Seminar Paper 2006

Kyohei maki

First Created on January 30, 2007
Last revised on January 30, 2007

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The Great Gatsby におけるMoneyの意義
〜物質文明社会の象徴〜

 この作品でMoneyは重要な要素となっている。Gatsbyは貧しい農家に生まれ、幼少の時分から出世するという夢が元来あった。出世するということは金持ちになるということ、莫大なお金を手にするということである。彼はやがてDaisyという彼とは住んでいる世界が違う金持ちの娘に出会い、そのとき、元来あった彼の夢とDaisyと結婚するという願望が重なり合った。Daisyは貧乏な男とは結婚できないと彼は知っていた。彼にとってDaisyは彼の夢の象徴、すなわち、お金(富)の象徴となった。TomとDaisyのように幼少の時分から贅沢な生活をして育ち、親から譲られた莫大な遺産の上に暮らす上流階級の者にとって、お金は、社会的な威信保持のために必要なものであった。東部の物質文明社会はお金がものを言う社会であった。お金はそのような東部の物質文明社会の象徴となっている。NickはGatsbyともTom夫妻とも親しくつきあいながらも彼らを冷静に客観的に見つめ、東部の物質文明社会の真実を知り、故郷へ帰ることとなった。Nickはお金に執着しなかった。

 まずNickという人物について述べておきたいことがある。Nickを通してTomやDaisyの暮しぶり、Gatsbyが開く酒池肉林のパーティーの様子が語られるが、その描写が目立ち、更に、TomとDaisyから婚約のことについて質問される場面で、彼は“‘It’s a libel. I’m too poor.’”(p. 26)と言っているが、彼は決して貧乏ではない。この言葉は誇張であり、あくまでTomと比べれば、ということである。作品の冒頭でNickが自分の家系について述べているが、ここから彼はむしろ裕福な家庭に生まれたことがわかる。そして注目するべきは“Instead of being the warm centre of the world, the Middle West now seemed like the ragged edge of the universe- so I decided to go East and learn the bond business.”(p. 9)と述べている箇所である。彼は田舎の中西部が嫌で東部に出てきたのである。このことについての解説がある。

 アメリカの多くの若者と同じく、ニックもまた、「オハイオ河以西の、ぶざまにのびてふくれた退屈な町々」がいやで、きらびやかな東部にあこがれて出てきた素朴な田舎者である。彼が、初めてイースト・エッグのビュキャナン家に招かれたとき、みんなでひとときを楽しく過ごそうと、とりとめのない軽口が軽快に交わされてゆくばかりのその場の空気に同化することができず、自分だけが「野蛮人のような気がする」と正直に打ち明けるところに、それはよく現れている。(野崎孝『20世紀英米文学案内 7 フィッツジェラルド』(研究社, 1966), p. 99)

 彼は東部に出て、前半は“I began to like New York, the racy, adventurous feel of it at night, and the satisfaction that the constant flicker of men and women and machines gives to the restless eye.”(p. 63)と述べているように東部社会を好きになりつつあった。しかし、完全に東部社会に同化したわけではなかった。Tomの屋敷での食事、TomとMyrtleとその妹Catherineと、それにMcKee夫妻を巻き込んで乱れに乱れた酒盛り、Gatsbyの屋敷で行われるパーティーにNickは参加したが、彼ら(彼女ら)を冷静に見つめていた。東部での経験を重ね、次第に東部の生活に嫌気が差していった。特にGatsbyのことを後に“Gatsby, who represented everything for which I have an unaffected scorn.”(p. 8)と評することからもそのことが窺える。Nickはお金に執着しなかった。裕福な家庭に生まれたということもある。ただ、きらびやかな東部に憧れて出てきたのだった。彼には故郷の中西部に根差した道徳観があり、Myrtleひき逃げ事件、Gatsby殺害事件を見てきて、彼はTomやDaisyのような東部を代表する者たちの裏に潜む不道徳を軽蔑し、東部を去った。           作品の中で、Nickは東部社会、そこに暮らす人々の現実を批判する役割を担っていた。ただし、“Tom and Gatsby, Daisy and Jordan and I, were all Westerners,”(p.183)とあるように皆、元来東部の人だったわけではない。個人を批判するよりも彼らをそのようにしてしまった東部の物質文明社会に対する批判のほうが強いだろう。

