Seminar Paper 2005

Teruyo Koyama

First Created on January 27, 2006
Last revised on January 30, 2006

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The Cider House Rulesにおける規則(rules)の意義」
〜 KEEP the rules!!! 〜

   今年度はThe Cider House Rulesを一年間読んできたわけですが、私はこの題名にもなっている規則(rules)について私なりに考えてみたいと思います。
   この小説は孤児院とリンゴ園を舞台に、ラーチ、ホーマー、ウォリー、キャンディ、メロニィ、エインジェル、ローズ親子を含めた複雑な人間関係を描いていきます。その中で様々なルールが作られそのようなルールを中心に、生き方の針が右にぶれるか左に振れるかを描いたものといえるでしょう。ルールを破れば社会から追放される一方、守っている限りは、社会の中での存在をルールは保証してくれます。ルールは人間の意思で簡単に破ることができるものです。けれどルールを蔑ろにすることは出来ないのです。ジョン・アービングは小説The Cider House Rulesを通して、そういうことを主張したかったのではないかと思います。


ルール@孤児としてのホーマーの場合
   ホーマーは四度里親にもらわれていったのですが四度とも問題が起こり孤児院に戻ってきます。そこでラーチは里親探しを諦め、ホーマーがセントクラウズの一員だと感じる限りここにいていいが、その代わり役立ってくれよ、と言います。ホーマーは孤児院にいる他の子と比べたらとても賢く、彼にとって役に立つということは非常に容易いことでした。   
   望まれて生まれてきた子には社会の中での存在意義があります。そして人の役に立つことが人生の目的であるということは普通の子供たちは成長過程で学んでいくことなのです。一方、大人のエゴにより世の中に生み出された孤児はどうでしょう。本来新しい命が誕生する事は非常に喜ばしいことであり周りから祝福されます。しかし孤児を祝福してくれる人はいません。だから孤児院が出来たのです。悲しいことではありますがそのような孤児に存在意義を教えてくれる人はいません。故にラーチは孤児にも存在意義があるということを教える為、そして孤児に希望を持たせる為に「役に立て」ということをしきりに言っているのだと思います。これは孤児が社会との接点を持つ、ある種のルールといえます。

ルールA医師ラーチの場合
   ラーチがこの時代、違法である堕胎を行うようになった背景にはミセスイームズとその娘との出会いがきっかけでした。ミセスイームズは二人目の子供の誕生を食い止めるために違法な薬を飲み、ラーチの看病も甲斐なく死んでしまいます。その後、ミセスイームズの娘がラーチの元を訪れ堕胎をするように頼みますがラーチは断りました。次に彼女に会ったとき、彼女はオフハリスンの違法な堕胎屋の手によって死に至らしめられてしまいました。そしてラーチは自らオフハリスンに出向き、そこで行われている残虐な行為を目の当たりにします。その時に彼が下した決断が、胎動がある前の場合は堕胎をする、ということです。彼の同僚達には赤ん坊をこの世に送り出すことは“the Lord’s work”であるが、堕胎をすることは“the Devil’s work”だと言われてしまいます。しかしラーチにとってはすべてが“the Lord’s work”なのです。 “He(Larch) would deliver babies. He would deliver mothers, too. ”(p. 67)これがラーチの堕胎のルールです。
   そしてラーチは、“when he would have occasion to doubt himself, he would force himself to remember : he had slept with someone’s mother and dressed himself in the light of her daughter’s cigar. ”(p. 67)と、自分は救うことが出来なかったミセスイームズとその娘のことを教訓にしているのです。
   一方でラーチは自分を落ち着けるためにしばしばエーテルを吸引し、エーテルの中毒者でもあります。これは社会のルールに反していることです。彼はこのエーテルによって最後、亡くなってしまいますが、それはルールに背き続けた結果と言えるでしょう。

ルールBホーマーとメロニィの場合
   孤児院では孤児に選択権などありません。故にやむを得ずホーマーは産科手術を覚え、やむを得ずメロニィと恋人同士(?) になるのです。この小説で頻繁に出てきた言葉ですが全ては‘成り行きまかせ’という風にです。そしていつしか二人の間に約束が生まれます。“‘Promise me you’ll stay as long as I stay, Sunshine, ’She said. ‘I promise’Homer said. ”(p. 100)メロニィがホーマーを愛するが為に半強制的ではありますが、自分が孤児院にいる限りはホーマーも孤児院にいなさいと。この時点でのホーマーは自分の居場所はセントクラウズの孤児院ただ一つだけですし、孤児院を去る理由もないので了承します。
   しかし、それも束の間、
It’s near the beginning of Chapter Twelve, when Jane shrewdly observes, “It is vain to say human beings ought to be satisfied with tranquility: they must have action; and they will make it if they cannot find it. ” “Just remember, Sunshine, ” Melony interrupted him. “As long as I stay, you stay. A promise is a promise. ” But Homer Wells was tired of Melony making him anxious. He repeated the line, this time reading it as if he were personally delivering a threat. (p. 125)
とあるようにホーマーがセントクラウズを去ることを考え始めたという変化(成長)が表われます。ホーマーはラーチのしている堕胎、メロニィとの生活、本の読み聞かせ等、日々の生活に徐々に疑問を持つようになったのだと思います。そしてそのとどめがキャンディとの出会いです。ホーマーは出会った瞬間に恋に落ち、簡単にセントクラウズを去る意志を固めます。
   小説の最後ホーマーはドクターストーンとしてセントクラウズに戻ってくることになりますが、そうなったのはルール破りをしたから引き戻されたのです。

