Seminar Paper 2001

Yuki Mori

First Created on January 8, 2002
Last revised on January 8, 2002

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「ホールデンと赤いハンチング帽」
ホールデンの戦い

   The Catcher in the Rye は、1950年代の若者たちの、大人になることに対する葛藤をテーマに描かれた作品である。その中で、ホールデンが被っていた赤いハンチング帽は、様々な役割を果たしている。  

   1950年代のアメリカは、第二次世界大戦中に支援した連合国からの債務が流れ込み、物質的に豊かであった。しかし、そのような中で、若者たちの間では、物質的に満たされていても、精神的には満足できず、大人の社会に対する疑問をもっている人たちが多く、若者と両親との間にジェネレーションギャップが生まれた。ホールデンも大人の社会に対し、不満を持っている若者の一人であり、いんちきな世界を嫌い、変化しない物を好む。彼は、この物語を通して、赤いハンチング帽を被りphonyなものと戦っていくのである。

   ホールデンは、この物語のキーワードである赤いハンチング帽について、アクリーと次のような会話をしている。

‘Up home we wear a hat like that to shoot deer in, for Chrissake,’he said. ‘That's a deer shooting hat.’  ‘Like hell it is.’I took it off and looked at it. I sort of closed one eye, like I was taking aim at it.‘This is a people shooting hat,’I said.‘I shoot people in this hat.’(p. 19)
この会話は、物語の中で、赤いハンチング帽が人間刈りのために使われるということ、つまり、ホールデンが赤いハンチング帽を被り、phonyな人たちを刈っていくということを示している。

   また、"The way I wore it, I swung the old peak way around to the back - very corny, I'll admit, but I like it that way."(p. 15) で、ホールデンは赤いハンチング帽をひさしを後ろにして被る事が好きだと言っている。これは、野球のキャッチャーの帽子の被り方を意識しているのである。それは、ホールデンが自分がやりたい事をフィービーに語っている会話からもわかる。

"I keep picturing all these little kids playing some game in this big field of rye and all. Thousands of little kids, and nobody's around - nobody big, I mean - except me. And I'm standing on the edge of some crazy cliff. What I have to do, I have to catch everybody if they start to go over the cliff - I mean if they're running and they don't look where they're going I have to come out from somewhere and catch them. That's all I'd do all day. I'd just be the catcher in the rye and all. I know it's crazy, but that's the only thing I'd really like to be. I know it's crazy."(p. 156)
この様な帽子の被り方や、フィービーに語っている事からわかるように、ホールデンは、純粋で無垢な子供たちが、崖から落ちて大人の世界に入ってしまう事をくいとめるライ麦畑のキャッチャーになるために、赤いハンチング帽を被るのである。ここで忘れてはならないのが、ホールデンはキャッチャーとしてフィールドの端に立っている事だ。つまり、ホールデンは、子供のinnocentな世界を愛しながらも、大人のphonyな世界も知っている、子供と大人の間の崖っ淵にいるのである。

   また、ここで思い出すシーンがある。それは、ストラドレーターに頼まれてホールデンが作文を書いているシーンだ。ホールデンはアリーの野球のミットを描写していた。このことから、アリーもまた、野球をやっていた事がわかる。  次に、赤いハンチング帽はなぜ赤でなければならないかを考えてみる。ホールデンは、亡くなった弟アリーについて次のように語っている。

I remember once, the summer I was around twelve, teeing off and all, and having a hunch that if I turned around all of a sudden, I'd see Allie. So I did, and sure enough, he was sitting on his bike outside the fence - there was this fence that went all around the course - and he was sitting there, about a hundred and fifty yards behind me, watching me tee off. That's the kind of red hair he had. God, he was a nice kid, though. (p. 33)

   そして、フィービーについては、“But you ought to see old Phoebe. She has this sort of red hair, a little bit like Allie's was, that's very short in the summertime.”(p. 60)と言っている。この物語の中で、アリーとフィービーは純粋無垢な子供の代表であり、phonyな世界を嫌うホールデンの心の支えでもあった。その二人の外見上の共通点が赤毛である。つまり、この物語の中での「赤毛」は、innocenceを象徴しているといえる。ホールデンは赤いハンチング帽をかぶる事で、純粋無垢なアリーやフィービーの仲間になろうとしているのである。

   また、ここで見落としてはいけないことが一つある。それは、ホールデンがアリーについて語っていたところで、アリーがゴルフ場のフェンスの外側にいるということだ。そして、ホールデンも、赤いハンチング帽を買った時、フェンシングからはじき出されて外側にいた。ホールデンはいつでも、大人の社会を知らず、純粋無垢のまま亡くなってしまった、変わることのないアリーにあこがれ、アリーと同化しようとしていたのである。そのために、ハンチング帽を野球のキャッチャーのように被り、そしてアリーの髪の毛の色と同じ頭になれるように赤を選んだのである。

