Seminar Paper 2008

Kon, Kazumi

First Created on August 9, 2008
Last revised on August 9, 2008

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ホールデンと子供たち
〜いんちきな大人、無邪気な子供〜

    この小説The Catcher in the Rye はHoldenが通っていたPencey Prepという学校をさってからの3日間に起きたことが書かれているが、私がこの小説を読んで深く印象に残っていることは、17歳のHoldenが大人になることへの嫌悪感をひどく持っていることである。では大人のどんなところを嫌っているのだろうか。対照となる子供とはinnocent、無邪気であると描かれている。つまりHoldenが嫌っている大人とはphony、いんちきで、子供の純粋な気持ちをどこか忘れてしまった寂しい人間なのではないだろうか。

    ストーリーは、Holdenが退学処分を受けてPencey Prepをあとにするところから始まるが、Holdenはあんな学校なんて自分から辞めてやったと語っている。なぜかというと、こう記されている。

Pencey was full of crooks. Quite a few guys came from these very wealthy families, but it was full of crooks anyway. The more expensive a school is, the more crooks it has--I’m not kidding. (p. 4)

One of the biggest reasons I left Elkton Hills was because I was surrounded by phonies. That’s all. They were coming in the goddam window. For instance, they had this headmaster, Mr. Haas, that was the phoniest bastard I ever met in my life. (pp. 13-14)

    Holdenの周りにいた生徒は優等生ぶったり、外見を良く見せようと着飾ったりしていて肝心の中身はだらしない。校長のMr. Haasにいたっては、装いがしっかりしている両親に対しては愛想よく振る舞って長時間話をするのだが、みすぼらしく見える両親に対してはそっけない態度をとる。人を完全に見た目で判断していて、全くのいんちきである。Holdenが学校を辞めた理由にはいんちきなものを避け、嫌っているという背景がうかがえる。

    映画というものにもHoldenはいんちきであると考えていることがうかがえる。But the worst part was that you could tell they all wanted to go to the movies. I couldn’t stand looking at them. (p. 116) 映画は大人によって作られたものであり、嘘で作られたものである。そんなものをわざわざ見に行くなんて信じられないと考えているのだ。その上、嘘の内容に感動して泣いている人なんてもっと信じられないと思っている。映画よりももっと大切なことがあるとHoldenは思っている。それはきっと純粋なことなのではないだろうか。そしてこのいんちきである映画のせいで人々は子供の心を忘れた大人になってしまうのではないか。

    博物館もこの小説の中でポイントとなっていると思う。It always smelled like it was raining outside, even if it wasn’t, and you were in the only nice, dry, cosy place in the world. I loved that damn museum. (p. 120) 外で何が起こっていようと、博物館の中は世界で唯一和める場所だと言っている。The best thing, though, in that museum was that everything always stayed right where it was. Nobody moved. (p. 121) 博物館で展示されているものは全く動かずに変わらない。そこにHoldenは魅力を感じている。ただ、そんな博物館の中で違うものは自分であるという。単に大人になっていくからというわけだけではないそうだ。子供の頃訪れたときに博物館で抱いた純粋な気持ちを忘れてしまった、そんな寂しさがあるのだろうか。そしてこの小説の終盤でHoldenはもう一度博物館を訪れる機会があるのだが、そこではHoldenにとって悲しい現実を目の当たりにすることになる。

I was the only one left in the tomb then. I sort of liked it, in a way. It was so nice and peaceful. Then, all of a sudden, you’d never guess what I saw on the wall. Another “Fuck You.” It was written with a red crayon or something, right under the glass part of the wall, under the stones. (p. 204)

このことで、Holdenにとっての博物館は、和める場所なんかではなくなり、この世に休める場所なんてどこにもありやしないと幻滅してしまうのだ。この場面はHoldenが大人になりつつあることを象徴しているようにもとらえられる。

    それではHoldenはどのようなところに子供らしさや子供の純粋さを感じているのだろうか。Holdenの理想の子供像の一人として登場するのが弟のAllieである。Allieは性格が良く、穏やかで、先生や生徒からも好かれる存在だった。しかし、白血病で幼く命をおとしている。Holdenにとって本当にいいやつだったのに死んでしまった。が、それは子供のまま死んだ、つまり永遠に子供のままであるということでもある。子供のままでありたいHoldenにとって、まさにAllieは理想の人間なのではないか。また、このことと関連しているかのように、Holdenはred hunting hutを愛用している。これはAllieが赤毛であり、そのAllieのようでありたいと思うHoldenの心の表れではないだろうか。

    何気ないこの場面を考えてみよう。この場面は、HoldenがAckleyを映画に誘って、Ackleyが出かける準備をしている間のことである。

While he was doing it, I went over to my window and opened it and packed a snowball with my bare hands. The snow was very good for packing. I didn’t throw it at anything, though. I started to throw it. At a car that was parked across the street. But I changed my mind. The car looked so nice and white. Then I started to throw it at a hydrant, but that looked too nice and white, too. Finally I didn’t throw it at anything. (p. 36)

