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Seminar Paper 2002

Takafumi Yamada

First Created on January 29, 2003
Last revised on January 29, 2003

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「Adventures of Huckleberry Finnと人種差別問題」
〜黒人も白人も変わらない〜

   Adventures of Huckleberry Finnは、白人ハックと黒人ジムが、お互い異なる人種でありながら、協力し、自由を手に入れるためにイリノイ州を目指す冒険物語である。私はこの物語の中で、白人と黒人が交流する場面が多々あることから、当時問題とされていた人種差別問題を問題提起とした、マーク・トウェインの意図が伺えると思う。この物語が書かれた1980年代に奴隷解放宣言が発令された。しかし、当時の社会には、まだ白人は黒人よりも優れているという白人優位主義社会であったということは言うまでもない。このような社会体制が定着していた中、作者であるマーク・トウェインは、この物語を通して読者に何を伝えたかったのか、又、作者自身は人種差別主義者であるかを以下考えてみたいと思う。

   この物語の中で、ハックの行動は明快である。それは文明を捨ててミシシッピ河に行くことである。トウェインにとって、ミシシッピは自分の故郷であって「世界」そのものであった。実際にもトウェインはミシシッピ河畔のハンニバルに育って、12歳で父親を失い、学校を途中放棄したのちは印刷工となって各地を転々として、ブラジルが理想の世界だと聞いてそこに行きたくなり、河口都市ニューオリンズまで出るものの、そこにはブラジル行きの船がないことを知って、結局ミシシッピの水先案内人になったのである。

   ハックが選んだのは、そのミシシッピなのである。そこは「大人世界」より大きい「少年世界」であるはずだった。しかし、ハックが入ったミシシッピには、意外にもたくさんの人間がいた。異界ではなかった。それどころか忌まわしい人間関係が乱打されていた。しかも、そこでハックが宿命的に出会ったのは黒人奴隷のジムだったのである。南部地区に体ごと売られそうになって、哀しそうにするジムを通して、ハックはミシシッピまでもがcivilizeされている事を知る。こうしてハックは何かの「開け」を求めてミシシッピを筏で下っていく。それは、civilizeされていないnatureの世界を見つけるためであった。途中、大暴風雨やら奴隷探索隊の追及やら、川沿いの町での殺人事件やら南部の名家のいがみあいやらに巻き込まれていくが、ハックはこれらをすべて乗り切っていくうちに、何か別の感動に出会っていることに気がついた。冒険だけでは得られないあるものに心を動かされてしまったのである。 それは、家畜同然とみなされていた黒人奴隷ジムが何度か見せた深い人間の味というものだった。

   まず初めにジムが見せた愛情深い場面は、ハックが筏に戻る場面の事である。

"Goodness gracious, is dat you, Huck? En you ain' dead-you ain'drownded-you's back again? It's too good for true, honey, it's too good for true. Lemme look at you, chile, lemme feel o'you. No, you ain'dead! " (p. 92)

   ジムはハックが水死してしまったと思い込んでいたが、ハックがそこに現れ嬉しさと喜びをこのように表現した。ジムはハックに対して強い信頼関係があり、かけがえのない親友となっていたのである。この場面から黒人ジムの愛情深い人間性が伺える。

   次にジムが愛情深い表現を見せた場面は、ハックが見張りの番になった時の事である。"I went to sleep, and Jim these didn't call me when it was my turn. He often done that." (p. 170) 見張りの番がハックになってもハックが寝ている場合、ジムは起こさず変わりに見張りを続けてくれていたのである。ここでもジムの温かい人間性が伺えると思う。またその後、ジムはホームシックにかかってしまう。そこでハックは次のように語った。"I do believe he cared just as much for his people as white folks does for theirn. It don't seem natural, but I reckon it's so."(p. 170)ここでハックは、白人も黒人も家族を思う気持ちは同じであると気づいた。黒人であるジムにも白人と同様な心情を持っているのではないかと考え始めたのである。

   そして31章では、ハックは王様に売られてしまったジムを再び取り戻したいという気持ちと黒人奴隷を助けるという当時の社会通念とは全く反したcivilizeされた考えと葛藤する事になる。

   ここでハックは、良心とは一体どういう物なのかと考え始める。

"That's just the way: a person does a low down thing, and then he don't want to take no this consequence of it. Thinks as long as he can hide it, it ain't no disgrace.That was my fix exactly.The more studied about this, the more my conscience went to grinding me, and the more wicked and low-down and ornery I got to feeling."(p. 233)

   ハックにおける「良心」という考え方は、他人の中で生きていくうえで必要なものであり、時に他人によく思われたいという気持ちを生む物であると考えていた。それは、神や、一般の人々、社会(civilizedされた人達、majority)が決めた定義であり、自己内に存在するものではないと考えていた。彼にとって良心とはcivilizedされた他人が作った道徳のようなものであったのだ。しかし、ここでハックは自分に対しての本物の良心とは一体どういうものなのかと自分に問い始めた。

   そこでハックは「祈り」という行為をした。ハックにとって「祈り」とは重要な行為であった。

"And I about made up my mind to pray; and see if I couldn't try to quit being the kind of a boy I was, and be better. So I kneeled down. But words wouldn't come.why wouldn't they? It warn't no use to try and hide it from Him."(p. 234)

