活躍する在校生

Glosse über das Studentenleben in Marburg

私は20094月から20103月まで交換留学生としてドイツにあるマールブルク大学で音楽学とドイツ語学を勉強しました。滞在中に参加したドイツ語講座で「マールブルクでの学生生活」に関する記事を書くという宿題が出ました。ちょうどバスの時刻表が変更された時期だったので、マールブルクでのバス事情をテーマにしました。講座中に自分の作文を読んだところ、参加している学生が笑ってくれたりわりと好評でまた特に先生からは「このままマールブルクの新聞社に投書できそうね」とお褒めの言葉をいただきました。それに励まされOberhessische Presseという地元新聞に投書する決意をしました。記事を送付後数週間経ってからある友人から突然電話がきました。「絵里香、君の書いた記事が新聞に載っているよ」と。それを耳にしたときは半信半疑でしたが、その新聞社に足を運んで尋ねてみると201018日付の新聞の投書欄で見事に自分の記事と大学名、名前を発見!!! そのときには天にも舞い上がる思いでした! この新聞社では自分の記事が新聞に載ると無料で何部かくれます。その一部を講座を担当してくれた先生に渡すと、マールブルクの語学センターにある記録集に保管してくれました。先生や新聞を渡した友達にも「とても面白いね。マールブルクのバス事情を反映して入る。これできっとマールブルクのバス事情も改善されるよ」などと感想をもらいました。今まで日本でも投書をしたことがないのに外国語で挑戦しそれが成功して、本当に嬉しかったです。

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〜ドイツのバス停〜

以下、荻原さんが書いた記事です。


Glosse über das Studentenleben in Marburg

Seit dem 13. 12. 2009 hat man in Marburg einen neuen Fahrplan für Busse. Im neuen Fahrplan gibt es aber deutlich viel weniger Busse, obwohl es schon früher vor der Veränderung vom Fahrplan im Bus viele Fahrgäste gab. Dieser kurze Text macht auf die jetztige Situation aufmerksam.

Spannende Reise mit dem Bus durch Marburg!

Ich kuschle gerne im Bus mit anderen! Mein Lieblingshobby! Vor der Eingangstür gibt es eine so lange Schlange, als wäre es vor einem beliebten Fünfsternerestaurant. Pech gehabt! Ich konnte keinen Platz finden. Aber keine Sorge! Ich falle nicht hin, sondern kann einfach stehen bleiben, und zwar sogar ohne Absicht, weil die anderen Fahrgäste meinen Körper festhalten. Wenn der Busfahrer brüllt, weil er die Tür nicht schließen kann, nicht persönlich nehmen! Schuldig ist sein Bus. Der ist ein Mini-Car für Zwerge. Na, trotzdem sagst Du, dass es besser ist als in der Rush hour in Tokyo? Wie sollen wir nur klar kommen, wo es doch jetzt noch weniger Busse gibt?
„Mein lieber Bus, wo bist Du? Du müsstest eigentlich schon da sein! Wir haben ein Rendezvous verabredet!“ Mein lieber Bus ist sehr beliebt und eigentlich sehr nett aber er hat ein kleines Problemchen: er ist etwas launisch! Wir Fahrgäste wissen gar nicht, wann er kommt, obwohl wir immer mit ihm einen Termin für ein Date ausgemacht haben. Meistens kommt er ein paar Minuten nach dem planmäßigen Termin aber wenn er löwenstärken Hunger hat, „Benzin, Benzin!“, oder wenn es mit Hindernissen auf der Straße stressig ist und wenn er sie nicht beseitigen kann, geht ihm sofort alles schief. Er kommt dann spät. Oder manchmal ist er auch etwas ungedudig, so dass er schon vor der auf dem Fahrplan stehenden Uhrzeit abfährt.
Ach, trotzdem sind wir schon zufrieden, solange er kommt! Busse verschwinden manchmal ganz zauberhaft! Wäre mir nicht mitgeteilt worden, dass es einen Busstreik gibt, hätte ich in der Kälte warten müssen. Heißt das, dass ich einfach zu Fuß länger als eine Stunde in der Finsternis gehen soll, um an der Vorlesung teilzunehmen? Genau, selten aber ab und zu fahren wirklich keine Busse!!
Na, das hört sich wirklich sehr angenehm und interessant an, oder!? Ganz genau, es ist nicht anders als abenteuerlich, was nirgendwo sonst zu erfahren ist! Solche Erfahrungen kann man nur mit dem Bus in Marburg sammeln! Viel Spaß im Bus und eine spannende Reise mit dem Bus durch Marburg!

