登録に出遅れ、正式に登録できたのはゼミだけでした。

 授業
 言語学の講義を2つ、専門のゼミを1つ、その他の授業を1つと語学コースを受講していました。講義のうちの1つは、学部生向けのものではなく大学院生向けのものでしたが、自分がミュンスター大学へ留学を決めた理由となった教授の講義だったので、教授に頼んで聴講させてもらっていました。全体的に理解度は40%くらいだったと思います。日本にいる時に、できるだけ多くの専門知識をつけ、それをドイツ語に直して覚えておくことが最も重要だと感じました。前期は単位は取得しませんでした。

 積極的に興味のある分野からいくつか講義を中心に(各学期に約7コマ)授業を受けていましたが、全ての講義・ゼミについていくことは難しいことでした。それでも、ドイツ語での講義に慣れるように、また時間を有効に使うためにできるだけ多くの授業に参加していました。ゼミで毎週のように与えられる読む量をこなすのも人一倍の努力が必要でした。更に、専攻していた「言語学」は、獨協での予備知識が多少あっても、細かいニュアンスの理解に欠ける第二言語を分析する厳しさを改めて感じました。

Wintersemester 2007/2008 bis Sommersemester 2008 中島奈央さんからの体験記
 私は3年の冬学期から一年間、ミュンスター大学に留学していました。

学校が始まる1週間前にはエラスムス(ヨーロッパ内の留学制度を利用してきた学生)と一緒にインターナショナルオフィスが開催するオリエンテーションに参加しました。留学生活に必要な情報の取得、語学コース、さらに楽しい企画(留学前だけではなく、留学中も)を通しての友達作りと、留学に備えていい準備期間でした。やはり、耳にしていたように、ミュンスター大学には日本関係の学科がないため、ドイツ人の友達を作りには苦労するかな、と感じましたが、それも自分次第だと思います

○寮・町の様子
 私が住んでいた学生寮は、町からバスで約20〜30分離れたところにありました。少し遠いと感じましたが、交通の便は非常によく、更に生活に必要なスーパー、ドラッグストアー、銀行などすぐ近くにあったので、とても恵まれた環境でした。多くの寮は、共同キッチン・シャワーがほとんどですが、ここは個々の部屋についていました。不利な点は、隣人との交流はほとんどないことでした。でも学生のためのバーや、映画鑑賞会など、交流の場が設けられています。

 ミュンスターはとても可愛らしい町です。中都市と言われていますが、どちらかというと小さなAltstadtで過ごしやすいです。しかし、同時に大きな大学都市です。校舎は学科ごとに町中に散らばっているため、初めは少し戸惑ってしまいます。そして有名なのが、自転車の町ということ。多くの人が自転車を交通手段として使っています。街中の移動、大学校舎の移動には(私は持っていませんでしたが)あると便利かもしれません。

○授業
 積極的に興味のある分野からいくつか講義を中心に(各学期に約7コマ)授業を受けていましたが、全ての講義・ゼミについていくことは難しいことでした。それでも、ドイツ語での講義に慣れるように、また時間を有効に使うためにできるだけ多くの授業に参加していました。ゼミで毎週のように与えられる読む量をこなすのも人一倍の努力が必要でした。更に、専攻していた「言語学」は、獨協での予備知識が多少あっても、細かいニュアンスの理解に欠ける第二言語を分析する厳しさを改めて感じました。
図書館にある本は豊富です。ついていけなかったところ、宿題など、調べて少しでも理解できるように努めました。

先生方はとても親切です。できる・できないが重視されますが、努力したことも評価対象にしてくださったと思います。

〇これから留学する人へ
 語学力・外国での生活等、不安なことはたくさんあるかもしれません。でも何事にも積極的に挑戦してみてください。やる気があれば何でも乗り越えられます。成功であれ、失敗であれ、経験は人生を豊かにすると、私は思います。

Wintersemester 2007/2008 bis Sommersemester 2008 安田ハイディさんからの体験記
ミュンスターでは慣れるまで、戸惑うことが多々ありました。知っていても、情報をくれない大学の先生達、何回も聞かないと状況を教えてくれない事務の人々。渡すと言った書類を2,3ヶ月後にしかくれない大学関係者。自分の利益になる事にしか興味を示さない人。さらには、Sprechstundeで先生と発表や論文について話すのに、ひどい時で月に2回、1時間しか時間が設けられていないというのもドイツの大学です。 落胆と疲れの連続でした。

ただ、そんな思いを抱いていた私に、いつも前を向くことを思い立たせてくれたのは、友達でした。エラスムス(ヨーロッパ内の交換留学生)の友人たちと初日から友達になって、無の状況から自分達が生活できる空間を作れるよう一緒に協力する。そして同じ感情、理不尽な状況を分かち合う。これらがあって、一緒に楽しい事も出来たからこそ、私の留学生活は充実したものとなりました。

今ではエラスムスで週3回はあったパーティーの日々が恋しいです。

いろんな人が多いけど、その中でも本当の仲間が出来るのがミュンスターの様な気がします。

時が経ち、ミュンスター社会に慣れると、悪いところは軽視して仲間と楽しむ事だけを覚える。ただ、さすがに留学生としては早い時期にそれを覚えるのは難しいのですがね! きっとミュンスターに留学することは人生勉強になります。
このような社会を見る事で日本や他の社会と比べられ、勉強になる。Sprechstundeの経験で日本の大学の機敏さ、勉強のし易さを感じ、比較する事が出来たように。

そして面白いラテン系の仲間に出会えるのは間違いなし。彼らは夏になると本気を出して楽しいパーティーばっかりを催します。夏からじゃなくてもっと早くからしてほしかったというのが私の個人的な意見ですが!

Sommersemester 2006 bis Wintersemester 2006/07 坂本智美さんからの体験記
留学開始時
「もう二度とミュンスターには来ない!」
留学開始時は、毎日そう思っていました。なんせ、Mietvertragが無いから指定された日に学籍登録が出来ない。学籍登録が出来ないから、住民登録も出来ない。学籍番号が無いから授業登録は出来ない。やっと、出来たかと思えば定員オーバー。しかも、寮は今までに住んでいた家の10倍近く古くて汚い。インターネット、そしてテレビ線さえも無い。

私は何年前にタイムスリップしてきたのだろうか?今、西暦何年ですか?その頃は、怒っても仕方ないということさえも知らなかった愚かな私は、一人でいつも怒りをあらわにしていました。

授業
前、後期ともに、語学コースにも参加しました。コースが始まる前にパソコンを使ってテストを受けるのですが、自分の番が来る前に2時間近く待たされ、後期は受けている途中に停電し次の日に行く羽目になりました。語学コースはディスカッションが多く、自分の語学力が無いことはもちろんの事、知識の乏しさまでもが露骨に現れました。その他の授業は、前期は主にVorlesungを取り、後期はゼミにも参加しました。

語学コースも学科の授業も、いつも定員オーバーで、特に学科の授業は酷く、ゼミだといのにまるでVorlesungのようで、もちろん全員が発表することなど不可能。遅刻したら確実に床に座る破目になり、またプリントも貰えない。獨協では絶対にありえない光景で、いかに自分が恵まれた環境で授業を受けられているのか思い知らされました。しかし、学費の事を考えると、これだけ環境が違っても仕方ないとしか思えません。

留学を終えての感想、身に付けたもの、得たもの
留学試験に合格した時に「度胸で受かった」と友達に言い放たれた私ですが、正直、私の度胸を持ってしても辛いことはありました。
時には、自分自身の才能に酔い、時には自分の馬鹿さ加減に凹み。今までの自分がいかに恵まれた環境でダラダラ生きていたかと言うことを思い知らされました。日本は恵まれた国であるということは頭では分かっていても、日本で生活しているとどうもそういうのが当たり前だと思ってしまいます。しかし、離れてみて再度、日本という国や文化についても多くの事を知ることが出来、私は日本人だということに誇りが持てるようになりました。

今までの人生では、会った事の無い国の人や物凄い考えを持っている人、とても知的な人、様々な人との出会いがあったからこそ、この様な考えを持つことも知ることも出来、世界が広がり、可能性が広がったのだと思います。この1年は、学問的知識の向上については反省することばかりですが、人としてこれから先、生きていく上での糧になるものを多く得る事が出来ました。

しかし、この経験を良いものにするか悪いものにするかは、これから先の私の生き方次第であり、ココからがまた勝負なのだと考え、これから先、更なる頑張りを見せたいものです。

これから留学する人たちへのアドバイス
正直、日本の様に全てが上手く行くことはありません。しかし、自分自身の努力や行動力で少しは良い方向に持っていけます。無理だと思っていることでも、チャレンジすることが重要であり、チャンスは寝て待つものではなく、動いて得るものではないでしょうか。

Sommersemester 2005 bis Wintersemester 2005/06 伴野暢子さんからの体験記
私が1年間滞在したのはMünsterという街です。Duisburgと違い過去の交換留学生がいなかったため行く前の情報収集があまりできず、着いて最初の頃はいろいろな手続きと街に慣れるので精一杯でした。
着いた初日に大学側から連絡がいっておらず寮にスムーズに入れてもらえなかったり、学籍登録をするために大学へ行っても肝心の(それまで日本から連絡を取っていた)担当者の人たちが1週間程の休暇で居らずどうすればいいのか分からなくなってしまったりと困難から始まりました。

しかしその都度いろいろな人に自分で説明したり質問したりすることで助けを得ることができ、手探り状態ではありましたが何とか乗り越えることができたのである意味で良かったと思っています。
またJapanologieといった分野も無く日本に興味を持っている学生と特別出会う場も無かったので最初は友達を作るのも大変でしたが、それによって自分から積極的に学食で近くに座った人に話しかけてみたり、ゼミや講義で隣に座った人と知り合いになったりしながら地道に和を広げていきました。

その中で寮はいろいろな人と関わり合ういい場所だったのですが、WGに住みたいという以前からの希望と、語学を向上させるためには人との関わりがもっと頻繁なWGの方がいいのではないかという判断から自分で部屋を探すことにしました。家具付きのWGを探していたことと、需要が多いことからそう簡単には見つからなかったのですが、部屋探しをしたことによって街を知ることができたのでそれもまた後から考えればよかったと思います。

授業の方は私が希望していた現代史の授業はほとんど無く大学の授業は専ら政治学や社会学の方に出席していました。中には興味深いものもありましたが、希望していた分野が無かったので正直に言ってしまえばあまり充実していませんでした。
しかしその中である教授に教えて頂いた大学以外の現代史関係の施設に自ら足を運びそこでの催しに参加したり、Gymnasiumの歴史の先生を紹介して頂いてそちらの授業に参加させてもらったりと私にとってはむしろ大学以外の方が充実していました。

最後にこれから留学される方や留学を考えていらっしゃる方にですが、留学がどんなものになるかは自分次第だと思います。留学は誰かに指示されて行うものではないので、積極的に思い切って行動すればいいと思います。その時困難なことでも後から考えると必ず自分のためになっているので、いろいろと自分の力で乗り越えていってください。

Wintersemester 2005/2006 bis Sommersemester 2006
安田カトリンさんの「ドイツ・ワールドカップ2006」 ボランティア体験記
無事ワールドカップフィーバーを乗り越え、ミュンスターに戻ってきました。
ニュルンベルクでのワールドカップボランティア投入期間は2週間で、そのあとすぐに戻ってくる予定でしたが、ボランティアの打ち上げパーティーがり、それにどうしても出たかったので、ニュルンベルクに居ました。
私がニュルンベルクで体験したことはレポートでは書き尽くせませんが、どんな仕事をしたか、どんなことを感じ・考えたか、少し書いてみます。

私は2週間ニュルンベルクに居ましたが、その間、働いたのはニュルンベルクで試合のあった5日間です。それ例外はボランティアで知り合った友達と色々なことをしました。もちろん試合観戦づけの毎日でしたし!
仕事内容は以下の3つがローテーションで回ってきました。

1.スタジアム付近での質問対応
2.スタジアム入り口でのチケットチェック
3.スタジアム内ブロック入り口での座席案内

200人近くいるボランティアが、8人前後の小グループに分けられて、そのグループで仕事をしました。私たちは、"スタジアム付近・およびスタジアム内"担当だったので、仕事後はスタジアムで試合を見ることができました。ワールドカップっていうのは、どの試合でも鳥肌がたつものなんですね。毎回ゾクゾクしていました!

何が一番特別だったかというと、日本戦(日本対クロアチアがニュルンベルクであった)の前日と当日。「日本選手の通訳をして」って言われたんです!試合前日はどのチームも45分間の練習時間が与えられて、その後に「明日への意気込みは?」的な軽いインタビューがシャワールームからバスに乗り込むまでの通路でされるんですが、ドイツ人記者がドイツ語で日本人選手に質問する場合にお手伝いをしました。クロアチア戦後も同じく、試合後、通訳のお手伝いをしました。 楽しかったなあ。。

私、通訳をしつつ、まじまじと選手の顔を眺めていました。でも選手たちはみんな普通の人でした。オーラも何もあったもんじゃなく、シャワーをしたにも関わらず、ダラダラと汗をかいていて、「それ、質問の答えになってないだろう?」というような返答をしていて 『サッカー選手 = ステキ』は幻想でしかないことに気づかされました....

今回のボランティアで、多くの人と知り合いました。 各国から来たファン、ボランティア、そしてただただ町で知り合った人たち、色々な人から色々なことを学びました。私は"ワールドカップの成功 = ボランティア自身が楽しむこと"だと思っていました。ボランティ自身が楽しむ、笑顔でいる。そうしたらお客さんにもそれが伝わって、みんなが笑顔になる。心と心が繋がれば、国籍も言葉も障害も無意味になる。みんなが友達。

今回のワールドカップではそれを身をもって体験できました。最高に楽しかったし、幸せでした。2006年のドイツワールドカップのことは一生忘れません。

最高の経験と思い出をくれたドイツワールドカップに、今は感謝の気持ちでいっぱいです。

Sommersemester 2003 bis Wintersemester 2003/04 星 浩一さんからの体験記
ミュンスターの街は人口24万に対して自転車が40万もある自転車の街です。老若男女皆自転車に乗っています。自転車専用の道路もあり、非常に快適に乗ることができます。

大学は学期が始まると各学部ごとにパーティーや催し物があるので、積極的に参加することをおすすめします。ここでたくさんのドイツ人と知り合いましょう。

授業では多くの生徒が積極的に手を挙げて質問します。僕は文系だったので理系の授業は分かりませんが、板書をする先生は少なく、口頭での説明やOHPを使っていました。

ミュンスター大学はもともと学生数が多い上、今も増


え続けています。教室に学生が入りきらない授業やゼミがたくさんあります。学生が多いため住居の数が間に合わない時もあります。そして家賃は他の街よりやや高めです。住居に関しては優先させて解決した方が良いでしょう。

街は治安が良く、店もひと通り揃っているので不便なことはありません。自然も多く良い街なのですが、問題なのは天気が悪いこと。夏はまあまあ良いのですが、1年を通して8割は曇りか雨。それだけがミュンスターの悪いところです。

留学生が多く、1年で30近い国籍の人と知り合いました。お互いの文化を紹介しあったり、話し合うことで理解を深めるのも面白いと思います。娯楽施設も結構あります。デュッセルドルフ、ケルン、アムステルダムの街などが近くにあるので遊びに行くこともできます。まあ多少は問題もありましたけど、良い街だと思います。質問があったらお気軽にどうぞ。

 ライプツィヒ大学

Wintersemester 2007/08 bis Sommersemester 2008 小椋 美保さんからの中間報告
2年生の後期から、1年間の予定でライプチヒ大学に認定留学(歴史専攻)をしています。ここでは、2007/2008年の冬学期について報告します。

ドイツ到着
冬学期が始まる10日ほど前に出発しました。ドイツ到着後、まず苦労したのが部屋探しです。ライプチヒには以前いたことがあり、友人がいたので、住む場所が決まるまでその友人の部屋に居候させてもらいました。

ライプチヒ大学から貰った通知には、入学手続きの際に学生寮への入居手続きができると書かれていたので、学生寮に入るつもりで事前に部屋を決めずに行ったのですが、私がライプチヒに到着した時点で、寮はすでに満室。そこで友人に手伝ってもらいつつ、インターネットで空き部屋を探し、とりあえず1月末までの期間限定ながら家具つきの部屋を借りることができました。

ライプチヒとライプチヒ大学
ライプチヒは旧東ドイツ、ザクセン州の街です。中世の時代から商業で栄え、見本市の街(特に本の見本市Leipziger Buchmesseが有名)として知られる一方で、バッハ、シューマン、メンデルスゾーン、ワーグナーといった音楽家ともゆかりが深く、文化的な一面も持っています。

