Seminar Paper 2007

Eriko Watanabe

First Created on January 29, 2008
Last revised on January 29, 2008

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The Color Purple におけるジェンダー問題
闘う女たち

    “fight”闘う。The Color Purpleでは、女性たちがジェンダーによる困難に立ち向かう姿が大いに描かれている。一般的に、男性は女性よりも優位に立っているという考えが広まっているが、この作品の中の男性の女性への扱い方はひどいものである。特にCelieは幼い頃から男性にひどい目にあってきたおかげで、男性に対して自分の意思を主張するということが出来ないでいた。(唯一、“God”への手紙の中では自分の思いを書き記していたが。) そんなCelieが様々な人と出会い、色々な経験をしていくうちに一人の「女」 として自立していくのであるが、私はCelieを成長させたのも、やはり女性の力が圧倒的に影響しているのではないかと思う。「女が女を強くする」という説を設けて、Celieが自立した強い女性へと変わっていく過程を検証していく。

    まず、初期のCelieの様子について簡単にまとめておく。Celieは父親(実の父親ではなかったと後で知ることになる。) からひどい仕打ちを受けていた。父親の妻、つまりCelieの母親の体が弱っているときは、代わりにCelieを性欲の処理の道具のように扱っていた。また、Celieが妊娠したとわかれば、“The first time I got big Pa took me out of school. He never care that I love it.”(p. 9)のように学習の機会をCelieから奪った。もちろん家事や幼い子供達の世話は全て身重のCelie に任せるばかりで、しまいにはCelieが生んだ赤ん坊をよそへ連れて行ってしまった。この「父親」がCelieを男性不信へと陥らせたきっかけを作ったと言える。Celie が文句を言わずに何でも自分の思い通りになるのをいい事に「使う」だけ使ってその後は、

Fact is, he say, I got to git rid of her. She too old to be living here at home. And she a bad influence on my other girls. (p. 8)
とある通り、まるで用無しになった道具を処分するかのように易々とMr._にCelie を譲ってしまった。Mr._も同様に、Celieを自分の思うがままに支配するような男性であった。家事、育児の全てをやらせ、畑仕事も自分はほとんどやらずにCelieに押し付け、性行為においても自分の欲望のままにCelieを「使って」いた。先ほどから強調しているように、彼らのCelieに対する扱いは、まるで物を「使う」かのようなものだったと言える。当時の男性は女性を人間としては見ておらず、何でも言うことを聞く奴隷のようにとらえていたのではないか、ということが窺える。この結果、Celieは男性に興味も信頼も持たず、“Most times mens look pretty much alike me. ”(p. 15) となってしまったのだと言える。

    Mr._の家に嫁ぎ、彼の「奴隷」としての生活が数年経ったころ、Celieが強い女性へと生まれ変わる大きな契機となる出来事があった。Sofiaとの出会いである。SofiaはCelie にとって初めて出会う「強い女性」であったのだが、Sofiaも元から強かったわけではないようである。

She say, All my life I had to fight. I had to fight my daddy. I had to fight my brothers. I had to fight my cousins and my uncles. A girl child ain’t safe in a family of men. (p. 40)

She say, To tell the truth, you remind me of my mama. She under my daddy thumb. Naw, she under my daddy foot. Anything he say, goes. She never say nothing back.(p. 41)
このように、Sofiaの家庭も当時のジェンダーの風潮を受けており、彼女の母親もCelieと同じような生活を送っていた。そんな光景を見ながら育ったSofiaは「女」としての自分を守るために“fight”しなければならなかったのである。生まれてからずっと「闘って」きたために、彼女は当時にしては珍しいであろう強い女性としてのキャラクターを得ることが出来たのではないか。初めから強かったわけではなく、「闘わなければならなかった」というSofiaの言葉を聞いて、Celieの心の中に強い女性への憧れが芽生えてきたのだろう。実際にHarpoとSofiaの関係に対するCelieの考え方は変化している。強情なSofiaを何とか自分の思うようにしたいHarpoに対してCelie は初め“Beat her.”(p. 36)と助言したのだが、しばらく経って思い通りにならないSofiaのことで愚痴をこぼすHarpoに向かって、“I start to take back my hansker. Maybe push him and his black eyes off the step.”(p. 63) と思っている。また、“Harpo, I say, giving him a shake, Sofia love you. You love Sofia.”(p. 63) とHarpoを説得までしている。いくらHarpoに慕われているからとはいえ、「あの」Celieが、Sofia とHarpo の仲が上手くいくようにと力強く説得しているのである。この時点ですでにCelie は一歩成長したと言えるのではないか。Sofia との出会いによって、世の中にはこんなに強い女性もいるのだという認識を持つようになったのだと言える。

    次に、この話の中のジェンダー問題において、Celieに最も大きな影響を与えることとなったShug Averyとの関係について検証していく。Celie はShugを写真で見たときから彼女の虜となっていたが、Mr._の家で一緒に暮らすようになって、ますます彼女に惹かれていく様になった。それはやはり彼女のキャラクターがCelieにとって大きな影響力を持っていたからだろう。Celieが未だに心を許すことの出来ないMr._に対してShugは、

