Seminar Paper 2008

Kawai, Sonoko

First Created on August 9, 2008
Last revised on August 9, 2008

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ホールデンと子供たち
〜子供と大人の挟間で〜

1.はじめに

    The Catcher in the Rye は、自分の周囲の“phony”なものに嫌気がさした主人公Holdenが、学校をとび出してNew Yorkをあてもなく放浪する物語である。特に大きな事件が起こるわけでも、はっきりした転機が訪れるわけでもなく物語は進むが、Holdenの微妙な心の動きや象徴的な仕草などが細かく記されている。 この物語の根本的なテーマとして、思春期の少年Holdenの「大人になること」への葛藤が挙げられるだろう。最初は大人になっていく自分を受け入れられず、大人の象徴である“phony”なものを次々に否定していくHolden。しかし結局その「現実逃避」は長く続かず、彼は葛藤しながらも大人になりつつある自分自身を認める。では、そもそも彼にとって「子供であること」と「大人になること」とは何を意味するのだろうか。そして作者はこの話を通して「大人になること」を否定したいのか、それとも肯定的に捉えたいのだろうか。一見するとインチキな大人社会に対する子供の反抗の物語のように思えるが、単純に大人を批判したいだけとは考えにくい。大人になることが必ずしも悪いわけではない。最後に彼はそのことを感じ取ったのではないか。Holdenにとっての大人と子供を分析し、最終的に彼の心境にどのような変化があったのかを検証したい。

2.子供観

    まず、Holdenがもっとも多く言及している子供2人、AllieとPhoebeを検証することで、彼が子供についてどのような感情を持っているのかを考えたい。最初にこの2人が話題にされたとき、読み手はすぐに、Holdenが目に入れても痛くないほど彼らを可愛がっていたことを知らされる。Allieについては“He was two years younger than I was, but he was about fifty times as intelligent.” (p. 38) と表現し、Phoebe に関しては“You never saw a little kid so pretty and smart in your whole life.” (p. 67) と断言している。Holdenは自分自身を“I’m the most terrific liar you ever saw in your life. ” (p. 16) と認識しており、確かに彼の話には誇張表現が多いが、それを抜いたとしても普通はこれほど身内を褒めたりしないだろう。特に10章ではPhoebeがいかに素晴らしい少女かについて、一つのパラグラフで絶え間なく語っている。彼が子供を過大評価しすぎる傾向にあることは、実際のPhoebeのノートに綴りの間違いが多いことからも読み取れる。彼女は同世代の子供と比べるならば機知に富んでいて頭の回転も速いかもしれないが、あくまでも普通の少女なのである。

    Holdenが精神的・肉体的に苦しい状況になったときに思い出し、会いたくなる人物もこの2人だった。“While I was changing my shirt, I damn near gave my kid sister Phoebe a buzz, though. I certainly felt like talking to her on the phone.” (p.66)という箇所や “It makes you feel so lonesome and depressed. I kept wishing I could go home and shoot the bull for a while with old Phoebe.” (p. 81) というように、妹のPhoebeは彼が孤独を感じたときの心の拠り所であるようだ。一方、若くして亡くなってしまったAllieは彼の中で神聖化され、今も彼に影響を与えている。“I felt so depressed, you can’t imagine. What I did, I started talking, sort of out loud, to Allie.” (p. 98) という部分から、彼は落ち込んだときにもうこの世にいない人間であるAllieに話しかけていることがわかる。特に顕著な部分は以下の場面である。“phony”なものたちから逃げ続け、唯一の頼れる大人であったMr. Antoliniにも裏切られ、Holdenの精神と体力は限界に達していた。そこで通りを渡りきれない錯覚に襲われる。

Every time I’d get to the end of a block I’d make believe I was talking to my brother Allie. I’d say to him, “Allie, don’t let me disappear. Allie, don’t let me disappear. Allie, don’t let me disappear. Please, Allie.” And then when I’d reach the other side of the street without disappearing, I’d thank him. (p. 198)

この場面では、AllieはまるでHoldenを導く神のような存在として描かれている。子供のうちに亡くなったAllieは、大人になりたくないHoldenにとって憧れの対象であり、Holdenを子供に留めておくストッパーのような役割を持っているのだ。

    Holdenのこれらの表現からは、神聖な存在として子供を見ていること、異常なまでの子供への執着や憧れの感情、そして「ずっと子供でいたい」という未練を感じさせる。彼にとって「子供であること」とは自我を保とうとすることなのかもしれない。もし大人になってしまったら、正気を失って自分が自分でなくなると考えているように思われる。

