Seminar Paper 2005

Yurika Ikeda

First Created on January 27, 2006
Last revised on January 27, 2006

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The Cider House Rulesにおける父と子のモチーフ
Dr. Larchの深い愛

    母親は自分のお腹を痛めて、そしてときには自分の命を犠牲にしてまで子供を産む。だから母親と子供の結びつきは深いものになる。それでは父親はどうであろうか。父親は母親程、自分の体をかけて子供の命に触れることはない。けれど子供の成長という点では、父親も不可欠な存在である。子供にとって両親がいること、それは本当に大切なことである。現代だって、`あの子は片親らしいよ。’と言われれば、少なからず同情の念が沸いてしまうものである。子供が生まれる条件として、必ずではないけれど、両親がいるということは重要なことだと思う。

    父親の役割とは何だろうか。普通に考えてみれば、金銭的な面での役割や精神的な面では男親としての逞しさや強さに関することが多いように思われる。母性のような温かさではなく、父親としての、父性としてのつながりも必要である。Dr. Larch場合、自分自身の感情がわからなくなるくらい、父親のように孤児を愛してしまった。Homerのこととなると、いつもは冷静な彼も怒りっぽくなったり、Homerを戦争に行かせたくないあまり、心臓が弱いと嘘をついたりする。孤児院の院長として、父親の代わりに、そして自分の弟子としてHomerと接している。このようにして彼はHomerを愛したが、それに強く抵抗を覚えている。

“Dr. Larch was suffering from the natural feelings of father. (pp. 84-85)”

    Dr. LarchがHomerを愛してはいけないと思い、愛してしまったことに抵抗を覚えている理由は、Homerが孤児だからである。Dr. Larchの仕事は孤児を育てることではなく、里親を見つけてあげることである。しかしHomerは何度か養子に出されるが、結局は戻ってきてしまう。そしてHomerも成長するにつれて、堕胎をするLarchに、ときには反発を覚えながらも、父親のような存在に感じて、キスをされれば涙を流したり、2人が本当の父と子のように結ばれていることは明らかである。   また、Homerの実の息子であるAngelは、孤児として育てられる。Wallyに隠さなければならないから、Angelを孤児だとすることは、間違っていると私は思う。Homerは親の都合で孤児となった。そしてAngelも親の都合で、本当の子供なのに孤児になったのである。どちらも子供にとっては残酷なことである。しかし、2人とももしかしたら堕胎されていたかもしれないのに、孤児としでも生まれて育った。それは本当に幸せなことだと思う。

“‘An orphan or an abortion?’
‘An abortion, definitely, ’ Melony had said once, when Homer Wells had asked her, ‘How about you? ’
‘I’d have the orphan. ’ (p. 407)

    Homerはここで孤児を選ぶという決断をしている。それはやはり、自分が孤児として生まれてきても、幸せだから言えるのだと思った。逆にMelonyは、幸せではなかったのかもしれない。彼女の性格上、ひねくれているところもあるから素直に言えないのかもしれないけれど、堕胎を選ぶということは、自分が生まれなければ良かったということで、すごく悲しいことである。そしてHomerは孤児であっても生まれてきて良かったと思っているのなら、Angelの父親としての資格は十分あると思った。

    結局は孤児として生まれたとしても、その人生において出会った人や環境によって、幸せかどうかは決まるのだと思う。確かに自分の生い立ちがわからないことや、親の所在も知ることができないことは、もどかしいほど辛いことかもしれない。けれどそれでその人の人生が決まってしまうわけではない。選択権はいつだって本人に委ねられている。  Dr. LarchとHomerの親子関係、 Homerと Angelの親子関係は、どちらも不思議だけれど、父と子の結びつきにおいては、血縁があるないに関わらず、しっかりと愛情でつながれていると思う。他人同士の愛情というと、男女間に限られそうだけれど、血縁においても他人同士、つまり本当の親子であるかないかは、関係ないことだと思った。

    Dr. LarchもHomerも、父親という存在として、息子に対して愛情を注いだ。父性という点での役割は十分とはいえないけれど、息子が幸せだと思えるくらいの人生を軌道にのせてあげられていたと思う。それでは母親としての役割は何だろうか。それは何よりも`出産’であると思う。  この作品の主題であるabortion、堕胎には、母親の選択権が重視されている。それは当然のことだと思う。それにはいくつかの理由がある。

“Mrs. Santa Claus grabbed hold of both the mother and her daughter.
She spoke to the mother. “Tell him who the father is. ”she said.
The daughter began to senivel and whine; Mrs Santa Claus ignored her; she looked only ay the mother. “Tell him,” She repeated.
“My husband,” the woman murmured, and then she added- as if it weren’t clear-“her father.”(p.57)“

    このように、子供の父親が、実の父親だということもある。その場合には、堕胎という選択肢をとるしかないのである。実際にここに出てくる少女のように、若くして堕胎しなければならない3分の1の妊娠してしまった子供の父親は、実の父親だとMrs. Santa Clausは言っている。信じられないことのように思えるが、現実の世の中にも十分起こっていることである。堕胎はいけないことだと、道徳的に反していることだと捉えられるが、この場合はどうしようもないことである。Mrs. Santa ClausがDr. Lauchにむかって言っているのは、妊娠させてしまうのは、男であるということを強調しているのだと思う。父親であっても、男である。堕胎という行為がいけないことだと責められるのは、妊娠してしまった女の子だけではなく、むしろ男の方にも責任があると思う。一人で妊娠はできないからだ。