 TomやDaisyのような上流階級の者にとってのお金について説明したい。Tomについて“-a national figure in a way, one of those men who reach such an acute limited excellence at twenty-one that everything afterward savours of anti-climax.”(p.12)とある。金持ちで、フットボールの選手として活躍した彼だったが、それは過去の話で現在の彼に残っているのは莫大な金だけである。それだけでは空しいと彼自身も思っていたのかもしれない。The Rise of the Coloured Empiresという書物を読んだのもその空しさからだった。それでも彼らは上流階級としての威厳を他の者に見せなければならなかった。それゆえ、彼らは誇示的消費にふけた。しかし、誇示的消費にふけるだけならGatsbyと同じである。その違いを示したい。Gatsbyの屋敷について“-it was a factual imitation of some Hotel de Ville in Normandy, with a tower on one side, spanking new under a thin beard of raw ivy, and a marble swimming pool, and more than forty acres of lawn and garden.”(p. 11)とある。Tomの屋敷については“a cheerful red-and-white Georgian Colonial mansion, overlooking the bay.”(p.12)とある。上流階級にはそれなりの様式があり、Gatsbyの屋敷は様式を無視した建物で、Tomの屋敷は様式に従った上流階級らしい建物である。これについての説明がある文献から引用したい。

 服装の趣味から着こなしにいたるまで、上流階級にはそれなりの様式があるのだ。二人の住まいも対照的で、ギャッツビーの豪壮な邸宅は「ノルマンディのどこかの市庁にそっくり」で「片側に薄い髭のような蔦の若葉のかげで真新しい塔がそびえている」代物、一方トムの「凝った」館は「ジョージ王朝ふうを模した殖民時代様式」の建物で、「あざやかな蔦かづら」が「家の側面をはい上がっている」。前者はいかにも様式を無視した、野暮ったく殺風景な新築の建物で、後者の、アメリカの建築様式に従った格式の感じられるものとは対照的である。(川上忠雄『文学とアメリカの夢』(英宝社, 1977), p. 183)
 彼ら、金持ちの上流階級は、能力誇示・名声獲得を目的として、日常的営為をもっぱら物的消費の誇示に振り向けた。しかし、Gatsbyのような成金とは同一視されたくなかった。だからTomはGatsbyの服装や派手なパーティーを毛嫌いした。   

“So Tom and his girl and I went up together to New York-or not quite together, for Mrs Wilson sat discreetly in another car. Tom deferred that much to the sensibilities of those East Eggers who might be on the train.(p.32)とあるが、TomもDaisyも自分たちが上流階級であることを相当意識していた。Tomは浮気相手のMyrtleとニューヨークへ行ったときも彼女を別の車両に乗せた。  

Daisy争奪のためTomとGatsbyが言い争ったときTomは、Gatsbyが産を成したやり方がいかに自分たちの階級にそぐわないかを彼女に仄めかすことで、彼女の虚栄心に訴えた。結局、Daisy争奪戦に勝利したのはTomだった。Gatsbyが自分に浴びせられた非難に対して否定しても、最早Daisyの心に届かなかった。

 It passed, and he began to talk excitedly to Daisy, denying everything, defending his name against accusations that had not been made. But with every word she was drawing further and further into herself, so he gave that up, and only the dead dream fought on as the afternoon slipped away, trying to touch what was no longer tangible, struggling unhappily, undespairingly, toward that lost voice across the room.(p. 141)

 Gatsbyは出世することが夢だった。彼にとってお金が夢の象徴だった。当時まだ貧乏だった彼が出会ったDaisyも彼の夢の象徴となるような人物だったのである。Daisyは、Gatsbyが思い描いた、絢爛豪華な世俗の美に奉仕しなければならないという観念にはお誂え向きの女だった。Daisyが中世部の道徳を大切にするより、東部の物質文明社会で世俗的な美に重きをおく女だとGatsbyは知っていた。“‘Her voice is full of money,’he said suddenly.”(p. 126)からもわかるように、このことは明らかである。恐らく作者のFitzgeraldはNickを通して、この物質文明社会を批判したかったのではないか。少なくとも、批判的な目で見ていた。作者自身の生活も行楽に明け暮れる華やかなものであったことは周知の事実であるが、この自分の生活に対してもどこか空しいものを感じていたのではあるまいか。  

Gatsbyに対して軽蔑を抱きながらも、Nickが最後に“‘You’re worth the whole damn bunch put together.’”と言ったのはGatsbyが自分の夢に対して非常に誠実だったからである。ひき逃げ事件後、彼の夢の象徴になったDaisyを彼はかばおうとした。  登場人物たちにとってのお金とは以上のようなものであった。


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