ライプチヒ大学は、ハイデルベルク大学についでドイツで2番目に長い歴史を持つ大学で1409年創立、ゲーテや、最近ではアンゲラ・メルケル首相も学んだ伝統ある大学です(ちなみに創立年ではケルン大学やエアフルト大学のほうが古いのですが、この二つの大学は途中閉鎖していた期間があり、「トータルではライプチヒ大学のほうが長い歴史がある」という説明が最初の授業でありました)。現在、2009年の600周年に向け新校舎(教室棟)を建設中で、大学の中心といえるような建物がありません。教室不足で、市内のいろいろな建物(銀行のビルだったり、美術館だったり)に部屋を借りて教室として使っています。私の受けている授業は、たいていはGWZと呼ばれる文系の学科棟か他学科の学科棟で行われましたが、中には「ドレスデン銀行」内の教室で行われるものもありました。

手続きと履修登録
冬学期は10月1日に始まりました。最初の週は入学手続きや履修登録などだけで、授業はありません。

現在ライプチヒ大学は、ディプロム、マギスターといったドイツ特有の旧課程から、バチェラー、マスターといった新課程へ移行中にあり、両課程が混在しています。それぞれの課程ごと、そして学科ごとに手続きの仕方や期日、場所が違う上に、新学期ということでいろいろな行事や手続きが集中していて、とにかく混乱しました(居候させてくれた友人もライプチヒ大学の学生ですが、違う学科の手続きは全くわからないとのことでした)。事前にAAA(留学生がお世話になるAkademisches Auslandsamt)の方から、「自分が所属している学科の行事に集中しなさい」とアドバイスを貰ったので、歴史学科の事務局に行き、掲示板をすみからすみまで読んで自分に関係あるものをメモし、何日に何をしなければならないのかスケジュールを立てておきました。

10月1日、まずは入学手続きを済ませ、仮学生証を貰い、ゼメスターチケットを購入。ライプチヒ大学では外国人学生用に、住民登録や滞在許可証の申請、健康保険加入や銀行口座の開設のための特設窓口を設けており、これらの面倒な手続きもその日のうちに済ませることができました。

10月2日、午前中に歴史学科の新入生向けの履修ガイダンスがあり、どういうふうに科目を履修していったらいいかの説明を受け、午後から履修登録をしました。履修登録といっても、リストに名前とメールアドレスを書き入れ、署名するだけでした(漢字で署名したら、係りの女性にとても喜ばれました)。メインの手続きはこの2日で終わりです。

この週には、AAA主催で外国人学生のためのさまざまなイベントが用意されていて、大学施設や大学図書館のガイドツアー、歓迎パーティー、市内観光ツアー、動物園や美術館見学、ポルシェの工場見学というのもありました。

その翌週、授業が始まってから入学式がありました。会場は市内のゲヴァントハウス(コンサートホール)。学長の挨拶、記念講演、特に功績のあった学生・職員の表彰、学生オーケストラの演奏といった式典に引き続き、会場を移して出席者全員にビールがふるまわれました。日本ではちょっと考えられません。

履修について
私はバチェラー課程の学生で、この新課程にはモジュール(Modul)というシステムがあります。

簡単に説明すると、たいてい3科目(3コマ)の授業が1セットで1モジュールを構成していて、学期末に行われる試験に合格することで、そのモジュールを修了したことになります(モジュールによってレポートの提出だったりプレゼンテーションだったりと、修了の条件は違います)。

1モジュールを修了すると10単位もらえ、卒業まで(6学期=3年間)には180単位必要なので、6学期かけて18モジュール履修することになります。18モジュール÷6学期=3モジュールで、普通の学生は1学期に3モジュールを履修するのが基本です。ライプチヒ大学の歴史学科では卒業するためにラテン語が必修なので、たいていの新入生は、1年生必修のBasismodul 1(古代史、中世史、近代史の3科目)とBasismodul 2(近代史の方法と理論、歴史学の基礎知識、現代史の3科目)に加え、ラテン語のモジュールを取っていたようです。

私は、ドイツ語でラテン語を勉強するのはいくらなんでもツライですし、ここで卒業するわけではないので、Basismodul 1と2のふたつを履修し、その他に外国人学生用のドイツ語講座を受けることにしました。

実際の授業では、特に古代史、中世史の資料を読む際にラテン語がよく出てきました。基本的にドイツ語訳がついてきますが、先生もラテン語が必修であることを知っているので、「1年生じゃ仕方がないけど、これくらいはわかって当然」という姿勢です。ヨーロッパ史を学ぶなら、ラテン語の基礎知識は必須だと感じました。

Geschichte studieren heißt vor allem: Lesen! Lesen! Lesen!
10月の第3週から、本格的に授業が始まりました。

とにかく大変だったのは、読む量が今までと比べて格段に多いこと。科目ごとに、教科書が指定されるか、担当教員が作ったReader(論文や参考書、資料のコピーを集めた冊子)を指定されたコピーショップで買う、もしくは学科のサイトからダウンロードして自分で印刷する、または「これこれの本の何ページ」を読んでおくように指示があります(図書館内に専用バインダーが置かれ、そこからテキストをコピーするようにと指示される場合も)。「授業は、テーマを深めたり、疑問に答えたりする場所」というのが基本の形なので、予習して次の授業で扱う範囲は頭に入れておかなければなりません。指示されている分だけでも、全科目あわせて毎週100ページほどあり、半分泣きながら読んでいました。

また、履修登録の際に書いたメールアドレスに次週までの課題が送られてきたり、学科のサイトにアップされた課題をダウンロードして次週に備えたり、ということもあります。週末はたいてい、図書館で資料を探しているか、家にこもって課題を読んで過ごしました。

ある授業のReaderの冒頭に載せられていた、歴史専攻の新入生のためのエッセイに
"Geschichte studieren heißt vor allem: Lesen! Lesen! Lesen!"とあり、本当にその通りだと身に染みて感じました。私が読んでいたのは最低限の、指示されていた部分だけで、本来なら参考図書として挙げられていたものも読むべきでしょうから、情けないなと落ち込む日々でもありました。

それでも学期の後半はリズムができてきて、「ざっと流れをつかむだけ」「メモを取って、内容をまとめる」など、資料によって読み方を変えることで随分楽になりました。

授業では基本的に「聞くだけ」で、質問をしたり議論に加わったりもできず、ほとんど受身で過ごしましたが、「出された課題は必ずやる」をモットーに予習し、授業中はとにかく集中することで、だいぶ理解できていたと(自分では)思います。

ドイツの大学生・教員
「ドイツの大学生は真面目」というイメージだったのですが、少なくとも現代の大学生は、日本の大学生とあまり変わりがないかなと思うところもありました。特にひどいのが授業中の私語。大教室でもマイクの設備がないようなところが多く、私はできるだけ最前列に座るようにしていたのですが、それでも時々学生の私語がうるさくて、先生が何を話しているのか聞こえないということがありました。

担当の先生方は若い研究者が多く、とてもよく学生の面倒を見てくれます。「ライプチヒ大学の教員は、学生数が多くて手が回らないからか熱心に指導してくれないし、授業もイマイチだ」という話を聞いていたのですが、少なくとも歴史学科には当てはまらないようです。授業で扱ったテーマを深める、またはわからなかったところを補う特別講座や、学生と教員の交流会を企画したり、質問にもとても熱心に答えてくれます。

学期末試験
モジュールを修了するための学期末試験は、そのモジュールに属する3科目分がまとめて行われます。私が履修していたBasismodulでは、試験時間が1科目につき1時間で計3時間、配点が1科目30点で合計90点、3科目の合計点が45.5点以上で合格でした(ちなみに、ひとつの科目が0点でも、残りのふたつが20点と25.5点であれば、合計45.5点以上になり合格)。

学期も後半に入ると授業中に学期末試験の話題が出るようになり、どういった問題が出されるか、どう答えればいいのかなどの説明や、模擬試験もありました。直前になると、「この辺りから出します」だとか「この辺りをよく読んでおくように」といった具体的な指示(?)もあり、先生方が全力で試験合格を後押ししてくれます。

Basismodul 1だと古代史、中世史、近代史の3科目からなっているので、学期末試験の試験範囲はギリシア・ローマから現代までの約2500年の歴史です。正直に言って、それなりのヒントがないと途方にくれます。例えば近代史だと、事前に三十年戦争やフランス革命の流れをよく掴んでおくようにという指示があり、実際にそれが試験で問われました。こういう風に書くと、「言われたところだけ暗記すればよい」と思われてしまうかもしれませんが、それだとなかなか頭に入りません。試験前の準備では、全体の流れの中で、指示された部分に重点を置きつつ「どの時代に、どんなことが、どういう流れで起こり、またどういう影響を及ぼしたのか」をつかむように努力しました。Basismodul 2では、事前の模擬試験の際に指摘されていた点(回答が簡潔すぎる)に注意して、重要な概念をしっかりドイツ語で表現できるように練習したり、授業で出された課題をもう一度解きなおしてみたり、覚えにくい専門用語は1日3回唱えてみたりしました。おかげでギリギリながら学期末試験に合格しました。

1学期おえて
1学期おえてみて感じるのは、まずドイツ語力不足です。ドイツ人学生と比べるのは無茶かもしれませんが、「自分の意見・考えをさっとまとめてドイツ語で表現する」力が圧倒的に足りず、ずいぶんストレスがたまりました。授業では、課題をやってあっても、それを発表する段になるとポイントを羅列するくらいしかできなかったり、試験でも、上手くまとめてドイツ語で書くことができず、論述なのに箇条書きになったりと情けないものでした。他の学生の発表の際に、どういう表現を使っているのかよく聞くようにしましたが、なかなか上手くなりませんでした。次学期は、瞬発力と語彙力を少し養って、少々おかしいドイツ語でも積極的に発言していこうと思っています。

それでも、読む・聞く力はだいぶ向上したと思います。授業中に先生や学生が言ったジョークが理解できて、他の学生と同じタイミングで笑えたのがちょっと嬉しい出来事でした。

学んだ内容では、「ヨーロッパ」というものを少し理解できたような気がします。学期の初め、「古代史と中世史と近代史を1学期でやるなんて無茶だ」と思いましたが、実際にやってみると、学期が進むにつれて相互の関係が見えてきて、理解が深まる手ごたえのようなものが感じられ、最後には、時代的にも地理的にもおおざっぱながら「ヨーロッパ全体を見渡したぞ」という達成感がありました。

意外に面白かったのが中世史で、現代史がやりたくてドイツに来たのに、中世の、特にUrkunde(文書・証書)に魅せられてしまい、「いっそこっちに鞍替えしようか…」と思ったくらいです。中世史をやるとなるとラテン語からは逃げられませんし、私は手書きの文章(筆記体)がほとんど読めないので諦めましたが、学期末試験でBasismodul 2の「歴史学の基礎知識」(Urkundeについてはこの科目で学んだ)の得点が良かったのはそのお陰だと思います。

また、歴史それ自体だけではなく、理論や方法(歴史のとらえ方にはどういった方法があるのか、資料の集め方・扱い方といった実践的なことなど)を学べたのは、とても大きな収穫でした。自分の持っていたテーマをどうやって形にするか、アプローチの仕方が少し見えてきた気がします。

一方で、学期中、現代史に関してあまり学べなかったのが悔やまれます。夏学期も新課程向けの現代史の授業がないので、旧課程むけの戦後史のゼミに参加させてもらっています。その他は中世史のモジュールをひとつ履修し、歴史教授学の授業をひとつ聴講しています。(ちなみに選択科目として他学科の授業を履修できるので、歴史学に近い社会科学系の授業に履修登録しましたが、定員オーバーで抽選になり、見事に外れました。獨協でも抽選で当たったことがないので、ライプチヒでもか…とがっかりでした)

生活については、ライプチヒには以前住んでいたこともあってストレス無く過ごしています。最初に住んだ部屋から1月中旬に引越し、現在は、仕事を引退して悠々自適のおばあさんのお宅に下宿させてもらっています。知人の紹介でお世話になっているのですが、今まで日本人を含め、何人もの外国人学生に部屋を提供している方なので特にトラブルもありません。

大学の授業では現代史に触れる機会は少なかったのですが、大学外では市内の現代史博物館が主催する講演会やディスカッションを聞きに行くなど、できるだけ現代史に関する催しには参加するようにしていました。特に、ドイツに着てすぐの10月9日(1989年の10月9日、それまでで最大規模のデモ行進がライプチヒであった日)の前後には、平和やドイツ統一に関する集会や講演会が多く開かれました。授業がまだ本格的に始まっていない時期だったので、それらの催しにはできるだけ参加し、1989年のライプチヒを知っている人々の声を聞くことが出来たのは貴重な体験でした。

留学の時期について
現在、認定留学は2年生から可能です。私は「1年留学しても合計4年で卒業」が目標で、できれば卒論を書いて卒業したいこと、またライプチヒ大学の歴史学科は冬学期入学のみであることなどから、2年生の後期から留学しました。しかし2年生で留学すると、帰国後履修の上で不都合な点が出てきます。留学中に取得した単位は、獨協大学での科目に振り替えられ単位認定されますが、2年生で留学すると振り替えられる科目が大きく制限されてしまうのです。2年生の後期に履修する基礎ドイツ語Wや総合ドイツ語W、基礎演習が未取得のため、卒業に不可欠な講読や専門演習には振替できませんし、帰国後すぐの学期(2年の後期から1年留学したとして、3年の後期)に、これらの科目を履修することすらできません。単位数からすれば4年生の1年間だけで取得可能な範囲ですが、卒業を目の前にして「落とせない」という状況はあまり気持ちのいいものではありません。

1年生から留学希望者向けのガイダンスには参加し、留学を前提として科目履修も計画的にやってきたつもりでしたが、留学前に教務課の方から説明を受けるまでこの事には全く気がつきませんでした。仕方がないと自分なりに納得してドイツに出発しましたが、苦労して1学期を終えてみると、やはり釈然としません。大学から認定してもらって留学するのですし、その留学期間は1年を限度に、卒業に必要な4年間に参入されます。確かに授業の内容も扱うテーマも違いますが、ドイツの大学でドイツ人学生と同じ授業を受け単位を取得するのは、2年生後期に前述の科目を履修し単位を取得するのに決して劣らない結果だと思います。単位の振替についてはともかく、帰国後すぐの学期に履修の上で不利益があるのでは、せっかく2年生から利用できる認定留学制度の利点が半減してしまうのではないでしょうか。

3学期を獨協で過ごし、1年間は海外の大学で勉強、帰国して卒業までの3学期を獨協で、というのは、個人的な意見ですが理想的な流れのように思います(就職活動については資料を読んだだけでよく知らないのですが、3年生の後期に帰国し就職活動をスタートできれば、留学で1年間日本を離れるという時間的な不利はカバーできるのではないでしょうか)。留学は自分の専門分野の知識を深めるためのものという一方で、新たな課題を発見する期間でもあると思います。1学期をドイツで過ごしてみて、自分にとって何が足りないのかがはっきり見えてきましたし、また日本に持って帰ってじっくり検討してみたい課題にも出会いました。留学というステップを経て、帰国後の3学期をモチベーション高く過ごせると思います。

もちろん3年生の前期から留学するという選択肢もあります。しかし、前述したように現在ドイツの大学では旧課程から新課程への変更が進んでおり、この変更にともなってなのか、冬学期からの入学(10月入学)のみとしている学科が増えているようです。ライプチヒ大学の歴史学科も冬学期入学のみです。大学によって留学生の扱いが違うでしょうから一概にはいえませんが、認定留学の場合、3年生の前期から留学するのは今後難しくなるかもしれません。また授業の組み方でも、冬学期入学を前提としているためか、夏学期の授業の中には「冬学期に学んだことをふまえて」進められるものもあります。

既習者のクラスを見ると英語もドイツ語もよくできるという学生が少なくないですし、今後2年生での認定留学希望者が増えてくるかもしれません。認定留学制度を有意義なものにするためにも、履修との兼ね合いを再検討していただければ、と思いました。

向かって右側のモダンな建物がGWZ(文系の学科棟)。左側の風格ある建物がアルベルティーナと呼ばれている大学図書館。館内は迷路のようで、最初は目指す本がある棚にたどり着けない学生が多数。それを克服するために「これこれの本を探して、これこれについて調べよ」という課題が授業で出される。図書館はここが中央館で、各学科棟にも分館がある。 (日曜日に撮影したので人がいませんが、平日は通りが学生と自転車であふれかえっています)
建設中の教室棟。入学して最初の週に参加した大学施設の見学ツアーで、ツアーガイド役の学生さんは「2009年までに完成しないと思う」といっていた。ライプチヒ市街の中心に位置し、1階部分にはテナントが入るらしい。
ほぼ完成しているようにみえる1画も。この辺りは、昔の教室棟の骨格を再利用しているらしく、工事がかなり進んでいる。

リューネブルク大学





Wintersemester 2008/09 bis Sommersemester 2009 岩崎 亮さんからの体験記
私は08年の9月から09年7月の間、ドイツのリューネブルク大学に留学していました。

