Seminar Paper 2005

Maiko Ogawa

First Created on January 27, 2006
Last revised on January 27, 2006

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The Cider House Rulesと失楽園話
おいしい蜜には毒がある

    The Cider House Rulesの中には、聖書の「失楽園神話」を思わせるような表記が多く見られる。実り豊かで、素晴らしい魅力に満ち溢れていて、何不自由なく過ごすことの出来る楽園。しかし、禁断の実を食べてはいけないという規則を破り、その実を食べてしまうと、アダムとイブは神によって全てのものを取り上げられ、楽園を追放されてしまう。人間は裸でいることを恥ずかしいと思うようになり、女は出産のときに激痛を与えられる。いつまでも生きることは許されなくなり、死への恐怖が生まれる。これが聖書の「失楽園」のあらすじであるが、本稿ではこの失楽園神話と関連付けて「The Cider House Rules」を考察し、この話のテーマとは何かを述べたいと思う。  まず、この話は大きくわけて二つの場所によって構成されている。そのうちの一つがオーシャン・ビューである。結論から言ってしまうと、The Cider House Rulesを聖書に関連づけて考えようとしたとき、まさに「楽園」にあたるのがこのオーシャン・ビューであると考えることが一番自然である。オーシャン・ビューについては、本書の中で、その地理的な特色や外観について美しい描写が多々見られる。こまごまと手入れされた芝生はゴルフのグリーンみたいだし、バラの庭園を供えた住居はエレガントであった。筆者は、“In 194_, the Ocean View Orchard on Drinkwater Road, which connected Heart' s Rock to Heart's Heaven, was pretty and plentifull ”(p. 119) と記述している。また、オーシャン・ビュー果樹園の各リンゴ畑にはそれぞれ名前がつけられている。本文を引用すれば、“He drove the pick up thorough the muddy lane that divided the orchard called Frying Pan, because it was in a valley, and was the hottest to work in, from the orchard called Doris, ”(p.153)といった具合である。このほかにも、本書の中では、ブラウン、イートン、コバーン、カーティスといった土地の呼び名や、トゥエンティー・エーカーズ、ナインティーンと呼ばれる畑が出てくるし、もっとあっさりしたものもある。フィールド(畑)というのやら、ファウンテン(泉)やら、スプリング(湧き水)といったものである。これは、労働者たちが簡潔に場所を示すために用いた省略語法だと考えられるが、このような名称を見ると「果樹園」というよりは一つの町、国のようである。このような習いからもオーシャン・ビューが一つの「園」としてのイメージを強めているようにとらえる事が出来る。  

    ホーマーが育ったセントクラウズと対比してみると尚更、オーシャン・ビューはホーマーにとって「楽園」だったと考えられる。セントクラウズには死がはびこりすぎている。閉鎖的で地域社会とは言いがたいし、choiceがない。ホーマーは医者になることを期待され、自分はやりたくないと思っている堕胎をやらされることに苦痛と憤りを感じている。ホーマーはセントクラウズから、医者になることから、そしてメロニーから逃げ出したいと思い始めていた。そこに現れたウォリーとキャンディーの美男美女カップルは、ホーマーにとってことに輝かしく見えたことだろう。“I have met a Prince of Main, he was thinking, I have seen a King of New England-and I am invited to his castle. ”(pp. 199-200)という文からもホーマーの喜びと期待がよくわかる。  セントクラウズは、The Cider House Rulesの主題である堕胎の象徴であるが、これに対比させて、オーシャン・ビューにおいては「生」がたくさん存在することも対称的である。p. 243にオーシャン・ビューの養蜂家であるアイラの話と、ホーマーが蜂の巣箱を移動させる作業を手伝った時の話しがあるが、この蜂「生」の描写であり、さらに蜂というのは花粉を運んで新しい生命を生みだす。何よりオーシャン・ビュー果樹園という場所は、リンゴを育てることを目的とした場所である。毎年新しい生が生まれ、育まれていく。セントクラウズが「死」の象徴なら、オーシャン・ビューは「生」の象徴であった。そういう意味でもまさしくオーシャン・ビューは「楽園」であったといえる。

