Seminar Paper 2008

Fujita, Midori

First Created on August 9, 2008
Last revised on August 9, 2008

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「ホールデンと子供たち」
〜演技するホールデン〜

    ホールデンは、世間とは違うものの見方をすることが、大人になることだと思っているのだと思う。つまり、世間一般の考えや行動を否定することで、大人ぶるという「演技」をしているのである。そして大人ぶることが、かえってホールデンの子どもっぽさを引き出してしまっているのではないだろうか。

    ホールデンの大人っぽく見せているところ、つまり、世間一般とは違うものの見方をする部分がある。まず、ホールデンが通っていたペンシー・プレップスクールに対し、“They don’t do any damn more molding at Pencey than they do at any other school.” (p. 2) とケチをつける部分。それに関連して、サクソン・ホール校とのフットボールの試合に、ほとんどの生徒が観戦に行っていたにもかかわらず、行かずにトムセン・ヒルのてっぺんからその試合を見下ろしていたこと。これは、自分はみんなとは違う、世の中の “phony” な人たちとは違う考えを持っているのだというホールデンの主張を表している。また、競技場を見下ろすくらいの位置にいることが世間を見下していることを表していると考えられる。このことから、学校生活においておそらくホールデンは団体行動や人付き合いが苦手だったのではないかと思う。これに関して、私自身も一人で行動することが多いが、友達と一緒じゃなきゃ授業を受けられないとか、友達と一緒じゃなきゃご飯が食べられないというような、何をするにおいても一人じゃ行動できない人をよく見掛ける。そういう人はいつ見ても誰かと一緒に行動を共にしている。それを私は理解できないときがある。これは私の偏見かもしれないが、物語を読んでいく上でホールデンと似たような点が多少あるように思えた。つまり、少し冷めた視点から物事を見てしまうこと、自分は多数派でなく少数派であると見栄を張って大人ぶることである。

    もうひとつ気になったのは、自分を実際の年齢よりも上に見せようとすることである。バーでお酒を頼む場面がいくつかある。未成年はお酒を飲んではいけないと理解しながらも、わざわざバーへ行ってお酒を注文する。これは何を意味しているのだろうか。未成年だとばれないようにすることのスリルをただ楽しんでいるだけなのか、それとも自分が未成年であるかどうかを見抜けるか、大人を試しているのだろうか。私は後者であると考える。なぜなら、次のような場面があるからである。お酒を口早に注文するホールデンに対し、ウェイターが身分証明書を要求する場面である。

   I gave him this very cold stare, like he’d insulted the hell out of me, and asked him, ‘Do I look like I’m under twenty-one?’ ‘I’m sorry, sir, but we have our...’ ‘Okay, okay,’ I said. I figured the hell with it. ‘Bring me a Coke.’ He started to go away, but I called him back. ‘Can’tcha stick a little rum in it or something?’ I asked him. I asked him very nicely and all. ‘I can’t sit in a corny place like this cold sober. Can’tcha stick a little rum in it or something?’ ‘I’m very sorry, sir...’ he said, and beat it on me. I didn’t hold it against him, though. They lose their jobs if they get caught selling to a minor. I’m a goddam minor. (p. 69-70)

    一度自分がお酒の飲める成人だという演技をして、自分が未成年だなんてとんでもないという風に見せたが、ウェイターが譲らなかったので諦めたことが少し意外であった。おそらくホールデンはバーでお酒を頼むことには慣れていたのかもしれない。だからウェイターの様子を見て手ごたえがあるかどうかを判断していたのかもしれない。しかしそのあとで、少しは望みがあると思ったのか、またはそのウェイターがものわかりのいい人だと思ったのかはわからないが、やはり最後まで粘ったのが少し滑稽でもあり、ホールデンらしいとも思った。

    さらにホールデンは、ことばに対しても敏感である。例えば、スペンサー先生の “I had the privilege of meeting your mother and dad when they had their little chat with Dr. Thurmer some weeks ago. They’re grand people.” (p. 9) ということばに対し、口では “Yes, they are. They’re very nice.” と答えながらも “Grand. There’s a word I really hate. It’s a phony. I could puke every time I hear it.” (p. 9) というように “Grand” ということばを全面的に否定している。さらにスペンサー先生が別れ際に発した “Good luck!” (p. 15) ということばについても、自分は絶対使わないと断言している。