・到着・様々な手続き
まずリューネブルク大学に到着する時、Buddyという留学生の世話係がそれぞれの留学生に1人ずつ付きます。私の場合、Buddyとの関わりは最初の日に家まで送って頂いただけだったのですが、必要があればいつでも助けてくれる頼もしい存在です。しかし、リューネブルク大学のInternational Officeは更に頼もしく、過度ではないかと思えるほど世話をしてくれます。家探しから始まり、日本で事前に調べた住民登録やビザの取得、保険への加入など、生活するために最低限必要なことで困ることはほとんどありませんでした。ですので、リューネブルクへ留学する際、事前準備をする必要はほとんどないかと思います。

・住居
大学側が用意してくれた学校のそばのWGで、4人で生活していました。私の場合、家主がWäscherei(洗濯屋)だったので、ベッドシーツは2週間に1回取り替えてもらえた上、自分の部屋以外(バス・トイレ・廊下・キッチン等)は1週間に一度、掃除婦がやって来たので、いつも清潔な環境で生活できました。しかし家に洗濯機がなく、Wäschereiに持っていくと高くなるので、洗濯は街のReinigungでしなければならず苦労しました。

あと、入居時にインターネットの接続環境が整っていませんでした。ドイツに来て1ヶ月が過ぎたころに初めて家でインターネットを使うことができるようになりました。同居人の内3人はリューネブルクで勉強している海外の学生で、みんなドイツ人ではないので、本物のドイツ語はあまり聞けませんが、コミュニケーションの手段はドイツ語なので、自然と勉強にもなりました。しかし、残る同居人の1人がドイツ人の女性(学生ではない)で、彼女が奇行を繰り返したため、トラブルも頻繁にありました。

日本ではルームシェアやWGなどが主流ではなく、抵抗も少なからずあるとは思いますが、夜まで語り合い、遊び、時に助け合える仲間と過ごせたので、いい経験になりました。

・学校生活
10月に授業が始まるのですが、9月には留学生のためにドイツ語のIntensivkursが設けてあったので、有料でしたが参加しました。クラス分けテストでどういうわけか一番上のクラスに行ってしまったのですが、ERASMUSの学生達と交流しながらドイツ語を学ぶことができ、楽しかったです。

10月からは、講義を1つ、ゼミを2つ、ドイツ語コースを3つ受けました。私は環境問題を学ぶために、「Umweltwissenschaften」の学部のあるリューネブルク大学を選んだのですが、いわゆる化学や生態系を扱う「理系」の授業が多く、私の本来学びたい環境政策の分野がほとんどなかったのが残念でした。ドイツ語能力で力不足を感じ、また専門的な知識もそこまで深くは持っていなかったため、この学期は単位の取得は諦めました。

始めの方は、ERASMUSの学生とばかり仲良くなり、ドイツ人との出会いが少なかったため、アグレッシブになろうと、授業と平行してスポーツプログラム(柔術)にも参加しました。そのコースで知り合った友人の一人が日本語を学んでいたため、彼とは仲良くなり、週に1〜2度タンデムを行いました。ドイツ人と交流する機会とストレスの発散という2つの意味で、私の中での週1回の柔術はとても大事な時間となりました。その上、そこで肉離れを起こしたため、ドイツの病院のシステムも学ぶことができ・・・略)

4月から始まった夏学期では、日本で単位を振り替えられる授業の単位を取ろうと思い、ドイツ語コースの回数を減らして、環境法の授業に力を入れました。期末レポートでは「日独の環境法の違い」をテーマに、1ヶ月で3万字を超えるレポートを書き提出し、友人にドイツ語の添削をしてもらうことなく1.2の成績を取得できたことは自分の中で大きな自信になりました。

また前学期に引き続いて取った柔術のコースでは、ドイツ語にも慣れてきたためかますます充実し、1年間共に汗を流した仲間との別れは本当に辛かったです。

・最後に
獨協大学のドイツ語学科への入学が決まったころから、ドイツへの留学は常に私の目標であり、夢でした。その目標のために、アルバイトで留学資金を貯め(全額ではないが)、アルバイトのない日はICZが閉まるまで勉強しました。ドイツに来て始めの方はドイツ語に慣れず苦労しましたが、上述のレポートで私の1年間の成長を実感することができ、その上仲間にも恵まれ、ドイツの文化にも生で触れることができ・・・ここではすべてを書くことができないくらい色々なことがあり、私の人生の中でも一番充実した一年となりました。

留学するためのお金と時間、あとドイツのどの町でも良ければ、ドイツ留学は簡単にできてしまうと思います。そして1年もドイツにいれば、ある程度のドイツ語でのコミュニケーションはできるようになるとも思います。しかし、「留学」は学ぶために海外に行くことなので、旅行とは違います。ドイツの大学の授業で単位を取ることは日本人にとってはとても難しいですが、だからこそやりがいがあります。ドイツ語力があれば、旅行で作る思い出とはまた違った、自分の成長や自信をまとったすばらしい思い出を作れるでしょう。ですから、これから留学をお考えの方々には、しっかりとドイツ語の基礎を叩き込んで、向こうでできる可能性の幅を広げてから留学することを強くおすすめします。

Wintersemester 2008/09 bis Sommersemester 2009 長岐 彩花さんからの中間報告

リューネブルクは小さな町ですが、町は可愛く、自然が多くあり、治安も良いのでとても住みやすい所だと思います。ハンブルクにも電車で30分と近く、大学のゼメスターチケットを利用して無料で行けるので、私は週末にはよくハンブルクに行き、アジアショップで日本食の買い物をしたりしています。

ただ、リューネブルクの市内のバスは8時前にはなくなってしまうので、交通の便はあまり良くありません。また、レストランやカフェ以外のお店も平日と土曜の午前中以外閉まってしまうので、それも不便です。

大学
リューネブルク大学についてまず私が言いたいことは、留学生に対してとても手厚い対応をしてくれる大学ということです。自分が住む所を決める際や、ビザの申請に関しても大学側が責任持ってやってくれ、さらに健康保険などに関しても、加入していない人のためにオリエンテーションの場で手続きをしてくれます。ちなみにその保険は全額保証で月々65ユーロと高めですが、それが嫌な人は自分で良い保険を探して入ってもいいかとおもいます。

こちらに来た当初はいろいろな面で不安なことは多々ありましたが、分からないことは大学側に相談すれば何でも答えてくれたので、そういった面で安心して生活を送ることができたと思います。

また、リューネブルク大学には、日本語の授業があるので、タンデムも割と見つかりやすい所だと思います。

授業
授業に関してですが、履修の仕方などは最初の留学生のためのオリエンテーションで担当の人がついて丁寧に教えてくれるので心配いりません。

私は最初の半期は、自分のドイツ語を伸ばすことに集中したかったので、週4つのドイツ語コースを取り、学期末にはそれぞれのテストを受けました。(獨協大学への単位の振り替えにはなりませんが。)

それに加えて、自分の興味のあった環境学についての授業もVorlesung だけ聴講生として取っていました。

獨協大学でも全カリの中に環境学の講義はあったので、その授業をいくつか取って少し知識をつけてから留学したのですが、こちらの大学では獨協大学とは違い、環境学を専攻とする生徒たちの為の講義やゼミが行われているので、当たり前ですが一つ一つの授業がすごく深いところまで行われ、専門用語が多く出てきて理解に苦しみました。

留学する前に自分がこっちで学びたい分野を漠然と決めるだけではなく、その大学でどういった授業が行われているか確認し、日本語でもいいのでなるべくそのことに関する多くの専門書を読んで来るといいと思います。

Wintersemester 2008/09 bis Sommersemester 2009 山内 咲季さんからの中間報告
私は2008年の冬学期からロイファナ大学リューネブルクに留学しています。

リューネブルクという街はとても小さく、田舎であるため比較的安全で、住みやすい街だと思います。ただ、バスが「八時」に終わってしまうのが難点です。

私の住んでいるWGは大学からバスで30分離れたところにあり、不便で引越しも考えましたが、慣れてしまえば苦にならず、また住み心地がいい部屋で、同居人とも仲良くなれたので、住み続けることにしました。また大家さんが優しかったのも大きな理由です。保険でトラブルにあったときに、快く助けてくれました。

私はツーリズムをここで勉強しようと思い、授業を取ろうとおもったのですが、全く理解できなかったため聴講という形で聞いていました。そのため、ドイツ語中心の時間割になりました。日本での授業形式とは全く違い、生徒はどんどん発言して授業が作られていきます。これは私にとって慣れるのが大変でした。ようやく少しずつでも発言できるようになりました。ツーリズムのほうは、全くのゼロからの出発だったので、ドイツ語能力+専門用語のダブルパンチでノックアウトでした。急いで日本からツーリズムの本を送ってもらい、勉強しています。日本で、少しでも基本知識を頭に入れておけばよかったと思います。耳も慣れてきて、今期はもう少し理解度が違うのではないかと期待してます。

リューネには日本語の授業があり、よく生徒と日本の料理をつくったり、日独協会の新年会の際に、劇を演じたりして、楽しみました。タンデムが組めたのも大きかったです。

また、深い仲の友達ができたことは私にとって非常に大きな支えになりました。私には同居人が二人いて、一人は韓国人、もう一人はアメリカ人です。韓国人の方は一緒の時期からここに住み始めて勉強も一緒にしたり、旅行などもよく彼女としました。アメリカ人の彼女は一月ごろから加わって、更にわいわい日韓米で楽しく文化交流しています。色々分かち合って、私が今楽しく過ごせるのは彼女らの力が大きいものであると思います。

もちろん、ここにいる同期や先輩の日本人も大きな存在です。そして日本にいる家族、友達。全てが私を支えてくれています。ありがとう。もう半期、あと半期、きちんと充実させられるよう努力していきます。

Wintersemester 2007/08 bis Sommersemester 2008 吉田香織さんからの体験記
町について
リューネブルクは小さな町ですが、こぢんまりとしていてとても住みやすい町だと思います。電車で30分行けば大都市ハンブルクもあります。また、大学の中や周りに自然が多く、町への途中にはKurparkという公園もあり、散歩しているドイツ人もたくさん見かけました。老若男女問わずランニングしている人が多く、私もそれに混ざって走っていました。

大学と生活について
リューネブルク大学のAAAはとても親切で対応が良く、ちょっとしたことでも気軽に尋ねることができ、相談に乗ってくれます。また、留学生向けの企画も様々なものを催してくれています。

授業は語学の授業と環境学の授業を受講していました。自分のドイツ語力が拙く、初めは授業についていくのがやっとだったり、理解できないことがたくさんありました。また、環境学の講義では専門的な知識の不足もよく感じました。環境学といっても分野が幅広く、自分の持っていた知識なんてちっぽけなものだったのだということを思い知らされました。それでも、日本では興味があってもしっかりと学ぶ機会のなかったことを学べるのは非常に勉強になりました。しかし、私の最も興味のある分野の授業が最後まで開講されなかったのは少し残念でした。

住居は学内にある寮でした。寮といってもほぼWGの形態です。私の他に3人のドイツ人が住んでおり、休日に一緒に出かけたり、ドイツ語を教えてくれたり、とても良くしてくれました。また、クリスマス前には寮全体を使っての毎年恒例のパーティーもあり、とても賑わいました。

つい最近、大学でも日本語の授業が開講され、その授業を取っている学生たちと一緒にパーティーをしたり、タンデムをする機会にも恵まれました。また、個人的にハンブルク大学にタンデムを探しに行き、そこから人の輪が広がったことはとても良かったと思います。

留学を終えて
慣れないことだらけで苦労することもたくさんありましたが、学ぶことが本当に多かったです。強く感じたのは、日本についてもっと知らなければならないなということです。授業や会話の中で、何か聞かれても曖昧にしか知らないことが多く、もどかしいことが多々ありました。やはり自分の国の基本的なことは、どこに行っても話せるぐらいの知識は持っておいた方がいいと思います。そうすると他の国や人のことも理解しやすいように思いました。また、留学中の出会いは一生の宝ものになりそうです。留学は大変なことが多いと思いますが、色々なことに躊躇わずチャレンジして楽しむという気持ちを持つことが大切だと思います。

Sommersemester 2007 bis Wintersemester 2007/08 北島麻衣子さんからの体験記
留学の決めたきっかけ
私は環境国であったドイツで観光学を学びたかった為、1年間留学することを決めました。

観光学を開講している大学を探していた際、たまたま留学説明会で留学経験者が話していたリューネブルク大学の話を聞き、DSHの資格がなくても1年間学ぶことができると知り、リューネブルク大学に留学することを決めました。

住居
私はSommersemester・Wintersemester両方とも学内にあるWGに住んでいました。

同居人にも恵まれ、休みの日は一緒に食事を作って、私の相談に乗ってくれたり、自分達のことを話したりしていました。共同生活は気を使うこともありますが、嫌なことがお互いに言い合えるので、なにか問題があったときもお互いに相談して解決策を見つけていました。

大学の授業
リューネブルク大学は、ドイツ語コースの授業をとりたくても、コース自体があまり多くありません。しかし問題はありません。ドイツ語を集中的に学びたいと思う人は、直接AAAの部屋の向かいにあるUSACの部屋を訪ねると、語学力チェックのテストを受けさせてくれ、自分のレベルにあったドイツ語の授業を集中的に学ぶことができます。授業は毎日あり、金曜日には朝8時からテストもあります。課題が毎日多く出るので、大変なことはありますが、ドイツ語力は向上すると思います。

その他にドイツ語コースと文化学科に属している観光学科の授業を受講していました。講義はすべてを理解することはできませんでしたが、自分の興味のある講義を受けていたこともあり、とても興味深い授業を毎回受けることができました。

最後に
留学を考えているのならば、ぜひ留学に挑戦してほしいと思います。さまざまな困難や、ストレスを感じることもありますが、他のヨーロッパからの留学生が大勢いるので、自分とはまた違った価値観を持っている人と多く知り合うことができ、色々な意味で成長できると思います。

またリューネブルク大学は、留学生のサポートが素晴らしく、些細なことでも親身になって相談に乗ってくれます。私は実際に色々な失敗やハプニングを経験してきて、その中で悩むことや苛立つことも多々ありましたが、友達に支えられ、困難を乗り越えることができました。また貴重な体験をすることができるのは、留学の醍醐味であると思います。

これから留学をする人・考えている人も、とにかく自分を信じて、前向きな考えで色々なことに取り組んでいくことをお勧めします。

Sommersemester 2007 bis Wintersemester 2007/08 増田洋子さんからの体験記
留学前の準備
私はドイツで環境学を勉強したかったので、環境学を学べる大学を探すことから始まりました。DSHなどの留学許可が下りるような資格は一切持っていなかったので、通える大学はそう多くはありませんでした。しかしリューネブルク大学はそれらの資格なしでも1年間限定で留学することができるうえ、環境学も勉強できるので迷わず決めました。

許可が下りてからは単語を覚えることを中心に勉強しました。また耳を慣れさせるため、インターネットでDeutsche Welleを聞いていました。

リューネブルクでの生活
リューネブルクは戦時中にほとんど被害にあっておらず、いまでも中世のままの美しい街並みが見ることができます。大学のAAAは面倒見がよく、留学生に様々な催し物を提供してくれます。イベントで他の国からの留学生と知り合い、仲良くなりました。バディシステムというものもあり、留学生1人1人にドイツ人が付き、到着時に迎えに来てくれたり、遊びに連れて行ったりしてくれます。

また、リューネブルクは飲み屋の比率がドイツ国内でも高く、色々な種類の店があるので飽きません。私も友達とよく、飲み屋めぐりをしました。お酒好きの人、必見です。

留学中の問題と解決法
初めての長期海外生活だったこともあり、苦労がたくさんありました。ドイツ語ができなくて授業がわからなかったり、友達の話についていけないことは毎日でした。特に苦労したのは文化の違いです。「日本人は主張をしない」とよく言われますが、主張をしても遮られてばかりで、なかなか話を聞いてもらえないことがよくありました。

また、一緒に暮らしていたドイツ人の女の子達が毎週彼氏を連れ込み、家中を占領されることにも慣れませんでした。ドイツ語に自身がなかったこともあり、初めの頃はそれらのことにただ我慢していました。しかし、それでは解決につながらないことに気づき、必要な時は要求をきちんと伝えるようにしました。

これはドイツでの生活の全般に言えることですが、「わからないことは聞く」「言いたいことがあれば言う」ということが大切だと実感しました。そうでないと何事もうまくいかず、せっかくの留学生活が楽しめなくなってしまいます。最初は気を使ってためらいがちですが、世話焼き好きなドイツ人はきっと快く手伝ってくれるし、理解してくれると思います。

