Seminar Paper 2007

Megumi Uda

First Created on January 29, 2008
Last revised on January 29, 2008

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The color purple におけるジェンダー問題
女性よ、自己主張をしよう

    カラーパープルは、主人公セリーを通して、人種差別、女性差別という二重の抑圧を受けていた黒人女性が自分自身を変化させうること、また女性の解放を主張している作品である。ジェンダー問題に焦点を置き、セリーの成長を通してそれを探っていく。

    黒人娘のセリーは始め、とても悲惨な生活を送っていた。セリーは継父に性的に虐待され、彼との子供を二人産む。しかし二人とも継父に強引に奪われて売られてしまう。14歳になるとミスター_と無理矢理結婚させられるが、その結婚生活はセリーにとって労働力の提供以外のなにものでもなかった。夫に愛されることもなく、酷使のみされる奴隷のようである。そして夫はセリーのことが気に食わないと暴力を振るった。しかし彼女は抵抗することを知らない。“I make myself wood. I say to myself. Celie, you a tree. “ (p. 22) と自分に言い聞かせてただひたすら耐えていた。妹のネッティとのやりとりで以下の会話がある。“But she keep on, You got to fight. You got to fight. But I don’t know how to fight. All I know how to do is stay alive.” (p. 17)

    セリーは性差別と人種差別にゆがんだ社会において、黒人女性として自由を求め闘うことを知らない女性であった。しかし、セリーの人生はこのまま終わらない。彼女の前に、自立した、たくましいフェミニストとして義理の息子の嫁ソフィアと夫の愛人シャグが登場する。フェミニズムとはあらゆる女性―白人女性、経済的に恵まれた女性、異性愛者だけでなく、有色人種の女性、労働階級の女性、貧しい女性、障害を持っている女性、レズビアン、歳をとった女性―のための、政治的な理論であり、実践でもある。(河池和子『わたしたちのアリス・ウォーカー』(御茶ノ水書房,1990), p. 65) セリーは、彼女たちとのかかわりや連帯を通して今まで知らなかった様々なことに気づき、自己を愛し自己を主張する女性へと成長していく。

    セリーがソフィアと出会うのは、ソフィアが結婚相手のハーポとともにハーポの父Mr._のもとへ結婚の承諾を求めに来たときである。Mr._はお腹の子の父親は誰かと尋ねるなどしてソフィアを侮辱する。しかし、父親を恐れるハーポはいつまでも何も言わず黙ったままでいる。そんなハーポを見たソフィアはついに席を立つ。“Well, nice visiting. I’m going home. Harpo get to come too. She say, Naw, Harpo, you stay here. When you free, me and the baby be waiting.” (p. 31)ソフィアは自分の感情や意思をはっきりと表現する。そして独立精神の強い、たくましい女性である。セリーは彼女のことを自分の出来ないことをする女性として意識している。 “I like Sofia, but she don’t act like me at all. If she talking when Harpo and Mr._ come in the room, she keep right on. If they ask her where something at, she say she don’t know. Keep talking.” (p. 36) そんな中結婚後も強く自己主張をするソフィアに不満を持っているハーポから、どうしたらソフィアが自分の言うことを聞くようになるのかと相談を受けたセリーは、思わず暴力で従わせることを提案してしまう。これを知ったソフィアから、なぜそのようなことを言ったのかと問われたセリーはこう答える。

“ I say it cause I’m a fool, I say. I say it cause I’m jealous of you. I say it couse you do what I can’t. What that? She say. Fight. I say. She stand there a long time, like what I said took the wind out her jaws. She mad before, sad now.” (p. 40)

    セリーはここでソフィアに対して嫉妬心をもっていることを自覚する。そしてその嫉妬心を自覚することで、自分が本当はソフィアのように強く生きたいのだということに気づく。セリーがソフィアのように自己主張の出来る女性に成長するまでには小さな進歩の積み重ねを必要としたが、今回の件で新たな自己に気づいたことは大きな第一歩となる。

    またソフィアよりもセリーに大きな影響を与えた人物としてシャグがいる。シャグはセリーが今まで見た中で一番美しい女性であり、夫の元愛人である。シャグは病気で倒れた際にMr._によって家に運ばれてくる。病気ながらも自信と生命力に満ち、なまめかしいシャグにセリーは魅惑される。セリーが親身になって看病していくうちに、二人は打ち解けあい、二人の間に愛情が芽生える。彼女はアフリカに行ってしまった妹のネッティ以外にセリーを愛してくれたただ一人の人であった。彼女は自由奔放ながらも自立した女性として描かれている。そしてソフィア同様、男と女は対等であると考える。そんなシャグがセリーに教えた最も大切なことは、自己を愛し、自己の価値を知ることである。シャグは野原を歩きながらむらさき色について叙情的な話をした時に、自分を見つけることが自分のうちに神を見つける道であるとセリーに述べている。 そしてセリーはシャグとの肉体関係から性愛の喜びを初めて知り、人間的に開花していく。

    フェミニズム運動の中で同性愛者の解放は重要視されているが、作者アリス・ウォーカーもレスビアニズムを女性の自由の一環として位置づけている。 「女が女を愛し、しかもそう欲するならば、それを公然と表現するのは、だれにとってもそうであるように、女にとっての自由の不可欠の部分なのだ。もし愛を自由に表現できないのなら、奴隷と同じだ。もし自由に愛を表現することをさまたげ他者を奴隷化しようとする人がいれば、それは奴隷的精神の持ち主である」 (加藤恒彦『アメリカ黒人女性作家論』(御茶の水書房,1991), p.40)

