SP2000

Seminar Paper 2000

Yukiwo Sakamoto

First Created on January 9, 2001
Last revised on January 9, 2001

Back to: Seminar Paper Home

The Great Gatsbyの女性たち」
夢と現実の狭間で

    はじめに、私はこの物語に登場する女性たちに、怒りや反発の気持ちを抱くことが出来なかった。それは、私が同じ弱さやエゴを持っている女性であるからなのか、それとも同じ人間であるからなのか・・・。登場人物の表面的感情、欲求、行動の裏側にある夢への熱望と現実の壁。その中で、人は何を実現しようとするのか、また、実現することで何が見えてくるのか、夢は果たして形あるものになり得るのか。そんな疑問を掘り下げて、この物語を単なる恋愛小説で終わらせようとしなかったフィッツジェラルドの意志を汲み取ってみたいと感じた。

    この物語で特徴的なのは、主な登場人物がLong Islandという湾によってへだてられた、双子の巨大な玉子、East EggとWest Eggに住んでいることである。“green light ”が輝くEast Egg の先端にブキャナン夫妻のマンションがあり、真向かいのWest Egg の先端に、ギャッツビーの邸宅がある。つまり、デイジー、トム、ベイカーが東に、ギャッツビー、マートル、ニックが西に住んでいることとなる。その中で、デイジーとギャッツビー、トムとマートル、ベイカーとニックという皮肉にも東と西の住人による組み合わせ(玉子)が3つ生まれるのである。そして、どの恋も叶わないのである。この中の女性では、デイジーとベイカーがEast sideの女性、マートルがWest sideの女性となる。

    まず、East sideの女性であるデイジーとベイカーを分析したいと思う。

I looked back at my cousin who began to ask me questions in her low, thrilling voice.It was the kind of voice that the ear follows up and down as if each speech is an arrangement of notes that will never be played again.Her face was sad and lovely with bright things in it,bright eyes and a bright passionate mouth-----but there was an excitement in her voice that men who had cared for her found difficult to forget: a sining compulsion,a whispered " Listen ," a promise that she had done gay,exciting things just a while since and that there were gay, exciting things hovering in the next hour.(p. 13)

    デイジーの声はとても特徴的で、聞く者を魅惑せずにはおかない。語り手である冷静なニックでさえ、その声を決して忘れることが出来ないと述べている。そして、ギャッツビーはデイジーの声を"Her voice is full of money"(p,127)と称している。この時ニックは「金に満ちている」とデイジーに言う事を悪いことだと思ってためらったのに対し、ギャッツビーは、それを褒め言葉として使用している。そして、デイジーの現実的な恋愛に直面しつつも、ギャッツビーはなおも過去にしがみつきながら、その“money”の響きに魅了され続けるのである。つまり、この“money”がデイジーの特徴そのものであり、East Eggの象徴であったと言える。

    次に、ベイカーの特徴がよく表れている部分がある。 ニックが30歳をむかえた時、ギャッツビーとデイジーは過去に想いを寄せながら2人で車に乗り込んだ。その時ニックは自分の横にいたベイカーを以下のように述べている。

But there was jordan beside me who, unlike Daisy ,was too wise ever to carry well-fogotten dreams from age. As we passed over the dark bridge her wan face fell lazily against my coat's shoulder and the formidable stroke of thirty died away with the reassuring prssure of her hand.(p. 143)

    ここでニックは、綺麗に忘れ去られた夢を、年から年へと持ち続けてゆく愚かなギャッツビーやデイジーとは違うベイカーに無意識に安心感を覚えている。べイカーはニューヨークの上流階級の人間で上流社会人としての感覚と視点を備えており、ニックの西部的感覚や視点とは全く対照的である。そしてニックはそんなベイカーの青白くどことなく虚無的な魅力に惹かれたのである。ベイカーは、ギャッツビーやデイジーとは違い、過去にとらわれて夢を抱くことの恐さを知っている。夢を見て破壊することを恐れ、また、ニック同様、夢を抱くことに憧れを持っていると言える。

