Seminar Paper 2008

Shimizu, Kayoko

First Created on August 9, 2008
Last revised on August 9, 2008

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ホールデンと子供たち
〜2つの世界の狭間で〜

    The Catcher in the Rye は、主人公のHoldenがインチキと欺瞞に満ちた大人の世界への反発や葛藤、孤独感を抱えたまま生きてゆく姿を描いた作品である。そして、この作品のテーマを端的に言えば、子供の夢と大人の現実の衝突であろう。思春期のHoldenが子供の夢に共感し、大人の現実を受け止めていることを象徴するのが“The one side of my head-the right side-is full of millions of gray hairs.”(p. 9)である。16歳のHoldenの頭の半分に白髪が一杯生えているというのは、子供の部分と大人の部分の両方を併せ持つHoldenの精神状態を象徴的に表している。そこで、私は「Holdenが子供の世界と大人の世界の狭間に立っている」という仮説を立て、2つの世界の狭間で揺れるHoldenの心を分析しながら、Holdenがいかにして大人になっていくのかを論じる。

    まずは、Holdenがまだ子供の世界にいて、子供の夢に共感している部分から検証する。彼には、ハリウッドで映画の脚本家をしているD・Bという兄がいる。HoldenはD・Bが昔作家時代に書いた“The Secret Gold fish”という、自分の金で買った金魚を誰にも見せたがらない子供の話をとても気に入っていた。これは、Holdenが子供の無邪気さに共感しているからである。しかし、自分の兄の昇進を素直に喜べないHoldenの気持ちを表したのが次の文章である。“Now he’s out in Hollywood, D.B., being a prostitute. If there’s one thing I hate, it’s the movies. Don’t even mention them to me.”(p. 2)また、Holdenは、“The goddam movies. They can ruin you. I’m not kidding.”(p. 104)とも言っている。Holdenが映画を極端に嫌う理由は、D・Bが昔は自分の書きたいように書いていた作家だったけれども、今は金のために自分の才能を諦めて映画の脚本家になってしまったことにある。このことから、金に左右される大人の世界への反抗心が窺える。また、この物語には、大人の世界の住人としてインチキな大人たちが登場する。金に左右される大人の世界に対するHoldenの反抗心は、エルクトン・ヒルズのMr.Haas校長やペンシーの卒業生のOssenburger、Thurmer校長に向けられている。ここでHoldenが言いたいのは、経済力がありそうだからといって人を外見だけで判断するのはインチキだということ。また、金を寄付しているから生徒の前で演説する実業家と金を寄付してもらっているから生徒をしかった校長はインチキだということである。

    次に、純潔を愛するHoldenの子供の感覚が象徴されているのが次の場面である。

While he was doing it, I went over to my window and opened it and packed a snowball with my bare hands. The snow was very good for packing. I didn’t throw it at anything, though. I started to throw it. At a car that was parked across the street. But I changed my mind. The car looked so nice and white. Then I started to throw it at a hydrant, but that looked too nice and white, too. Finally I didn’t throw it at anything. (p. 36)

この場面から、雪玉を投げずに握りしめていたHoldenは“nice and white”(p. 36)なものはとっておきたいと思っていると考えられる。ここでは、雪玉は純粋さの象徴として描かれており、Holdenは純粋さを壊したくない、失いたくないと思っていると考えられる。しかし、その雪玉を持ってバスに乗ったHoldenは、バスの運転手に自分の主張を信用してもらえず、雪玉を捨てさせられてしまう。最後に“People never believe you.”(p. 37)と言葉を吐き捨てているように、純粋な子供の夢を阻む大人への怒りを露わにしている。

    ここまでのHoldenはまだ子供の世界にいて、純潔を愛する子供の夢に共感していたが、次第に大人の現実を理解し、大人の世界に足を踏み入れていく。それを象徴しているのが次の場面である。HoldenがピアニストのErnieの店で一人でお酒を飲んでいると、D・Bの元彼女のLillianとその連れの海軍将校に出会う。彼女は一人でいるHoldenに“Are you all alone, baby? Don’t you have a date, baby?”(p. 87)と尋ねる。そして、“Holden, come and join us. Bring your drink.”(p. 87)と誘う。しかし、それに対してHoldenは、二人の仲を邪魔しないように、“I was just leaving. I have to meet somebody.”(p. 87)と言ってLillianの誘いを断る。すると、Lillianは“Well, you little so-and-so. All right for you. Tell your big brother I hate him, when you see him.”(p. 87)と言って、男性に誘いを断られてすねる。Holdenは“You could tell she was just trying to get in good with me. So that I’d tell old D.B. about it.”(p. 87)と言っているように、LillianがD・Bの現在の職業を聞いてHoldenに愛想を良くしようとしていることを理解している。その後、Holdenがとった行動がこれである。“The Navy guy and I told each other we were glad to’ve met each other.”(p. 87)そして、極めつけがこの台詞である。“Which always kills me. I’m always saying “Glad to’ve met you”to somebody I’m not at all glad I met. If you want to stay alive, you have to say that stuff, though.”(p. 87)三人のこれらの行動はすべて社交辞令である。Holdenは今までインチキな大人の世界を批判していたにもかかわらず、大人の現実を理解し、思ってもいないことを口にし、自ら社交辞令をという行動をとってしまう。このことから、Holdenが大人の世界に足を踏み入れていると言えるだろう。