3.大人観

    次は大人について検証していきたい。The Catcher in the Rye には数多くの大人が登場するが、そのうちHoldenが“phony”として批判する大人と“nice”と評価して気に入る大人の2種類に分けることができる。例えば彼が過去に退学したElkton Hillsの校長先生Mr. Haasは、典型的な“phony”の代表であった。社会的地位で人を判断するMr. Haasは、Holdenのもっとも嫌悪するタイプの人間と位置付けていいだろう。他にも少女に売春をさせ、料金をごまかしたり暴力をふるったりしたMauriceや、名声を重視し権威のある者しか相手にしないピアニストのErnieなどが挙げられる。またHoldenは自分の兄妹たちについては何度も話題にしているが、両親に関する記述はほとんどなく、父親の弁護士という仕事をどう思っているかを話す程度であった。“All you do is make a lot of dough and play golf and play bridge and buy cars and drink Martinis and look like a hot-shot.” (p. 172) とあるように、彼が父親の仕事を“phony”だと感じているのは間違いないだろう。ただ、彼はそのあと“How would you know you weren’t being a phony? The trouble is, you wouldn’t.” (p. 172) と付け加えていて、全ての弁護士が“phony”になりたくてなったわけではなく、無自覚な人もいると言っている。Ernieに対しても“I don’t even think he knows any more when he’s playing right or not. It isn’t all his fault.” (p. 84) と同情しており、必ずしも“phony”であることは全てその人の原因ではないと考えているようだ。

    一方、Holdenが “all right” や“nice”と好意的に評価した大人は、物腰が柔らかく息子想いのMrs. Morrowや、Holdenの突然の質問に真剣に答えてくれたタクシー運転手のHorwitz、質素な生活を送る修道女たちが挙げられる。彼らに共通することは、それぞれHoldenの話を真摯に聞いてくれて、彼を一人の人間として接してくれた点だ。彼らは数少ない血の通った「Iとyouの関係」を実践している大人たちである。彼らに対するHoldenの態度も積極的で、進んで寄付をしたり飲みに誘ったりしている。“phony”な大人への態度とはまるで逆といえる。「ずっと会話をしていたい」と感じていることから、PhoebeやAllieのように親愛の情を持っているようだ。特にMrs. Morrowに関しては自分の母親と同じくらいの年齢であるのに、彼女の母親としての愛情に強く心を打たれている。つまり彼は今まで母親からはもちろん、ほかの大人たちからも十分な愛情を受けてこなかったと予想される。そのぶん“nice”な大人たちに一層心惹かれるのかもしれない。

4.子供から大人へ

    では、検証してきたような子供から大人になることを彼はどう思っているのだろうか。Phoebeを探して博物館に向かう途中でHoldenは“Certain things they should stay the way they are.” (p. 122) と考え込む。“Certain things”が“innocent”を表しているとすれば、彼は子供に純粋なままでいてほしい、大人にならないでほしいと思っていることが窺える。またHoldenの子供観を的確に表している台詞が、自分がなりたいものについてPhoebeに説明する場面に出てくる。

What I have to do, I have to catch everybody if they start to go over the cliff−I mean if they’re running and they don’t look where they’re going I have to come out from somewhere and catch them. That’s all I’d do all day. I’d just be the catcher in the rye and all. (p. 173)

    子供が崖から落ちるのをキャッチしたい。つまりこのときのHoldenは「大人になること」とは今まで批判し続けてきたインチキな存在になってしまうことだと考えている。「大人になること」とは肉体的な成長でも精神年齢が上がることでもなく、ただ権力に媚びお金に左右される“phony”になることだと捉えていて、大人になれば子供の心を忘れてしまうと思っているようだ。そして“innocent”な子供たちが“phony”になるのを防ぐ役目になりたいと言う。この表現から読み取ることができるHoldenの思想として、彼は子供には子供の「世界」があると考えているようだ。子供にしか理解できない純粋な世界。何にも囚われない自由な世界。例えば魔法のように自分で熱を上げたり、アンバランスでもシーソーを楽しめたりするような世界である。子供たちみんなが崖から落ちる=大人になれば、その世界はいつか消えてしまうものだと思っていた。だからキャッチャーになりたかったのである。