    East Sideの女性、デイジーとベイカーの共通点がよくあらわれている箇所がある。

"Sometimes she and Miss Baker talked at once,unobtrusively and with a batering inconsequence that was never quite chatter, that was as cool as their white dresses and their impersonal eyes in the absence of all desire."(p. 17)
彼女達はいつだって楽しそうにその場面を演じきろうとする。ちょっとわがままな上流階級の奥様を演じるデイジー、どんな時にも冷静で、なんでもクールにこなそうとするベイカー。彼女たちは現実の世界を一見、直視できているかのように振る舞っているが、実際は現実を恐れ、自分たちの幻想に基づく演技をしているにすぎないのだ。この“演技”は、East Eggの特徴である。演技にはつまらない感情はいらない。彼女たちはギャッツビーのように感情のままに生きることの恐さを知っているのだ。

    次に、West Sideの女性であるマートルについて分析をしたいと思う。

...the thickish figure of woman blocked out the light from office door. She was in the middle thirties, and faintly stout, but she carried her surplus flesh sensuously as some women can.Her face,above a spotted dress of dark blue crepe-de- chine,contained nofacet or glean of beauty but there was an immediately perceptible vitality about her as if the nerves of her body were continually smouldering.(p. 30)

    マートルの第一の特徴は、上のような身体的な魅力である。ここでの肉体的、官能的表現が示すように、マートルとトムの恋愛はまことに現実的である。これと対照的にギャッツビーはデイジーの“money”の響きのする声に魅了される。つまり、彼らの恋愛は非現実的、幻想的なロマンスと言える。

    もう一つのマートルの特徴は、彼女もギャッツビーと同じように、“money”の響き、East sideに淡い憧れを抱いていることである。マートルがトムとの出会いで、心を惹かれたのは、彼のフォーマルな服装であった。彼女は自分の夫が結婚式で着た洋服が借り物であったと分かった時、床に伏して大声で泣いた。つまり、彼女にとって服装は社会階級をしめすものであり、彼女は上流階級の生活を夢見ていたのである。

    次にEast sideと West side の女性の徹底的な違いについて述べてみたい。 デイジーもマートルも不倫をしているが、そこには大きな違いがある。デイジーやトムは不倫をしても離婚はしない仕組みになっているのだ。トムとデイジーにとって、不倫は個人的な問題だが、離婚は社会的な問題である。彼らにとっては、社会という現実が全てなのである。社会には夢など存在せず、ギャッツビーやマートルのひたむきな恋愛など無意味な事であったのだ。つまり、ギャッツビーやマートル、ニックはそれぞれ人間個人を象徴し、トムとデイジー、そしてベイカーは社会そのもの、即ち「世の中」を象徴している。それを示す以下のような箇所がある。

You said a bad driver was only safe until she met another bad driver? I met another bad driver, didn't I ? I mean it was careless of me to make such a wrong guess.I thought ou were rather an honest, straightforward person. I thought it was your secret pride.'(p.186)
ここでニックは、ベイカーの乱暴な運転で人が轢かれそうになったことで、彼女に注意をした。するとベイカーは相手が注意するから良いのだと言う。もし、彼女と同じくらい不注意な人にぶつかったらどうするのかと聞くと、そんなのにはぶつからない、と言った。彼女のこの高慢な態度が世の中をよく表している。長椅子に長々と寝そべるデイジーとベイカーの、あのけだるい世界が夢とか情熱を呑み込んでしまうのである。そして、いつしかニックはベイカーに幻滅していくのである。

    次に、夢と現実という対立の中での女性について述べてみたい。

“Suddenly with a strained sound Daisy bent her head into the shirts and began to cry stormily. "They're such beautiful shirts," she sobbed ,her voice muffled in the thick folds. "It makes me sad because I've never seen such---such beautiful shirts before."”(p. 98)
デイジーはギャッツビーと再会し彼の邸宅に案内され、その豪華さに感極まってなきだしてしまう。この瞬間ギャッツビーは“green light”の持つ巨大な意義が「永遠に消滅してしまった」と思った。つまり、夢の消滅である。彼はデイジーの声には“money”の響きしかこもっていないと知った。マートルのロマンチックな恋愛に対してデイジーの現実的な恋愛は対照的である。皮肉にも、ギャッツビーやマートルが夢を抱いている東部こそが現実的であったのである。そして、ギャッツビーやマートルによって示され、暗示されているように、夢と現実が交錯した場合、夢の現実化は当然、現実破壊の問題をもたらすのである。