   信仰的な面を持っているハックにとって「祈る」という行為に嘘をつくことはできなかった。今までの罪を洗い流して、自分が地獄に行かないようにするためのお祈りはもちろん精神的に楽にさせるためのものであった。しかし、ここではそれがうまくいかないということは彼が自分の意思に背く事はできない事を示している。ここで言う「祈る」という行為はcivilizedされたmajorityの世界から離脱しても、ジムを救うためにはcivilizeされた良心ではなく、natureの良心に従う事を示している。

   そして、ハックは次の場面で自分の気持ちを整理し、強く決意する事となる。

"All right, then, I'll go to hell"-and tore it up. It was awful thoughts, and awful words, but they was said. And I let them stay said; and never thought no more about reforming. I shoved the whole thing out of my head; and said I would take up wickedness again, which was in my line, being brung up to it, and the other warn't. And for a starter, I would go to work and steal Jim out of slavery again, and I could think up anything worse, I would do that, too, because as long as I was in, and in for good, I might as well go the whole hog." (p. 235)

   ハックは、ジムとの旅の思い出が走馬灯のように頭をよぎり、やはり世の中の目を気にして自分のためになる事をするよりも、ジムのためになる事をすることが、自分における本当の良心であると理解したのである。ここでいかにハックにとって、ジムという存在が大きかったか、そして黒人であるジムに対してこのような感情が生まれる事から、ハックはここでは、すでにジムを黒人として扱っているのではなく白人同様に人間として扱っているように思える。黒人ジムの温かい性格、人情、人柄が白人と黒人という関係を超えた尊い友情を守ろうとするハックに変えたのである。この場面で初めてハックはnature(自分がこうしようと思ったこと)がcivilize(周りの人間が正しいと決めた事)に勝ったのである。つまり、ここではハックの意思が社会の道徳、常識とされる事に打ち勝った事を表している。ハックはその後"I knowed he was white inside."(p. 301)と述べている。この発言からもハックは白人と黒人の外見は異なるが、ジムは白人と同等な感情や道徳心を持っていると黒人奴隷であるジムを白人同様に一人の人間として完全にみなしている事が分かる。白人と黒人は変わらない同じ人間であるというハックの最終的な決意がこの言葉から伝わってくる。

   このように冒険を通して、様々な人と出会い、接していくにつれて、ハックは人種差別問題というものに直面し、考え、悩み、葛藤し、最終的にはジムという黒人を、かけがえのない一人の友人として「助けたい」という気持ちを生んだ。そこには、当時の人種差別問題に批判するマーク・トウェインの考えが濃く映し出されているように思える。この作品の中でマーク・トウェインは白人であるハックと黒人奴隷であるジムとの交流を描き、黒人も白人も同じ物の考え方をし、同じ感情を持っていることを伝えたかったのではないだろうか。

   また、14章でみせた二人の会話からもマーク・トウェインが人種差別問題に批判しているということがわかる。ジムがフランス人の話す言葉がなぜ分からないのかとハックに尋ねた時ハックは「猫や牛が自分達と同じ言葉を使わないのと同様にフランス人も違う話し方をするのだ。」と説明するハックに、ジムが「猫や牛は人間ではないのになぜ同じ人間であるフランス人は我々と同じ言葉をしゃべらないのか。」と返す場面がある。ここでハックは"I see it warn't no use wasting words you can't learn a nigger to argue."(p. 88)と諦め半分に言って終わりにした。ここでマーク・トウェインは当時のアメリカ社会が抱えていた黒人問題を批判しようとほのめかしていると思う。白人に動物と同様に扱われている黒人奴隷も人間の言葉を話しているのになぜ黒人は白人と同様に扱われないのかという事がこの文から強く伝わってくる。しかし、ここでハックはniggerという単語を使って黒人と白人をはっきりと差別している。これは、当時の社会性に強く影響されているマーク・トウェインが伺える。当時のアメリカ社会が抱えていた黒人問題を批判しようとほのめかしているが当時の社会性の強さからはっきりと主張できない、婉曲な表現を多く使っている。つまり、ストレートに出さないで他の人が読んでも不快感を与えないようにあいまいに描いているのである。これは当時の社会状況を反映し、白人受けの良い黒人観を述べようとするマークトゥエンが伺える。マーク・トウェイン自身もハックと同様にcivilizeに勝てない、natureの部分が出せなかったのであろう。また、それは物語の後半にも表れていると思う。

   後半部分でトムを登場させる事によって、物語的には無意味な事と感じるが、マーク・トウェインはトムを登場させることによって、より南部の文明社会が持つ人種差別問題、つまり白人優位主義社会である事を、リアルに伝えたかったのではないだろうか。ジムの仲間役として登場したトムが時折見せる白人は偉いという差別的行動を見ると、より人種差別問題をリアルに描きたかった作者が伺える。一方、自分の主張すべき事を最後に曖昧な形で終わりにしてしまったようにも思えるが、自分の主張したい事が社会の力に圧迫されて表に出せない作者がそこにいるのだろう。作者はこの物語の中でハックという人物を使い、黒人と白人は変わらない人間であるという事を、読者だけでなく社会に対しても強く訴えたい気持ちだったのではないだろうか。

   また、最終章でジムは自由を手に入れることになる。黒人奴隷であるジムを最後はハッピーエンドという形で終わらせた作者は人種差別主義者であるとは考えにくい。以上の事を踏まえ、私は作者であるマーク・トウェインは人種差別主義者ではないと結論づける。


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