    彼のその漠然でありながらも固い信念は、唯一の頼れる大人であるMr. Antoliniを訪問するあたりから徐々に変化していく。Mr. Antoliniは、Holdenが現在いる状況は“fall”にはまり込んでしまった状態だと告げる。つまり、子供の世界から落ちるとき、たいていの人は上手く着地して“nice”な大人、あるいは落ちる場所が逸れて“phony”な大人になる。または着地に失敗して死んでしまうこともある。しかしHoldenは落ち続けるままだと言うのだ。そんな危ういHoldenを引き留めるためか(彼が死を選ぶ可能性を見抜いていたようだ。)、Mr. Antolini は“The mark of the immature man is that he wants to die nobly for a cause, while the mark of the mature man is that he wants to live humbly for one. ” (p. 188) と書いた紙を手渡す。ここで注目したいのは、Holdenが今でもその紙を持っているということである。今まで「子供でいられないなら、いっそ死んでしまいたい」とさえ考えてきた彼が、この3日間の物語を誰かに語っている数日・数ヶ月後までずっと持っているというのは驚くべきことではないだろうか。少なからず「成熟した人は理想を求めて謙虚に生き続けなさい」という言葉は、彼の今後の生き方に影響を与えたのだと思われる。

    Mr. Antoliniの家を出て、博物館のミイラの展示を見たあとでついに倒れてしまったHolden。新たに生き返った彼は、Phoebeを大人の立場で叱りつけるなど、自分が最早子供ではいられなくなってしまったことに気付く。しかし彼が語る物語の最後のシーン、Phoebeがメリーゴーランドに乗っているのを見守る場面で、彼はついに理解する。

The thing with kids is, if they want to grab for the gold ring, you have to let them do it, and not say anything. If they fall off, they fall off, but it’s bad if you say anything to them. (p. 211)

    これは前述したHoldenのなりたいもの、キャッチャーの話を完全に否定する考え方である。子供が落ちたら落ちたで周りが口を出すべきではない、そのままにしておくべきだ。彼はなぜこのように考え方を変えたのか。一つの可能性を挙げると、それはメリーゴ−ランドに子供の世界を見たからだろう。Holdenはその世界を出て行くが、けっして子供の世界は消えない。メリーゴーランドが同じ場所を回り続けるように、必ず存在し続ける。世界の全てのものが“phony”になってしまうわけではないと理解したのだ。

    こうして放浪の旅を終えたHoldenだが、結局彼は子供から大人になったと言えるのだろうか。メリーゴーランドのシーンでは全てを受け入れたかのように見えた。しかし後日、病院で物語の全てを話し終えたHoldenの態度は曖昧である。新しい学校に通うことが決定しているのに、勉強に身を入れるかはわからないと言うのだ。これではこの話の意味がまるでない。だが全体を通して考察すると、1章で大砲の隣に立ちながら孤独に下界の光景を眺めていた頃のHoldenとは決定的に違うことがわかる。旅を終えた彼がこの3日間で知ったことは、“phony”な大人もいるが、“nice”な大人もまた存在するということ。大人=インチキではないことを知り、大人への抵抗感が和らいだのではないだろうか。そうして彼は自分がどんな大人になるのか、どこへ着地するのかを考え始めるのだ。キャッチャーを止めて、Mr. Antoliniが言っていたように「探索」を始めるのである。完全に大人になったわけではない。そうかと言って、子供にしがみついているわけではない。その不安定な状態を知り、受け入れた彼の中では間違いなく変化が起きている。“About all I know is, I sort of miss everybody I told about.” (p. 214) と最後にさらりと語るHoldenは、ほとんど全てのものに悪態をつき否定していた頃の彼とは違うのだ。

5.まとめ

    Holdenは子供を“innocent”な存在として神聖化し、「子供であること」にずっとこだわり続けてきた。一方で、 “phony”な大人を嫌い、世の中のものを拒み続けてきた。しかし放浪の旅によって、彼を認めてくれる、尊敬すべき大人に出会った。目標とまでは言えなくとも、彼らは向かうべき場所も分からずに宙をさまよっていたHoldenの指針になったに違いない。そして彼は自分が今、子供でも大人でもない位置にいることを知る。子供の世界にずっといられないことを自覚したのだ。大人へ向かって歩き出す決心をしたときに、初めて将来への期待・可能性というものを感じたのではないだろうか。もちろん彼にはまだ子供の部分が多く、急に大人になるわけではない。まだ遊び足りないだろうし、反抗もするだろう。大人と子供のはっきりとした境界線など無いのだ。子供の世界から跳び下りてどんな人間になるのか。作者であるSalingerは大人になることを否定するのではなく、可能性を提示したかったのではないかと思う。


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