    夢と現実・・・そして破壊。その様子が顕著に分かるのは、やはり、もう一人の女性らしさの象徴であるギャッツビーである。

“He wanted nothing less of Daisy than that she should go to Tom and say: "I never loved you"”(p. 116)
ここから、ギャッツビーの弱々しい女性的な印象を受ける。ギャツビーは本当にデイジーがトムの事を一度も愛したことが無いと思う自身が無いのである。だから嘘でもデイジーにこの言葉を言ってもらいたいのだろう。そして、このようなギャッツビーの夢は、やはり、現実によって打ち砕かれるのである。デイジーの
“'oh, you want too much!'she cried to Gatsby. 'I loved you now -----isn't tha enough? I can't help what's past.'She began sob helplessly.I did love him once ---but I loved you too.'(p.139)”
というこの言葉がすべてを物語っている。デイジーにとって、世の中は現実的でしかないのである。また、この部分から、ギャッツビーの夢や幻想というものが“past”、つまり過去から根づいていることが分かる。

    そこで、ギャッツビーの夢と過去との関わりについて述べてみたい。

“'You can't repeat the past.' 'can't repeat the past ?' he cried incredulously. 'why of course you can!'He looked around him wildly, as if the past were lirking here in the shadow of his house, just out of reach of his hand.(p.116)”
ここでのニックとギャッツビーのやり取りの中で分かるのはギャッツビーの異常とも思われる過去への執着である。デイジーとの過去の淡い想い出や夢をいつまでも引きずって、今でもその過去を繰り返せると固く信じているのである。けれども、現実には、デイジーのあの昔のういういしさや、華やかな胸躍る、そんな気配を漂わせる彼女のささやきも、すでに過去のものとなっている。彼女の声にはもはや愛情もなければ、弾んだ緊張感もない。あるのはただ“money”の響きだけだったのだ。
And as the moon rose higher the inessential houses began to melt away until gradually I became aware of the old island here that flowered once for Dutch sailors' eyes---a fresh, green breast of the new world.Its vanished trees, the trees that had made way for Gatsby's house, had once pandered inwhispers to the last and greatest of all human dreams;for a transitory enchanted moment man must have held his breath in the presence of this continent,compelled into an aesthetic contemplation he neither understood nor desired, face to face for the last time in history with something commensurate to his capacity for wonder.(p. 189)
ここにある、緑の胸=“green light”とは、つまりデイジーの象徴である。また、オランダ船の船員とはギャッツビーをイメージしていると捉えられる。ここで分かるのは、過去への夢想が現在のギャッツビーへの想像に関係したという事実である。オランダ人は人類最後、最大の夢を見たのだった。そしてギャッツビーはこの過去を再現出来ると信じた。かつてのデイジーとの愛はオランダ人にとっての大陸同然過去のものであった。そして、“green light”即ちデイジーを信じたギャッツビーは夢の世界に取り残されてしまったのである。彼はもはや夢の世界でしか存在しない。彼は、現実に背を向けて、アメリカン・ドリームに生きようとするしか術がなかったのである。

     おわりに、East Egg に住むデイジーとベイカー、そしてにWest Eggに住むマートルとギャッツビー。夢など見ずに、、現実的に生きようとするデイジーとベイカーなのだが、それは単なる感情を削ぎ落とした演技をすることにすぎなかった。彼女たちは、ギャッツビーやマートルなどより、もっと弱い心を持っていた。だからこそ、ギャッツビーのように傷つき、破壊することを恐れたのだろう。これに対し、マートルとギャッツビーは、アメリカン・ドリームを決して諦めることのない理想の追求者であった。彼らが求めたアメリカン・ドリームとは一体、どんなものであったのだろうか。色とりどりの綺麗なシャツ、夜な夜な繰り返される奇妙なパーティー、憧れの“money”の響きをした声・・・。マートルの死も、ギャッツビーの死も、そのアメリカン・ドリームの曖昧さ、脆さを象徴している。夢は夢のままであるべきで、それを実現しようとしても、あるのは現実という破壊だけなのかも知れない。


Back to: Seminar Paper Home