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(和訳)

マールブルクの学生生活について

20091213日からマールブルクを走るバスの時刻表が新しくなりました。その新しくなった時刻表ではバスの数が確実に減っています、それまでもすでにバスでは満員だったのに。この記事は現状に目を向けさせます。

マールブルクのバスでわくわくする旅を!

バスでおしくらまんじゅうするのが大好き。私の趣味。乗車口の前には長蛇の列、五つ星レストランみたいにね。あぁ、残念!座席に座れなかった。でも、心配しないで!転んだりなんかしないよ。立っていられる、しかもその気なんかなくても。他の乗客が私を支えてくれるから。「ドアが閉まらない」と運転手が吠えたとしても、気にしないで!問題なのはバスのほう。だって小人用のミニカーみたい。それでも東京のラッシュアワーよりましだと思う?もっとバスが少なくなったら、どうしたらいいのよ?
「私のいとしいバス、どこにいるの?本当はもう来てなきゃいけないのに。だってデートの約束したじゃない!」私のいとしいバスはとっても好かれているし本当はとっても優しいんだけど、ちょっとした問題があるのよね。ちょっと気分屋なの。バスがいつ来るかなんて、私たち乗客は皆目見当もつかない。ちゃんとデートのアポとったのに。だいたいは時刻表よりちょっと遅れてくるの。でも腹ペコだったりすると、「ガソリン、ガソリン!」あとは道中の障害にストレスを感じてそれを片付けられなかったりすると、もう何もかもダメ。バスは遅れて来る。それかたまには時刻表に載ってる時間より先に行っちゃうくらい、せっかちなの。あぁ、でもねまだ来るんならまし。バスはね、たまに魔法にかかったみたいに消えちゃうの!
もしバスのストライキがあるって誰も教えてくれなかったら、寒さに凍えながら待たなくちゃいけなかった。まだ夜も明けない真っ暗闇を1時間以上歩いて講義に行けってこと? そうなの、まあよくあることじゃないけどたまにねバスが一台もこないの!ね、本当に快適でおもしろいでしょ? そう、これはまさに冒険!こんなの他じゃどこでも体験できない。こんな体験はマールブルクのバスでしかできないよ。じゃ、バスで楽しんでね。マールブルクのバスでわくわくする旅を!



荻原絵里香 大学院博士前期課程2年

日独スポーツ少年団同時交流にて

日独スポーツ少年団同時交流にて通訳

私は、一昨年と去年(2008/09年)「日独スポーツ少年団同時交流」にドイツ語通訳として参加しました。この同時交流は、毎年7月下旬~8月上旬の約3週間、日本とドイツのスポーツ少年団によって行われる日独交流・青少年育成事業です。スポーツ交流や文化活動を通した交流および青少年スポーツの発展を主な目的として、毎年125名のスポーツ少年団員が日独両国から派遣されて相手国を訪問します。すなわち、交流の主体となる参加者だけでも全員で250名、さらには主催者や団員指導者をはじめとする関係者の方々が加わるため、かなり規模の大きな事業です。
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交流プログラムの内容は、まず参加者全員が合同で行う「全体プログラム」と、その後713人のグループに分かれて各地方にて行われる「地方プログラム」から成ります。私は、一昨年ドイツでは全体プログラムから、去年は日本で地方プログラムから参加しました。地方プログラムで担当したのは、ドイツ・バイエルン州と日本・九州(鹿児島・宮崎・大分)でした。通訳の内容は、表敬訪問・歓迎式での挨拶からディスカッション・家族との対話まで多岐に渡るものでした。私は、通訳経験がほぼ皆無に等しかったため、焦ったり困ったりすることも多く、3週間の全プログラムが終了する頃には毎回ヘトヘトでした。とくに地方プログラムでは、713名の派遣団員(1623歳)と1名の派遣団リーダー、そして受け入れ先の関係者全員に対して通訳は1人であるため、想像以上の労力と体力を要しました。