   ホールデンがそこまでアリーと同化しようとしているのは、アリーを、自分をphonyなものから守ってくれる守護神のように思っているからではないか。それは五番街を歩いている時に、ホールデンは自分が下へ下へと沈み、消えてしまう気がして、アリーに助けを求めていている所からもわかる。

Every time I'd get to the end of a block I'd make believe I was talking to my brother Allie. I'd say to him, ' Allie, don't let me disappear. Allie, don't let me disappear. Allie, don't let me disappear. Please, Allie.' And then when I'd reach the other side of the street without disappearing, I'd thank him.(p.178)
ここでの、下へ下へと沈んで消えるというのは、大人の世界に沈んでしまうということを示しており、ホールデンは、大人にならないように、アリーに頼んでいる。

   また、ホールデンは“After he left, I put on my pajamas and bathrobe and my old hunting hat, and started writing the composition.”(p. 33) や、“I put on my red hunting hat on, and turned the peak around to the back, the way I liked it, and then I yelled at the top of my goddam voice, 'sleep tight, ya morons! ' ”(p. 46)でわかるように、自分に勇気ややる気をもたせる時に、赤いハンチング帽をかぶる。これは、守護神であるアリーと同化することで、勇気ややる気を奮い立たせているのである。

   ホールデンは物語の前半で、phonyと懸命に戦っているが、そんなホールデンも物語が進むにつれて、段々と大人の仲間に入っていく。フィービーに会いに行き、話をしていた時、フィービーは自分で熱を上げる事ができると言った。その時、ホールデンはまいったと言っている。ホールデンは妹のフィービーについて、幼いと思ったに違いない。つまり、ホールデンは大人になってきているということだ。そして、“Then I took my hunting hat out of my coat and gave it to her.”(p. 162)このシーンでホールデンは今までずっと大切にしてきた赤いハンチング帽をついに、妹のフィービーにあげてしまう。ホールデンは「ライ麦畑のキャッチャー」の役を妹のフィービーに任せてしまうのである。これは、「キャッチャー」の反転を表す。そのことを裏付ける文がある。ハンチング帽をフィービーにあげた後、出て行こうとするホールデンが、

“It was helluva lot easier getting out of the house than it was getting in,for some reason. For one thing, I didn't give much of a damn any more if they caught me. I figured if they caught me, they caught me. I almost wished they did, in a way.”
と言っている。ホールデンは捕まえる側から、捕まえられる側に反転したのだ。

   また、ハンチング帽をあげてしまった後のホールデンは、フィービーの学校の壁の'Fuck you'という落書きを見つけ、一生懸命に消そうとした。しかし、ホールデンは消す事が出来なかった。この事から、ホールデンはphonyとの戦いには勝つ事ができない事と、子供はいつか大人になってしまうという事に気づいた。

When I was coming out of the can, right before I got to the door, I sort of passed out, I was lucky, though. I mean I could've killed myself when I hit the floor, but all I did was sort of land on my side. It was a funny thing, though. I felt better after I passed out. My arm sort of hurt, from where I fell, but I didn't feel so damn dizzy any more.(p. 184)
ここで、ホールデンは転び、大人の世界へと落ちていくのである。そこで、ホールデンを救いに来たのは、赤いハンチング帽を被り、以前のホールデンになりきっているフィービーである。しかし、そのフィービーの姿を見てホールデンは、“she had my crazy hunting hat on.”(p. 185)と言っている。ホールデンは少しずつ、自分が大人の世界に入りつつある事を認識し始めた。  

   また、物語の終わりで、ホールデンがフィービーを回転木馬に乗せてあげるため、公園に行った時、突然に雨が降ってきた。フィービーは、ホールデンのポケットの中からハンチング帽を出し、ホールデンに被せた。これは、雨からホールデンを守ると同時に、ハンチング帽を渡され、innocenceを守る神となったフィービーが、大人になってしまいそうなホールデンを守る事をも意味している。しかし、ホールデンは、“My hunting hat really gave me quite a lot of protection, in a way, but I got soaked anyway.”(p. 191)と言っている。ここでホールデンは、雨に浸かってしまった。つまり、大人の社会に入ってしまったのである。  

   The Catcher in the Ryeの中での、赤いハンチング帽は、“innocence”を守る物であった。そして、それはいつしか自分には必要なくなってしまい、次の子に渡され続けるのである。この物語は、子供が大人へと落ちていく過程での、悩みや葛藤をテーマに描かれた作品である。


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