Seminar Paper 2008

Fukuda, Yurie

First Created on August 9, 2008
Last revised on August 9, 2008

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ホールデンと子供たち
冷静と情熱の間

    ホールデンはインチキが嫌いである。ホールデンのインチキに対する攻撃の対象はあらゆる物と人に向けられる。それと対照的にホールデンにとって子供というものは純粋で無心で、もう戻れない永遠の憧れだと考えられる。またその純粋さをインチキから守りたい、さらに自分自身に残っている純粋さも守りたい、と考えていると思われる。ホールデンにとって「大人になること」は堕落して「インチキになること」と同じような意味合いを持つと考える。ホールデンにとっては「大人になること」は必ずしも「成長したこと」ではない。そのためホールデンは「大人」になりたくないのだ。だが、人は必ず大人になるときが来る。ホールデン自身も大人になりたくないと思いながらも随所で大人と同じ行動をしたがる。その中で大人になったことを自覚する。そしてホールデンはインチキではない大人になる道を模索する。この物語を通し、ホールデンの子供に対する憧れ、「大人」特にインチキな大人への嫌悪感、子供と自らの純粋さへの防御、「大人」になることへの躊躇、「大人」になってしまっている焦りが表れている表現が多々見られる。それを検証してこの事実を裏付けようと思う。

    まず、子供に対する憧れである。ホールデンは自身の憧れを具体化した人物として自分の弟のアリーを挙げている。まだ、ペンシーにいる頃、ストラドレイターに何か部屋や家について何か描写する作文について書いて欲しいと頼まれた時、ホールデンは自分の弟であるアリーのミットを作文の題材として選んだ。そして“…it wasn’t just that he was the most intelligent member in the family. He was also nicest, in lots of ways.” (p. 38) のように、アリーを読者に紹介する中で頭もよく、最高の人格者だと絶賛している。そしてアリーが亡くなった時、ホールデンはコテージの窓ガラスを全部拳で割るほどアリーのことが大好きだった。ストラドレイターに作文を馬鹿にされて、作文をビリビリに破くところからもアリーへの好意がよく伝わってくる。ホールデンにとって子供のまま亡くなってしまったアリーは純粋さの象徴である。大人になりたくないホールデンにとって、アリーは大人にならなくてもいい理想の存在であると言える。作文を書いているときにホールデンは自分の精神を安定させたり、気分を高揚させたり、何らかの精神的効果を要する“the red hunting hut”を被っている。これはこの帽子を被ってアリーを思い出し安心する、いわゆるオマージュといえる。私の見解ではこの「赤」という色はアリーの赤毛をイメージしているのではないかと思った。自分の弟であるアリーだけでなく、妹のフィービー、公園にいる子供、町を歩いている子供にさえホールデンの憧れという感情は向けられる。この物語のタイトルも子供が歌っていた曲の歌詞なのである。実際は“catch”ではなく“meet”なのであるが、この“catch”がホールデンにとって大きな意味を持つ。

    子供でいたいと思っているホールデンだが自覚の有り無しに関わらず、大人のフリをしていることが多くある。物語を通じてバーやクラブに行って酒を頼んでいる場面が多くある。また、ホールデンが「大人になる」という中で重要視しているのがセックスについてである。ニューヨークで泊まっているホテルでちょっとしたセックス目的で女の子に電話したり、娼婦を呼んだりするが、どちらも目的は果たされなかった。チャンスがなかった訳でもなくホールデン自身がそれを望まなかったのである。ホールデンはそういうことは好きな子しか出来ないし、本当に好きな子だと気が引けてしまう。女の子を自分の童貞を喪失するための道具としては見られない。ホールデンの中に残っているイノセントな部分が彼の童貞を守った。彼はこうした部分でも大人になることへの迷いを見せている。ホールデンはインチキなやつが嫌いだ。だが自身でも自覚しないうちにインチキなことをしているようである。ニューヨーク生まれの彼は田舎者を馬鹿にしている。さらにお金で動く世の中がインチキだと言いながらも、度々人をお金で判断するような表現もある。ホールデンがこうして自分が大人になっていることを物語の後半で自覚する。 次に、ホールデンは子供の純粋でイノセントな部分を物語の中で比喩を用いて様々なものに重ね合わせている。そしてそのイノセンスに見立てたものを守ろうとすることで自身が大人になることを止めようとしている。白くてピュアな雪球を投げずに取っておくことで自身と重ねイノセントな部分を守れると考えている場面がある。

Certain things they should stay the way they are. You ought to be able to stick them in one of those big grass cases and just leave them alone. I know that’s impossible, but it’s too bad anyway. (p.122)

    ここでホールデンは博物館のガラスケースをイノセントなものと捕らえ、博物館にあるものは変わらないのに、それを見る自分たちは変わってしまう。ここで言う「変わる」というのは大人になる、という意味を持つ。それがホールデンは嫌なのである。 “Certain things”というのはイノセントなものであり、同じ状態のまま手付かずで取っておくのが一番いいと思っている。結局ここでもホールデンが大人になりたくない、と思っているということがわかる。

    この物語のタイトルにもなっている“Catcher in the rye”だがこれはサリーとデートする前にニューヨークを歩いているときに小さい男の子が歌っているのを聞いてホールデンが気に入った曲の歌詞なのである。先ほども述べたが本当は“If a body meet a body coming through the rye.”であり、“catch a body.”ではないのである。だが、この物語を通して大きい意味を持つ比喩がこの曲には存在している。

Anyway, I keep picturing all these little kids playing some game in this big field of rye and all. Thousands of little kids, and nobody’s around-nobody big. I mean-except me. And I’m standing on the edge of some crazy cliff. What I have to do, I have to catch everybody if they start to go over the cliff--I mean if they’re running and they don’t look where they’re going I have to come out from somewhere and catch them. That’s all I’d do all day. I’d just be the catcher in the rye and all.