At St.Cloud' s growth was unwanted even when it was delivered-and tha process of birth was often interrupted.  Now he was charged in the business of growing things.What he loved about the life at Ocean View was how everything was of use and that everything was wanted. (p. 243)

という部分が顕著にそれを強調している。そして何より「リンゴ」こそ、聖書の中でアダムとイブが神との約束を破って食べてしまう「禁断の実」である。なぜ筆者は他のいかなる果物ではなく「リンゴ」を選んだのか?やはり深い意図があるように思える。

    しかし、楽園には多くの危険と誘惑が存在する。エデンの園では「リンゴ」という、魅力的だが食べることを禁じられた実と、イブにその実を食べてみろと誘惑する「ヘビ」が登場する。オーシャン・ビューに置き換えてみてみると、オーシャン・ビューにもたくさんの危険と誘惑が存在する。まず、グレイス・リンチの存在である。グレイスは二度にわたってホーマーを誘惑し、半ば無理やり性的な行為をしようとしている。(p. 255, p. 285)痩せこけて骨ばっている外観や、他の労働者達とつるむことなく一人でいる様はヘビを思わせる。グレイスは人妻であり、ホーマーがグレイスと関係を持つことは世間一般的に「禁じられて」いる。誘ったのはグレイスだが、夫のヴァーナーに暴力をふるわれているのは禁じられていることをしようとしているグレイスへの「罰」ともとる事ができる。また、デブラ・ペディグルーとホーマーの関係にも誘惑は潜んでいる。デブラはホーマーを誘惑しているが、一線を越えるような事はさせない。その中で“He was beggining to see it was a yes-no set of rules he had encountered ”(p. 257)とあるようにホーマーは「ルール」を学んでいく。また、お酒も誘惑の一つである。ことに、リンゴの摘みてである黒人の一行は非常に酒好きであるという記述が多くみられ、“CIDER HOUSE RULES”(p. 281)の九項目のうち、実に四項目はお酒に関する規則である。ウォリス・ワージントンの病気が酒に酔ったせいだったと思われてる設定にも酒の危険性がうかがえる。実際、摘みての黒人たちは酒を飲んで酔っ払ったせいで屋根から転がり落ちたり冷蔵室で酔いつぶれて肺炎になったり、粉砕機で腕を大怪我したりしている。このような酒に関する記述も、誘惑とその先にある危険性を示唆しているようにとれる。

    そして、禁断の実を食べてしまうこと、つまりルールを破ること、それはホーマーがキャンディーと性的な関係をもち、その末にキャンディーが妊娠してしまったことである。聖書と関連づけて考えたときに、この場面が楽園を追い出されること、そして堕落へとつながっていくきっかけになったことは間違いない。キャンディーとウォリーは愛し合っていた。いずれ結婚して子供を生む事を二人は望んでいたし、ホーマーもそれを十分知っていた。ホーマーはキャンディーを愛していたが、ウォリーのことを考えたらあきらめるべきだったし、キャンディーもその愛を受け入れるべきではなかった。しかし、二人はそのルールを破ってしまった。それゆえ二人は、その後の生活において、周りの人々に嘘をつき続け、その事実を隠し続けなければならない状況を強いられる。プレッシャーと罪悪感、これでいいのかという葛藤に悩まされつづけながらも二人は関係をやめられない。目前にある幸せにすがり、嘘に嘘を重ねてそれを守ろうとすればするほど、それが重くなっていくという螺旋の堕落を生むことになる。そもそもこの堕落への一番の誘惑であり、危険の元凶となったのはハーブ・ファウラーの存在であったと考える。ハーブ。ファウラーが投げつけるコンドームには穴が開いていた。それは意図的にあけられたものであった。(pp.303-304)元をたどれば、ホーマーがオーシャン・ビューに来るきっかけになったのは、セントクラウズにキャンディーとウォリーが来たからで、この二人がセントクラウズに来たのは、ウォリーはハーブ・ファウラーのコンドームを使って失敗したからであった。“Had Grace' s journey to St. Cloud's originated with one of Herb Fawler' s prophylactics? ”(pp. 303-304)とあるように、グレイスの堕落の元も、ハーブ・ファウラーのコンドームであったかもしれない。その可能性は非常に高いといえる。キャンディーはウォリーとの子を妊娠したとき産むには早すぎた。デブラがホーマーといちゃつくことはしてもセックスはしない理由が「妊娠することを完全に避けるため」だったのならば、デブラは正しいのかもしれない。つまり、その危険性が存在することを二人は知らなかったとはいえ、大学を卒業する前に子供ができてしまったことは、二人の暗黙のルールが破られてしまったことに他ならない。それゆえキャンディーはセントクラウズで堕胎することを強いられ、その結果ホーマーと出会い、結果的に更なる規則破りをすることになる。ホーマーがオーシャン・ビューへ行く前から「楽園」では規則破りがあって、そこからすでに堕落は始まっていたのかもしれない。さらにホーマーがセントクラウズを出て行くことはメロニーとの約束を破ることであった。このことも覚えておかなければならない。後にグレイスは妊娠した際に自ら堕胎をしようとして命を落としている。このこともルールを破ったことに対する罰であったのだろうか?そう考えることに不自然さはない。  