ルールCウォリーの場合
   ウォリーは自国が戦争をしている状況下での若者のとるべきルールに従い、第二次世界大戦に行きます。徴兵という社会のルールです。
   ウォリーは下半身麻痺でビルマの戦場から戻ってくることになるのですが彼の場合はルール破りをしていないからこそ、戦場から帰国後、愛するキャンディと結婚をする、という自分の思い描いていた通りの展開になったと思います。ホーマーとキャンディに裏切られるという予想外の事態はありましたが、それは二人が、ウォリーが生きているという希望を諦めてしまい起きてしまった事であり、彼が存在する限りはウォリーとキャンディが一緒になるという運命は変わらないと思います。故にルールを守ったウォリーは社会の中での存在が保障されたのでしょう。

ルールDホーマーとキャンディの場合
   ホーマーとキャンディは人間としての良識ともいうべきルールに心を痛めつけられるのです。戦争のためビルマに向かったウォリーの乗機が撃墜されたという連絡が入り、全ての人が悲しみに暮れます。その中でキャンディはウォリーは絶対に生きていると言い続けるのですが、一ヶ月経ち二ヶ月経ち、ホーマーはウォリーはもう生きていないのだと言いキャンディを慰め、二人は関係を持ってしまいます。これはウォリーの死を互いに認めた瞬間だと思います。この一度の交わりでキャンディはエインジェルを身籠ってしまいます。その後ウォリーの生存が確認され、そこで初めて二人は、特にキャンディは、大きな罪悪感に襲われたと思います。“ Candy was so devastated by the beginning of the letter that the rest of the letter was simply a continuing devastation to her. ‘I’m so afraid that you won’t want to marry a cripple, ’ Wally began.”(p. 446)とあるように。
   好きあっているもの同士なら自然な流れなのかもしれませんが、キャンディはウォリーとは恋人同士であったのであり、おまけに二人は自分たちの子をセントクラウズから養子としてもらってきたという嘘をつくなど、恋愛関係において人生のルールを破ってしまいました。若い二人は弱い人間であるため悩み苦しみ続けます。結局ホーマーはオーシャンビューを去ることになりドクターストーンとしてセントクラウズへ、一方メロニィは自分の死体をセントクラウズへ送られるようにします。これによりメロニィとのルール(自分がセントクラウズにいる限りホーマーもセントクラウズにいる)は守られるわけです。
   やはりルールを破るとそれ相応の責任がわが身にふりかかってくるものだと思います。

ルールEミスターローズとローズ・ローズの場合
   ミスターローズは自分の力・権威をふりかざし、オーシャンビュー果樹園の摘み手達のリーダーに君臨しています。“Mr. Rose knew the rules: they were the real cider house rules, they were the picker’s rules.”(p. 540)とあるように、摘み手達の間ではミスターローズ、彼自身がルールであり、誰も逆らえません。まさに独裁者と呼ぶべきに相応しいでしょう。
   そして父親ミスターローズはわが子を愛しすぎるために娘ローズ・ローズに手を出しています。近親相姦です。その上、他の人にはわからぬよう見えない部分の娘の肌にナイフで軽い傷をつけたりもしました。
   彼は明らかに社会のルールを破ってしまっています。“‘I didn’t hurt her, ’Mr. Rose went on. ‘I didn’t touch her, Homer, ’ he said. ‘I just love her, was all. I just want to see her―one more time”(p. 574)これは娘に刺された後、ホーマーに言った言葉です。行き過ぎた愛情はなんとも切なく哀しいものです。きっとローズ・ローズはまた父親に何かされると思ったのでしょう。ローズ・ローズが刺した傷は致命傷ではなかったのですが、ミスターローズは治療もせず、娘が逃げ出したもので悲しみのあまり自分で自分を刺したということにしろ、と言い残してこの世を去っていきます。           
   彼は自分の死によって自分のルール違反の責任をとったのです。ルールを破ってしまった為に社会から追放されたのです。


   以上、ルール6個をみてきたわけですが、私は、やはりルールはルール!ルール違反者に良いことはないと思います。個人間においてのルールを破ると信用性がなくなってしまいます。社会のルールを破ると社会にはいられなくなってしまいます。この小説ではルール破りが多いのですが、ルールは破るためにあるものではない、守るためにあるものだと私は信じたいです。


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