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一般的に「国が違えば、文化や習慣、考え方も違う」と言うように、この交流ではまさにその違いに驚かされました。たとえば、ドイツ人は食事にはたっぷり時間をとることや、日本の表敬訪問のような公式行事はドイツと比べるとかなり形式的であること、そしてスポーツの楽しみ方の違いなどが挙げられます。去年の地方プログラムで、日本人対ドイツ人で試合をしたことについて、ドイツ派遣団のリーダーが「仲間とスポーツをする時は、自由に楽しむことが大切であって勝ち負けを決める必要はない」と言ったことは印象に残ています。また、市長表敬訪問には制服であるTシャツに統一しようと打ち合わせしたものの、当日にTシャツと短パン・ミニスカート、ビーチサンダルで行こうとしていたことにはびっくりしました。

つまり、悪気のない行動であっても、文化や習慣の違いによっては誤解あるいは手違いが生じる場合があるのです。そこに、通訳の難しさや落とし穴があることに気づかされました。また、通訳業務はただ言葉を訳すだけではなく、文化や考え方の違いをも配慮した言動を常に心得なけなければ勤まらないなぁと思いました。ともあれ、派遣団員と受け入れ家族の方は、交流が深まるにつれて積極的に英語で話をしたり、一緒にスポーツをして楽しんだりして、「通訳の出番はないなぁ」と思うくらい打ち解けあっていました。それは、言葉が通じなくても言葉以外の共通点、つまりスポーツを通して共に楽しむことや相手を理解しようという姿勢さえあれば、本当に素晴らしい交流ができることを示していました。通訳には苦戦しましたが、「通訳さんがいたら本当に助かる」と言われた時は、経験の少ない私でも少しは役に立てたのかなと嬉しく思いました。そして、何よりこの交流の素晴らしさ・大切さを実感したことは、大変貴重でありがたい経験でした。こういった機会を与えて下さった教授をはじめ知人には、この場をお借りして改めて感謝申し上げます。獨協大学を卒業してからも、何らかの形で日独交流に携わっていければと思います。

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日独スポーツ少年団同時交流についての
HP(日本体育協会):こちら

獨協大学外国語学部ドイツ語学科4
橋本泰奈

東京国際ユース(U-14)サッカー大会で…

 
 
2009429日から55日にかけて開催された東京国際ユース(U-14)サッカー大会にドイツチームのリエゾンとして昨年に引き続き参加した。「リエゾン(Liaison)」とはフランス語で「仲介・つなぎ、橋渡し」等の意を持つ言葉。世界10都市12チームが参加したこの大会では、私を含め計9名のリエゾンが日本と各参加国の架け橋となり怒涛の9日間を参加チームと共に奮戦した。

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 今回の海外からの参加都市は北京・ベルリン・カイロ・ジャカルタ・モスクワ・ニューサウスウェールズ・パリ・サンパウロ・ソウル。東京からは都選抜チーム・東京ヴェルディジュニアユース・FC東京むさしの三チームが参加した。特に海外からの参加チームは来日から帰国までの9日間で、観光・ウェルカムパーティー・学校訪問・文化体験・Jリーグ観戦・都知事激励会・練習試合と、メインディッシュのサッカー予選グループリーグ及び順位決定トーナメントによる交流試合(4日間で各国が計5試合)をこなす。朝から晩までチームに同行し、通訳のみならずスケジュール管理、各目的地への引率、観光案内等を行い、担当チームが円滑かつ快適にスケジュールをこなしながら日本滞在を楽しめるようにサポートをするのがリエゾンの仕事である。そしてチームの一日のスケジュール終了後は毎晩行われる大会本部との合同会議に参加し、翌日の打ち合わせと意見交換を行い――その後翌日の資料の翻訳、下準備等で睡眠時間は削りに削られ34時間眠ることができればまさに御の字。連日ハードスケジュールの体力勝負、そして日本側と参加国側の板挟みになりながらもへこたれない精神力がリエゾンには要求される。日程が進むにつれ日に日に憔悴していくリエゾンメンバーズの話を聞くと、それぞれの顕著なお国柄がときには日本側の悩みの種となることも少なくはないようである。十カ国揃えば十人十色、そう考えてみると、私が担当したベルリンチームは実にドイツ的で真面目で規則正しく、サポートする側としては助かった面も多々あったように思える。まとまりのあるチーム行動・常に時間厳守(510分前集合)・スケジュール厳守の姿勢は大会本部からも重宝された。しかしその分他人にも厳しく――練習後ホテルに帰るバスが一緒になったパリチームが集合時間に15分遅れてきたときは、ベルリンチームの首脳陣は怒り心頭で、バスの中でも不機嫌な表情を隠さなかった。また、スケジュールに関しては行動開始から終了・後片付けに至るまで分刻みで把握したがり、事あるごとにそれを訊ねてくることが初日の段階で把握できたので、その日の夜から毎晩、翌日の分刻みのスケジュールメモ/ドイツ語版を作り代表者に手渡すと、その都度本当に喜ばれた。それでも追加の予定が入ると「まて、トモ。今から逆算するから」そう言って前後の予定に必要な時間を計算してメモさせる徹底振り。そして他のチームをさらに驚かせたのはベルリンチームの「戦略会議好き」。毎朝朝食後に会議室を押さえて戦略会議。昼間練習や試合の合間も必ず戦略会議。夜、就寝前にも会議室を押さえて戦略会議。しまいにはJリーグの試合観戦のときですらハーフタイムにチームメンバーを集めて前半の試合内容を説明しながら観戦席で簡易戦略会議。若干14歳の選手たちに対する監督の熱いドイツ流サッカー教育に、ドイツ国技の強さの片鱗をみたような気がした。