Sommersemester 2006 黒田かすみさんからの体験記
●住居
留学を認められてまもなく、大学の住居に関する部からメールで連絡がきました。
1月中のメールのやりとりで住む家も決まり、私は大学からすぐの一人暮らしのおばあちゃんの家に部屋を貸してもらうという、ホームステイの形で半年を過ごしました。
長時間ではありませんが、学校だけでなく家でもドイツ語、そして「ドイツ」に触れられる機会があったのは、とても良い経験になりました。
食事は自炊でしたが、月に1度程は一緒に食べて、お互い国や文化、そして私たち自身についての理解を深めました。
ホームステイは、とても良い経験になりましたが、やはり人の家を借りているという印象が強く、気を遣うことが多かったです。
●大学
・受け入れ態勢
リューネブルク大学は、留学生もそれほど多くなく、何においても個々人への対応が本当に良いです。
留学を認められてからは、後述しますが住居のことであったり、リューネブルク大学についてなどの連絡をとりあい、現地についてからもよく世話をしてくれます。
Buddyといって、到着してから面倒を見てくれるドイツ人学生と1ヶ月前ほどから連絡をとり、到着時には空港、または駅まで迎えにきてくれ、その後も遊びに連れてってくれたり、良き相談相手ともなってくれます。
また、Lassiという留学生の為のドイツ人学生からなる団体は、パーティーや遠足をはじめとして様々な企画を催してくれます。
このような企画から友達の輪を広げることが出来るので、出来るならば利用した方がいいと思います。

・授業
週に語学の授業を3コマ、ゼミと講義を1コマづつと、その他空いた時間に聴講をしました。
内容はとても興味深いものでしたが、いたる場面で自分の語学力の不足を感じざるを得ませんでした。
それでも時間が経つにつれ、少しずつわかるようになりましたが、100%の理解には至りませんでした。

・友人
一番初めにスペイン人の女の子と仲良くなり、そこからスペイン人をはじめとした友達の輪の中に巻き込まれ、日々カオスの中でめいっぱい楽しみました。
遊んでいて、周りを見回したらスペイン人しか居なかったこともあり、帰るときにはドイツ語よりスペイン語を喋っていたらどうしようなどという心配をするほどでした。
そんな中でも、私に気を遣ってスペイン人同士でもドイツ語を使ってくれていたのには、とても嬉しかったし、感謝です。

●留学を終えて
郷に入っては郷に従え。
だからといってドイツ人と全く同じライフスタイルを送れと言っているのではなく、「日本人だから」という概念を持ちすぎない方がいいと感じました。どんな人種であっても、結局は個人の問題です。
これは日本でも同じことだとは思いますが、第一印象や思い込みを持ちすぎず、そして柔軟な態度で向かっていければ、と思います。 また、さっき言ったことと逆のことになるかもしれませんが、やはり、育ってきた文化の違いで考え方からなにから異なることは当然で、しかしそれも全てではなくとも一緒に過ごす時間や話すことで理解することができます。

また、個人的な話をすると、正直なところ、留学をしようと思ったのは、完全に思い付きでした。

そこから留学に踏み切ったのは、違う文化につかっていろんなことを経験して視野を広げたいと思ったからでした。
それでもやはり、どうしても留学したい理由やドイツでなければならない理由がなかったため、半端になるかもしれないのはわかっていながら、半年という期間に決めました。
時期についても、3年生の前期は留学する人もほとんど居なく、不安もありましたが、しっかりとした決意も無いので半年後では当時の留学に対する気持ちが薄れてしまうかもしれない、そしてこのタイミングは逃してはいけないと思い、この時期にしました。

そんな思い付きから始まったこの留学ですが、今では本当に留学して良かったと思います。
普段の生活では感じないことを感じたり、日本で過ごしていたら絶対に会わないであろう人たちに逢えたこと、全てこれから生活する上での糧になったと思います。

留学中は、私の場合は時間に余裕もあり、日本に居るときよりも考える時間が多かったように感じます。
そしてまた、遠く離れることで家族や日本の友達の存在を大きく感じました。
その存在や支えがあったからこそ、やっていけたのだと思います。本当に、ありがとう。

Sommersemester 2006 鈴木美香さんからの体験記
ミュンヘン大学の語学コース
 私は3年の秋学期から1年間留学していました。半年間は休学してミュンヘン大学の語学コースに、残りの半年はリューネブルクに認定留学していました。語学にまだ不安があったのと、以前ミュンヘンに短期留学した際にすごくミュンヘンが好きになったこともあり半年は語学力をあげることに勤めようと決めました。ここでは、ミュンヘンの語学学校時代のことを中心に書きたいと思います。

 ミュンヘン大学の語学コースは、ミュンヘン大学に正規の学生として入りたい人が通う学校でした。なので、生徒のやる気ももちろんのこと、このクラスのレベルではないだろう、と思う人ばかりでした。毎日宿題がたっぷり出るので、その日の復習をやる時間がなく授業についていくのに精一杯でした。私は語学学校の寮に住んでいたので、そこの住人に宿題を毎日手伝ってもらっていました。

ミュンヘンで大変だった事は、滞在許可を取得することです。ミュンヘンはドイツの中でも特別許可が下りないケースが多く、しかも国人が多く住んでいるので外国人局はいつも行列ができていました。私は幸いにもすぐに許可をもらえましたが、外国人局の担当の人が違ったら許可がもらえなかった可能性がありました。ビザや滞在許可の申請は時間に余裕を持って申請手続きをした方がいいと思います。

 私が語学学校、大学と経験して考えた事ですが1年間大学に行けばよかったかなぁ、ということです。人それぞれ目的が違うので一概には言い切れませんが、語学が不安で語学学校に行こうと思っている人なら尚更大学にいくべきだと思います。大学でも語学はしっかり勉強できるし、語学以外の授業で自分の興味のある教科をとった方が意外にも語学アップにも繋がります。何より、ドイツでは大学生の身分が偉大で学割が使えるし、授業料もかからないしメリットが大きいです。

 私は、認定が出るギリギリの成績でした。だけど、留学したい、自分の大学生活において何か付加価値をつけたいという気持ちは強くありました。1年を長く感じさせるか短く感じさせるかはその人がどう過ごすか次第だと思います。

リューネブルク大学
認定留学先のリューネブルク大学は、兎に角手厚い保護をしてくれました。話で聞く限り、留学生に対するサポートはNo1かと思います。バディーというお世話係が到着当日に空港まで迎えに来てくれてVIP待遇を受けました。こんなに幸せな生活が送れていいのか?という日々でした。

リューネブルク大学に対する不満は私は一つもありません。田舎町ですが、街並みがかわいく大好きです。もっと早くここに来ていればミュンヘンで苦労もしなかったかな、と思いますが、あの時の苦労もまた自分を成長させられたのだと今は考えています。

大変なこと、悔しいこと沢山ありましたが私は本当に良かったと思いました。沢山な人と知り合い、色んな経験をして本当に幸せな1年間でした。助けてくれたみなさんありがとうございました。


Sommersemester 2005 bis Wintersemester 2005/06 上智大学学生さんからの体験記
はじめに
私の留学目的は他の人ほど明確ではなかったかもしれないが、私は何が何でも絶対留学したい、またするからには絶対成功させてやると思っていた。その思いが誰よりも強かったため、決心してからたったの4ヶ月で、無事ドイツで留学生活を始めることができ、困難なことがあっても乗り越えてこれたのだと思う。強い意志と行動力が留学する上で最も重要だ。

留学生課の対応
私はリューネブルク大学を選択してよかったと思う理由のひとつとして、AAA(留学生課)の対応の良さが挙げられる。渡航する前からメールのやりとりをしていたが、返信は早いし、質問にも丁寧に答えてくれ安心した。また、部屋を見つけてくれるので、着いてから部屋が決まらなくてあせる心配もない。週末はAAAが様々なExkursionを提案してくれたり、本当にお世話になった。


授業
私は、SommersemesterはいわゆるDaFの語学の授業を中心に取り、Seminarは聴講していた。このときに聴講した、ドイツに在住する外国人がドイツメディアからどのように捉えられているのか、というSeminarがとても興味深かったことから、ドイツのマイノリティ、移民問題を帰国後も研究課題にしようと決めた。

また、Wintersemesterは大学のDaF以外にVHS(市民大学)で、ZMP対策の授業を受け、効率的に勉強でき、無事合格することができた。また、ドイツ生活に少し余裕がでてきたWinterはSeminarを聴講ではなく、実際に受けてみた。ドイツ人学生と一緒にReferatを行い苦労したが、彼らに支えられ、やり遂げたときは達成感でいっぱいだった。

住居
私は、Sommersemesterは一般のドイツ人家庭に住み、WintersemesterはWGで暮らした。両方経験できてよかったと思う。ドイツ人家庭で暮らし、一般のドイツ人の家族の生活を知ることができた。しかし、やはり家を借りているという意識があるため、部屋の掃除や物音などに気を使いすぎてしまう。

WGでは、ドイツ人4人、フランス人1人と住んでいたが、確かに大勢で暮らすと共同スペースは汚くなるし、ときには騒音もすごい。しかし学生同士だと気兼ねしなくてよいし、いつもそばに誰かがいるので寂しくないし、一緒にご飯を作ったり、出かけたり、テレビを見たり、宿題を見てもらったり、楽しく過ごすことができた。語学の上達にもよかったと思う。Mitbewohnerたちにはとても世話になった。

最後に
淡々と体験を語ったが、実際は淡々とは物事が運ばないこともあった。そんなことを言うと、留学を考えている人の中には怖気づいてしまう人もいるかもしれない。でも実際ハプニング、苦労はつきものだ。自分の言ってることが半分も伝わらない悔しさ、日本の常識ではどうにもできない苛立ちなど。だけど、逆にそうゆうものは海外でしか体験できない。

私は苦労できてよかったと思っている。そこから成長できてよかったと思っている。支えてくれる人がそばにいてよかったと思っている。貴重な体験ができたことを心から感謝している。はじめに書いたように、強い意志と行動力が留学する上で最も重要だ。それさえあれば、誰でもできるのだ。みなさん、自分を信じて頑張ってください!!。

Wintersemester 2004/05 bis Sommersemester 2005 垣阪一誠さんからの体験記
大学や町の様子
 私は、北ドイツのハンブルク近郊にあるリューネブルクという街で2004年9月 から2005年7月まで認定留学という形で勉強しました。リューネブルクは、人口 数万人という小さな町で歴史ある建物が数多く残り、緑や川に囲まれた魅力ある町で す。リューネブルク大学は、獨協大学と同様、オールインキャンパスなので大学の敷 地内に図書館、パソコンルーム、食堂、ジム、体育館など全ての施設があるので非常 に便利です。教室移動する際も徒歩で全く問題ありません。また、大学から1学期に つき100ユーロで自転車を借りれるという特典もあります。外国人留学生の受け入 れ態勢が整備されており、現地の空港に降り立ったその瞬間からドイツ人学生がサ ポートしてくれるシステムが整っています。留学するには間違いなくお勧めできる大 学だと思います。

授業
 前期は、外国人留学生向けのドイツ語コースを中心に受講し、一般の講義には聴講 生として参加しました。後期に入ってからはドイツ語に対する不安が少なくなったこ ともあり、ドイツ語コースだけでなくゼミや経済の講義も取ることができました。ド イツ語コースのレベルは3段階に別れているので自分に適したコースを選択すること ができますし、先生方も丁寧に教えてくれるのでドイツ語能力は向上すると思いま す。一般の講義に関しては、知識的な部分だけでなくドイツ語を聞き取れる耳を鍛え るのに非常に役立ったと感じています。ドイツ語でのプレゼンテーションという経験 を積めたことは、私にとって大きな自信になりました。


寮や生活について
 私は、ひとつのWohnungをドイツ人学生2人と私の3人でシェアをして住む、いわ ゆるWGで1年間生活しました。バス、トイレとキッチンは共同で使いますが、もちろ ん各々の部屋はあります。私のルームメート達は優しく楽しい愉快なドイツ人でし た。WGでは、毎日必ず顔を合わせるので自然と話す機会もありますし、一緒に料理を したり、お酒を飲んだりと、とにかく毎日のように接したことでお互いを良く理解で きたことは本当に嬉しく思います。生活面では、週末の時間がある時などは Semesterticketでハンブルクまで行けますし、リューネブルクの街中のバーや大学内 にあるクラブに友人達とよく遊びに出かけました。小さな町ですが、衣・食・住に不 自由なく生活できる環境が整っています。

留学を終えて
 私にとって、リューネブルクという町は忘れることのできない想い出深い町になり ました。現地で知り合った多くの人々をはじめ、私のドイツ留学を支えてくださった 多くの人々に心から感謝しています。

アドバイス
 私は、大学に入ってからドイツ語の勉強を始めました。留学前はドイツ語に自信が なく不安でしたが、こんな私でもなんとかなりました。私と同じようにドイツ語に自 信がなくて留学したいのに留学に踏み切ることができない方がもしいたら、それは本 当にもったいないことだと思います。ぜひ留学にトライしてみてください。留学を通 じて学ぶこと気づくことは人それぞれ違うと思いますが、努力して生活していれば必 ず自分自身の糧になると思います。

Wintersemester 2004/05 bis Sommersemester 2005 村槇 麻美さんからの体験記

 私は、2004年の3学年冬学期から2005年の4学年夏学期にかけて、リューネブルク大学に認定留学をしました。ここで私の留学生活がどのようなものであったかを報告し、これから留学をしようと考えている人たちの少しでも参考になれたらと思っています。

留学先が決まるまで
 私が留学をしようと思い、実際に動きだしたのは2学年の冬の頃だったと思います。認定留学の自分の好きな大学を選べるという利点を生かして、私はぜひ前々から興味のあった観光学を学べる大学にいきたいと思い大学探しを始めました。大学探しはインターネットやDAADの出版している小冊子を元に行ったのですが、そこで唯一大学で観光学を開講しているリューネブルク大学を知りました。(後に聞いた話では他大学でも開講しているようです)そのため、リューネブルク大学にどうしても留学したかったのですが、HPをみるとDSHなしで短期留学できるのは提携大学の生徒のみと書いてありました。なので大学の留学生課に、獨協大学は提携大学ではないがDSHなしの1年間留学をさせてもらえないかとの趣旨を問い合わせると、すんなりOKの返事が来て留学できることとなりました。

WG
 住居は留学前に大学から連絡があり、もし必要であれば仲介を行ってくれるとのことだったので、大学にお願いをしました。なので何ら問題なく引越しをすることができました。私の住居は寮ではなく、ドイツ人家族の家の3階部分がWGになっておりそこをアメリカ人と2人で間借りするという形でした。ただ大家さん一家とは家族のように仲良くなり、時間が合えば一緒に過ごし食事をしたりしました。ちょうどWG暮らしとホームステイの間といった形態でした。私にはとても合っていたと思います。

授業
 大学ですが、私はドイツ語コースを何個か受け、そのほかに観光学科が属する文化学科の授業を中心に受講しました。1番力を入れた授業が観光学科のゼミナールで、受講生は20人弱で、与えられたテーマごとにプレゼンテーションを行い、ディスカッションをしました。私のプレゼンテーションが回ってきたときには、一緒に担当する友人と図書館にこもり文献を探したり、泊り込みで準備をし、つたないドイツ語ではあったと思いますが、何とか形にすることができました。またこの授業では自分のプレゼンテーションのテーマをレポートとして提出しなくてはならず、学期末、長期休暇前半はそれにかかりきりでした。しかしこの授業の単位をもらい担当してくださった先生に「頑張ったね」と言われたときの達成感はいまだに忘れられません。その他の授業としては、講義型の観光学入門や都市地理学、20世紀建築、英語の授業などを聴講生などとして受講しました。

フリームーバー
 私は大学ではフリームーバー制度というDSHなしで2学期までゲスト学生として勉強できる制度を利用したこととなるそうです。(ヨーロッパ出身の学生になるとエラスムス制度と呼ばれます。)リューネブルク大学の留学生課ではこのエラスムス学生とフリームーバー学生対象とした催し物をたくさん計画してくれて、週末には遠足、さまざまなパーティーに参加することができました。また一人一人にドイツ人学生の「バディー」と呼ばれるパートナーをつけてくれ、留学前からコンタクトをとり、到着時の出迎え、その後の相談役になってくれました。リューネブルク大学は全学生数が7000人余りの比較的小さな規模の大学で、エラスムス・フリームーバー制度で来ている留学生も60人弱と少なかったためにこのように面倒見が良かったのかもしれません。ただ、小さな大学なので他大学に比べるとドイツ語コースの数は少なく、ドイツ語を集中して勉強したい人にとっては物足りないかもしれません。

自分に合った大学を探す
 このように大学にはそれぞれ大学の特徴というものがあります。またその街によっても雰囲気というものもかなり違ってくると思います。○○を学んでみたい、または○○の街に住んでみたい、とにかくドイツ語コースが充実しているところに行きたいなど、希望するものは人それぞれだと思います。必ず自分に合った大学はあると思うので、これから留学を考えている人は頑張って大学探しをしてみてください。

 この1年間を振り返ってみると、ドイツ語の上達はもとより、1人で何でもしなくてはならないという環境から多くを学び成長できたと感じています。またドイツで1人で生活をして、多くの方に親切にしてもらい感謝の気持ちでいっぱいです。また日本にいる家族や友人たちの大切さを改めて知ることができました。留学が終了して今思うことは、本当に留学をしてみてよかったということです。

 ロストック大学
Sommersemester 2007 bis Wintersemester 2007/08 安永正人さんからの体験記
《町》
ロストックはドイツ北東部にあるメクレンブルク・フォアポンメルン州の都市です。人口約20万人の小さな町です。一番の魅力は"海"があるところだと思います。リゾート地としても有名で、夏は泳ぐことができます。

