Seminar Paper 2005

Takeo Sato

First Created on January 27, 2006
Last revised on February 2, 2006

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The Cider House Rulesにおける規則(rules)の意義
〜それぞれの内に存在するRule〜

 この、The Cider House Rulesという物語は、Main Characterである孤児のHomer Wellsを中心に、育った地であるSt. Cloud’s、そして旅立つ地であるOcean View、この二つの世界を舞台に進んでいく。この世界には、様々な登場人物が登場する。Homerを育て、彼と「父と子」のような関係になったSt. Cloud’sの医者である、Dr. Larch、巨漢で短気、そしてHomerを愛するMelony、Ocean Viewにある果樹園を経営しているWorthington家の息子であるWallyと恋人のCandy、そしてその果樹園に働きに来る季節労働者のリーダー、Mr. Roseなど、これらのメンバーがHomerにとって大きな影響を与えていく。さて、この物語にはたくさんの“rule”が存在する。社会のルール、法律だ。登場人物はこれらを無視し、個々のルールに基づいて行動を起こす。私は、“The Cider House Rules”で作者が伝えたかった規則の意義、それは、「最終的にはルールとは当人のもので、自分の行動とそれが周りにどう影響を与えるか気をつけながら、自分を抑制するもの」ということではないか。この本を読み、正しいルールと間違ったルールの存在を問い、そして誰のルールに従っているのかを考えさせられました。つまり、ある1つのRule、基盤が存在していたとしても、それがどのようなシチュエーションや状況でも通用し、良いとされることはなく、内情を知る者が、状況に沿ってルールを定めるべきではないかということなのではないか。この考えについて、Homer, Dr. Larch, Mr. Roseを中心に論じていきたいと思う。Homer Wellsは孤児としてSt. Cloud’sで産まれ育った。St. Cloud’sの医師であり、院長である、Dr. Larchのもとで。Homerは何度も養子として家庭にもらわれるが、上手くいかず、St. Cloud’sに戻ってくるのであった。Dr. Larchはこれを何かの運命と捉え、ホーマーに特別な感情を抱き始める。Homerを実の息子と考える程、愛するようになったのだ。そんな感情をHomerに対して抱くDr. Larchは、彼に「生きる上でのキーワード」を与えていた。「“Be of use”人の役に立て」という言葉だった。(これが今後Homerの物事に対する考えのベースになる。)

When Wilber Larch granted Homer Wells permission to remain at St. Cloud’s for as the boy felt he belonged there, the doctor was merely exercising his considerable, and earned, authority. On the issue of belonging to St. Cloud’s, Dr. Larch was an authority. St. Larch had found his place-in the twentieth century-to be, as he put it, “of use.” And that is precisely how Dr. Larch instructed Homer Wells, when the doctor sternly accepted the boy’s need to stay at St. Cloud’s. “Well, then, Homer,”said St. Larch, “I expect you to be of use.”(p. 7)

Homerはこの言葉を忠実に受け止めた。そしてDr. Larchは、父親の愛情を持ってHomerに産婦人科医の医術を教えることになる。「私の役に立て」とDr. Larchが教えたのは、Homerを孤児ではなくさせるためではないか。HomerはそんなDr. Larchの片腕となり、役に立ったのであった。そんな彼をDr. Larchは自分の後継者に考えていた。実際の社会(外の世界)に出れば、全く学歴の無い単なる「孤児」として扱われるが、今のままSt. Cloud’sにいれば「医師」として働くことができるからだ。Homerの為を想い、このアイデアを出したように聞こえるが、私はDr. Larch自身もHomerとこのままずっと一緒に生活していきたいという、「かわいい自分の子供に対する親の強い想い」と同じような気持ち、願いが含まれているのではないかと考えた。しかし、子供というものは親に反抗し始めるものだ。HomerはDr. Larchに反抗し始めるのであった。

But the quick and not-quick stuff: it didn’t work for Homer Wells. You can call it a fetus, or an embryo, or the products of conception, thought Homer Well, but whatever you call it, it’s alive. And what- ever you call what you do-you’re killing it. He looked at the severe pulmonary artery, which Three Mile Falls. Let Larch call it whatever he wants, thought Homer Wells. It’s his choice-if it’s a fetus, to him, that’s fine. It’s a baby to me, thought Homer Wells. If Larch has a choice, I have a choice, too. (p. 169)

このように、Homerには賛同し難いことがあった。Dr. Larchが行う「堕胎」である。Homerにとって、胎児は「赤ん坊」であり、生きているという信念があった。彼の中で「堕胎手術は絶対しない」という“rule”が芽生えたのである。そんな中、Homerは堕胎手術をしにやってきたCandy達と共に、外の世界に初めて繰り出すこととなる。「何か別の道で役に立ちたい」、と言うHomerを止めることはできないとDr. Larchには分かっていたのではないか。HomerはOcean Viewを気に入った。St. Cloud’sと比べると、何もかもが望まれていたからだ。

At St. Cloud’s, growth was unwanted even when it was delivered-and the process of birth was often interrupted. Now he was engaged in the business of growing things. What he loved about the life at Ocean View was how everything was of use and that everything was wanted. (p. 243)