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 そして全員が14歳、計16名の選手たちは練習や試合に対しては真摯な姿勢と表情を崩さなかったが、その他の時間は皆屈託無い笑顔で英語やジェスチャーを駆使して同年齢の他国の選手とも積極的に触れ合い、サッカーはもちろんのこと、心の底から異文化交流を楽しんでいたように思う。柴又の和菓子屋さんで体験させていただいた「練りきり作り」では、眼を輝かせながら職人さんの妙技に見入り、互いに競い合いながら可愛らしい練りきりを作っていた。しかし綺麗に出来上がった後は、「食べるのがもったいない」「ドイツに持って帰ってお母さんに見せる」等と言い、美味しいはずの練りきりはすっかり観賞用に。作る途中でつまみ食いをした餡子の独特の甘味は、若い彼らにはまだ不慣れなものだったらしい。

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交流試合の結果は以下のアドレスで確認ができる。
http://www.sports-tokyo.info/football-u14-2009/index.html

 ベルリンチームは予選試合の対北京戦でエースストライカーの
FWの選手が北京の選手と接触、転倒、救急車も出動し、病院で診てもらった結果、全治三ヶ月の骨折で無念の戦線離脱。主力を欠いたせいもあってか、前回優勝の成績には遠く及ばない結果となってしまったが、最終的に全試合のイエローカードの累計は参加チームの中で一番少なく、クリーンで良い試合内容を残せたことは首脳陣も誇らしげであった。
 帰国日は生憎の雨の中にも関わらず都庁から雨の東京を一望し、秋葉原と表参道を観光した後ドイツ大使館を訪問。その後成田空港からドイツへと飛び立って行った。
 
 「君がいてくれてよかった」―そんな言葉ととびきりの笑顔を残して、彼らは帰っていった。
16人の将来有望な選手たちも、円陣を組んで私のSpitznameを声高らかに叫び、別れを惜しんでくれた。
そしてこんな仕事の別れ際にはいつも思う―彼らの笑顔と思い出のお手伝いができて本当に良かったと。9日間という短い期間の小さな架け橋ではあったが、その経験から得たものは計り知れないほど大きい。
獨協大学で学んだことをこのような形で少しずつ少しずつ社会に還元し、いつか立派なBrückeになることができればと思う。

高坂朋子 大学院博士後期課程3年

インターウニに参加して・・・

 
 私は去年の春から獨協の大学院でドイツ語を勉強しています。その傍ら、社会人としても仕事に励んでいます。私とドイツ語との出会いは、実は大学を卒業してから数年後のこと。それまではまったくドイツ語とは無縁の世界にいましたが、旅行をきっかけにドイツ語を学びはじめ、ドイツとドイツ語の魅力に取り付かれ現在に至っています。 
 
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 そんな私が3月7日から11日までの5日間開催された、春のインターウニゼミナールに参加する機会をいただきました。インターウニとは、全国の大学からドイツ語を学ぶ学生が集まりドイツ語を学ぶために合宿を行うのですが、詳細についてはHPをご覧いただければお分かりいただけると思います。
http://www.interuni.jp/
 