    こうして、大人の世界に足を踏み入れたHoldenは「大人になること」について真剣に考えるようになる。Holdenはフートンスクール時代、性に関する話をよくしていたLuceに会う。HoldenがLuceに会おうと思った理由は、性に対する悩みや大人になれずに悩んでいることを打ち明け、大人になるためのアドバイスをして欲しかったからである。Holdenの“Supposing I went to your father and had him psychoanalyze me and all. What would he do to me?”(p. 148)という台詞から、その真剣さが伝わってくる。Holden自信も自分が精神的に少しおかしいのではないかと感じていて、Luceに精神分析を受けることを勧められ、精神分析を受けて大人になるきっかけを知りたいと思っていることを示している。

    物語も終盤に差し掛かり、ついにHoldenは大人になる。その瞬間を象徴的に表しているのが次の文章である。“When I was coming out of the can, right before I got to the door, I sort of passed out.”(p. 204)ここで、キリスト教的な分析をする。Holdenが一度気を失い、目を覚ますという行為は、キリスト教的には再生を意味する。つまり、Holdenはミイラの部屋で再生して大人に生まれ変わったと解釈できるであろう。

    その後のHoldenの台詞や行動から、Holdenが大人になったことを窺い知ることができる。Holdenに付いて行きたいと言ってやまないPhoebeがついに“I’m not going back to school.”(p. 208)と言うと、Holdenは“You have to go back to school.” (p. 208)と言う。この発言には、自分と同じ過ちをPhoebeに犯して欲しくないというHoldenの思いが込められているに違いない。また、すねてしまったPhoebeの機嫌を直そうと必死なHoldenの“Kids are funny. You have to watch what you’re doing.”(p. 209)という発言は、まるで手のかかる子供を持つ親の愚痴のようである。また、回転木馬で流れてくる音楽を聞いて、“It played that same song about fifty years ago when I was a little kids. That’s one nice thing about carrousels, they always play the same songs.”(p. 210)と言っているHoldenは、昔自分が子供だった頃のことを思い出して懐かしく思っている大人のようである。

    そして、Phoebeが回転木馬に乗るのが次の場面である。“There were a few kids riding on it, mostly very little kids, and a few parents were waiting around outside, sitting on the benches and all.”(pp. 210-211) Holdenは回転木馬に乗っている子供を外で見守る親たちと同じ行動をとってしまっている。Phoebeに“You ride once, too, this time,”(p. 212)と言われても、Holdenは“No, I’ll just watch ya. I think I’ll just watch,”(p. 212)と言う。また、回転木馬に載って手を振るPhoebeにこたえて、Holdenもまた手を振る場面は、親子のようでさえある。

    つまり、子供たちが乗っている回転木馬は子供の世界で、親たちがいる回転木馬の外が大人の世界なのである。Holdenは完全に大人の世界に入ってしまった。しかし、Holdenが今いる大人の世界は、物語のはじめの頃Holdenが描いていたインチキと欺瞞に満ちた世界だろうか。いや、違う。それはHoldenの次の言葉から自然と伝わってくるのである。

I felt so damn happy all of a sudden, the way old Phoebe kept going around and around. I was damn near bawling, I felt so damn happy, if you want to know the truth. I don’t know why. It was just that she looked so damn nice, the way she kept going around and around, in her blue coat and all. God, I wish you could’ve been there.(p. 213)

    以前はあれほど大人になりたくないと思っていたHoldenが、無邪気に遊んでいるPhoebeの姿を見て、今幸せを感じているのである。

    そして、この後雨が降る。ここでまたキリスト教的な分析をすると、雨は浄化の意味がある。Holdenは今まで「大人になること」を悩んでいたけれども、ミイラの部屋で再生して大人に生まれ変わり、雨に浄化されて「大人になること」を受け入れたのである。

    以上のことから、私が立てた仮説が妥当であり、思春期のHoldenが子供の世界と大人の世界の狭間で悩みながらも、大人になっていくことが証明できるのである。Holdenのように、インチキや欺瞞に満ちた大人の現実を見せられてしまったら、子供のままでいたい、大人になりたくない、と誰しも思うだろう。しかし、生きていくためにはいつまでも子供のままではいられないし、いずれは大人になるときがやってくるのである。Holdenの考えるインチキや欺瞞に満ちた大人の世界のような、偽装や汚職が飛び交う現代の世の中においても、「こんな大人になりたくない」と思うHoldenのような子供たちをこれ以上生み出さないためにも、大人がきちんとした見本を示さなければならないのである。


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