    この歌詞からホールデンは広いライ麦畑のようなところで、自分以外はみんな子供で、その何千人もの子供たちがゲームをしているのを思い浮かべる。ホールデンはその端の崖に立っている。そして誰かその崖から落ちそうになる子供がいると片っ端から捕まえる。落ちそうになる子供を“catch”するライ麦畑のキャッチャーになりたい。

    このようなことを言っている。ライ麦畑というのは言い換えれば、雪球であり、ガラスケースである。そのままにしておきたいイノセントな領域なのである。エデンの園のように、アダムとイヴは知識をつける(大人になる)とエデンの園を追い出されることになる。このように崖から落ちそうになるというのは、落ちた崖の下はインチキな大人の世界を意味している。そのため、純粋なものをそのままにしておきたいホールデンは崖から落ちてインチキな大人になることを止めてあげたいと考えている。彼自身は今、大人と子供の間で苦しんでいる。自分にはキャッチしてくれる人がいなかったから、その役割を自分が果たしたいと考えている。ホールデンにとって「大人になること」が堕落することだという考えが明確に現れている。

    徐々にホールデンは自分が大人になってしまったと自分で自覚するようになる。

I passed by this play ground and stopped and watched a couple of very tiny kids on a seesaw. One of them was sort of fat, and I put my hand on the skinny kid’s end, to sort of even up the weight, but you could tell they didn’t want me around, so I let them alone. Then a funny thing happened. When I got to the museum, all of a sudden I wouldn’t have gone inside for a million bucks.

シーソーで二人の子供が遊んでいて、一方は痩せていてもう一方は太っていた。痩せている子の方に手を添えて手助けしたつもりだったが、子供たちには嫌がられてしまう。シーソーはバランスが取れていなければ楽しくない、というのは大人の考えであって、子供はバランスなど関係なしに楽しめる。この場面で初めて自分が大人になってしまったことを子供たちによってはっきり気付かされる。そのため、あんなにワクワクしていた博物館にも行きたくなくなってしまった。それは見るほうの自分が大人に変わってしまったことをより強く自覚させられてしまうからである。

    そしてフィービーに会ってその自覚はさらに強くなり、ホールデンの心境にも変化が生まれる。

She was sitting way up in bed. She looked so pretty. “I’m taking belching lessons from this girl, Phyllis Margulies,” she said. “Listen.” I listened and I heard something, but it wasn’t much.

ここでフィービーが楽しそうにゲップをするのにホールデンはそれに対してあまり関心を持っていない。こうした子供の無邪気な世界にもう自分がいないことをホールデンは自覚する。そして両親が帰ってきて家を出るときに、フィービーに“the red hunting hat”をあげた。この帽子をインチキな大人を撃つための道具としてきたホールデンにとってこれはインチキな人を撃つことをやめたことになる。フィービーという名前には狩人の女神という意味もあり、これからはフィービーがインチキな大人を撃つ番だと考えている。ホールデンは自分がいつの間にか崖から落ちているのだということに気付いてしまった。このシーンから自分はもう子供でいることは出来ないのだと徐々に考えるようになる。

    ホールデンが家を出てから彼の子供からの脱却は一気に加速する。アントリーニ先生の家に行って、子供ではいられないけれど、大人にもなりたくないホールデンの崖からの着地場所を先生が示してくれる。それによってホールデンは信念を捨てなくても謙虚に生きればいいということを教えられる。だが、ホールデンの心にはまだ大人になることへの抵抗があった。物語の終盤でフィービーにさよならを言うために会った場面でホールデンの心境は大きく変化する。

All the kids kept trying to grab for the gold ring, and so was old phoebe, and I was sort of afraid she’s fall off the goddam horse, but I didn’t say anything or do anything. The thing with kids is, if they want to grab for the gold ring, you have to let them do it, and not say anything. If they fall off, they fall off, but it’s bad if you say anything to them.

    子供たちはメリーゴーランドで必死にゴールドリングをつかもうとする。落ちそうで心配だったが、誰もそれに対して何か言ったり、やめさせたりしてはいけないと思っている。これはライ麦畑の崖から落ちる子供たちをつかまえることを否定する意味を含んでいる。子供はいつか大人になってしまう。崖から落ちて着地しなければいけないときが来る。イノセントは続かないが、なくなる訳ではない。メリーゴーランドは回り続けるが、フィービーも自分もずっと乗り続けることはできない。だが、自分たちは降りても、また小さい子が乗る。そうしてイノセンスは無くなることなく続いていくのだ。そう気付き、安心したホールデンは大人になることを自覚した。ただし、理想は捨てずに生きることを選ぶ。

    ホールデンにとって子供とは永遠の憧れで割れないように、ずっと大切にとっておきたい骨董品のような存在であった。「大人になること」はその骨董品を割ることであり、悪い意味しかなかった。だが、人は生き続けなければならない。そうして大人にならなくてはいけない。子供が大人になるのを誰も止められないように、ライ麦畑から去らなくてはいけないときが来る。大人になること、崖から落ちること、その行き先を決めるのは自分自身で、信念や理想は自分次第で守っていけるということだ。


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