Seminar Paper 2005

Miho Nomoto

First Created on January 27, 2006
Last revised on January 27, 2006

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The Cider House Rulesにおける規則(rules)の意義
−自分らしく生きる為に必要な規則(もの)−

    この作品中では多くの規則が登場するが、それだけ多くの規則破りが登場する。それら至極自然に文中に登場しているのだが、そのことからも私達も同様に、こんな無意識に、当たり前のように規則破りをしているであろうことを認識させられる。St. Cloud’sで行われる堕胎、Larchによる歴史の塗り替え、その知識はあれども医師免許のないHomerが施す医療処理。HomerとCandyの関係、Mr. Roseによる近親相姦。Rose Roseによる殺人と、そのことを黙っているという偽証。

    このように、私たち人間は規則に支配されて生きている反面、規則を破りながら生きている。例えばそれは、失楽園神話においてもそれは表れている。イヴは神に食べてはいけないと言われた禁断の木の実(apple)を食べ、その規則を破った事が原因で楽園を追放されてしまう。またこのcider houseはHomerとCandyが密かに愛し合っていた場所でもあり、そのことからもこのcider houseには社会の規則とは別の規則が存在しているということがうかがえる。

    それは実際、私達の社会も同等であることを意味している。私達は無意識のうちに数多くの「紙に書かれた規則」にまみれた毎日を生活しているが、どんな規則があるにせよ、特に支障をきたすこともなく、特に意識することもなく毎日の生活は営まれている。それは私達が実際に必要とし、守らなければいけない「自分なりの規則」が存在しているということを密かに認識しているからだ。その次に重要視されるのは自分が属する小グループ内に存在する規則である。例えば、それは登場人物が各々の規則を持っている上でSt. Cloud’sやcider houseに所属することであり、そしてまたSt. Cloud’sにSt. Cloud’sなりの規則があり、cider houseにもcider houseなりの規則がある。そしてそこには「紙に書かれた規則」などはなく、実際に規則となっているのはDr. Larchであり、Mr. Roseであるわけである。だがしかし、規則はその小グループが存在する小社会にも存在し、その小社会ですらまたどこかの社会に属しており、その関係はこのようにどこまでも続くであり、そのぶんだけ規則が存在する。規則はその所属の連鎖を考えれば考えるほどにどんどんと社会的なものになっていく。その社会的要素が多く含まれたものが所謂「紙に書かれた規則」になっていく。

    例えば私たちは生徒手帳に載っていた学則を精読し全くそのとおりに守っていただろうか。正直な話をすれば、私には学則を読んだなんていう記憶はない。だから遵守していたという認識は少しもない。それよりも中学生の時などは、先輩に目をつけられないように「暗黙の規則」を一生懸命守ろうとしていた。中学校生活においてはこの先輩こそが規則だった。 他の例で考えてみよう。成人を迎えるまでお酒を口にした経験はなかったと本当に言い切れるだろうか。思い出してみよう。大学4月に行われる新入生歓迎会。どう考えても1年生は最低でも18歳。つまりは未成年だ。先生だって一緒の席に参加しているにも関らず止めることはしない。先輩達はどんどんと後輩に酒を飲ませて酔わせる。店側もどんどんと酒をだす。全員が未成年を相手にしているのを認識しているにも関らずこの光景は毎年くり返される。それは実際にそこの規則を握るのは、その店を経営する人物であり、そのグループの権力者(例えば先生や幹事担当者)である。

    このように、彼らは彼らなりの規則を持って生活しているのである。つまり、人間社会には「紙に書かれた規則」と「自分なりの規則」という2つの規則が存在する。人間は生きていく上で「紙に書かれた規則」よりも、人間は「自分なりの規則」を優先するものである。それは後者が自分で選択し決めた規則であり、自分に大きく関係しているからである。彼らは「紙に書かれた規則」を破ってはいるが、個人がもつ「自分なりの規則」というものは守って生きている。「自分なりの規則」は自分らしさを表すために必要なものであり、つまりは人間の数だけ規則が存在するものである。私はこのことから、「紙に書かれた規則」という存在の無意味さを感じている。 実際、この作品中にもcider house rulesは2種類存在する。ひとつはOliveとHomerが長年にわたって作成し、電気のスイッチの下に張り出してきた「紙に書かれた規則」であり、もうひとつは”The real cider house rules were Mr. Rose’s.” (P.379)という引用が示すとおり、「自分なりの規則」を示すMr. Rose自身である。どちらも同じcider house ruleではあるが、その認知度や重要性には大きな差がある。紙に書かれたルールというものはただの形式であって特に意味を成さないことは先ほども述べたが、それはその場所に実際は関係していない、所謂「上」に位置する人間が作り上げた規則だからである。「上」に位置する人間が作り上げた規則のほとんどは彼ら自身に都合良いように作られていて、そのルールに従わなくてはいけない「下」の人間への配慮が足りない場合が多い。そのために「下」の人間達はその規則を無視し、自分達の規則を改めて作り、それに従っている。これがそれぞれoliveとhomerが作ったcider house rulesとMr. Rose自身に対応する。本書の中でも“We got our own rules, too, Homer,” he said.” (P. 455)というMr. Roseの発言や、

