Seminar Paper 2003

Kuriyama Aiko

First Created on January 28, 2004
Last revised on January 28, 2004

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FrankとMorris
Son and Father

    小説の中には、普通の人たちによるたわいない生活を背景として、物語が、潜んでいるものである。The Assistantの中には、まさに、そういった人たちが繰り広げる毎日が展開されていく。ぱっとしない食料品店の店主Morris、そして、その家族、娘のHelenと妻のIda。そこへ、入り込んできた、方向性を持たないイタリア系移民の放浪者Frankといった登場人物たちが様々な形でsufferする。この苦悩こそが、この小説の核になっている。彼らにとって、苦悩するとはどんなことなのかを述べながら、Frankが、Morrisや Helenに導かれ、その中で、苦悩し、どうやって自分の矛盾と向き合っていくか、どう捉えなおしてユダヤ教へ改宗していくのかを見ていく。

    それでは、まず、Morrisの苦悩とは何か。それは、彼の性質とluckに根源がある。Morrisの性質を、簡潔にいうのならば、まさに、”his honesty”である。Helenが描写するように、その誠実さこそMorrisの”a talent” (p. 14)であり、” bedrock” (p. 14)である。人をだまして得たような富に関心はないが、正直に生きてきた結果、何もない自分、娘の将来や教育に精一杯のことをしてあげたいという思いと、実際にはできないもどかしさの中に、彼のもつ”honesty”そのものの性質との葛藤がつきまとっているのである。 次の引用は、”What I like to know is what is a Jew anyway?”(p. 117) というFrankの質問に、Morrisがユダヤ人であることについて述べている部分である。

“ ‘This means to do what is right, to be honest, to be good.  This means to other people. Our life is hard enough.  Why should we hurt somebody else? For everybody should be the best, not only for you or me. We ain’t animals. This is why we need the Law. This is what a Jew believes.’…‘ If you live, you suffer. Some people suffer more, but not because they want. But I think if a Jew don’t suffer for the Law, he will suffer for nothing.’ ‘What do you suffer for, Morris?’ Frank said.’ ‘I suffer for you,’ Morris said calmly. …’I mean I suffer for you.’ ” (p.117)

これは、Morrisの人生観といえる。人のために正直であること、善良であること、律法を守ろうとすることのために人は苦悩する。というよりも、苦悩しなければならない。それは、時には、自分の中での葛藤でもあるのだが、人と接して暮らしているということは、結果的に、人が相手に対して苦悩することを意味する。ここで、その名と思想が似ている哲学者Martin Buber の言葉をかりると、Morrisが常にI とThouの関係を築こうとしていたことがわかる。人と真剣に向き合うからこそお互いに相手のことで苦悩する。Morrisは、その苦悩こそユダヤ人、つまり人を人にするのだと定義する。このMorrisの人生観は、誰もが避けたいと思いながらも、直面する苦悩という要素を、身近のものに捉えること、また、それこそが人間性を表すものとして捉えている点において、消極的ながらも、確固とした信念に深く納得してしまうものがある。運も財もなく、正直さから逃れられないMorrisの苦悩こそが、彼の人生への真剣な態度であり、彼が”The world suffers. (p. 4)”と表す世界への真摯な姿勢でもあるのだ。それは、彼の価値観や生き方そのものを表している。

    一方で、Frankにとっての、苦悩とはどんなことを意味するのであろうか。Ward Minogueと共に、Morrisの食料品店へ強盗に入ったFrankには、苦悩の存在はまだない。あるものといえば、自分自身に対する疑問だろう。それは、”A cracked mirror hung behind him on the wall above the sink and every so often he turned to stare it.” (p. 22)に表れているように、鏡に映った自分を見つめる姿からもわかる。WardがMorrisを傷つけようとすれば、はぐらかそうとし、殴られたMorrisに対して、水を差し出しもする。この強盗らしからぬ矛盾だらけの姿は、放浪生活とともに、内面的にもその場その場で流されて生きてきたFrankをよく表している。 次の2つの引用は、Frankの2つの側面(性質)を捉えている引用である。

