Seminar Paper 2002

Ayako Okane

First Created on January 29, 2003
Last revised on January 29, 2003

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Adventures of Huckleberry Finn と人種差別問題」
〜家族愛と人間愛〜

    「ハックルベリーフィンの冒険」の中で見られる人種差別問題や作者の黒人感というのは、この話の至る所に見ることが出来ると思う。“Well he was right ; he was most always right ; he had an uncommon level head, for a nigger.”(p. 84)とあるが、ここは、ハックがジムの言っていることは正しいと思っていて、そんなジムは黒人にしてはいい頭を持っている、と明らかに人種差別的な要素を持っている様に思われる。しかし、ここでは、この時代における、白人のほうが黒人より優れているという風潮を作者がハックの言葉を使って否定しているのではないかと考えられる。この言葉の中には、白人と黒人のどちらのほうが頭がいいなんてことはナンセンスだというメッセージが込められているのだと思う。また、同じ章に出てくるソロモンが子供を二つにちょん切ったという話の中で、ジムは“De 'spute warn't 'bout a half a chile, de 'spute was 'bout a whole chile ; ”(p.86)と言っており、ここからジムの子供に対する優しさが感じられる。

    ジムの子供に対する優しさは23章でも多く見られる。“I went to sleep, and Jim didn't call me when it was my turn. He often done that. ”(p.170)この場面は、ジムがハックの見張りの番になってもハックを起こさずに、代わりに見張りをしてくれているところで、しかもたびたびそのようにしてくれるということである。ここから、ジムのハックに対する優しさを感じることができ、また父親のような気持ちさえ抱いているのではと考えられる。この章ではジムが家族のことを思って悲しんでいる場面であって、そんなジムを見て、ハックは“I do believe he cared just as much for his people as white folks does for their'n. ”(p.170)と思っている。白人も黒人も家族を思う心は一緒であるとハックは信じており、これは作者も信じているのだろう。

 I do believe he cared just as much for his people as white folks does for their'n. It don't seem natural, but I reckon it's so. He was often moaning and mourning that way, nights, when he judged I was asleep , and saying, 'Po' little 'Lizabeth! Po' little Johnny! Its mighty hard; I spec' I ain't ever gwyne to see you no mo' !' He was a mighty good nigger, Jim was. (pp.170-71)
この時代において、黒人は人間としての扱いをされていなかった。この場面で作者はジムが家族のことを思っているということを書くことで、この時代における、黒人が家族愛をもつなんておかしい、という考えを思い出させ、その考えをジムの強い家族愛を描くことで批判しているのだと思われる。

    28章では、メアリが英国へ行く支度をしながら泣いている場面がある。   But she had stopped now, with a folded gown in her lap, and had her face in her hands, crying. (p.204)
 So she done it. And it was the niggers - I just expected it. She said the beautiful trip to England was most about spoiled for her; she didn't know how she was ever going to be happy there, knowing the mother and the children warn't ever going to see each other no more - and then busted out bitterer than ever, and flung up her hands, and says:
'Oh, dear, dear, to think they ain't ever going to see each other any more!' (p.204)     メアリは黒人たちが売られてしまい、母と子がバラバラになってしまったのを嘆き、悲しんでいるのである。彼女は黒人のことを白人(自分たち)と同様に考えており家族がバラバラになり、二度と会えなくなるのは誰にとっても辛いことであると考えている。ここでも作者は、黒人の家族愛というものが白人と同様に存在している、ということを主張しているのだと思う。

    次にこの時代の白人社会を象徴している場面を見てみる。32章でハックがトムのふりをしてサリーおばさんに話をしている場面である。“ 'No' m. Killed a nigger.' 'Well, it's lucky; ”(p.243) ハックは船のシリンダーヘッドが破裂したとデタラメを話し、黒人が一人死んだと言っている。人が一人死んだというのにもかかわらず、サリーおばさんは、それは良かったと言っている。普通に考えれば、人が一人死ぬことは決してよいことではないはずだ。これは、nigger はpeopleではない、黒人を人間とも思っていなかった、この時代の南部における黒人差別を非常によく現している。そして作者はその現実をこのようにリアルに描くことで皮肉っているのだ。

    白人社会に対する作者の皮肉は34章の後半にも見ることが出来る。フェルプス家の黒人とトムが話している場面で、その黒人は魔女がいると信じており、それをサイラスおじさんは信じてくれず、今ここにサイラスおじさんがいてくれたらよかったのにと言っているところである。“people dat's sot, stays sot;”(p.260)この黒人は白人であるサイラスおじさんを批判しており、そういう人間は自分たち黒人のことを信用してないと言っている。これも作者が小説の中の黒人にこのようなことを言わせて、暗に白人を批判しているように考えられる。