旧東ドイツの町でもあり、西側と比べると様々な点で違った点もありますが、自然も美しく、本当に落ち着ける町です。ドイツでは外国人が多いとよく言われますが、ロストックでは見ただけですぐに外国人とわかるような人々はほとんど見かけませんでした。

また、ベルリンとハンブルクの近くに位置しているので、週末チケット等を上手く利用すると往復5〜7ユーロで行くことができます。さらにポーランドや北欧にも近いです。そのため、諸外国との交流も盛んで海外色も漂っていますし、北欧の香りがする町ではないかと思います。

《G8》
去年のG8はドイツが開催国で、2007年6月6日〜8日に、ドイツのハイリゲンダムでG8が開催されました。

私はこれに関して、ある出版社がハイリゲンダムに関する本を出版するということで、ドイツ語から日本語への翻訳という仕事をすることができ、非常にいい経験をすることができました。

また、他のロストックにいる日本人学生の中でG8期間中通訳をした人もいました。G8期間中の町や人々の様子、準備や反対デモ、本番の会議に関するマスメディアのニュースなども非常に興味深いものでした。これにより一気に町の知名度も上がり、これからますます発展していくのではないでしょうか。

仕事を終えてですが、自分の満足いく結果ではなかったです。出版社の方とのやり取り全てメールで行ったのですが、連絡が取れず不十分な所が多々ありました。やっと連絡が取れたと思ったら、「私はもう仕事は辞めた、そこではもう仕事をしていない」と突き返されてしまいました。最終的に、本にはなったのですが。しかし、思ってもないチャンスが突然訪れることもありますので、自分の興味があることには常に情報を得るように日々を過ごしていくと良いと思いました。

《手続き》
寮についてですが、日本にいる頃から寮の方とメールでやりとりをしていて、日本にいる時点で住む部屋は決まっていました。

未知の土地、さらに旧東ドイツの町ということで様々な不安もありました。しかし、最初の手続きは特に大きな問題もなく、すぐに終わりました。

これはAAAの方々、LEI(留学生のお世話や、旅行やパーティーなどを計画してくれる学生による団体)のみなさんの対応が素晴らしかったからだと思います。希望すれば、最初の手続きのための世話役も決めて頂けます。 ロストック大学では留学生への対応がきちんとなされていますので、留学生にとって留学しやすい大学だと思います。 ロストックは海もあり、リゾート地だからでしょうか、温和で優しい人々が多かったと感じました。

《大学、授業》
ロストック大学は1419年に設立された歴史ある大学です。中でも町の中心に位置するHauptgebaudeはロストックの主要観光名所の一つにもなっています。

夏学期は、留学生向けの語学コースを中心に週に5コマ受けていました。学期の最初に試験を受け、その得点別に自分のレベルにあったコースを受講することができます。講義は、DDR(東ドイツ)に関する講義と、ヨーロッパの議会制に関する講義を履修・聴講していました。話し方が早い教授もいれば、何も使わずただ話すだけの教授もいて苦労しました。

冬学期も政治関連の講義を2つ受け、語学コースも受けていました。講義では、単位をとることばかり考えず、リラックスして受けていました。中でも、大学の授業についていくための語学コースでは、専門領域の文献を読んだり、レポートの書き方、プレゼンテーション、議論の仕方など、さらにTest DaF対策も学ぶことができ、非常に役に立ちました。空いている時間にはTandemをやったり、Stammtischに参加していました。

ロストックには、音大もあります。演奏会も頻繁に開かれており、また音大の生徒との交流もあり有意義に過ごすことができました。

《生活》
旧東ドイツでは西側と比べると物価は安いと感じました。住まいは寮のWGで、夏学期はドイツ人、ポーランド人、メキシコ人と私の4人で暮らしていましたが、冬学期は同じ寮の建物の休めの部屋に引越ししました。そこでは、ドイツ人2人、ロシア人のルームメイトがいました。

家賃は最も安くて84ユーロからあり、229ユーロの部屋まで、数多くありました。また、ロストック大学ではまだ授業料を払う必要がありません。

ロストック大学の魅力のもう一つは学食がおいしいことです。毎年開かれる学食のコンテストでは、毎年、ドイツ全国で上位に入賞しています。特に今年はなんと1位だったそうです。そのため、メニューも豊富で、毎日おいしく違ったものが食べられ、本当に満足いく学食でした。

海外の全く未知な土地、全くのゼロからのスタートで、出発から帰国までに起こった様々なトラブルの対処をしたことは大きな自信にもなりました。

私がロストックで暮せた事は、これも全て世界が平和になったこと、東西ドイツが統一できたことのおかげであると思います。もし、まだ東ドイツがあったとすれば、到底行くとこのできなかったであろう土地、ロストックで知り合った人々にも知り合うことができなかったでしょう。

みなさんもそれぞれ目標があると思いますが、私は海外ではしっかり「自分」を持つことが大切だと思います。1年間は意外と短いものです、できることは限られていると思うので、さらに長期的、気長な視点で考えると良いでしょう。

Sommersemester 2004 bis Wintersemester 2004/05 小山田瑞斉さんからの体験記
大学や町の様子
まずロストックの街の印象はというと、一言で言うならば「ホッとする街」といった感じです。決して大きな街ではありませんが、必要最低限の物は揃っているので生活に不自由する事はありません。また小さな街だけあって街に出れば大学の友達と偶然会うという事もしばしばです。そんな所を見ても和やかな街と言う事が出来ると思います。  大学の方はというと残念ながらキャンパス大学ではないので、教室の移動に悩まされる事もありましたが、学生は路面電車やバスに無料で乗れるので、慣れれば問題ないと思います。大学の設備は古く、決して使い勝手が良いとは言えないような教室もある反面、最近では学食や図書館が新しく建てられたりもしています。設備に関してもこれからもどんどん良くなっていくと思います。

授業
 夏学期はドイツ語の授業を中心にし、余っている時間にいくつか講義形式の授業を履修していました。ドイツ語の授業は留学生のためにSPRACHENZENTRUMという所で、初級コースから経済や法律学などの専門分野まで用意されていました。ちなみに値段の方はというと1学期(週8時間程)で15ユーロでした。多くの外国人学生がこのSPRACHENZENTRUMでドイツ語授業を取るので、ドイツ語の上達はもちろん、世界各国に友達を作る場としても絶好の場所だと思います!

 冬学期はというと、経済の授業を4つ(プロゼミナール1つ)、そしてゲルマニスティーク関係のものを2つ(プロゼミナール1つ)受講していました。しかし全ての授業の予習復習をし、完璧に理解する事には時間的にも無理があるので、その中で特に興味を持ったいくつかの授業を重点的に学習していました。それ以外の授業は聞き取りの練習といった感じで聴講していました。

ドイツ語コースは、ロストック市民大学で週6時間くらいの講座を取っていました。市民大学では学生だけでなく社会人など、いろいろな人と共に学習でき、大学では味わえない一味違った刺激を受けることが出来ました。

生活や寮について
 日常生活についてですが、平日は授業、そしてその準備などで多くの時間を割かれてしまっていました。しかし週末は友達とスポーツをしたり、お酒を飲みに行ったり、また近くの街に観光に行ったりと出来るだけリフレッシュするように心掛けていました。

ドイツの生活で苦労した事を強いてあげるとすれば、朝の7時30分から授業があったという事です。いくら大学の近くに住んでいるからとはいえ慣れるまでには時間がかかりました。

ドイツの大学の寮は、日本の寮とは違い大学が学生のために部屋を貸すだけといった感じなので、のびのびと快適に過ごす事が出来ました(門限などはもちろんありません)。家に帰ってきてもドイツ語でコミュニケーションを取れることはドイツ語の上達にとても大事だったと思います。またわからない事があれば同じ寮に住んでいる友達にすぐ聞ける事も寮に住む特典だと思います。

留学を終えて
留学して自分自身の中で変わった事というと、思い切り間違いをする事が出来るようになりました。分からない事があれば質問をすればいいし、自信が無くても自分の考えや思った事を尊重出来るようになったと思います。やはり最初の頃はわからない事だらけでその事に抵抗を感じていましたが、わからない物をそのままにしておく事の方が自分にとってマイナスだという事に気付きました。とても単純な事ですが、大きな変化だったと思います。

この事を僕に教えてくれたのは一人のスペイン人でした。彼はドイツに来るまでドイツ語などほとんど勉強した事が無かったので、当然分からない事だらけでした。しかし彼の行動力は、それをみんなに示したいというくらい    

積極的なものでした。そして彼のドイツ語は短い期間に驚くほど成長していきました。

またこの留学をきっかけにたくさんの人と出会い自分の興味の幅が広がったという事はこの留学最大の成果だと思います。ある時は医学生と、またあるときは哲学科の生徒と話し合ってみたりする事で、これからしてみたい事がたくさん見つかりました。目標であったドイツ語の習得にはまだまだ練習が必要ですが、それを達成するためのモチベーション、また自分がもう一歩成長するためのきっかけを掴む事が出来ました。

アドバイス
まず、漠然的でも留学をしてみたいと考えている人は短期でもいいので早めに一度留学をしておくと良いと思います。僕は4年生になりようやく留学へと漕ぎ着けたのですが、留学して初めて気付く事は非常にたくさんありました。そしてもう少し早く留学する事が出来ていたらとも思いました。授業への取り組み方、自宅での学習の姿勢などドイツの学生から学ぶところは多々あると思います。

幸い僕はこうしてこの事に気が付く事が出来たので、これからの学生生活、ひいては人生にこの経験を役立てていきたいと思っています。

 ウィーン大学
Wintersemester 2009/10 bis Sommersemester 2010 吉成 文乃さんからの体験記
@ 大学・街の様子
ウィーン大学は多学部からなる総合大学で、校舎も街中に散っているので、複数学科から履修する際は、移動時間を考慮すべきです(授業時間は様々で、何時限目といった区切りはありません)。各学科が個別のインスティトゥートを持ち、多くはその館内に学科専門の図書館を有しています。キャンパス敷地内に本屋・コピーショップ・スーパー・語学学校や子供の遊び場等様々な施設があり、学生以外の人々で賑わっています。冬にはクリスマス市場も出ます。キャンパス内で用事が済むので便利です。

街はあまり大きくなく、市内の移動は40分以内で済みます。スーパーも点在していて不便は感じません。中心街ケルントナー通りと、ウィーン西駅付近のマリアヒルファー通りという、2つの繁華街は、各ショップが充実していて、ほとんどの物は手に入ります。 ウィーンは多国籍の人が生活をしていて、外国人は珍しくないです。その為外国人である事が良くも悪くも特別扱いされない環境なので、「外国人だからできなくて当たり前」と甘えず、自己主張を忘れずに生活することが大事です。

A 授業
春は3コマ・秋は6コマを、専門の音楽学学部から履修しました。他学部の授業は、春・秋共に交換留学生必修のドイツ学の授業を1コマずつ、秋にスラヴ学の比較言語学の授業を1コマ、で合計春4コマ・秋7コマの授業に参加しました。また両学期共にドイツ語コースに夜・週2回通っていました。空き時間には、日本学の授業のアシスタント、ゼミナーの聴講生、履修していない授業に潜り込み耳慣らしをしていました。

ウィーン大学は総合大学の為、複数学科からの履修を希望する学生も多いですが、私は、他学科についての専門知識不足と、可能性の多さ故に全授業を網羅して把握する事の難しさから、1年通して音楽学の授業だけを中心に履修しました。

私は会話が一番苦手で、授業中のグループワークや討論が毎回ストレスだった為、春学期は精神的に無理をしないよう講義の授業を履修し、授業で喋らない分、録音機を利用し授業の聞取り・参考文献による内容把握に努めました。秋学期、慣れが出て来てからはプロゼミナーに参加し、授業数も増やしましたが、結果的に一つ一つの授業にかける力は、春学期より少なくなったかと思います。11コマの授業中、7つの試験と3つのレポートを経て、10の授業で成績を頂きました。柔軟で理解のある教授もいる為、自分の語学力を考慮した成績判定を求める交渉をする(例、口答試験のかわりにレポートを書く/テスト中辞書の使用を認めてもらう)価値はあります。

大学で勉強をする為のドイツ語は、日常会話よりレベルが高く、自分のレベルとの差に落ち込むかと思いますが、その中でも自分の力を見極め・ストレスにならない様上手く授業と付き合うことをお勧めします。

B 生活について
友好関係についてですが、タンデムの子や、授業・語学学校で知り合った子、先に留学をしていた友達の紹介で出来た現地の友達と、遊ぶ事が気晴らしになっていました。また、現地で知り合った日本人の友達は、やはり母語で気兼ねなく話が出来る相手ですし、気心知れた仲になり、精神的にも大きな支えとなりました。

3月末〜9月は天気もよく、歴史ある町並みを散歩するだけで元気になれました。11月末からはクリスマス市場も出て、町中がライトアップされ、冬の夜はとても美しかったです。町中にミュージアムが偏在し、オペラ座やコンサートホールでの演奏会も充実していて、余暇の過ごし方には困らない街です。

C 留学を終えて+アドバイス
1年間、多くの初体験をし、精神的にも成長できたと思います。留学中は、辛いことも多く「何故自分は留学したのだろう?」と悩む事もあると思いますが、そうした時「この為に来たのだから」と自分を奮い立たせられる信念を持つことをお勧めします。様々な留学生・ウィーンで生活をしている外国人と知り合うと思いますが、その度に自分と比較して焦ったりせずに、自分に見合った目標を持ち続けるといいと思います。

Wintersemester 2009/10 bis Sommersemester 2010 斎藤 翼さんからの体験記
留学を終えて、今は達成感で一杯である。10ヵ月間、毎日が新しく、精一杯勉強し、思いっきりヨーロッパを楽しんだ。3日間、寝ずに勉強したこともあった。海外旅行をたくさんした。もちろん、辛い思いも沢山した。でも、いつも友達が助けてくれた。あっという間の10ヵ月、多くを学ばせてもらった。だからこそお礼を先に言っておこうと思う、この留学を支えてくださった全ての方々に。皆さんの支え無しではこの留学は成功しなかった。心から、ありがとう。

僕は、異文化コミュニケーション学科(Transkulturelle Kommunikation)で学んだ。この学科は、修士課程である翻訳・通訳学科の前段階であり、言語の習得に重点が置かれている。この学科の生徒は、3つの言語を習得しなければならない。僕は、日本語・ドイツ語・英語を選択した。もちろん、全ての言語が提供されているわけではないので、それら、提供されていない少数派言語を母国語とする生徒は実に3つの外国語を学ばなければならない。日本語があったのは幸いだった。そんな学科で、耳にたこができるほど聞いたのは、「英語ができるでは話にならない」ということだった。ウィーンで初めて会う人々の殆どが「Can you speak German?」というメタコミュニケーションで、僕との会話を始めるのも、例えアジア人であっても英語はできるだろうという考えからだろう。それもそうだろうと思う。ヨーロッパの人々は3、4カ国語ができて当たり前ということを実感させられた。そのため、この学科が生徒に求める言語力は高く、誰もができる英語のレベルは特に高い。この学科は、オリエンテーション・テストを独自に設置し、それに合格できない生徒は実践クラスやゼミといった次のレベルに進めない。このテストに受からない生徒が実に多い。僕もその内の一人だった。先ほど「ヨーロッパの人々は3、4カ国語ができて当たり前」と書いたにも関わらず、合格できない生徒が多いのはなぜか。これも耳たこなのだが、「会話力と言語力は別」ということなのだ。「子供でも話せる」と言うように「会話力」は単に慣れの問題なのである。しかし「言語力」は慣れではない。それで、ヨーロッパ人でも、この学科を修められない生徒が多いのだ。聞いた話によると日本人で修めたのはウィーン大学の歴史上4人で、その一人はこの学科の講師になったという。

ドイツ語・英語、共に文法の授業がとても楽しかった。英語は特に興味深かった。というのも、授業を通して英語の本質を知れば知るほどドイツ語の性質が分かってきたからだ。本来はその逆で、ドイツ語から英語という流れなのだろうけれど、「ああ、だからドイツ語はあの様に表現するのか」とか「こういう理由でドイツ語ではここに句読点を打つのか」とか、気付く度に嬉しくなった。例えば、ドイツ語と同様に古英語には親称と敬称、つまりドイツ語の君(Du)とあなた(Sie)があり、古英語の親称はTh? (これは、ドイツ語と発音も殆んど同じ)で敬称がYou。それで、親称のTh?が消えたから、英語ではいつも敬称。もちろん、現代英語で敬称としてYouが使われているとはとても思えないけれど、ドイツ語と違って英語ではあなた(敬称)も君(親称)も気にしなくていい、と思っていた僕には思いもかけない事実であった。