“ ’Also for other things. For instance, he gave everything away that he owned, every cent, all his clothes off his back. He enjoyed to be poor. He said poverty was a queen and he loved her like she was a beautiful woman.’ …’Every time I read about somebody like him I get a feeling inside of me I have to fight to keep from crying. He was born good, which is a talent if you have it.’ ” (pp. 27-28)

Frankは、幼少時代を孤児院で過ごした。そこで、聞いていたSt. Francisのお説教を今も覚えており、この記憶こそ、彼の善の要素であり、後に”an old feeling” “ a far away thought”と描写されるものであるが、この段階では、まだ封印されたままである。また、このことは、Frank Alpine とSt. Francis of Assisiのイニシャルの共通性からもうかがえることである。

“ ‘What I started out to say before about my life,’ he said heavily, ‘is that I have had a funny one, only I don’t mean funny. I mean I’ve been through a lot. I’ve been close to some wonderful things―jobs, for instance, education, women, but close is as far as I go.’ His hands were tightly clasped between his knees. ‘Don’t ask me why, but sooner or later every thing I think is worth having gets away from me in some way or other. I work like a mule for what I want, and just when it looks like I am going to get it I make some kind of a stupid move, and everything that is just about nailed down tight blows up in my face.’…’With me one wrong thing leads to another and it ends in trap. I want the moon so all I get is cheese.’ ” (pp. 32-33)

この引用は、Frankが、振り返る自分の人生である。前述した彼の聖者的要素に対して、ここで、最も注目すべき点は、何か手に入れようとするときには、決まって、自分のせいで台無しになってしまうという彼の性質である。更に、悪いことが次を呼び込み、罠から逃れられない。Frankは、その事実を認めているし、理屈として、現状を分かっているけれども、実際にどうやって変わっていけるかが分からない。自分の中に、確固としたものがないために、一貫性のある意思を持続することができないように見える。よって、より所のようなものを見つけたいと強く望んでいる。一方で、そこには、FrankがMorrisのような、自分の力ではどうすることもできないluckとは異なったluckを持っていることを思わせる。Frankのそれは、変えようと努力すれば変えられるものなのだという希望がみえる。

Morrisの食料品店を強盗した後、それをどう償っていくかの過程の中で、Frankの中に混在する善と悪の要素が交互にあらわれ、それが、Frankを苦悩させる。Frankにとって苦悩とは、犯してきたことへの良心の呵責である。更に、そこを、原点として、自身の行動と良心を一致させ、彼を再生へと導く鍵なのである。

    Frankは、Morrisの店で、働き始め、初めて放浪生活に終止符をうつ。相変わらず、その場の軽い気持ちで、ひたすら欲望に充足を向けて、食べ物やおつりをくすねることを繰り返すのであるが、その後には、必ず”an old feeling”が沸き起こり、彼を後悔させる。自分の罪深さを知りながら、悔い改めることのできないFrankの姿には、何度も裏切られたような気分にさせられたものであるが、その後の繰り返された苦悩こそ次のステップへ続くのであり、Frank像をより親しみの湧く存在にしてくれたように感じる。 Morrisの人生観を聞いたことや、Helenが、あるべき姿に近づくために、決断し、専念する姿は、Frankに新しい価値観を与えている。また、Helenが薦めた本に対して、次のように述べており、自分の意思決定やそれに伴う行動に大きな意味を考え始めていることがうかがえる。

“ Anyway, he could not get out of his thoughts how quick some people’s lives went to pot when they couldn’t make up their minds what to do when they had to do it; and he was troubled by the thought of how easy it was for a man to wreck his whole life in a single wrong act. After that the guy suffered forever, no matter what he did to make up for the wrong…[he] had this crazy sensation that he was reading about himself.” (p. 101)