I don't need no weak little boy can't say no to his daddy hanging on me. I need me a man, she say. A man. (p. 47)
のように強気な発言をしている。いくら昔恋人同士だったとはいえ、Celieが恐れ、心を開くことが出来ないMr._に対してこのような態度をとることができるShugは、Celieにとって最も強い女性であるに違いない。また、別れた後もずっとShugを愛し続けていたMr._もShugと再会したことによって、変化が見られた。“Nobody fight for Shug,he say. And a little water come to his eyes.”(p. 48) のようにCelieに対して弱音を吐き、涙さえ見せているのである。この場面は、この話のジェンダーのあり方ではあり得ないものでははいだろうか。男性は女性に対して絶対的な支配力を持つ、とにかく「強い」存在であるはずだが、この場面では強かったはずのMr._の弱った姿を描いている。Shugの介抱から生じた連帯感によって、この作品におけるジェンダーの意識が少し変化したと言える。

    Shugとの出会いによってCelie自身の男性観も変化を遂げた。今までは男性には服従しなければならないと思っていたが、“I drop little spit in Old Mr._water.”(p. 54) “Next time he come I put a little shug avery pee in his glass.”(p. 55) とあるように、男性に陰ながら反抗しようという気持ちが窺える。自由奔放なShugらしく、当時のジェンダー意識による女性の不利など自分にはまるで関係ないかのように、男性に屈しないShugと出会い、仲が深まるにつれて自然とCelieの内に「強い女」としての意識が宿り始めてきたのである。これまでのCelieとMr._の関係を知ったShugは“I won't leave, she say, until I know Albert won’t even think about beating you.”(p. 75) とCelieを支えることを宣言する。Shugが心強い味方であることが、さらにCelieに自信を持たせるようになったのだろう。 “It stop with Mr._maybe, but start up again with Shug.”(p. 81)の一文が示すように、Celieの「女」としてのlifeはMr._をはじめとする「男」たちの強制的な圧力によって一度は閉ざされてしまったのかもしれない。そのためCelieは意思を持たず、「女性として」以前に「人間として」の存在意義をも失ってしまったといえる。そんな「物」同然の扱いを受けていたCelieの前に現れたShug、Sofiaという強い「女」たち。彼女たちの強さに刺激され、Celieの閉ざされた心の奥に眠っていた「女」としての意識が再び目覚めたのではないか。こうしてCelieは再び「女」としてのlifeを歩むことになる。これはつまり、Celieの“fight”が始まったと言える。今まで向き合うことの出来なかった「男」たちとの“fight”を決意したのである。「女」たちがCelieの「女」の部分を呼び起こしたのである。

    これまでCelieの身近にいる女性たちを取り上げてきたが、この話におけるジェンダー問題はCelie の身近なところだけにとどまらない。Nettieからの手紙の中で頻繁に出てきたOlinkaでも、女性たちは“fight”していたのである。最初の方の手紙で“A girl is nothing to herself; only to her husband can she become something.”(p. 155)

Our women are respected here, said the father. We would never let them tramp the world as American women do. There is always someone to look after the Olinka women. (p. 161)

There is a way that the men speak to women that reminds me too much of Pa. They listen just long enough to issue instructions. They don’t even look at women when women are speaking. ―To“look in a man’s face”is a brazen thing to do. (p. 162)
と書かれているように、従来のOlinkaもAmericaと同様に、男性が女性よりも上に立つという社会であったのだが、OlinkaにはAmericaのような「差別意識」は無く、女性は男性に従って働き、子供を産むことで生活が保障されると言われており、女性たちもそれが当たり前のように生活していた。しかし「道路工事」の事件をきっかけに、女性たちの意識に変化が生まれた。いつまでも男性たちに従属しているだけではいけない、Olinkaを守るために女性も立ち上がらなければならない、ということに気付いたのである。
more mothers are sending their daughters to school. The men do not like it; who wants a wife who knows everything her husband knows? they fume. But the women have their ways, and they love their children, even their girls. (pp. 170−171)
の記述からもわかるように母親たちは、知識を増やし視野を広げるために今まで学校に通うことの無かった少女たちを学校へ通わせるようになった。たとえ男性たちがそれを認めようとしなくても、女性たちは立ち上がったのである。Olinkaでも、女性たちの“fight”が始まった。

    状況は異なるが、異国の地での女性たちの“fight”の様子もまた、Celieの“fight”を後押しする要素となったのではないか。さらに、遠く離れた地で、困難に立ち向かいながら宣教師として健闘している妹Nettieの“fight”もCelieの大きな味方となったであろう。近くであろうと、遠く離れていようと、女性たちが自分の意思で立ち上がり行動を起こしている、という女性同士の連帯を感じながら、Celieはさらに「女」としての強さを持つこととなった。

