Seminar Paper 2003

Yuki Odawara

First Created on January 28, 2004
Last revised on January 28, 2004

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「FrankとHelen」
2人の未来に見えるもの

    The Assistant を読み終えて、最も印象に残った場面。それは、小説の一番最後の段落で描かれている、Frank が割礼を受けてユダヤ教へ改宗するという部分だ。"One day in April Frank went to the hospital and had himself circumcised....  The pain enraged and inspired him.  After Passover he became a Jew."  (p. 235) この結末を初めて読んだとき、その終わり方があまりに唐突に思えて、どこかに続きがないものかと本を何度も捲ってしまった。決して明るいとは言えないこの作品の救いになっていないのではないかと感じたのだ。ここでは、結末で Frank がユダヤ教へ改宗するまでの過程を、Frank と、彼を間近で見ることになった Helen との関係を通して探り、Malamud が伝えようとしたものは何かについて考察していきたい。

    Frank と Helen について述べる際に無視することができないのが、2人の宗教の違いだ。ユダヤの家庭に育った Helen と、イタリア系の Frank は異教徒であり、これは2人の関係が発展していく上で大きな障害となる。実際に、2人が親密になりつつあることを知った Ida はそのことを気に病んでいる。では、当の2人はどう考えていたのだろうか。Helen は、同じユダヤ人である Nat Pearl と Frank とを比較して、"Nat Pearl wanted to be "somebody", but to him this meant making money to....  Frank, on the other hand, was struggling to realize himself as a person, a more worthwhile ambition."  (p. 126) と、Frank の方を人間としてより尊敬し、支えていきたいと望んでいる。彼女にとっては相手の宗教よりも自分の理想の方が重要なのだ。一方 Frank はというと、ユダヤ人の Al Marcus と Breitbart の話を聞いて、"That's what they live for, Frank thought, to suffer.  And the one that has got the biggest pain in the gut and can hold onto it the longest without running to the toilet is the best Jew."  (p. 82) と、その生き方に疑問を感じたことはあった。だが、Helen に "Don't forget I'm Jewish."  (p. 115) と言われた際には、清水の舞台から飛び降りるような気持ちではありながら "So what?"  (p. 115) という返事をしている。Frank にとっても宗教が乗り越えられない壁ではないことが推察できる。

    次に、2人の本の選び方、感じ方から、それぞれの人生観や考え方を見ていく。Frank が Helen に近づこうと画策している頃、互いの読んでいる本について語り合う場面がある。そこで Frank が今読んでいると言って見せたのが、 The Life of Napoleon である。「彼は偉大だから」と、その本を選んだ理由を述べている。皇帝となり大きな権力と名声を手に入れたナポレオンを尊敬していたこの頃は、富や名声といった即物的な事柄に憧れていたことがわかる。一方、ナポレオンの生き方に対して "Others were in better ways."  (p.91)と切り返した Helen は、それら以外に人生の素晴らしさがあると考えているようだ。そんな彼女が読んでいたのは、 The Idiot である。この本に限らず Helen は文学を勉強していただけあってフィクションが好きである。彼女によると、そこには "The Truth about Life" が書かれているという。また別の場面では、Helen が Frank に本を薦めているのだが、この時の2人の本に対する感想にも両者の人生観の違いが表れていて興味深い。Helenが選んだのは、 Madam BovaryAnna Karenina 、そしてCrime and Punishment の3冊である。Madam Bovary にしろAnna Karenina にしろ、自分に正直に生きすぎて人生を自殺という選択で終える女性の姿が描かれている。ここでも Helen が「この中に"The Truth about Life"がある」と言っていることを考えると、彼女は運命は変えられないものだという考えの持ち主のようだ。それに比べ、それらの本を読んだ Frank は "He felt, in places in the book, even when it exited him, as if his face had been shoved into dirty water in the gutter; in other places, as if he had been on a drunk for a month."  (p. 101) と、やりきれない思いを感じている。それは、最悪の状況にいるにも関わらず、それを運命として受け入れて死んでゆく登場人物達に自分自身を重ね、やりきれなさを感じたからだろう。Frank は、運命は自分で変えるものだと信じていることが伺える。

    2人の人生観の違いは、人生に求めるものにも見ることができる。例えば、Frank は自分の人生を振り返り "He should somewhere have stopped and changed the way he was going, his luck, himself, stopped hating the world, got a decent education, a job, a nice girl."  (p. 166)と、自分に足りなかったものを述べている。これは裏返せば、Frank が人生を成功させるためにはこれらのものが必要だと考え、心底望んでいた証拠と言えるだろう。やはり彼は、物質的なものを得ることが人生の成功と考えているのだ。一方 Helen は、"what do you want out of your life?"  (p. 40) という問いに多くは望まないと答えた Louis に対し、"We die so quickly, so helplessly.  Life has to have some meaning."  (p. 41) と返している。また、Frank に理想の仕事について聞かれた際には "I'd like to be doing something that feels useful―some kind of social work or maybe teaching."  (p. 93) と答えている。そして、 "She feared...to accept less of the good life than she had hungered for," (p. 127)と、妥協して、人間として価値のある人生、つまり "the good life" を送れなくなることを何よりも恐れている。こうした発言から見えてくるのは、人生には何かしらの価値がなければならないのだと考える、非常に理想の高い女性である。そんな Helenと、即物的な人生観を持つ Frank とでは、180度違った人生観を持っていることがわかる。