「翻訳は書く仕事である」ということを聞いてから、日本語も意識して学ぶようになった。やはり、どんなに外国語を学んでも、よほど特別な状況にいない限り、外国語で、ネイティブに受け入れられる文章は書けない。それは、その国の文化的背景や慣習を知らないことが大きいと思う。しかし、書いたりする表現ができなかったとしても原文のドイツ語を理解すれば、自分が生まれ育った環境で慣れ親しんだ表現を思い出すし、翻訳できる。これがハーフに負けない、日本で生まれ育った僕、斎藤翼の強みなのだと確信している。こう強がるのも、英語のチューター(補講授業を担当する生徒)がオーストリア人と日本人との混血で、「この人には一生勉強しても敵わない」という思いに何度も駆られたからである。ちなみに、ドイツ語のチューターはスロヴァキア人だった。

意識して学ぶようになってから分かった。日本語は難しい。意識してからというもの、すらすらとは日本語の文章が書けなくなった。まるでドイツ語で書いているように、「ここには点を打つべきか打たないべきか... いや、打たない!」など、細かいところで考えてしまう。だからこそ、大学の外国人日本語学習者に「日本語は簡単」とか「難しいのは漢字だけ」とか言われると腹が立つ。彼らの尋ねてくる一見簡単な質問に答えられない僕がそこにいるからだ。しかし、修士論文を書くレベルになると、「もちろん日本語は難しい」と言う学習者が出てくる。ドイツ語を母国語とする多くの人が言う、「英語は簡単だ」と。それでも彼ら全てがオリエンテーション・テストに受かっているわけではない。要するに、極めようとすれば何事も難しいのである。そうでなければドイツ語圏のウィーン大学に英語学という学科のある必要性はない。

ところで先ほど、「ヨーロッパ人でもこの学科を修められない人が多い」と書いた。テストに合格しないのであれば 合格するまで受ければよい、と考えるのが日本人としては普通であると思う。しかし、そうは簡単にいかない。ウィーン大学では、1科目につき3度までテストが受けられる。厳密には4度だが、4度目は教授陣たちとの面談形式という特別な形なのだ。成績を上げるチャンスが3度も与えられている、と考えられる反面、3度落ちると後がない。ウィーン大学では、ウニビス(UNIVIS)というオンライン授業システムで授業登録・テスト申し込み・授業料振り込みなどを行う。それが、聞いた話では、4度目のテストに落ちると完全に閉鎖される。つまり、退学である。この制度で、多くの生徒が大学・学科を去って行った。なにしろ1学期目で2人の親友 (同時に彼らは、ウィーン大学で初めての友達だった)が大学を去り、更に、3度目、4度目のテストが行われる2学期には8人の友人が去っていった。知り合いだけで10人なのだから、全体としての脱落者の数は計り知れない。とても悲しいことであった。特に、最初の親友2人については、授業に出席し、パーティーに行き、オペラを鑑賞するなど多くのことを共にした。そしてこれからも共に学び、競い合っていくんだ、と思っていた。それだけに、彼らが去った後の数週間はショックから立ち直れなかった。日本で、休学の話はよく耳にするが、退学の話はあまり耳にしない。日本とウィーンの大きな違いであると思う。

それだけにウィーンでは、Mag.(修士)やDr.(博士)などの称号が異常なまでに誇示され、尊重されている。大抵の記入用紙には称号を書く箇所が必ず設けてあり、手紙にまで称号が名前に添えられ、送られてくる。ウィーンでなくともヨーロッパでは称号を添えるのは普通で、むしろ日本が例外なのではないか、と思う人がいるかもしれない。しかし、例えば次のことが封筒に記されているとすれば、それを見て普通だと思う人がいるだろうか。Herr Hofrat Universitätsprofessor Privatdozent Doktordoktor Tsubasa Saito. 言うまでもなく名前はTsubasa Saitoだけで、それ以外は全て称号である。僕の住所Pulverturmgasse6-8/2/18 Wien A1090(当初の僕にはこれも暗号でしかなかったが、今では理解できる)より全然長い。流石に、ここまで称号を得られる人は少ないかもしれないが、教授であればこれ位あってもおかしくない。だからいつも、教授・講師にメールを出す際は、大学のホームページから名前と称号の部分をコピー&ペーストする。そうすると、いかにも大学教授・講師らしい長々とした称号がオーストリアでの地位を強調して反映される。そんなことを日本で気にしている教授を僕は知らない。しかしながらウィーンでは、称号を持っていない人は不利に扱われているというのが事実だ。病院ではその例が特に顕著で、Mag.程度は最低でも持っていなければ長々と待たされる。

友達同士ではもちろん違う。修士も博士も関係ない。特に、僕の友達には修士の友達が多かったが、例え どんなに年が離れていたとしても、親称(Du)で呼び合っていた。ところで、彼らの会話力に泡を吹かされた、ということには先ほども触れた。しかし、異文化コミュニケーション学科及び翻訳・通訳学科の学生たちを除いて、英語の会話力ならば自分も高い水準にあったと自負できる。だから、オーストリア人と隣国に旅行し、英語を使わなければいけない状況に皆が陥った時、彼らの力になることが僕にもでき、いつもより強い連帯意識を感じることができた。現地の友達にはいつもお世話になりっぱなしで、負い目を感じていただけに、嬉しかった。

最後に、ウィーン市のことに触れて終わりたいと思う。ウィーン市内にはフィアカー(もしくはクッチェン)という馬車が走っていて、『地球の歩き方』には「ウィーンの町に馬車はよく似合う」と書いてある。しかし、「全く似合わない!」というのが僕の素直な印象である。少なくとも今のウィーンには似合わない。スターバックスが王宮前に堂々と店を構え、ステファン教会の周りには大手洋服店Zaraを始めとする近代的な建物が連なっている。ウィーン1番の観光通り・ケルントナーシュトラーセに至っては世界遺産ウィーンの雰囲気が全く感じられない。そんな中で、どんなに美しい蹄の音を立てて馬車が走っていたとしても、ウィーンにそれが似合っているとは どうしたって思えない。8年前に訪れた時と比べ、ウィーンは変わった。そして今も変わり続けている。

馬に関してもう少し書かせてもらいたい。日本のゼミではスペイン乗馬学校の研究をしていた。だから、スペイン乗馬学校について書かなければ終われない。伝統を守ってきたこの乗馬学校の経営が数年前から不振となり、去年はついに赤字となった。思い当たることは多くあった。まずは女性騎手の採用、これは3年前であっただろうか。大きな改革で、日本でもニュースになったほどだった。伝統に忠実なスペイン乗馬学校にしては考えられないことだった。注目集めだったのか、と今だから理解できる。それにも拘らず、スペイン乗馬学校ミュージアムが2年前に閉鎖された。オンラインショップもいつの間にか消えた。去年、ウィーンに着いて興奮しながらミュージアムに行き、そこが、スペイン乗馬学校どころか馬とも全く関係のない店になっているのを見、がっかりしたのを今でも覚えている。今年の7月10日には、大々的な舞踏会がスペイン乗馬学校内で催された。今年の夏からは、シュタイアマルク州にある養馬場から来たばかりの仔馬が主役となる演目もできた。これらも、今まででは考えられなかった新しい試みである。その中で、スペイン乗馬学校への寄付を願いたい、という旨が伝えられた。どうか、スペイン乗馬学校にはこの不景気を乗り越え、生き残って欲しい。

ウィーン大学留学を目指すあなたたちの参考になれば幸いである。


主な受講科目の内容

ゼミ:民族音響学『見るのをやめて聞きなさい』
この授業は、グループ発表が隔週にあり、それがない週には個人発表があった。グループ発表は、それぞれがあるテーマについて予め用意された文献を読み、インタビューをし、その結果をグループでまとめ、発表するという形式であった。私は、ルームメイト・親友・タンデムパートナー(言語交換仲間)・ノルウェーにいるホストブラザーにインタビューをし、授業前にグループで集まり、結果をまとめた。個人発表は、30分前後の発表を2人でし、質疑応答を その後にする形式だった。読む文献は5冊あり、3冊はドイツ語で、2冊は幸いなことに英語だった。このことは私にとって、また、パートナーにとって 都合がよく、私が英語の文献を担当した。また、このゼミはとても変わっていて、ゼミ論(民族音響学研究計画書)を書いただけでは終わらず、他の学生の論文を読み、それについて批評しなければいけなかった。私の論文が批評されるのは理解できるのだが、外国人の私が現地人の論文を読み、更に、それを批評することはとても酷なことであった。しかしこのゼミを終えて、どの課題も自分の力になったと感じている。

基礎演習:芸術史『ウィーンの後期ゴシック建築―ルドルフ4世からフリードリヒ3世まで―』
この授業は、初めのうちは教室内で発表を聞き、討論をする形式だった。しかし、発表の対象がステファン寺院や王宮、岸辺のマリア教会などの近場にある建物になると、社会科見学に移行し、教会前で待ち合わせ、そこで発表が行われた。雪の降る日もあり、寒さにだけは閉口したが、様々なゴシック建築を実際に見、観光者としては入れない所や、普通では気付かない所にまで行くことができ、とてもいい体験になった。とはいっても、他の学生の発表内容は最後まで全く分からなかった。屋外で聞きにくかった、というのも一理あるが、ウィーン人の、特に学生の話すドイツ語はとても聞き取りにくかった。また、発表の中で出てくる建築の専門用語には電子辞書に載っていないものが多かった。この授業用に建築入門辞書を買ったが、それでも足りず、インターネットでいつも検索した。しかし私も、なぜか私だけスロヴァキアの教会だったのだが、1つの教会について発表をしなければならず、英語やドイツ語の文献を何冊も読み、準備を進めていくうちに、少しずつ単語だけは聞き取れるようになっていった。私は、ゼミを措いてこの学期、この授業のために全てを費やしてきたと言っても過言ではないと思う。ゴシック、それどころか建築について全く知識のない私に、この発表は非常に大きな重荷だった。天井のデザインなど、確かに興味深いのだが、それについてどう言及したら良いのか、また、他の建築の構造を知らないので、比べようにも何と比べればよいのか分からなかった。何カ月も前から準備をしていたにも拘らず、発表の1カ月前から徹夜をする日が多くなった。原稿の添削についてはタンデムパートナーに毎日のように助けてもらった。発表前の3日間は一睡もしなかった(こんなことは私の人生で1度もなかった)。学生の皆の理解の下、発表は上手くいき、質疑応答に関しては教授が殆ど応対してくれた。最後に研究論文があり、これにも膨大な時間がかかったが、これは学期休みの2月中に提出すればよい、ということで発表の準備と比べれば、ストレスは少なかった。また、この授業のおかげで、スロヴァキア第二の都市、コシツェを訪れることもできた。

講義:国際文化コミュニケーション『文脈中の文法:ドイツ語』『文脈中の文法:英語』
これら2つは、その講義名の通り、文法を学ぶための講義である。これらを受講したことにより私のドイツ語、そして英語に対するモチベーションは上がった。1つの理由としては、その講義で知り合ったトルコ人のことが挙げられる。オーストリアに1年しかおらず、祖国ではドイツ語に触れたことがなかった。それにも関わらず、4年近く日本でドイツ語の勉強をした私のドイツ語力を彼女のそれは遥かに上回っていた。頑張らねば、と思ったものだ。もう1つの理由として、ドイツ語で基礎文法が習えるということである。というのも、獨協大学で学んでいた時、3年の途中まで馬術に夢中になっていて、基礎が全く抜け落ちていたのである。早速、1年の頃に獨協で使っていた教科書を両親に送ってもらい、勉強した。

英語については、周りの学生のレベルの高さが理由だろう。彼らの英語に私は驚いてしまった。中学生の時から私の得意科目は英語で、授業はいつでも選抜クラス、高校の時にはアメリカに1年留学し、そこでも優等生に選ばれ、獨協の英語学科の授業についてはA以下を取ったことがなかった。しかしこの授業で、私は自分の英語力の足りなさを痛感し、英語の奥深さを知った。これらの講義のテストには両方とも、1度目に受かることはできなかった。どんなに勉強しても足りなかった。しかし、勉強していく中で とても興味深いことに気がついた。それは、英語の本質を知り理解すればするほど、ドイツ語の性質が見えてくる、ということだ。特に、英語の古い人称や詩的表現はドイツ語のそれにとてもよく似ている。また、今まで無理だと割り切っていた言語をマスターする、ということに対する気持ちが、多くの学生が流暢な英語を完璧な文法・発音で話しているのを聞いているうちに変わってきた。まだまだ、精進しなくては。

Wintersemester 2008/09 bis Sommersemester 2009 渡邉 紫野さんからの中間報告
○手続き・事前準備
私は2008年の9月からウィーン大学に交換留学しています。1人で海外に行くのは初めてだったし一人暮らしも初めてのことだったのでこちらに来る前は不安でいっぱいでした。オーストリアへの留学は日本での事前準備がたくさんあったりドイツへ交換留学する人たちとはかなり違っていたので大変でした。

私の場合は、ウィーン大学は基本的に10月からWintersemesterが始まるんですが、毎年夏休みと2月のSemesterferienにウィーン大学が行っているDeutschkursのIntensivkursがあるので、9月の1ヶ月そのIntensivkursに通うことにしました。今まで留学してきた先輩たちにOAD(寮をあっせんしている機関)は絶対問題があるからやめておいた方がいいとアドバイスをもらっていたので家を決めずにこちらに来たんですが、そのIntensivkursに通っている間は寮に入れたのでその間に家を探そうと思っていました。毎日4時間のKursで大変でしたが、いきなり大学の授業を取るより最初これに参加してからというのもいいと思います。

家探しは、スムーズにできるかどうか分からなかったんですが、運よく素敵な大家さんに出会えて、交通の便もよく自分の考えていた予算にあった家を見つけることが出来ました。今住んでいる家は一人暮しのアパートなんですが、そこに1年間住む予定です。ほかの大学から来ている留学生は基本的にOADを通して寮に初めから入っているようなので、家を決めてから来たい人はOADを通すという方法もあるのかなと思います。家が決まって一安心しましたがそこから大学の学籍登録や保険やVISA申請など、本当に時間がかかってだいたい1カ月ぐらいかかったと思います。でも今思えばこれだけ大変だったのも自分の良い経験になったなと思います。

○大学・授業
Wintersemesterは最初の学期だったこともありいまいち事情が分からなかったんですが、自分の専攻したいPhilosophieの授業を中心にとりました。しかしこちらの学生のレベルはかなり高くて授業を聞いてノートをとるので精いっぱいでした。それから週に3回大学のDeutschkursに通っていました。毎日ドイツ語を聞いて話してという機会があったので良かったと思います。Sommersemesterは、いろいろな学科の授業も受けてみたいと思ってKunstgeschichteやMusikwissenschaftなどからも取ろうと思っています。

○生活
ウィーンは結構物価が高いので、家賃や生活費はドイツなどに比べたら若干高いとは思いますが、生活するにはとても便利な街だと思います。U-BahnやStraßenbahnがどこにでもあるし、ウィーンの街自体そんなに大きくないので過ごしやすいです。あと海外に旅行したい時もウィーンには空港もあるし国際列車で他国の主要都市まで直通で行けたりなど、ほんとにすばらしいと思います。

普段の生活は、こちらの友達とパーテイーをしたり一緒にビリヤードに行ったりと楽しんでいます。2月の後半に自分の誕生日パーティーを自宅で友達を呼んでやったりしました。

ほんとにこの半年は短くて、そしてすごく充実していました。でもまだまだ学ばなければいけないこともたくさんあるし、それと同時に今しか出来ないことを思う存分やりたいと思います。


Kahlenbergにて

Sommersemester 2008 bis Wintersemester 2008/09 川面 真奈美さんからの体験記
大学や授業について
私はVorlesung, Proseminar, Seminarを取っていました。Proseminar やSeminarを取る前は「とても難しいのではないか、私にはついていけるレベルではなく、とり残されてしまうのではないか」などという不安がありました。しかし意外に取ってみると、毎週の宿題として出題されるPflichtliteraturはかなりのページ数だったり、それに加えてプレゼンテーションをしなくてはならないという不安とノルマもあり、大変だったものの、今振り返ってみると、Vorlesungよりも自分が学びたい分野を集中して勉強することができ、成績をもらった時は本当にSeminarを取っておいて自分の成長のためにも勉強の為にも良かったなと思いました。

Seminar やProseminarなどを受講して「自分の意見を何語であろうが、積極的に発言出来ない者は学ぶべきではない」と言う事を強く感じました。初めの頃は、自分が黙っていても「外国から来た学生で言語の面でハンディキャップを持っているから、誰かしら自分に声をかけてきてくれるだろう」という甘い考えを持っていました。しかし、時間と共に自分から下手なドイツ語だろうが、完璧なドイツ語だろうが、自分の意見を母語、外国語に限らずSeminarのなかで挙手し発言しない限り、誰も自分に声をかけてきてくれる人もいなく、いつまでたっても自分は教室の片隅にただ座っているGaststudentinのままであるという事に気づきました。