Holdenはなぜ雪玉を投げなかったのか。あまりにも白くて素敵だったからというが、それが何を示していたかというと、白とは潔白や純粋、無邪気なことを意味し、Holdenはその景色を壊すのをやめることによって、潔白、純粋、無邪気な心を守りたかったのではないかと考えることができる。幼い頃に誰もが積もった雪を見て、雪玉を作ったことがあると思う。その幼かった頃の気持ちもそのときに思い出されたのではないか。しかし、守ろうと思ったということは、自分がだんだんそうではなくなりつつあることに気づいているということでも気がする。そしてこの後、このときに作った雪玉をバスの中にまで持っていくが、大人であるバスの運転手に捨てるように言われる。The bus driver opened the doors and made me throw it out. I told him I wasn’t going to chuck it at anybody, but he wouldn’t believe me. People never believe you. (pp. 36-37) この風景が悲しいことに、まるでHoldenがバスの運転手に大人の世界に導かれているようだ。

    そんな大人に染まりつつあるHoldenだが、街で見かける子供たちをいんちきな大人になることから守りたい気持ちがあるという場面がいくつかある。両親と6歳くらいの男の子が歩いていて、両親はこれっぽっちも子供に目をやっていず、危うく子供が車にひかれそうになっていたのだ。子供は無邪気に歌をうたっていた。こんなにも無邪気な子供に対して、大人は自分の子供の危険をも気にしない悲しいものになってしまうのだろうか。

    このとき子供がうたっていた歌とはRobert Burnsの詩でHoldenは間違えてIf a body catch a body comin’ through the rye. と覚えていた。Holdenはこの歌にかけて、このようなことを考えている。

I keep picturing all these little kids playing some game in this big field of rye and all. Thousands of little kids, and nobody’s around--nobody big, I mean--except me. And I’m standing on the edge of some crazy cliff. What I have to do, I have to catch everybody if they start to go over the cliff--I mean if they’re running and they don’t look where they’re going I have to come out from somewhere and catch them. That’s all I’d do all day. I’d just be the catcher in the rye and all. I know it’s crazy, but that’s the only thing I’d really like to be. I know it’s crazy. (p. 173)

周りにいんちきで悲しい大人はいなくて、無邪気な子供たちであふれているライ麦畑は、Holdenにとって理想の世界で、Holdenはそこで無邪気な世界からいんちきで悲しい世界へ導かれないように守っているのだ。本当になりたいものはこれだけだとまで言っている。これほどまでに純粋な子供を守ろうとしていて、大人への抵抗がこんなにも大きいことがうかがえる。自分がどうというだけでなく、まだ大人になっていない子供たちだけは無邪気なままでいてほしいと他人にも望んでいるのだ。

    しかし、このように子供を守りたいと考えているHoldenだったが、こんな場面もあった。

I passed by this playground and stopped and watched a couple of very tiny kids on a seesaw. One of them was sort of fat, and I put my hand on the skinny kid’s end, to sort of even up the weight, but you could tell they didn’t want me around, so I left them alone. (p. 122)

シーソーで遊んでいる子供に対してHoldenは、バランスがとれていなかったので手をのせてバランスをとってあげようとしたのだ。Holdenとしては良かれとしてやったことだ。しかし子供はその行為に不快感を抱いた。なぜかというと、子供にとっては別にバランスがとれているかどうかなんて関係なく、ただ無邪気にシーソーを楽しんでいたのだ。だからHoldenの行為はその子供たちにとって邪魔な行為だったのだ。バランスがとれていなければシーソーではないという考えは大人の考え方であるのだ。Holdenは子供の無邪気な気持ちを理解できていない大人の考えになっていたのだ。

    シーソーと似たように描写されているのがレコードである。

Then I told her about record. “Listen, I bought you a record,” I told her. “Only I broke it on the way home.” I took the pieces out of my coat pocket and showed her. “I was plastered,” I said. “Gimme the pieces,” she said. “I’m saving them.” She took them right out of my hand and then she put them in the drawer of the night table. She kills me. (pp. 163-164)

    Holdenとしては妹Phoebeの好きな音楽のレコードを買って聴かせたかったのだが、レコードが粉々になってしまったのでそれはできなくなってしまった。手に入りにくいレコードをせっかくPhoebeのために見つけたので、その事実だけでもPhoebeにわかってもらいたくて粉々のレコードを見せたのだろう。しかしPhoebeは快くそれを受け取った。もちろん、兄を思うやさしさがあるからこそ受け取ったのかもしれないが、Phoebeにとっては、Holdenが自分のためにレコードを探して買ってきてくれたということだけでも十分にうれしいことであり、思い出になることなのではないか。つまり、レコードは聴くことが出来なければ意味のないものと思ったHoldenの考えは大人の捉え方で、そのレコードを単なる聞くものではない、思い出がつまっていて価値のあるものだと思ったPhoebeの考え方は純粋な子供の捉え方なのではないかと考えられる。HoldenはこのようなPhoebeの温かく無邪気な子供の心にふれて、She kills me.と感じたのではないだろうか。

    このようにみてみると、Holdenが嫌う大人とは、いんちきで純粋になれない、子供の無邪気な気持ちを理解していない人間なのではないだろうか。子供は何も考えず思いのままに行動し、余計なことなど考えない。だからこそ、そこに純粋さが生まれる。時にそれは人をハッピーな気持ちにしてくれることもある。しかし、だれも子供のように無邪気なまま生きていくことはできない。Holdenのように、周りにもまれて純粋さに欠けた大人になってゆく。大人から子供を見て、比べてみると、大人というものが寂しく悲しい生き物に見える。大人だって誰しも最初は純粋な子供であったのに…。


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