    世の中には見方次第で、薄っぺらい、うわべだけの意味のようなことばはたくさんあると思う。もちろん、すばらしい意味が含まれるのだと理解して多用する人は多くいるだろう。しかしホールデンは、そのようなことばを多用するのが 彼の嫌いな “phony” な人たちであるから、そう否定するのだと考える。

    こんな、世間を否定するような冷めた感じのホールデンにも、子供っぽいところがわかりやすく表に出ている部分はある。例えば以下のように、ホールデンは自分の性格などを述べている部分がある。

I shake my head quite a lot. ‘Boy!’ I said. I also say ‘Boy!’ quite a lot. Partly because I have a lousy vocabulary and partly because I act quite young for my age sometimes. I was sixteen then, and I’m seventeen now, and sometimes I act like I’m about thirteen. It’s really ironical, because I’m six foot two and a half and I have gray hair. I really do. The one side of my head--the right side--is full of millions of gray hairs. I’ve had them ever since I was a kid. And yet I still act sometimes like I was only about twelve. Everybody says that, especially my father. It’s partly true, too, but it isn’t all true. People always think something’s all true. I don’t give a damn, exept that I get bored sometimes when people tell me to act my age. Sometimes I act a lot older than I am--I really do--but people never notice it. People never notice anything.” (p. 9)

これは、ことばの通りに読めば、自分の欠点や子供っぽいところをわかっていてある程度大人びているともとれるが、年齢よりも子供っぽく振舞ってしまうと自ら言い訳をしている部分や、親の言うことにうんざりしてしまったり、大人びた行動をしても気付いてもらえないと思っている部分は、ホールデン自身が気付いていない子供っぽさと言えるのではないだろうか。

    もうひとつは、寮を飛び出した後の話だが、一人でいるとやたらと人に電話したくなることである。

The first thing I did when I got off at Penn Station, I went into this phone booth. I felt like giving somebody a buzz. I left my bags right outside the booth so that I could watch them, but as soon as I was inside, I couldn’t think of anybody to call up. (p. 59)

    章の始めからこのように書かれているので、誰かに電話をかけたいという意思が相当強かったように見える。ここでは結局誰にも電話しなかったのだが、誰に電話しようか思考を巡らせるのに随分の時間を使ったことだろう。後にもこのような場面が度々ある。もちろん実際に電話をかけた相手はあったが、どれも本当に話したかった人ではないのではないかと思う。しかしここで私が思ったのは、思いつきで電話をかけた相手に約束を取り付けたり、うまく口でごまかしたりできることに感心してしまった。ホールデンという人物は初めは気弱だと思ってたが、少しは前向きで強い部分もあることに気付いた。とにかく思いつきで電話を掛けたくなるのは、ひとりでいることが寂しいことのほかに、自分の居場所を誰かに分かってほしい、ここにいるよと知らせたいからであるのではないだろうか。さらに、自分を心配してくれている人、必要としてくれている人を無意識に探しているのだと考える。例えば本当に電話を掛けたくても掛けられなかった人の一人に、むかし仲の良かったジェーンが挙げられる。以下がジェーンに電話を掛けようと思い立った場面である。

   I started toying with the idea, while I kept standing there, of giving old Jane a buzz -- I mean calling her long distance at B.M., where she went, instead of calling up her mother to find out when she was coming home. You weren’t supposed to call students up late at night, but I had it all figured out. I was going to tell whoever answered the phone that I was her uncle. I was going to say her aunt had just got killed in a car accident and I had to speak to her immediately. It would’ve worked, too. The only reason I didn’t do it was because I wasn’t in the mood. If you’re not in the mood, you can’t do that stuff right. (p. 63)

    かなり念入りにいろいろな場合を想定して心の準備をしたのに、結局電話を掛けなかったのはなぜだろうか。ここでは、そういう気になれなかったとあるが本当にそうだろうか。電話を掛ける勇気がなかったのを言い訳しているようにも見える。そう考えるとホールデンは、もともとある寂しがりのような子供っぽさを隠し強がることで、やはり大人ぶっていると捉えることもできる。

    最後に、ホールデンの行動を見ていくと、大人に見えるようで子供っぽいところ、つまり子供っぽいのに大人ぶろうとしている点が多く見られることがわかる。物事を冷めた視点からみたり、世間を否定したりするホールデンばかりを見ていると物語がつまらなく思えてしまうが、これらは、子供っぽいホールデンが懸命に大人ぶろうと「演技」しているのだと捉えながら見ていくと、少年らしさが垣間見えるホールデンというように、おもしろく読んでいくことができるのではないか、と私は思う。


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