    “God”に対する考え方が変わったことも、Celieのジェンダーの意識に大きく関わっている。彼女は今まで、多くの人々と同じように“God”イコール「男」であるという固定観念を抱いていた。その影響もあってか、男性は強い力を持つというように考えていたようだ。しかし“God is inside you and inside everybody else. You come into the world with God.”(p. 195) “Man corrupt everything, say Shug.”“He try to make you think he everywhere. Soon as you think he everywhere, you think he God. But he ain’t.”(p. 197) というShugの言葉で、Celieの中の“God”イコール「男」という図式が崩れたのである。これがCelieの男からの解放にさらに拍車をかけたと言えるだろう。この場面でもやはりきっかけを与えたのは、「女」であるShugである。

    「女」として自立の過程を歩む過程で、Celieの男性に対する不満、不信は募る一方であったが、それらが爆発して男と女が文字通り“fight”してしまう、ジェンダー問題においての山場がOdessaの家での夕食の場面である。Shugと共に家を出ることを皆の前で発表したCelieに対して、Mr._は何としてでも阻止しようと強気に出るが、“You a lowdown dog is what’s wrong, I say. It’s time to leave you and enter into the Creation. And your dead body just the welcome mat I need.”(p. 199) と、今までとは違うCelieの態度に“shock”を隠し切れない。この場面は、CelieのMr._に対する“fight”だけではなく、大切な親友であるCelieを散々苦しめてきたMr._へのShugの“fight”でもあるし、これまで言いなりにさせられてきたHarpoに対するSqueakの“fight”でもあり、同様にSofiaの“fight”でもあるのだ。“all us together gon whup your ass.”“You was all rotten children, I say. You made my life a hell on earth. And your daddy here ain’t dead horse’s shit.”“I jab my case knife in his hand.”(p. 200)人が変わったかのような Celieの剣幕に気圧されるMr._やその他の「男」たちに向かって、“Why any woman give a shit what people think is a mystery to me.”(p. 200)と吐き捨てるShug。彼女が言うように、彼女たちは周りの人々の言うことを気にするような「女」ではないのである。彼女たちが“fight”した結果、当時のジェンダーに対する考え方を覆すような、男に屈しない強い精神を持った「女」へと変わることが出来たのである。この場面の後半で、

Shug look at me and us giggle. Then us laugh sure nuff. Then Squeak start to laugh. Then Sofia. All us laugh and laugh. Shug say, Ain’t they something? Us say um hum, and slap the table, wipe the water from our eyes. (p. 201)
とある。これまでの横暴さが嘘のように動揺し、うろたえる男たちの姿を見て、女たちは豪快に笑っている。彼女たち自身が強くなったことで、今まで強いと思っていた男たちは大した存在ではないことに気付いたのであろう。彼女たちは、そんな男たちのことなど必要としていない。反対に、男たちは女がいなければ何も出来ない。この状況がおかしくて仕方がなくて彼女たちは笑いを抑えることが出来ないでいるのだ。今まで自分の言いなりになっていた女たちが、自分を見て腹を抱えて笑っている。Harpoに関しては、娘にまで“Poor Daddy.”(p. 201) と言われる始末である。この時代の「男」としてこれほどの屈辱はないだろう。つまり、これが“fight”において女が男に勝利した瞬間といえるのではないか。きっと、昔の男たちは女に対して「女は男が居なければ生活できやしない」というような考えを持っていたのだろう。しかし、この場面では見事に逆転している。ジェンダー問題の困難に負けずに“fight”して掴み取った勝利は、男性からの自立を遂げたことを象徴していると言える。その後、CelieがMr._の家を出た場面で“I'm pore, I'm black, I maybe ugly and can’t cook, a voice say to everything listening. But I’m here.”(p. 207) とCelieが感じているように、自分の境遇を受け入れ、自分の意思で一人の「人間」「女性」としてここに生きている(=I’m here.)ということを主張している。このCelieの姿こそ、成長の過程を経て生まれ変わった「強い女」だと言えるだろう。

    幼い頃の男性からのひどい扱いを受けたことのトラウマにより、意思を持たず、男性の言いなりとしてしか生きてこなかったCelieが再び「女」としての存在意義を持つことが出来たのは、Sofiaという「闘ったことで強い女としてのポジションを確立することができた」女性との出会い、Shugという「社会に気をとらわれず、自分の思う道を歩んできた強さを持つ」女性との出会い、「遠い地で、異国の民族と共に困難に負けず生きている」妹Nettie、妹からの手紙に記されている「村の平和を守るために男性からの反対にめげずに立ち上がった」Olinkaの女性たち、共通して何かしらの「強さ」を持った女性たちの大きな影響を受けたためである。彼女たちの「強さ」は生まれ持ったものでは無く、“fight”して自ら手に入れたものである。Celieはこの事を理解しているからこそ、彼女自身も“fight”して「女としての強さ」を得ることが出来たのだ。周りの女性たちが、社会的に広まっていたジェンダー意識にとらわれずに「自立した女性」として生きる姿に触発され、Celie自身も一人の「女性」として成長していく様子は、やはり「女が女を強くする」と言い表すことが出来るのではないか。外見や生まれた境遇などは関係ない。自分らしく生きるという“fight”の覚悟を決められる「心の強さ」を持つ女性たちは輝いている。笑って生きていくことができる。「闘う」女は美しいのである。


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