そんなOcean Viewで、Homerは実に役に立った。リンゴ園の作業を手伝い、エビ漁も手伝った。最終的にはリンゴ園の季節労働者のリーダーと言われる程までになったのだが、彼は「禁断の恋」までも経験してしまったのである。相手はWallyの彼女であるCandyだった。Candyには“rule”があった。出征したWallyが戻ってくるまで待つという約束、つまりは“wait and see”というruleだった。Homerは従った。孤児というものは選択権を持たず、なりゆきを待たなければいけないと思っているHomerにとっては、理解し易かったのではないか。しかしそれは初めだけだった。 “What young man-even an orphan-is patient enough to wait and see about love?” (p.371) “So we’re in for more waiting and seeing, he thought. His feelings were hurt.” (p. 382)、と、このように感じ始めた。Angelが産まれ、Wallyが生きて帰ってくることが分かると、“It’s time to tell, Homer said to Candy.”(p.500) と、我慢には限界が近づいてきた。歳をとるごとに、取捨選択せず、なりゆき任せで生きてきた昔のHomerとは違い、Homer自ら自分の道を決め、自分の存在意義を確認できるようになってきていることを表しているのではないか。自分は何のために生きているのかを。そんなHomerはMr. Roseの娘である、Rose Roseの堕胎手術をすることになる。若かった頃、断固として拒んでいた堕胎手術をなぜ行ったのか。それは「人の役に立て」という今は亡きDr. Larchからもらった生きる上での“rule”だった。Homerは外の世界で過ごしていく中で、「自分のSt. Cloud’sでの経験が人を救うことが出来る」ということを学んだのではないか。これが私の生きる意味だと。“If he could operate Rose Rose, how could he refuse anyone? Only a god makes that kind of decision. I’ll just give them what they want, he thought. An orphan or an abortion.” (p. 568) と 感じるのであった。その後HomerはSt. Cloud’sへ戻り、Dr. Stoneとして「人の役に立つ」という“Rule”の基に、Dr. Larchの後継者になるのであった。次にDr. Larchの“rule”について述べたい。Dr. Larchのruleを一言で表現すると、「人間を救うのは道徳や法律ではない」というものであると考える。彼は法律で禁止されていた、「堕胎」をSt. Cloud’sで行うことになるのだが、Dr. Larchは昔、Mrs. Eamesの娘に堕胎手術をしなかったがために、死なせてしまった事実があった。それにより彼は、堕胎を医者に拒まれると女性はどうするのかを知りたくなった。そして、「オフ・ハリスン」という、非合法で理想的でない病院に行く事実を目の当たりする。Larchはそこにいた女の子に、「私が手術しよう」と誘い、成功するのであった。それ以降、Larchは手術をしてほしいと様々な人に言われるようになる。これにより、一般的なモラルである、「堕胎=道徳的に悪い」に反してでも、自分に出来ることをしてあげるべきだと感じるのだ。つまり、望まざる妊娠をした女性にのみ犠牲を強いる法律を自ら破り、これら「社会的弱者」となる女性の立場に立って、救うことが自分の使命と確信したではないだろうか。St. Cloud’sでは、Dr. Larchが“rule”だった。

Wilber Larch was the only historian and the only law at St. Cloud’s. It was an orphanage law; an orphan’s life began when Wilber Larch remembered it; and if an orphan was adopted before it became memo- rable (which was the hope), then it’s life began with whoever had adopted it. That was Larch’s law. After all, he had taken the necessary responsibility to follow the common law regarding when a fetus was quick or not yet quick; the rules governing whether he deli- vered a baby or whether he delivered a mother were his rules, too. (p96)

そんなDr. Larchは、この信念を貫き、Homerと別れる日を迎える。人間を救うのは道徳や法律ではないという信条の下に、Homerのために医療データも捏造したのであった。Homerという存在に救われていたDr. Larchは、彼がもうSt. Cloud’sに戻らない、そして医者にはならないということが分かった時、愛するものを失ったDr. Larchは死んでしまうのであった。しかし彼は自分の中の“rule”に従い、それを貫き通して人生を終えたと感じた。最後にMr. Roseの“rule”について論じたいと思う。彼のruleは、「抑制の効いた暴力によるセルフ・コントロール」というものだと考える。洗練された暴力により、労働者の一団をまとめるということだ。元々、季節労働者である彼らには農園の方から与えられたruleが存在した。それが題名にもなっている“The Cider House Rule”であるが、そのruleの内容というものが、経営者側の都合によって一方的に押し付けられたものであっため、Mr. Roseはそれを無視した。その代わりに、「自分達のruleは自分達で決める」とし、季節労働者の親方として仲間を統率したのであった。しかし自分の娘であるRose Roseに子供を作らせてしまうと、最終的に娘に刺され、命を絶ってしまう。これは、自分のruleに囚われすぎると、駄目になってしまうということを暗示しているのではないかと感じた。このように主要キャラクターである3人は、定められていた“Rule”を破り、それぞれの状況に適したruleを胸に、人生をまっとうしていったのではないかと思った。この本を読み、人間関係、結婚、人種、中絶、性別など、様々な“Rule”が存在するが、私にとって『サイダーハウス・ルール』とは、「意味をなさない、もしくは現実にそぐわないこれらのruleを打ち破るもの」だと感じた。私たちはすべて人間である。故に、社会の基準は必ずしも我々の現実の人生にそぐわないのではないか。「人が生きていくには、人の数だけルールが有る」と、この物語を読み、私は感じました。


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