しかし、このことに本当に気が付くのは、不運なことに、心を入れ替えようと思った矢先に、盗みを目撃され、Morrisに店を追い出され、更に、Helenを犯してしまった後の深い後悔の中である。この絶望的な状況の中で、彼は、これまで、自分がどれ程、意思なしに生きてきたか、自分を律せずに生きてきたかということと、どれほど厳格な道徳観をもっているかに気が付き、1つ1つの意志決断の重さに気が付いていく。つまり、その決断とは、自分の欲望に則したものではなくて、困難や苦悩の中でこそ、発揮されなければならないもの、人としての道を選ぶということである。 Frankが、ユダヤ人とは何かを、自ら図書館で借りてきた本を読みながら、共に考える姿は印象的である。

“ He read a book about the Jews, a short history. …He skimmed the bloody chapters but read slowly the ones about their civilization and accomplishments. He also read about the ghettos, where the half-starved, bearded prisoners spent their lives trying to figure it out why they were the Chosen people. He tried to figure out why but couldn’t. He couldn’t finish the book and brought it back to the library.” (p. 181)

これまで、MorrisやBreibartの姿を見て、彼らが、苦しむのはユダヤ人だからなのだと考えていたFrankが、困難の中で、「なぜ神に選ばれた民なのか」の問いに、本の中の彼らと共に奮闘して答えを導こうとしている。まさに、この答えの出ない問いを、探求することの中に、意味があるのではないか。というのも、この行為こそ、自分とは何であるかや自分の生き方を問う行為だからである。 4月に降った雪の日、Morrisは、自ら雪かきをする。そして、それが、Morrisを死に追いやることになる。

“ Helen tossed in a rose. Frank, standing close to the edge of the grave, leaned forward to see where the flower fell. He lost his balance, and though flailing his arms, landed feet first on the coffin. Helen turned her head away. Ida wailed. ‘Get the hell out of there,’ Nat Pearl said. Frank scrambled out of the grave, helped by the diggers. I spoiled the funeral, he thought. He felt pity on the world for harboring him.” (p. 220)

    Helenの棺に投げたバラの花に引き寄せられて、Frankは、そのままMorrisの棺の上に落ちる。彼の再生を象徴するシーンである。ここで、Frankが、Morrisの価値観や役割を受け継いだという印象を受ける。この後、Frankが食料品店を切り盛りし、Helenを大学にいかせるというMorrisとHelenの最大の夢を叶えるために努力する。そこには、邪念がなく、Helenが、人は変わることができるのだと確信したように、以前のFrankではない。自分の良心に従って、したいことを選択し行動している。自分の生き方にきちんと納得できるようになったのである。Morrisがやっていたように、早朝にやってくるポーランド人の女性にパンを売るために起き、更に、新しい発想(”imagination”と”courage” (p. 219))を持って店を向上させていこうともしている。

“ One day in April Frank went to the hospital and had himself circumcised. For a couple of days he dragged himself around with a pain between his legs. The pain enraged and inspired him. After Passover he became a Jew.” (p. 234)

    季節と共に、Frankは、再生する。割礼をうけてユダヤ教へと改宗していくのである。この流れは、ある意味とても自然なことのように思える。Frankが、自分の生き方としてそれを選んだからだ。Frankは、Morrisとの関わり合いの中で、時に自分が助けたり、逆に助けられたりしていくうちに、彼の人生観を学んでいた。つまり、Morrisの苦悩がFrankを育てていたし、Frankの再生はMorrisの生き方を意味のあるものにしていた。人が、変わるということは、どう世界を捉えなおすかというところに、自分なりの価値観を見出していくことにほかならない。Frankが、悟ったことは、何を得るかといった物質的豊かさを求めることの中にではなく、どのような状況にあっても、毎日の中で積み重ねていく選択が自分自身(の中の善)を納得させるものにすることの中に、自分のあり方があるということだ。


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