それから、自分も彼らと同じ学問を学ぶStudienkolleginとして受け入れられたい、また私も彼らと一緒に学びたい、と思い毎週宿題として出される100ページ以上あるPflichliteraturも自分が出来る範囲で必死になって読みました。またグループでのプレゼンテーションの際には、グループのみんなとLokalなどで夜遅くなるまでプレゼンの構成などを一緒に考えました。しかしこのようなSeminartreffenで知り合った学生達とプライベートでも会うようになり、私の自宅で手巻き寿司パーティーなどを開いたりして今でも彼らには勉強やプライベートでも仲良くしています。

私がウィーン大学やウィーンで過ごした学生時代を通して学んだ事は、「学びたいという思いがある限り、何語であろうがしっかり自分の意見を発言できる自立した人間にならないといけない」ということです。

 街の様子
ここ国際都市ウィーンでは、多くの外国人が生活しており、家から出ればドイツ語以外に何カ国語もの外国語が耳に入ってきます。私も日本にいたときには残念ながら知り合う機会がなく、その国について知ることが出来なかったような国から来た人々とも、ここウィーンでは幸いに交流することが出来ます。私の初めてのルームメイトは、ボスニア・ヘルツェゴヴィナから来た女の子でした。

 住まいについて
ここウィーンでは沢山の学生が条件の良い住まいを一年中探しています。それなので家賃が安く、物件もいいアパートなどを探し、住むことはとても大変です。現地の学生でも3ヶ月ぐらいかけて住まいを探します。

 ウィーンには沢山の学生寮がありますが、寮には空き部屋があったとしてもすぐにその部屋を寮が部屋を探している学生に提供するのではなく、リスト待ちの学生から順番に部屋が与えられる仕組みになっています。ÖADという外国人学生に寮を紹介する企業もありますが、対応もひどく寮でルームメイトなどと問題があり部屋を変えて欲しい、寮を変えて欲しいなどの要求をすれば、要求するたびにÖAD側が問題解決料などを請求してきます。それなのでÖADはあまりお勧めしません。

 これから留学する学生へ
オーストリアに限らずヨーロッパは全体的にお役所仕事で書類に厳しいと思います。特にこのウィーン大学は誰も大学で学ぶ際に必要となる書類提出の手続きを助けてくれません。全て自分一人で学生となる手続きを外国人学生事務所で行い、決められた日時までに授業登録をし、学生口座を開き、保険に加入し、そしてビザ申請をしなくてはなりません。その際に「ドイツ語がまだ自分はあまり話したことがないからそんな事は出来ない、ドイツ語がまだあまり上手に話せない」などと考えているようではせっかくの留学が、ただの観光の延長で終わってしまうと思います。

ドイツ語が上手に話せなくても良いと思います。ただ、下手なドイツ語であっても人に頼らず、自分で解決し役所の相手に「自分はこうしたい、こうしてもらいたい」という事を伝えられるまで挫けず、相手が自分の要求していることを理解し、行動に移るまで根気強く頑張る事が大切であり、そして自分をしっかりもち、行動する事が大切だと思います。私もこの留学で自分という者が何者であるか、自分は一体どういう人生を歩んで行きたいのかを考えさせられ、そして自分というものがだんだん見えてきました。それなので、私は多くの獨協大学の皆さんにぜひ留学制度でウィーン大学に限らず、留学して沢山学んで欲しいと思っています。


ザッハーホテルのカフェにて

【参 考】川面さんからの中間報告 

Sommersemester 2007 bis Wintersemester 2007/08 吉村 愛実さんからの体験記
大学や授業について
私は19世紀ハプスブルク家とEU、そして両者の多文化多民族共存の研究・比較について勉強したく、授業の大半は歴史、政治(ゼミと講義が半々くらい)関係でした。元々色々な分野に興味があり、せっかくの総合大学なので他にも様々な学科の聴講や図書館にも行き、とても勉強になりました。

授業は聞き取りづらかったりテストだけの講義より、発表の原稿やレポートがゆっくり書けるゼミが意外とお勧めです。またRV(Ring Vorlesung)は毎回様々な国の大学、研究機関等からいらした講師の方々による授業で、ありとあらゆる視点から学ぶことが出来、ウィーンのグローバルさも伺えました。

大学のシステムはオンラインでの授業登録、テストの申しこみ等が学科によって異なり、とてもややこしいものです。学生の人数がとにかく多くて一人一人に手が回らない状態で、一筋縄ではいかないことも多々ありました。休暇にはアウガルテン陶磁器工房へ研修に行ったり、旧オーストリア帝国にも関わりの深い周辺地を訪ねたりと、貴重な体験ができました。

夏休みのアウガルテンでのインターンシップの際に自分で描かせて貰ったお皿です。

生活や寮について
ウィーンでいい条件の家を見つけることは非常に困難です。私はインターネットhttp://www.jobwohnen.at/で4人用WG(ルームシェア)を見つけました。いい部屋を見つけたらすぐにメールでまだ空いているか問い合わせ、その際軽く自己紹介も入れておくといいと思います。それから見学に行き、最終的に決めます。

家賃は大体200〜300ユーロといった所で、6,7,8,9区あたりが便利です。寮は広さや清潔さに比べ値段も割高で、物を盗まれやすい等あまりよくない噂が多かった為、住み心地の良く割安なWGの方がお勧めです。私の同居人はドイツ語圏の人達であった為、ドイツ語の勉強にもとても良い環境でした。

留学を終えて
小さい頃からヨーロッパ文化に感銘を受け、ドイツ語を始めたきっかけはオーストリアであった為、歴史があり美しいこの街ウィーンで学び、暮らす事は私にとってとても有意義な1年でした。良い友達もたくさんでき、第2の故郷のような気分です。豊富な蔵書や資料、様々な専門分野を持つ教授や学生達の意見、現地での実情を学び体験できることは何よりもの喜びでした。留学させていただけたことにとても感謝しています。

アドバイス
オーストリアはお役所仕事で書類に厳しいことで有名です。人には厳しく、自分にはいい加減で甘いことも多いです。根気よく説明することが求められることもあります。自分をしっかり持ちつつ、融通を利かせられる余裕を持って対応していけるといいと思います。また大学の複雑なシステム、買い物や旅のお得なAngebot、イベント等々、インターネットや口コミ等での情報集めも充実した学生生活にとても重要だと思いました。何事も勉強であり、全てから学ぼうという姿勢が留学を有意義なものとするコツの一つだと思います。

私が歴史に惹かれて手探りできたように、このサイトをご覧になっている方々にも留学を通じてすばらしい経験が得られることを祈って。また少しでも参考になれる部分があれば幸いです。

Wintersemester 2006/07 bis Sommersemester 2007 宇佐見 聡子さんからの体験記
 私は2006年度10月より9ヶ月間、ウィーン大学に留学し、ドイツ語教授法を中心とする授業を受けました。

はじめの冬学期では翻訳の授業とドイツ語教授法に関するゼミナールを受講し、夏学期は翻訳の授業を2つ、冬学期と同じ教授のゼミナールを1つ受講しました。毎学期に履修を組んだ時点では一週間に5・6コマ授業を取る予定を立ててはいたのですが、実際に授業が始まると1つ1つの授業の予習・復習で手一杯になってしまい、結局予定通りに履修することはできませんでした。

高校生の頃から留学するまでの計4年間ドイツ語を習っていたのですが、現地の授業となるとやはり専門用語や独特の言い回しが多く、はじめの3ヶ月くらいは教授の行ったことを聞き取ることに精一杯でした。授業内でわからなかったことは、同じ授業の友人に教えてもらったり、教授の面会時間に直接聞きに行ったりしていました。

 ゼミナールは2つとも同じ教授のもので、内容もドイツ語教授法のより専門的な分野だったので、日本では受講できない貴重な授業だったと思います。授業内容は、毎回前半が教授によるドイツ語教授法の理論と、後半は学生によるグループ・プレゼンテーションでした。グループ・プレゼンテーションでは毎回学生同士がディスカッションするコーナーがあり、日本のゼミナールでは想像できないほどの活発な意見交換が行われ、その内容もかなり高度なものであり、とても勉強になりました。

授業以外では、語学学校に通い、ドイツ語の検定試験に向けた勉強をしていました。語学学校の授業に加え、学校の授業で多くの文献を読んでいることもあって、読解力はかなり高まりました。勉強の甲斐あって、検定試験に無事合格することが出来、よかったです。

また、日本学科で日本語の授業のアシスタントをしたり、週に一度タンデムをしたりと、日本では経験できない貴重な充実した日々を過ごすことが出来たように思います。

勉強以外の面でも、学校帰りに国立オペラ座で立ち見でオペラを見たり、美術館を訪れたり、友人達とパーティーを開いたり、芸術的な街ウィーンでの生活を満喫することができました。


パーティーでお好み焼きを作ったときの写真です。

約一年間の留学で、勉強することの意義や楽しさを再確認することができたと思います。この気持ちを忘れずに、卒業までの学生生活を過ごしていきたいです。

Wintersemester 2006/07 bis Sommersemester 2007  半田佳世さんからの中間報告
私は2006年の9月からウィーン大学に1年間交換留学生として留学しています。
ウィーン大学に留学するに当たって念頭に置かなければならないことは山ほどあります。つまり、一筋縄ではいかないということです。

まず、獨協大学とウィーン大学は、学部間の学術交流協定を結んではいますが、交換留学についての細かい取り決めがないため現地で正規の「交換留学生」として認識されていません。私たちは実質ウィーン大学のFr.Faistauerを通じて留学しているので、正規の一般学生と同様学費の支払いはもちろんのこと、手続きを手伝ってくれるチューターなどもいません。ですから、遅くても留学の半年前には準備を始めたほうがいいでしょう。

寮を斡旋する機関http://www.housing.oead.ac.at/ ここはネットでも申し込みできますが、予約に際して500ユーロの手付金を払わなければなりません。ここで注意しなければならないのは、予約したい寮に振り込むのではなく、この機関に振り込まなければ予約できないということです。そして、予約してから数ヶ月待たなければ部屋が確保できないので、半年以上早く予約することをお勧めします。

学費や諸々の学校に関する手続きはFr. Faistauerではなく、Herr Kudler maximilian.kudler@univie.ac.at に直接連絡を取ってください。 学費を払えば、大学の在籍証明書や学生証が発行されます。

これを発行するには学費の払い込みが完了して最低1週間はかかるので、学期の始まる直前に手続きしても間に合いません。在籍証明書が発行されて初めて、オンラインで授業の申し込みができます。 私は学費の支払いが遅れたせいで、1学期分の授業をもぐりで受けるしか手はありませんでした。

都内にあるオーストリア大使館も当てになりませんので、ビザ発行に際して何が必要かは、先に留学している学生に直接尋ねるのが無難でしょう。毎年少しずつ必要書類なども変わります。

ウィーンは華やかですが、自己責任の街。余念のない下準備が大切です。でないと来てから苦労します。 私はもちろん苦労しました。 国際都市なだけあり、多国籍の友達ができ、貴重な体験ができたことと、苦しかった時期も含めて、人間的に大きく成長できたことを、誇りに思います。

たった1年しかない時間を、回避できるトラブルなどで削られないよう、しっかりと準備をして,先に留学している学生にこまめに連絡をとることをお勧めします。

Sommersemester 2005 bis Wintersemester 2006/07  竹内 晶さんからの体験記
わたしはウィーン大学に二年間、計4ゼメスター在学しました。
出発前と到着後しばらくの慌しさのあと、ストレスもあってはじめてのゼメスターはそれほどまじめに学業に励んでいたわけではありません。それでも、獨協からの留学生を担当している Prof. Frau Faistauer のゼミ(獨協の留学生は2ゼメスター必ず履修する、特別な理由がないかぎり毎週出席する義務)では発表、レポートの提出、他のゼミ生の発表に関してコメントするといった課題が与えられ、来て間もないころのわたしにはかなりの仕事でした。

住居、ビザのことなども片づき、二期目にはいってやっとここの生活に慣れてきたという実感がわき、まもなくウィーンを去ることがとても惜しく感じられました。しかしわたしが留学を延長した最大の理由は日本で学業することの経済的負担でした。このまま獨協に戻っても卒業までいずれにせよあと二年は要すること、そうなると経済的な負担がさらに加わることからあと一年負担の軽いウィーン大学に在学し、(獨協での在学を一年にし) 卒業に必要な単位の取得に励むことを決心しました。

留学二年目の2ゼメスターはわたしにとって正直とても辛かったです。単位を取るために必死にがんばった一年でした。ひとつのテストのために半年以上も準備することはふつうで、いつもふたつ、みっつのテストを同時期に抱え、休暇も返上で本にかじりついていました。ですからオペラやお芝居など、ウィーンならではのエンターテイメントを楽しむ時間的、心理的余裕もなく、その点ではせっかくウィーンにいるのに残念という気もしました。

日本でならそれくらい負担にならないテストでも、ここではそういうわけにもいかず、また努力したぶん相応に報われないこともあり、心理的にもかなり追い詰められていました。しかし多くを学び、学ぶことの奥深さ、意義を実感しました。日本では学業というものは安定職に就くための最良確実な手段であり、何を学んだかということはあまり重要視されないようにおもいます。大学にいることで現実からの逃避、罪の意識さえ感じていたわたしがここにきて得た最大の収穫は、学問することの意義だとおもいます。ここでは卒業の重みも日本とまったく違い、大学には入ったものの卒業できないひとがたくさんいます。卒業するまでに十年かかるのがふつうで、二十年以上かかったひと(仕事の傍ら大学に通っていた)などめずらしくなく、卒業はそれだけ難しく、学生に求められる質も日本とはまったく違います。

わたしもがんばった甲斐があり、なんだかんだいいながら評価をもらったときの喜びはひとしおで、それが次の課題をこなす原動力になりました。

ながい間わたしはじぶんの専攻を何にしようかとずっと悩んでいました。2ゼメスター目から少しずつ本腰をいれて勉学に励むようになり、まずはösterreichische Geshichteに専念しました。
3ゼメスター目からKunstgeschichte と Theaterwissenschaft のLehrveranstaltung を主に履修するようになり、だんだん美術史の魅力にとりつかれ、わたしなりに深めたいとおもうようになりました。
最後のゼメスターでは Kunstgeschichte と Theaterwissenschaft (戦後の美術史は主にTheaterwissenschaft で扱われている)を中心に履修しました。またそのころになって図書館の蔵書に興味をもちはじめ(遅すぎた)、美術史関連の本を一度に数十冊も借りるというかつてのわたしからは想像もできないことをするようになりました。美術史は相当に難しく、母国語の学生でもテストで評価をもらうまで同じテストを数回受けることは少なくないようです。しかし芸術の都ウィーンを歩くとき、美術史で得た知識はとても役立ち、この街を数倍たのしめることうけあいですので、ぜひおすすめします。

アドバイス
すべてがわたしにとっては挑戦でした。テスト、ひとりで大勢の母国語学生の前での発表、かなりの量のレポートなど。でも一度やってしまえば案外むずかしく考えることもなかった、二回目からはもう日常になっていることに気づきます。最初は不安かもしれませんが、誰でも乗り越えられる。レポートも慣れてくればそれほど負担でもなく、むしろドイツ語によって日本語よりも書きやすく、自分の理論を広範囲に展開しやすいことに気づくとおもいます。

ウィーン大学留学における最大の問題点は情報の乏しさだとおもいます。はじめてのゼメスターではすべてが手探り状態で、履修したLehrveranstaltung はFrau Faistauer のゼミを除けばあまりよい質とはいえませんでした。しかし母国語の友人のアドバイスに助けられ、わたしもじぶんなりにがんばった在学生活から教授を見る目も磨かれたようにおもいます。(ひとりよがりな理論を展開する先生、100年前のメソッドを用いる先生も確かにいます。)

ここでとりわけ充実している Lehrveranstaltungenを行っている教授を紹介します。

Prof. Oliver Rathkolb im Instituet der oesterreichischen Geschichte
Prof. Martina Pippal im Instituet der Kunstgeschichte

2教授とも有名な歴史家で、人間的にも信頼でき、外国人学生に理解を示してくれます。 ふたりのLehrveranstaltung は毎週目から鱗で、この教授からわたしはいちばん多くを学びました。

辛いウィーンでの大学生活も終わってしまえば寂しく感じられます。と同時にこの二年間わたしを支えてくれたひとたち、家族、友人に感謝の気持ちでいっぱいです。かれらの支えがあってやり遂げられた留学でした。みんな、ほんとうにありがとう。そしてこれからウィーン大学で学ぶ人に一言、やればできる。

【参 考】竹内さんからの中間報告 

Sommersemester 2006 bis Wintersemester 2006/07  松本雅子さんからの中間報告
 私がウィーン大学を留学先に決めたのは、第一に、20世紀前半のオーストリア史を学ぶのが目的だったからです。それから、留学先に見ず知らずの地を選ぶよりも、過去何度か訪れたことがあるオーストリア・ウィーンであれば多少勝手がわかっていること、そして文化・芸術の都ウィーンから多くのものを吸収したいと考えたからでした。そして目下、確かにウィーン大学での勉学は自分の語学力と学識の無さでなかなか思うようには捗っていませんが、それでも学ぶことは非常に多く、充実した毎日を送っています。