    ホーマーがセントクラウズを出て十五年以上経ってから、ホーマーはメロニーと再会することになる。その場にはエインジェル、キャンディー、ウォリーが同席しているが、そのシーンでキャンディーはリンゴを食べている。“her mouth was quite full of the new apple, she was a little embarrassed to speak to the stranger”(p. 493)とあるが、この部分も大きな意味があると思う。二人はエインジェルが養子だとメロニーに説明するが、それはまったくの嘘である。二人はもう一人、メロニーという人物に嘘をつくことで罪をまた一つ増やした。キャンディーの“new apple”がそれを強調しているように思える。しかし、メロニーは全ての事実を見透かしてしまう。初めてはっきりと罪を認識させられ、二人は深く沈み、極限まで悩まされることになる。聖書と関連付けてかんがえるのなら、メロニーの存在は聖書の中の神であり、二人の秘密(規則を破ったこと)に気づくという点で、失楽園神話と非常に類似している。キャンディーがリンゴを食べていることは、イブがリンゴを食べてしまったシーンを思わせる。

    ここまでThe Cider House Rulesを失楽園神話に見立てて考察してきたが、それを受けてこの話に対する自分の見解を述べたいと思う。ホーマーはオーシャン・ビューという楽園でof useになるべく、なに不自由ない生活をしてきた。しかし、ルールを破ること=キャンディーと性的関係をもち妊娠させてしまうことにより、少しずつ幸せだった生活が壊れていく。それと並行して自分はどこに所属しているのかという葛藤、そしてセントクラウズこそが自分の真の居場所で、そこからは逃げられないという事実に悩まされている。結論として、ホーマーにとっての真の楽園とはセントクラウズだったのではないかと思う。医者としてof useになれる場所であり、孤児たちに仕事ができる場所である。セントクラウズにおいては、ホーマーは必要とされていた。しかし、ホーマーはそれに満足せず、キャンディーとオーシャン・ビューの魅力に負けた。自ら出て行った点では「追い出された」とはいいがたいが、セントクラウズを離れたことが「規則破り」であり、ここからすでに堕落は始まっていたのではないか。オーシャン・ビューでの一連の出来事が失楽園神話と類似していることは顕著だが、その裏にセントクラウズを主点としたもう一つの大きな失楽園神話があったというのが私の見解である。セントクラウズでのルール、サイダーハウスでのルール、ホーマーとキャンディーとのルール、ホーマーとメロニーとのルール、メロニーとローナとのルール、ミスターローズのルール、規模の大小にかかわらず、二人以上の人間が関係するときそこにはルールが存在する。そのルールによって規律が守られている。しかしいかなるルールも破られる。簡単に破ることが出来る。一度それが破られた時、訪れるものは「堕落」。破滅である。当人たちにとって何が堕落であるかはさまざまであるが、規則を破ることへの軽視に反比例してその罪は非常に重い。この話は、さまざまなルールと、それを破ることを通して起こる精神的堕落が大きなテーマになっていると思う。


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