    35章においては、トムがジムを助け出す計画をハックに話している場面である。ここでは、ジムを助けるということよりも、計画を難しくし、アドベンチャーの物語性を重視しているトムと、ただ、心からジムを助け出したいを思っているハックとの違いがよく表れている。この章において、トムを登場させた意図、役割が見えてくるようだ。それは、トムというのは、ハックほどジムを人間としては扱っていないようであり、自分の楽しみのためにジムを助ける計画をしている。作者はトムにこのような役割を与え、南部の白人優位主義の代表にさせ、暗に批判しているのである。また、このようなトムを登場させることで、南部の問題を批判すると同時に、ばかばかしい計画で、その批判を少し薄めて表現している。これは白人にも受け入れられるようにだと考えられる。ここで出てくるトムの計画というのは、実にナンセンスであり、誰もがハックに賛成であるだろう。よって、トムのほうが批判的な目で見られるように描くことで、同時にトムが象徴している白人優位主義社会も批判しているのである。 36章でも同じようなことが見られる。
 Tom was in high spirits. He said it was the best fun he ever had in his life, and the most intellectural; and said if he only could see his way to it we would keep it up all the rest of our lives and leave Jim to our children to get out; for he believed Jim would come to like it better and better the more he got used to it. He said that in that way it could be strung out to as much as eighty year, and would be the best time on record. And he said it would make us all celebrated that had hand in it. (pp.273-74)
トムはジムを助け出すことは子供たちに任せ、自分はずっとこの楽しい仕事を続け、有名になるなどと、黒人を自由にするのはまだ後でいいという様な発言をしている。これも白人優位主義をトムは支持しているように感じられ、それを批判的に見せるように作者が意図して書いたものであると考えられる。

    38章においても、トムの黒人に対する言動によって作者の人種差別問題に対する思いが表現されている。p.285からp.286にかけて、丸砥石を運び出す場面があるが、ジム(黒人)を働かせて、トム(白人)は監督していればよいというトムの黒人感が表れており、これも作者の社会に対する批判であるように取ることが出来る。同じくこの章の最後のパラグラフにおいてジムがトムの言っていることを非難している場面がある。だが、最後にはジムのほうが折れてしまう。これは作者が、トムの言うことを聞いてあげるジムの優しさを強調し、読者に対してトムの考えは理不尽である、とトムに対してbadなイメージを持たせようとしているのである。そうすることで、さらにまた白人優位主義への批判になっている。

    40章ではトムが怪我をしてしまう場面がある。
 Well, den, dis is de way it look to me, Huck. Ef it wuz him dat 'uz bein' sot free, en one er de boys wuz to git shot, would he say, ' Go on en save me, nemmine 'bout a dobtor f't to save dis one?' Is dat like Mars Tom Sawyer? Would he say dat? You bet he wouldn't! Well, den, is Jim gwyne to say it? No, sah - I doan' budge a step out'n dis place, 'bout a doctor; not if it's forty year!'  (p.301)
ジムは自分が逃げることよりもトムを助けるために医者を呼ぶと言っている。子供に対する優しさがここでも表れている。先に述べたように、黒人であるジムをこのように優しい人間に描くことで、黒人も白人も関係ない同じ人間なんだという作者の思いが込められている。

    そして、このセリフのすぐ後に“I knowed he was white inside, ”(p.301)とあるが、これはハックの思いである。ハックは、白人優位主義社会の時代の少年であり、そのこともよく知っているが、ジムは黒人なのに優しくトムを助けると言ったので、ハックは黒人と白人にはそれほど違いがないのではと、考え始めている。ハックは白人優位主義を当たり前とは思っていなくて、このような考えが世の中を占めていることも知っているが、疑問を持っている立場だということがこのセリフからわかる。これは作者がハックにこのような疑問を持たせ、人間は皆一緒だということをハックを通して読者に伝えようとしたのだと考えられる。

    42章ではジムが捕えられ、人々に手荒な扱いをされている。だが、トムの手当てをした老人の医者はジムがよく手伝ってくれたとジムをほめており、ジムをかばっている場面がある。この医者のジムを擁護するセリフは約2ページにも渡っており、作者はジムという黒人を賞賛させることで、黒人に対するイメージを変え、人種差別への批判をしているのである。

    以上に述べてきたように、作者はジムという黒人を家族愛があり、優しい人間に描いており、この時代の黒人のイメージとは全く異なった黒人(ジム)を登場させている。そして、ハックにおいてもジムや他の黒人に対する態度をこの時代の白人とは別のものにし、疑問を持った立場にさせることで、作者の人種差別に対する批判を代弁させているように考えられる。また、トムを登場させ、そのトムに白人優位主義的な考えを持った人物を演じさせ、そのトムを読者が嫌悪感を持つように話を持っていくことで、自分のその主義に対する疑問を主張しているように考えられる。

    よって、結論付けると、作者トゥエインは、人種差別主義者ではなく、黒人も、家族愛や人間愛を持った同じ人間であるということをこの作品を通して主張したかったのだと思う。


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