Seminar Paper 2000

Hiroko Tsukamoto

First Created on January 9, 2001
Last revised on January 9, 2001

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The Great GatsbyとAmerican Dream」
〜決して実現することのないGatsbyの夢〜

   "The Great Gatsby" は第一次世界大戦後のニューヨーク郊外を舞台に、一途にDaisyという夢を追い求めたGatsby の悲劇的な人生を描いた作品である。もとはノース・ダコタ州の百姓である親のもとに生まれ、後に悲劇的な最後を迎えるとしても巨大な富を得ることができた、成り上がり物Gatsby を主人公としているこの作品は、富と成功を夢見て新大陸にやってきたアメリカ人の夢American Dream を描いた作品であると言える。この小説の作者F.Scott.Fitzgerald 自身、1929年の大恐慌の後、崩壊の一途をたどっていくこととなるが、1920年代のアメリカの富と繁栄の時代に人気を集め、話題となるほどの妻ゼルダとの豪華絢爛な私生活を送っていたAmerican Dream を実現し得た人物のひとりである。そこで私は、この作品に見られるAmerican Dreamのモチーフ を分析し、また主人公Gatsby が実現しようとしたAmerican Dream の問題点をあげたいと思う。

Gatsbyが実現しようとしたAmerican Dreamの問題点は、2つあげることができる、と私は考える。1つは、Gatsbyの夢というのは「金」、「名声」を得ることではなく、Daisyという1人の女性であったこと。もう1つは、Daisyは過去に逃してしまった夢であり、Gatsbyはもうつかむことのできないすでに後ろにあるものを追いつづけていたことである。    まず第1の点について。American Dreamと聞いて思いつく言葉といえば、「一獲千金」「億万長者」などがあげられる。巨大な富、金を得ることが人々の夢であり、その夢をかなえてくれる土地としてアメリカ東部がある。"Instead of being the warm center of the world the middle-west now seemed like the ragged edge of the universe─so I decided to go east and learn the bond business."(p.7)とあるように、この小説の語り手、"I"と称するNick Carrawayもそんな東部へ憧れを抱き、田舎の中西部からでてきた。そうしてNickは東部での生活ぶりを経験していく。第一章後半で、Nickはイースト・エッグにあるTomとDaisyの家で食事をともにする。TomとDaisyは生まれながらにしての金持ちであり、その二人の住む家は本文のなかにあるように、まさしく豪邸である。

"Sometimes she and Miss Baker talked at once, unobtrusively and with a bantering inconsequence that was never quite chatter, that was as cool as their white dresses and their impersonal eyes in the absence of all desire. They knew that presently dinner would be over and a little later the evening too would be over and casually put away. " (p.17)
 

食事の場で交わされるのはとりとめのない軽口だけであり、うわべだけのその場しのぎ。Nickはここで自分の出てきた田舎の中西部と文明社会の東部の違いを感じ、自分の前にある、西部と東部との壁を感じる。この壁をNickはその後も取り除くことはできなかった。 こうして金持ち夫妻の生活、Gatsbyの邸宅で行われていたパーティーに参加し、東部の生活を経験していくことによって、Nickは外面的には豪華に見える「金」や「富」にあふれた生活の裏側にある、人々の空虚な関係と腐敗に気付いていく。かつて憧れていた東部は、しだいに嫌悪、軽蔑すべきものに変わっていくのだ。

"Even when the East excited me most, even when I was most keenly aware of its superiority to the bored, sprawling, swollen towns beyond the Ohio, with their interminable inquisitions which spared only the children and the very old─even then it had always for me a quality of distortion. West Egg especially still figures in my more fantastic dreams. I see it as a night scene by El Greco: a hundred houses, at once conventional and grotesque, crouching under a sullen, overhanging sky and a lusterless moon. In the foreground four solemn men in dress suits are walking along the sidewalk with a stretcher on which lies a drunken woman in a white evening dress. Her hand, which dangles over the side, sparkles cold with jewels. Gravely the men turn in at a house─the wrong house. But no one knows the woman's mane, and no one cares." (p.185)

こうして、Nickはこのゆがんだ町を去り、故郷の中西部へ再びもどることになる。つまり、Nickが嫌悪感を抱いた、東部社会においては、「金」「名誉」その他、空虚な裏側にある生活をとりまく豪勢な生活そのものに価値を見出せないない限り、満たされた生活を送ることはできない。

He knew that when he kissed this girl and forever wed his unutterable visions to her perishable breath, his mind would never romp again like the mind of God. So he waited, listening for a moment longer to the tuning fork that had been struck upon a star. Then he kissed her. At his lips' touch she blossomed for him like a flower and the incarnation was complete.(p.117)

Gatsbyの抱く夢が具象化されたDaisyという存在。彼女は"the golden girl.."(p.127)であり、"gleaming like silver, safe and proud above the hot struggles of the poor."(p.157)な存在である。Daisyと同じ身分を得て、その本人を手に入れるため、Gatsbyはお金持ちになることに必死になっていく。ようするにGatsbyにとって豪華な家を構え、毎週のように盛大なパーティーを開くことは夢の目的ではなく、目的達成のための手段でしかったのだ。 Gatsbyにとって、Daisyという目的を失ってしまえば、その手段にすぎなかった「金」「名誉」などの巨大な富、それによって得られる豪華絢爛な生活は何の価値も意味ももたないのだ。よって他の人々がAmerican Dreamを夢見て訪れる東部社会はGatsbyのAmerican Dreamを実現できる場所とはいえない。

次に、もう1つの点について考えてみたいと思う。

"And as I sat there, brooding on the old unknown world, I thought of Gatsby's wonder when he first picked out the green light at the end of Daisy's dock. He had come a long way to this blue lawn and his dram must have seemed so close that he could hardly fail to grasp it. He did not know that it was already behind him, somewhere back in that vast obscurity beyond the city, where the dark fields of the republic rolled on under the night." (p.189)

 Gatsbyは対岸の"the green light"を眺めながら、彼の夢がこの"the green light"のように常に身近にあり手を伸ばせば必ずつかめるものと信じて疑わなかった。しかし、実際Daisyは過去に失った恋人であり決して戻ることのできない過去にある夢だったのだ。     1951年に編集された作品集{「偉大なギャッツビー」と「最後の大君」の2編}の「偉大なギャッツビー」への献辞として、次のような詩がある。  

さあ 金色の帽子をかぶり給え、それで彼女の心が動くのならば。  高く跳ぶことができるなら、彼女のために跳び給え、  「いとしい人、金の帽子をかぶって高く跳ぶ恋人よ、もうあなたを離しやしない!」  と彼女が叫ぶまで。
 
                  トーマス・パーク・ダンヴィリエ

この詩の言葉をかりて言うならば、「彼女」のその「叫び」を聞くために、Gatsbyは「金色の帽子」をかぶって高く高くはね跳んだ。しかしそう叫んでくれるはずの「彼女」(Daisy)はその時すでに遠くにいってしまっていてその場にいなかった。それに気付かず上だけを見て高く跳びすぎたGatsbyは彼女の姿がないことに気付いた瞬間、「金色の帽子」も無意味なものとなり、地上に急速に落下してしまうしかなかった。そして落ちた衝撃でGatsbyは粉々に砕け散ってしまったのだ。

   以上、Gatsbyの夢はDaisyという1人の人間であって、他の人々が求めていた夢である巨大な富はDaisyを得るための手段でしかなかったこと、その巨大な富に価値や意味を与えてくれるDaisyという夢はすでに過去にあるものであり、はじめから手にはいらないものであったことがGatsbyのAmerican Dreamの問題点であったと結論づける。


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