Seminar Paper 2000

Hiroyoshi Katsuta

First Created on January 9, 2001
Last revised on January 9, 2001

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The Great Gatsbyの女性たち」
Power of Wemen

“Anything can happen now that we've slid over this bridge," I thought ; "anything at all...."”(p. 73) 何が起きてもおかしくない街ニューヨークに程近い“East Egg”(p. 10)と“West Egg”(p. 8)という2つの卵形の半島(“two unusual formations of land”(p. 9))が主な舞台となっているこの物語。そんな土地柄のせいか、大金持ちの家の娘にゴルフ選手、そして雑貨屋の妻と、個性的で多彩な女性が登場する。その女性はどのような観点から描かれ、どんな位置付けがされているのだろうか。GatsbyやNickが筆者Fitzgeraldの分身であることは言うまでもない。だから彼の女性観は、GatsbyやNickを通して多かれ少なかれ作品に反映されているはずである。登場する女性の多くに共通していること、外見や性格の描写から読み取れることからFitzgeraldの女性観も含め、この作品の女性観を考えてみたい。

最初にGatsbyの生き方からそれを考えてみる。彼は夜な夜な豪華な自宅で盛大なパーティーを開いた。そして単純にパーティーを楽しみたい人がそこにやってきて、酒を飲み、飯を食い、話をし、帰ってゆく。それはちょうど“men and girls came and went like moths”(p. 43)と例えられているようにはかないものだ。さらに、“Sometimes they came and went without having met Gatsby at all, came for the party with a simplicity of heart that was its own ticket of admission.”(p. 45)と書いてあるように、やってくる人々とGatsbyはたいして親しくはない。それどころかまったく面識がない場合が多い。なぜ彼はそんなパーティーを開くのか。しかし、彼には明確な目的があったのだ。それは他でもない愛するDaisyがいつか、パーティーに来るのを待っていたのだ。こんな豪華なパーティーはすべてDaisy一人のために開いていたのだ。

Gatsbyにとって、Daisyという女性は夢そのものであった。極端な話、DaisyがいなかったらGatsby は金持ちではなく、西部で農家をやっていたかもしれない。それはないかもしれないが、彼の人生はDaisyという存在から大きな影響を受けたことは確かだろう。彼は、Daisyと結婚をするために手段を選ばず金儲けをし、“Trimalchio”(p. 119) つまり“成り上がり者” になり、Daisyの家の近くに豪邸まで買った。Daisyのためにできることは全てやった。そして一度はDaisyとの愛をもう一度取り戻したかに見えた。しかし、すんでのところでその夢は手からすり抜け、最期はDaisyの罪をかぶる形で殺されてしまうという、悲劇的な結末に終わった。しかし、Daisyという一人の女性を愛し、ひたすら突き進み、貫き通した彼は、女性は人生すべてをかけるに値するものだと言っている気がする。

His heart beat faster and faster as Daisy's white face came up his own. He knew that when he kissed this girl, and forever wed his unutterable visions to her perishable breath, his mind would never romp again like the mind of God. So he waited, listening for a moment longer to the tuning fork that had been struck upon a star. Then he kissed her. At his lips' touch she blossomed for him like a flower and the incarnation was complete. (p. 117)

彼はこの瞬間に自分の夢をDaisyにしたのだ。それは、人間として根源的な、自然な最終目標であると思う。こんな話を聞いたことがある。“人間は元々は、ひとつのボールのような形で男女ひとつであった。それが二つに分かれ、男と女が生まれた。分かれてからというものお互いがお互いを探しあい続けるようになった。その片割れを見つけるために、人は生きているのだ。”と。いろいろなものがあふれる社会、特に大都市ニューヨークで仕事をするGatsby にとっては、Daisy の他にもたくさん人生を賭けられるものがあったに違いないが、このように人間の生きる目的というのを考えたときに、Gatsbyの決断は、とても自然なもので、また、とても自然な女性の見方であると思う。しかし、それをさせたのは、やはりDaisy の魅力であることは否めない。なぜなら彼は、女性をこのように思っていたからだ。

He knew women early and since they spoiled him he became contemptuous of them, of young virgins because they were ignorant, of the others because they were hysterical about things which in his overwhelming self-absorption he took for granted.(p. 104-105)

Daisyはこのどちらとも違ったか、これを上回る大きな魅力があったのだろう。しかし、ここに書いてある女性が男性を台無しにすると言う考えは、Fitzgeraldの経験からなのだろうか。私の経験ではまったくその逆で、女性は男性に自信を与え、すばらしい変化を与えると思うのだが。