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今回は様々な大学から集まった100人近い学生と、約20名のスタッフ(講師、ドイツ人研修生など)が、まだ雪の残る獨協大学の新甲子研修所に集まり、4泊5日を共に過ごしました。インターウニでの授業は大学のものとは異なり、それぞれの先生によって工夫されたおもしろい内容となっていますし、ドイツ人研修生も参加しますので、ドイツ語を話す機会もたくさんあります。そして何より、大学や学年の壁を越えていろいろな先生や学生と交流できるいい機会となります。今回、私も普段は会えないような先生の授業が受けられたり、その先生方とドイツに関する事から冗談に至るまでいろいろな話ができたり、さまざまな環境にいる学生の意見を聞くことができました。その結果「私も負けずにもっとドイツ語をがんばろう!」という気持ちで帰ってくることができ、参加してみてよかったなぁと実感しています。なお、獨協大からも何人か先生が参加されますので、普段とは違った先生の姿を目にすることができるかもしれません。

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 獨協の大学院には、特別入試制度や社会人入試制度などがあり、ドイツ語を学びたいという人には門が開けています。社会人と大学院生の二足の草鞋は楽ではありませんし、家族や職場の理解と協力が不可欠です。私もやっと1年目が終わったところで、これから学ばなければならないことが山積みです。それが楽しみでもあり、また怖くもあるのですが、たくさんの人に支えられて好きな事ができているのですから、感謝の気持ちとインターウニで芽生えたやる気を忘れず、今年も励んでいきたいと思っています。

大平葉子(大学院修士2年)

ドイツ語スピーチコンテストで最優秀賞!!


非営利株式会社ビック・エス・インターナショナルの主催するドイツ語スピーチコンテストで獨協大学の学生2名が最優秀賞をとりました。
http://www.bigs-i.com/speechcontest.html

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北澤郁子(ドイツ語学科3年)


 私がこの大会に出場するきっかけとなったのは、自分が2年生だった時に行われた獨協大学の天野杯です。私はここで頭が真っ白になってしまい、覚えたものもなかなか出てきませんでした。とても悔しかったので、その時、次に出場するときは満足のいくスピーチにしよう、と決心しました。
ビッグ・エス・インターナショナルが主催するスピーチコンテストを知ったのは3年の夏休み前でしたが、開催地が遠いということもあり、はじめは出場は考えませんでした。しかし考えようによっては、この遠い大阪での大会を目指せば、モチベーションも上がり、より本気で練習できるのでは?と考え、エントリーすることにしました。結果、ヴェルナー先生や伊藤先生のご指導のおかげもあり、無事予選もとおって、2年生のときの目標を果たすことが出来ました。大会ではいろいろな方々に会うことができ、得たものはとても大きかったです。出場者の熱心なスピーチを聞くと、自分はまだまだと改めて気付かされ、ドイツ語学習に対する意欲も高まりました。
最初から最後までたくさんの方々のお世話になり、とても感謝しています。これを機に、さらにドイツ語圏の言語や文化への知識を深めていけたら、と考えています。

甲藤史郎(大学院修士1年)


 20081025日は、私にたいへん栄誉な、そして埼玉と大阪を往復するという、とても中身の濃い一日でした。弁論で私が取り上げたテーマは、自分とドイツ語学習の結び付きについて。タイトルは「Deutschlernen ist mein Leben」としました。
 獨協大学のドイツ語学科を卒業後、今は大学院のドイツ語学専攻に在学しています。ドイツ語との付き合いはかれこれ
5年程。「そんなにドイツ語なんかしてどうするの?」という声が身近な人たちから聞こえてきます。学費を工面してくれている両親の苦言はもっともとして、確かに、多くの人にとって英語以外は就職活動でほとんど強みにもならないおまけなのかも知れません。しかしドイツ語は私に特別で、だからこの言語を中心に、自分の生涯のなかでたくさんのことを実現して行きたいと願っています。何よりも大切なのは、そのために行動すること。弁論でも、概ねこのようなことを話しました。
 また、日頃のドイツ語の頑張りを評価しようとしてくれる人たちも案外少なくありません。それは獨協の先生方だけではなく、私が出場した弁論大会を運営してくださった方々もそうです。せっかく学んだドイツ語を生かしたいとき、または試したいとき、こうしたチャンスがあれば、ぜひそれを利用してください。もちろん気落ちすることもありますが、行動することで、ドイツ語へ対する自分だけの特別が生まれるかも知れません。

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サッカーEURO 2008で!