    シャグの協力で、アフリカに行ってしまった最愛の妹ネッティからの手紙をMr._はずっと隠していたことをセリーは知る。あまりの夫の卑劣さに彼を殺したくなるほど激怒する。そしてシャグとともにメンフィスへ発つことを決め、それをMr._に伝える場面では今までになかったセリーが出てくる。

“He look over at me. I thought you was finally happy, he say. What wrong now? You a lookdown dog is what’s wrong, I say. It’s time to leave you and enter into the creation. And your dead body just the welcome mat I need. Say what? He ast. He shock. All around the table folkses mouths be dropping open. You took my sister Nettie away from me, I say. And she was the only person love me in the world.” (p.199)
“Mr._ reach over to slap me. I jab my case knife in his hand.” (p. 200)
セリーは闘い、自己主張をする。シャグとソフィアとの関わり、ネッティの手紙を通じて自己の価値と尊さを知ったセリーはついに夫に立ち向かったのである。

    そしてメンフィスでは、セリーはシャグの勧めで始めたズボン作りを仕事にし、自立して自分で生計をたてるようになる。そして男女両用のズボンを作る。セリーは性別や決まりきったデザイン形式を考えてデザインするのではなく、ズボンを履く人の個人的な事情を考えてデザインする。そして誰でもズボンを履けることを強調する。それは伝統的な役割規制を拒むこと、またそれを外に示すことを示している。こうしてセリーは知るという行為に目覚めることで、セリーは他者の踏み台にされていた犠牲者から、自らの人生を切り開き、自分の望む人生を生きる女性へと変貌したのである。

    次にカラーパープルの中で描かれている男女の役割に注目する。この作品の中では、一般的に考えられている女の仕事、男の仕事という概念が崩れている。
ハーポは料理や家の中を片付けるのが大好きである。Mr._は初めはシャグとの結婚を認めてもらえなかったことから男らしくしようとして本来の自分を失っていた。しかし、シャグやセリーを失って、本来の自分に戻る。彼は、女のように家をきれいにし、料理をして皿まで自分で洗う。そしてセリーと一緒に縫い物をする場面も出てくる。自分らしくなったMr._は、表情も豊かになる。一方で、ソフィア、セリー、シャグたち女は、畑仕事をしたり、屋根をふくのが好きであったり、家を設計したり、店を持つといった普通は男の仕事と思われることに携わっている。 こうした役割設定から、作者は一般概念に捕らわれない男女の役割、そして自分らしさを追及する自由を強調しているのだと思う。

    またカラーパープルは、女性解放のためには女同士の連帯が必要であることを強調している。作者自身の妊娠、中絶など女性特有の体験の結果、女性差別の時代に社会の意識を育てるには他の女たちとの連帯しかないという認識に達したのであろう。ソフィアは自分の兄弟についてセリーにこう語っている。“Six boy, six girls. All the girls big and strong like me. Boys big and strong too, but all the girls stick together.” (p. 41)

    また作者は、連帯の象徴としてキルトを使う。 布地や衣類は、共同体、特に家族同士の絆を生み出すことが出来る。セリーはソフィアにシーツを縫う糸を貸してあげたり、カーテンを作ってあげたりしている。そのカーテンは、ソフィアとハーポがケンカをした時に破かれてしまう。ソフィアは、セリーがハーポに彼女を殴れと言ったことがわかると、作ってもらったカーテンを借りた糸に1ドルのお金を添えて返してしまう。その後、仲直りした二人は、そのカーテンを小さく切ってキルトを作り始める。そのキルトは、ソフィアとセリーとシャグがみんなで時間をかけて作り上げたもので、カーテンの切れ端と一緒に、シャグの古い黄色いドレスも小さく切って使われている。そして「姉妹の選択」という柄に作られている。それは、愛と苦悩と夢が縫いこまれているキルトであり、小麦粉の袋や「星のように見える小さな黄色い布切れ」を材料として作ったキルトである。このキルトをセリーは結局ソフィアにあげて、彼女と子供たちが冬の間暖かく過ごせるようにしてやる。

    このキルト作りは、縫い物をすることが小さなものをつなぎ合わせ、大きな有益なものを作る結合の行為であることを示している。さらに、他者と一緒に縫い物をするということは、仲間意識を実際の行為に表わしたものである。縫いながらおしゃべりをすることは楽しいことであるし、黙っていても気持ちが通じ合える。オリンカの母親たちは、あまりに暑くて何も出来ない午後などに、一緒に縫い物をする。そしてこう述べている。“It was through work that Catherine became friends with her husband’s other wives.” (p. 166)

    まとめると、女性解放運動以前は、黒人女性が自己主張をし、充実した人生を送ることは例外的でしかなかった。文学においても、黒人女性は犠牲者、弱い性として型にはめられて描かれてきた。そのような中で、作家アリス・ウォーカーはフェミニストとして、耐えることをやめ、自分自身の人生を生きようと闘う黒人女性の姿をこの作品で描いた。女たちは、男たちと、ときには社会の既成概念と闘って自由な自分になる。このような生き方を黒人女性にしてほしい、すべきであるという作者の思いが込められた作品である。作者は、虐げられるがままになっている女性たちに手を差し伸べるために、フェミニズムを広める必要があると考えている。主人公セリーを通して、いかにゆっくりとした成長であろうとも、セリーのような女の進歩が大切だと訴えているのだろう。


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