    また、母親に堕胎の選択権がおかれるのは、母親しか決定する人がいないからだと思う。父親がいれば、それが生物的に許される範囲の父親であれば、子供を産むことができるからだ。HomerはCandyが妊娠したときに、強く産むことを望んだ。2人の関係はまわりからは許されることではないかもしれないが、Homerはそれでも子供が欲しいと望んだ。Candyだって、子供の命を奪ってしまうのは、一度経験があるわけだし、もうしたくなかったと思う。それにHomerが気づいていたかどうかはわからないが、孤児である自分にも血縁が欲しくて、世間的に孤児という存在でも育てたいと思うことは、堕胎という選択肢をとらなくていいという結果につながる。HomerはCandyを本当に愛していたし、愛する人との子供を欲しがることは、ずっと無関心で生きてきたHomerが変わったということを表していると思うし、孤児として一番欲しかったであろう両親からの愛情をもらえずに育ってきたけれど、素直にCandyを愛し、生まれてくる子供を愛したくて、愛せる自信があったのだと思う。Homerが愛情を知ったのはDr. Larchが愛情をかけてくれたからである。そしてHomerも十分にDr. Larchを愛していたが、彼の唯一ひっかかっている点は、堕胎に関してであった。愛している人の欠点だからこそ、堕胎は絶対にしたくなかったし、母親も父親もいて、堕胎の必要はなかったと考えたと思うし、何より子供が欲しかったのだと思う。父親がいれば、堕胎をしなくて済む、安易には言えないが、これも理由のひとつだと思う。

    さらに、Mrs. Eamesの娘の場合、母親としてではなく、自分自身が生きていくために、彼女にとっては、堕胎という手段が必要だった。彼女は体を売ってしか生きていくことができなかった。子供ができてしまえば、自分と同じ人生を歩ませてしまうかもしれない。父親が誰かも、きっとわからなかったのだと思う。運命は本当に皮肉である。  Abortionにはむしろ、父親には決定権はないように思う。出産も堕胎も、女性の命に関わる選択だからである。

    HomerのAbortionに関する考え方は徐々に変化していった。はじめは尊敬し好意を持っているDr. Larchの唯一理解できない領域であった。それは命に対して、まっすぐな考えを持っていたことと、自分が孤児という立場だからだと思う。HomerはSt. Cloudsでは命に関して肯定的なイメージは持っていなかったからこそ、Ocean Viewのりんごが育つという、命の誕生に感動し、その場所が気に入った。そしてSt. Cloudsでは、堕胎に来る女の人の表情や雰囲気は暗いものであったし、Homerは仮にも母親という立場に立っている女性たちを、良い目で見ることはできなかったし、堕胎をしなければならない理由も知らなかったから、理解できなかったのだと思う。そこは若いときの、Mrs. Eamesの娘に会ったときのDr. Larchに似ていると思った。しかしHomerがOcean Viewにきて、今までにない刺激的な生活を送っていくうちに、だんだんと美化していたOcean Viewの人たちや生活が見えてくる。Homerにとって一番理解できなかったことは、避妊具に穴を開ける行為をする人がいることだったと思う。私にもまったく理解ができない。しかもそれを人に配って、避妊具は妊娠を望まない人たちが使うためのものなのに、命を軽く見ているとしか思えない。そしてHomerはRose Roseと出会う。彼女は父親の子を妊娠していた。HomerはDr.LarchとMrs. Eamesの娘のことを知らなかったはずだけれど、少し状況が似ている気がした。Homerも当時のDr. Larchと一緒で、堕胎をすることに対して道徳的に反すると思っていたけれど、どうしようもない状況があることを知った。Dr. LarchはMrs. Eamesの娘を救えずに、そのあとに堕胎をしなければならない状況があることを知ったが、HomerはRose Roseを手遅れにする前に事態を飲み込むことができた。そして同時に、HomerはAbortionに対しての見解が変わり、Dr. Larchのことも理解することができたのだと思う。

    Dr. Larchの父親としての思い、そして医者としての思いは、確実にHomerに伝わったのだと思う。孤児を父親のように愛してしまったと葛藤しながらも、HomerのためにOcean Viewに行かせたり、そこでの安全が保障されるために嘘をついてまで手を尽くした。医者としては、弟子を作ってしまったと思いながらも、Homerに堕胎を受け入れさせて強制することなく、Fuzzy Stoneという架空の医者をでっち上げてまで、Homerのことを待っていた。Dr. LarchはHomerがAbortionに対していつかは理解してくれることをわかっていたのだろうか。結局HomerはDr. Larchが用意したレールの上に戻ってきたが、それはHomerの納得の上で少しも策略的な感じはしない。きっとDr. Larchが本当にHomerのことを実の息子のように思い、愛していたからこそできたことだと思う。  


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