    こうした2人の人生観の違いは、売れない食料店の主人という地味で平凡な人生を生きた Morris に対しての想いにも表れている。Helen は、

The grocer, on the other hand, had never altered his fortune, unless degrees of poverty meant alternation....  He labored long hours, was the soul of honesty―he could not escape his honesty, it was bedrock....  He was Morris Bober and could be nobody more fortunate.  With that name you had no sure sense of property, as if it were in your blood and history not to possess....  At the end you were sixty and had less than at thirty.  It was, she thought, surely a talent.  (p. 14)
と、彼の損な生き方を皮肉的に見ている。Morris の葬式でも、
He was no saint; he was in way weak, his only true strength in his sweet nature and his understanding.  He knew, at least, what was good....  People liked him, but who can admire a man passing his life in such a store?  He buried himself in it; he didn't have the imagination to know what he was missing.  He made himself a victim.  He could, with a little more courage, have been more than he was.  (p. 219)
と、彼の人柄については認めつつも、その人生には足りないものがあったと冷静に分析している。Frank も、ユダヤ人は "suffer" するために生きているようなものだと考えていた最初の頃は、Morris のことも損な生き方をする人間だと見下していた。だが、店で働かせてもらえるようになり、他人に優しく、思いやりを持って接することを忘れない Morris の姿を間近で見るようになると、その考えはしだいに変化していく。そんな Morris の哲学は、Frank の"But tell me why it is that the Jews suffer so damn much, Morris?  It seems to me that they live to suffer, don't they?"  (p. 118) という質問に、次のように答えた場面に見ることができる。
"If you live, you suffer.  Some people suffer more, but not because they want.  But I think if a Jew don't suffer for the Law, he will suffer for nothing."
"What do you suffer for, Morris?"  Frank said.
"I suffer for you," Morris said calmly….
"What do you mean?"
"I mean you suffer for me."   (p. 118)

    ここで Frank は、人は互いに "suffer" し合うという考えを教えられる。これが、Morris の築いてきた他人との "I" と "You" の関係である。Frank は後に、Helen を強姦するという大きな過ちを犯してしまうのだが、それがきっかけで Morris のように他人との関係を大切にするようになる。例えば、借金を返してもらうつもりで向かったペンキ塗りの Carl の家で、貧しい暮らしをしている彼の家族の姿を目にし、自分自身の暮らしさえもままならないのに、最後の所持金を渡そうとさえする。ユダヤ人の考え方について、本を読んで理解しようと努力する。入院してしまった Morris の代わりとして、Helen と Ida の生活を助けるために無償で働く。さらに、大学に行きたいという Helen の願いをかなえるために、夜は別の店での仕事まで始め、一日中休む暇なく働くようにさえなる。以前は即物的なものを人生の成功の象徴として考えていた Frank が、自分自身の成功ためではなく他人のために生きるようになったのだから、その変化は大変大きなものだと言える。

    こうした Frank の変化を目にした Helen は、

It was a strange thing about people―they could look the same but be different.  He[Frank] had been one thing, low, dirty, but because of something in himself―something she couldn't define, a memory perhaps, an ideal he might have forgotten and then remembered―he had changed into somebody else, no longer what he had been.  (pp. 231-232)
と、その変わりように心を動かされる。そして、本当は自分も彼を欲していたことに気付き、 "What he did to me he did wrong, she thought, but since he has changed in his heart he owes me nothing."  (p. 232) と、ようやく彼を許せるようになる。そして、冒頭で触れた、2人の間の障害を1つ減らしたとも言える Frank の改宗の場面となり、この物語は幕を閉じるのである。

    こうして作品を Helen と Frank の関係という視点から見てみると、この結末こそ The Assistant にふさわしい結末のように思えてきた。なぜなら、私にはこの物語に続きが見えてくるようになったからだ。結婚し、家庭を築いている2人の姿が。Frank は、食料品店の主人として、様々な新しい試みで客を惹きつける。Helen は Frank の援助によって大学を優秀な成績で卒業し、理想だった先生の見習いをしているかもしれない。いずれにしろ、そこに見えるのは、経済的には多少苦しくても、精神的に充実した幸せな生活を送る2人の姿だ。以前は強盗や盗みを働いたりもした即物的な考えの持ち主だった Frank が、そんな生活を送るように思えるのは、おそらく Morris の影響で "I" と "You" の関係を大切にするようになり、"I suffer for you"の生き方を受け継いだからだろう。そしてこれは同時に、そんな人生を送ってきた Morris の生き方にも価値があったということを暗示している。改宗という儀式によって Frank の Morris 化が一つの完成形を見るこの物語の最後の場面で、Malamud が伝えようとした人と人との関係を大切に生きることの尊さが象徴的に描かれているのだ。

参考資料:小山田義文『英米文学シリーズ5 アメリカユダヤ系作家』(評論社, 1976)    小谷野敦『聖母のいない国』(青土社, 2002)


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