    “Muddy,” Wally said, “you tell him that Rose Rose is staying in my house, and that in my house we follow my rules. You tell him he’s welcome to come here anytime.”
    “He won’t do it,” Muddy said.
    “I have to go see him,” Rose Rose said. (P. 572)
という場面から、Homerたちが作成したcider house rules よりも、雇い主であるWorthington家の規則よりも自分達の規則を重んじていることが読み取れるのではないだろうか。
    By the light switch, there was a tack that pinned a piece of typing paper to the wall - the type itself was very faint, from long exposure to the sunlight that came through the kitchen’s; curtainless windows. It was some kind of list; the bottom quarter of the paper had been away, whatever it was, it was incomplete. Homer pulled the tack out of the wall and would have crumpled the paper and tossed it toward the trash barrel if the top line of type hadn’t caught his attention. (P. 281)

以上はHomerがcider house ruleに気付いた瞬間の表記であるが、「紙に書かれた規則」のその不完全さ、及び存在の薄さというのはここですでに表現されている。実際には以下の引用からHomerが作ってきた規則は全く敬意が払われていなかったことが発覚し、意味がなかったことが明らかになる。

Muddy told Angel that he’d always thought the list of rules tacked to the kitchen wall was something to do with the building’s electricity. “Cause it was always near the light switch,” Muddy explained. “I thought they was instructions ‘bout the lights.”
    The other men, since they couldn’t read at all, never noticed that the list was there. (P.577)
そしてその事実からHomerと読み手である私たちは454頁でcider house rulesを”kind of desperation grocery list”や “little insults and mockeries of a semi-literate nature”にした犯人はMr. Roseであったことを再認識し、彼が「紙に書かれた規則」の無意味さをよく理解していたことが伺える。彼はやはり規則を心得ていたのだということを思わせる。 これらは規則というものの無意味さをひしひしと感じさせる。「紙に書かれた規則」は現実を無視しすぎているし、どんなに毎年躍起に掲げても「人間は結局自分なりの規則」に従うものなのである。Homerはこのことに気付いている。(以下の引用参照。)ここでHomerが規則を張り出すのをやめない理由は、彼自身が規則に従うことをよしとしている人間だったからではないだろうか。
    For fifteen years, Homer wells knew that there were possibly as many cider rules as there were people who had passed though the cider house. Even so, every year, he posted a fresh list. (P.457)
なによりも、文字化された規則というものは危うい。本に色々な解釈があるように、言葉の解釈は「1+1=2」というように答えが一定でないからだ。その答えは簡単に3にも4にも変化してしまう。その解釈は読み手自身のバックグラウンドに大きく影響される。「十人十色」というように1つのものに対して様々な解釈があり、その解釈は一定ではない。文字化されるということは、解釈はその人自身に依託されるということである。そういった意味では紙に書かれた規則というものはその統一性に大きく欠けるのである。

    いままでの考察によって、「紙に書かれた規則」というものはただの形式であって特に意味を成さないということがわかるのではないだろうか。結局人間は自分自身に一番関係のある「自分なりの規則」をもっとも優先して生きているのである。

    だがしかし、「紙に書かれた規則」が全く持って意味のないものだというわけではない。それを一種のテキストとして使えばいいのだと思う。自分なりの良し悪しを決定し、「自分なりの規則」を作るテキストとして。“Rules never asked; rules told.” (P.453)とあったが、私はそうではないと思う。規則は「頼む」ものではない。「命令」されるものでもない。自分で「決定」していくものだ。この「ルールの決定」によって自分の生き方が決まっていくのだ。この点において、Homerは孤児院をでてからもずっと自分での規則の決定を行っていない。”of use”になるという生き方はもともとDr. Larchから言い渡された孤児院に残るための規則であり、”wait and see”という生き方はCandyによってもたらされ、そしてCandyとの関係を続けていくための、そしてOcean Viewで平和に暮らしていくための一種の規則であったと思う。この2点を考えるとHomerは40代になるまで自分で規則の決定をしてこなかったように思う。このことも「決まりきったことを愛する」という孤児の性質からだったのかもしれないが。

    大切なのは社会に存在する、すでに与えられた「紙に書かれた規則」を頑なに守ることではない。何が重要かを自分で見定め、自分で選び決めた「自分なりの規則」で生きることである。Homerはこのことを学び、自らの意志で法を犯し堕胎手術をすることを決めてSt. Cloud’sに戻る。Larchがいなくなった今、ここはHomerの社会となり、Homerが規則を決めてかなければならない場所となる。それがとても意味のあることに思える。長い年月を耐え忍び、やっとここからHomerの新しい人生が始まるのだろう。


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