ウィーン大学について
 ウィーン大学はヨーロッパの名門大学にふさわしく、アカデミックな雰囲気が漂い、殊にリンク通りに面した本館は重厚な造りで、ここで教鞭をとった歴代の教授や学者たちの胸像が並ぶ美しい回廊や荘厳な図書館など、歴史と伝統をそこかしこに感じることができます。このような環境の中で学べるのは、学生にとって大きな喜びであり、ウィーン大学の大きな魅力のひとつです。

 学部・学科は文系から理系に至るまで多岐に渡っており、国立の最高学府にふさわしい堂々たる偉容を誇っています。

とは言え、見方を変えればいわゆるマンモス大学で、学科ごとにキャンパスが異なり、それがウィーン市内のあちこちに散らばっていて、それらを把握するのは並大抵のことではありません。私もこちらに来たばかりの頃は、大学のシステムを把握しきれず、色々と苦労をしました。ですから、学期が始まる前には、とりたい授業を決めて、それらがどこのキャンパスで行なわれるのかを調べ、移動時間を考慮して時間割を組んでおく必要があります。


 私は、歴史、ゲルマニスティック、翻訳を中心に夏学期は週7コマをとり、今学期は週9コマの授業をとっています。

肝心の授業内容ですが、殊に歴史の講義を理解するのは大変に難しく、又、相当な集中力が必要となります。自分の語学力の無さはもちろんですが、それ以上に痛感させられるのは専門知識の無さです。獨協で私たちが学んでいる概論的な内容は、こちらではすでに初・中等教育で習得済みであって、ごく初歩的なものにすぎず、大学はより高度な次元の学問を修めるところだからです。そういった歴然とした違いはあるものの、得るものは多く、毎回出席して講義に耳を傾けることがまず大切だと思います。

生活について
 私は当初、学生寮を希望していて、渡航前に落ち着き先を決めたかったのですが、なかなか思うように見つからず、住まいを決めないままウィーンにやって来ました。1週間ほど格安の賃貸アパートメントに滞在して、住まい探しに専念しました。運よく、条件のいいアパートを紹介して下さる方がいて、すぐに入居することができました。住まい探しにはみんな苦労すると聞いていたので、本当に恵まれていたと思います。場所はウィーンの4区で、すぐ近くにウィーン最大の市場ナッシュマルクトがあり、また、一帯はユーゲントシュティールと呼ばれる世紀末建築の宝庫です。ここは居乍らにして、ウィーンの風習、文化・芸術に触れられるのでとても気に入っています。

 さて、ウィーン生活の最大の魅力は、ひとたび街を歩けば、歴史の舞台になった箇所が点在し、また、さまざまな時代・様式の建築物に出会えること、そして周辺にはウィーンの森が広がっているので気軽に森を散策でき、自然を満喫できること、それから、絵画や音楽など、世界最高峰の芸術に触れることができる点です。余暇の過ごし方には、ありがたいことに本当に事を欠きません。

殊に音楽は"音楽の都ウィーン"の名に恥じず、毎夜ウィーンの至る所で魅力的な催しが開かれています。何よりも心強いのが、懐の寂しい学生であっても、体力さえあれば、これらの芸術を思いっきり堪能できる点です。例えば、ニューイヤーコンサートで有名な楽友協会で開催されるウィーン・フィルの定期演奏会は一般のチケット入手はまず困難なことで有名ですが、立見席であればたった4.5ユーロで見ることができます。私はこれで、R・ムーティ指揮のウィーン・フィル定期を真正面の立見席で鑑賞しました。

それから私がよく行くのが、小澤征爾氏が音楽監督を務める(現在、休養中)国立オペラ座の立ち見です。ここの立ち見は場所・音響ともに素晴らしく、また値段も2〜3.5ユーロと信じられない安さで本当にお勧めです。しかし、いい場所を確保するには開演時刻の3〜4時間前には並んで待つ必要があります。それから、ちょっとしたコツも必要となります。まさに、懐は寂しいけれど、時間と体力だけはある学生にお誂え向きの席です。

立見席といっても、舞台を真正面に捉えることができるし、音響は抜群で、下手に高いお金を支払って中途半端な場所に腰掛けて見るよりも、立見席で鑑賞したほうが断然お勧めです。そういう点で、舞台真正面の一番良い場所に立見席を配しているオーストリアは本当に太っ腹だと思います。日本では、オペラや音楽会は、一部の裕福な人々の娯楽になっている嫌いがありますが、オーストリアではこういった立ち見席を含め、失業者や高齢者、障害者などの人々の為にも割安なチケットが販売されていて、貧富の差を越えて万人が楽しむのが真の芸術なのだと実感させられます。

振り返ってみて。アドバイスできること。
 思い返しますと、入学手続きやビザの申請など、様々な困難があったにもかかわらず、今までなんとか何事も無く留学ができているのは、多くの友人・知人の助けと支えがあったからにほかなりません。わたし一人の力では、何をするのにも到底無理でした。その時々に救いの手を差し伸べてくれた掛け替えのない友人・知人たちには本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

暮らし
 アドバイスできることとしては、留学中は何かとストレスが溜まりやすいものですが、勉強ばかりに根を詰めないで、生活を思い切り楽しむこともとても大切だということです。特にオーストリアではドイツ以上に大学の事務局や役所などでの手続きの際、一筋縄では行かないことが多く、多くの留学生が大変に苦労するのですが、なかにはこうしたことでストレスが溜まって、精神を病んでしまう留学生も多いと聞きます。ですから、たまには息抜きをして、リフレッシュすることが必要だと思います。

 また、留学中、一番気を配らなければならないのは、何と言っても健康管理です。やはり人間は身体が資本ですから、勉強にしても遊びにしても無理は禁物です。毎日、十分な睡眠をとり、バランスの取れた食生活に気を配って、規則正しい生活をすることが何よりも大切だと思います。

 私もこれからも健康管理には気を配って、充実した留学生活を続けていきたいと思っています。

Sommersemester 2005 bis Wintersemester 2005/06  海田実希さんからの体験記
大学や町の様子
 ウィーンは1年間生活するのに飽きることのない街です。オペラやコンサート、博物館めぐりなど、暇な時間があれば何かしら楽しめます。街はすごくきれいだし、交通も発達していてとても便利です。Hauptuniも最近玄関部分が改装され、さらに明るくキレイになりました。ただキャンパスがInstitutごとに、市内のところどころにあるので初めはそれが見つけにくいのと、校舎が大きすぎてすごく迷いました。

また、戦後60周年、Staatsvertrag締結50周年記念のイベントが多く開催されていて、戦後史専門の私にとっては当たり年に留学できたなぁと思いました。

授業
ウィーン大学には残念ながら、ドイツの大学であるようなDaFコースやDSHコースのようなものはありません。ドイツ語は夏学期の夜に週2と、夏休みにドイツ語コースに通っていました。 大学では主に、獨協で履修していたゼミの内容と同じような戦後のドイツ史やオーストリア史を受けていました。ほとんどの講義で、アジア人は私一人という状況で緊張していたし、夏学期は特に、ドイツ語力のなさから授業がほとんど分からず情けない思いをしました。

それでも耳を慣らすために講義に出席していたせいか、冬学期にはなんとか授業についていけるようになり、テストやレポートにも挑戦しました。一番苦労したのがオーストリアの戦後史の授業で、学期末にレポート書いたのですが、それがものすごく大変でした。

でもその後、先生が個人的に論評をしてくださり、良い成績もいただけたので、ものすごい達成感を得ることができました。他の分野では分かりませんが、ウィーン大学には有名な歴史家の教授が多いので、その先生方の授業を履修できたことはものすごく貴重なことだと思います。

その他、討論やプレゼンの練習の授業や翻訳の授業を受けていました。こちらはついていくのはそんなに大変ではなかったけれど、やっぱり入念な準備が必要でした。

日常生活
友達もたくさんでき、夜や週末は一緒にパーティーをしたり、映画やオペラを観にいったり、旅行したりしていました。オーストリアは外国人が多いので、オーストリア人だけではなく、世界各地に友達ができます。長期休み中はその友達の実家を転々としながら旅行したりもしました。

アドバイス
私は準備不足でいろいろ痛い目をみました。情報が少ないというのも原因だったのかもしれませんが、もっと日本で準備できることはあったような気がします。(特に勉強面において。)留学中は、せっかく与えられたチャンスなので、怖がらず、いろいろなことに挑戦してみてください。失敗しても何かしら自分のためになります。

ウィーンに限らず、外国に住むということでいろいろな問題にぶつかるとは思いますが、成長するチャンスと思ってがんばってください。そしてたくさんの人と交流して、楽しむことも忘れないでいることが、留学成功の秘訣だと思います。

留学を終えて
1年間、(特に中間報告で書いたように、最初の半年間は)住居やヴィザ、各種手続きの問題をかかえ、とても大変でした。でも今振りかえってみて思うのは、その大変さがあった分、成長できたのではないかと思います。それに、かけがえのない友達もたくさんできたし、楽しいことはつらかったことよりもずっと多く経験しました。

1年という限られた留学期間だったということと、初のウィーン大学への派遣に参加できたということで、1年間自分にプレッシャーをかけすぎたり、欲張りすぎてうまく行かず落ち込むことも多々ありましたが、結果的に私はこの留学にとても満足しています。もしウィーンに留学していなかったら、これからの人生違うんだろうな、と思うくらい、私に影響を与えてくれました。こんな機会を与えてくださったすべての人たちに感謝しています。

Sommersemester 2005 bis Wintersemester 2005/06  後藤絢子さんからの体験記
わたしの留学体験記は決して模範となるようなものではない。このあたりをお許しいただいて、先に進むとしたい。

さて、ウィーンに留学すると、様々な困難に出くわす。
まず、おもしろい授業がありすぎて、全部選ぼうとするものなら自分のキャパシティーをこえてしまうこと。素敵な人間関係を築くのがむずかしいこと。ビザをとるのがむずかしいこと。満足できる家を探すのがむずかしいこと。そして、わたしのような音楽・舞台大好き人間にとっては、毎日どこかで魅力的な催しが催されていて、お金のキャパシティーがついていかないこと・・・。
その他もろもろ。ともかくも、春学期、わたしは日々問題を抱えていた。ビザからはじまって、変なおじさんとの出会い、引越し先の大家とのもめごと。試験はぼろぼろで、夏休みから冬学期はじめにかけて、ちょっとした人間関係のトラブルがあった。今、私のいちばんの強みはトラブル処理能力だろう。

最終的に冬学期には、頼もしい友人にも恵まれ、刺激もたくさん受け、試験にも慣れ、良い家と大家に出会うことができて、ウィーンを去るのが惜しくてたまらなかった。

ウィーン留学はドイツ語力上達のために最適です、とはいえない。あまりにも外国人が多いからだ。なにかしら、自分の興味分野を持っている人には、おもしろい都市だと思う。大学は大きい。だから、一生付き合える友達が絶対見つかるかどうかもわからない。

ここでは、なにをするにも自分しだいだ。こっちから出て行かないと、どうにもならない。逆にいえば、キャパシティーの大きい都市だから、何かしようと思えば99パーセント叶う。

留学スタイルとしては、もとから何か目的があるもよし、こっちで目的を探すもよし、(きっと何か見つかる。)あえてぼーっと暮してみるもよし(ひょっとすると何か見つかるし、見つからなくてもいい)。ウィーンは、百人百様の生活スタイルを演出してくれる。月並みだが、わたしはここに来て(ありとあらゆるトラブルを体験したことも含めて!)良かったと思っている。自分に帰った気がする。

・・・というわけで、おすすめです、ウィーン。

 ヴュルツブルク大学

Sommersemester 2004 bis Wintersemester 2004/05 米山貴子さんからの体験記
大学
町中と町の中心から少し離れた所(Am Hubland)に別れていて、私の専攻したドイツ学、日本学がある建物はHublandにある。Hublandの大学の敷地は比較的広く、図書館、学食、語学センターなどがある。町の中心から少し離れているので、通うのが少し面倒だが大学行きのバスがあるので問題はない。


ビュルツブルクは大きすぎず小さすぎない町なので、ちょうどよい大きさで不便なことはなく住みやすい。交通機関はバスと路面電車かあり、町中たいていの場所へはバスで行くことができる。

授業について
私が履修した授業は主専攻としてドイツ言語学入門講義とドイツ言語学ゼミI、副専攻として中世ドイツ学入門ゼミと日本学の小説の講読ゼミ、その他に外国語としてのドイツ語の授業としてOberstufe 1、Wortschatz、Landeskunde(Oberstufe)だった。

ドイツ学、日本学の学生たちはとても積極的に授業に参加してる。日本の学生とは学ぶ意欲が違う。当然のことだが、質問があったらすぐに質問するということがドイツの学生には出来て日本の学生にはできていない気がした。特にドイツ語の授業で思ったが、日本人には大勢の前で発言するという事に対する恥ずかしさと恐れがあるように思えた。

授業の特徴をあげてみると、ドイツ言語学の講義とゼミでは入門であるだけに、基本的な理論や概念をじっくり学んでいく。私はその授業の内容、進め方が


日本学の学生が主催したクリスマスパーティー
とても良いと思った。三年修了時点で留学をしたので基本的専門知識はあって当たり前のはずなのに、実はほとんど分かっていないことに気付かされた。この留学中に改めてちゃんと勉強できた。

日頃の授業への取り組み方としては、ドイツ言語学ではノート、プリント、入門書、時にはインターネットも利用して予復習をしていた。ゼミでは出された課題もやっていた。講義、ゼミ共に入門なので、難しくついていけないということはほとんどなかった。中世ドイツ学のゼミは中高ドイツ語(Mittelhochdeutsch)から新高ドイツ語(Neuhochdeutsch)への翻訳が主な内容で、そのための文法知識や当時の作品の特徴なども学ぶ。予復習にはかなりの時間がかかった。ただでさえままならないドイツ語力で中高ドイツ語を学ぶことは大変難しい。試験の時は外国人学生のみ辞書持ち込み可だが、それでも理解するのは大変だった。

日本学のゼミでは日本語の小説をドイツ語へ翻訳し、授業中に訳を発表するため、毎日の事前予習は欠かせず、その予習はドイツ人学生と協力してやっていた。翻訳におけるお互いの難点を一緒に取り組むことで補うことができた。

ドイツ語の授業では毎回出される課題を主にやっていた。Oberstufeでは文法の学習はほとんどせず、主に毎回一つのテーマについて話し合ったり意見を言ったりするディスカッションタイプの授業であった。

生活について
私が住んでいたのは寮ではなく一般の家で、ドイツ人とルーマニア人の女の子との3人WGだった。人にもよるが、私たちの場合は共同生活に付き物の問題はまったくなかった。3人とも仲がよく、よく一緒にご飯を作って食べたり、一緒に出掛けたりもした。ビュルツブルクでできた友達は、まず語学コースでの友達で、日本人の他に主にスペイン人の友達が多く、よく一緒にに飲みに行ったりディスコに行ったりした。それから、日本学の学生の友達も多い。毎週木曜のStammtischという日本学の学生と日本人や日本に興味のある人の集まりがあり、ゼミのほかはそこで知り合った学生と仲良くなった。

留学を終えて
留学中にやったことは何であれ、すべて自分の身になったと思う。特に苦労したことは必ず身になると思った。私の留学は実を言うと一年間で最初の半期は休学留学だった。留学前にドイツの大学からの入学許可を待ったが結局正式に入学するにはDSHが必要で、正規の学生として大学に登録することはできなかったので、2004年夏学期中は語学コースに通い、9月にDSH準備コースをうけ、10月にはDSHに合格した。この合格によりあとの半期を認定留学にできたというわけである。DSH準備コースはこの留学の中で大変だったことの一つである。合格したいが受かるかわからないという不安と精神的プレッシャーが大きくつらかった。他に大変だったことは家探しである。大学の寮の申請を出さなかったため、ドイツに着いてすぐ家を探さなければならなかった。ドイツには家探しから契約までたいてい自分でやらなければならないので大変だったが、むしろやってよかったと思っている。

これから留学する学生へのアドバイス
留学をしたいと思っている人は絶対してください。人によって留学をするにはいろいろ問題があるだろうけれど、思い止まってしまったら後で後悔します。留学をするとしないでは本当に大きな違いがあります。どんなかたちであれ留学を通して学ぶことはたくさんあります。

それから、留学をする人はドイツへ行ったらひたすらドイツ語を使ってください。家や図書館に閉じこもって書くだけでなく、外に出て話してください。書くことは日本でも出来ますが、話すこと聞くことはドイツで勉強できる人の特権です。特にこのことはアドバイスしておきたいのですが、ドイツに行ってまで日本人だけでかたまらないほうが良いです。これをするとドイツ語を話す機会が減るばかりか、まわりの人も近寄りづらくなります。ドイツにいる以上、その場でしかできないことを無駄にしないでください。

これから留学する学生、留学を考えている学生たちの成功をいつも祈っています。

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