サッカーEURO2008 ボランティアとして参加!
(安田ハイディ/独4年)

 4年に1度、ヨーロッパのサッカー チャンピオンを競う大会EURO2008 にボランティアとして参加しました。 勤務地はスイスの首都ベルンで、メディアの方々の手伝いをしました。スタジアム内のメディアセンターで記者席の割り当て、カメラマンのポジション決め、記者会見での手伝い等をしました。前日練習や前日記者会見もあるので、試合日だけでなく前日もスタジアムに入って 働かせてもらいました。これらの日々は私の楽しい宝物として心に残っています。 何しろ信じられない体験をしたのですから!当たり前のようにスタジアムに入って、目前で選手の練習模様を見る。国際大会ならではの想像もできないようなすごい歓声のど真ん中で、ヨーロッパ中の人と一緒にサッカーを楽しむ。とても貴重な経験でした。その中でボランティアの人々と友達になれただけでなく、日本人も含め、たくさんの国々のジャーナリズムと仲良くなれたこともいい経験であり、たくさんの事を学びました。夢のような日々でした。

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キャンプとビールとディルンドル(民族衣装)!


 ウィーンから西へ約120キロのところに、人口約6,000人のプルグシュタール市がある。市の中心にはドナウの支流であるエアラウフ川が流れ、周囲にはのどかな田園風景が広がっている。私はこの夏、自然いっぱいのこの町で、慣れないオーストリア訛りのドイツ語と奮闘することになった。

 
 きっかけは埼玉県蕨市の国際交流事業。蕨市は1979年からドイツ・ヘッセン州のリンデン市と友好関係にあり、以来すでに30年、両市の市民交流協会が中心となって相互訪問を続けている。さらに2000年からは、それぞれの姉妹都市や友好都市を交えてのキャンプによる青少年の交流に力を入れている。今年は、そのリンデン市の友好都市であるオーストリアのプルグシュタールが舞台となった。ドイツ語圏への派遣ということで、私は指導者兼通訳として同行することになったのである。

 今回の参加はドイツから2都市3団体、ポーランドから2都市、現地プルグシュタール、さらに日本の蕨市と計4カ国6都市7団体で、人数にして100名ほどがキャンプ場で寝食を共にすることになっていた。事前に知らされていたキャンプのモットーは「ハイキングパラダイス・オーストリア(Wanderbares Österreich)」。もちろん、その期待を裏切らないだけの自然がそこにはあった。

 ただし、期間中その自然を100%満喫できたわけではなかった。激しい雨のためにキャンプ場を引き上げ、寝泊りの場を消防署に移さなければならなかったし、ハイキングも一日は中止となった。それ自体はもちろん残念だったが、大きな建物の中で全員が一緒に寝泊りすることは、コミュニケーションという意味ではかえってよかったかもしれない。子どもたちは、わざわざ別のテントまで行って「あ~そ~ぼ」とする必要はなくなったし、大人たちも寝る直前までビールジョッキを傾けることができた。消防署の中で、いろんな人の行き交いを目にすることもできた。

 実際、町をあげてのバックアップの様子が見て取れた。主催する民間の消防団の人たちの中には、このキャンプのために1週間休暇を取ったという人もいたし、休暇を取らずととも毎日仕事の後に駆けつけてくれた人もいた。市長も何度か顔をだして私たちとビールを飲んでくださったし、女性の副市長は自らお手製のケーキを運んでくれた。ちなみにケーキは常に異なる種類のものが、いつでも食べられるように置いてあった。みんなで声をかけあって順番に焼いてきているらしかった。また、やはり女性の元副市長は、自分の娘が昔着たものだけど、といって民族衣装を持ってきてくださった。周りの「Anziehen! Anziehen!(着て!着て!)」という声に押されて着せていただいたところに、偶然地元紙の記者が居合わせてパシャリ。
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 プルグシュタール一家、とでも言いたくなるような和やかな雰囲気がそこにはあった。その一員になるには時間も少なかったし、言葉もビールも足りなかったな、と思う。けれど、たくさんの友人を得、再会を約束した。もちろん、今でもメールのやりとりをしている。

(前田直子 大学院博士後期課程3年)