次に、この作品に登場する女性に共通して感じたことについて考えてみる。それはずばり、みんな活発であるということだ。イメージとして、内に閉じこもるタイプではなく、感情を外に出すタイプの女性が多い。例えば、DaisyとTom が話をしているときは、大抵の場合DaisyはTomに対してけんか腰のような気がする。それはTomに対して不満を抱いているせいかもしれないが、言い合いでは決して負けてはいない。Tomが演出のためにベランダに蝋燭を置いたときも、“"Why candles?" objected Daisy frowning. She snapped them out with fingers.”(p. 16)のようにあからさまに嫌悪の念を示しているし、指のけががTomのせいだと言うときも、

"You did it, Tom," she said accusingly. "I know you didn't mean to but you did it. That's what I get for marrying a brute of a man, a great big hulking physical specimen of a-----""I hate that word hulking," objected Tom crossly, "even in kidding." "Hulking," insisted Daisy.(p. 16)

のように、神経を逆なでするようなことも平気で言っているのが見られる。Tomはかなりのやんちゃ者だし、ポロで鍛えているから力も強いだろうし、怒ると怖いと思うのだが、Daisyはそんなことを少しも恐れている様子はない。

そして、TomとDaisyにも言える事だが,主導権は女性が握っていると思われる夫婦が多く登場する。その最もよい例がWilsonとMyrtleであろう。Wilsonは、完全にMyrtleの尻に敷かれていて、“He was his wife's man and not his own.”(p. 144) などとまで言われている。また、Myrtleは“there was an immediately perceptible vitality about her as if the nerves of her body were continually smouldering.”(p. 30)とあるように、見てすぐわかるようなくらい活力に溢れていたようだ。

The reluctance to go home was not confined to wayward men. The hall was at present occupied by two deplorably sober men and their highly indignant wives. The wives were sympathizing with each other in slightly raised voices. "Whenever he sees I'm having a good time he wants to go home." " Never heard anything so selfish in my life." "We're always the first ones to leave." "So are we." "Well, we're almost the last tonight," said one of men sheepishly. "The orchestra left half an hour ago." In spite of the wives' agreement that such malevolence was beyond credibility the dispute ended in a short struggle and both wives were lifted kicking into the night. (p. 56-57)

この場面では、2人の妻が夫の不満を言い合っている。夫にはまったく口をはさませないような勢いで、夫はたじろぐばかりである。このような夫婦の描写を多く登場させているということから、当時のアメリカの女性は、意志や主張する力や根性など、体力的な部分以外で男性に比べて弱いことは決してないということを、筆者はひそかに主張しているのではないか。また、この女性の活力がこの物語を生き生きとさせているように思う。

そして、やはり筆者の女性観が直接出ているのはDaisyとJordan Bakerであると思う。この二人はこの話の主要な女性である。そして筆者の分身であるGatsbyとNickはそれぞれDaisyとJordan Bakerに好意を抱いていることから、筆者の理想像に近いと言える。そのせいか、外見を含めた具体的な特徴の記述が多い。まず、共通して言えることは、この二人の女性は上に述べたように、言いたいことは言うし、やりたいことはやる、とても活発であるということだ。

Sometimes she and Miss Baker talked at once, unobtrusively and with a bantering inconsequence that was never quite chatter, that was as cool as their white dresses and their impersonal eyes in the absence of all desire.(p. 16-17)

そしてこの文から分かるように、2人はいつもクールで、野暮ったくない。つまり都会的なのである。そしてお金持ちである。Daisyは、とにかく声も笑顔も“charming”(p. 13)である。Jordanは“She was slender, small breasted girl”(p. 15)で、“charming discontented face.”(p. 15)であった。2人とも、当時男性に人気のタイプで、最先端を行く女性であったようだ。筆者も実生活において、その美貌で有名だったZeldaと結婚している。やはり美しい人が好みなのだろうか。

このようにこの作品の中には、女性のさまざまな性質が描かれている。しかしそれは男性が上から見下ろすような描き方では決してなかった。むしろ女性のほうが活発にえがかれ、また、作品の中でも重要な役割を果たしているように思える。しかしやはり、Gatsbyの生き方に見られるように、男性にとって女性こそが全てというこの女性の見方が非常に印象的であった。男性を魅了する力、そしてあふれる活力、それは、いつの世も変わらず、いつまでも不滅なのである。


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