Seminar Paper 2008

Watanabe, Eriko

First Created on August 9, 2008
Last revised on August 9, 2008

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ホールデンと赤いハンチング帽
〜hunting hatという理解者〜

    The Catcher in the Rye の中で主人公Holdenが被っていたred hunting hat。Holdenのキャラクターや、彼のその時の心理状況を示すアイテムである。また物語全体を通して、red hunting hatの扱われ方が変化していることもわかる。Holdenの心情がred hunting hatを通してどのように描かれているのか、本論では印象的な場面をピックアップして検証していきたい。

 The way I wore it, I swung the old peak way around to the back--very corny, I’ll admit, but I liked it that way. I looked good in it that way. (pp. 17-18)

    これは物語の中で最初にHoldenがred hunting hatを被った場面である。彼はMr. Spencerの家から帰ってきて “I took off my coat and my tie and unbuttoned my shirt collar, and then I put on this hat” (p. 17) とあるようにくつろげる状態になってからわざわざhunting hatを被っている。外出先から帰ってきて室内にいるにも関わらず、わざわざ帽子を被るというHoldenの行動はおかしなものではないか。しかしよく考えてみると、自分にも同じような体験があることを思い出した。幼い頃に買ってもらったばかりの洋服などを、別にどこに出かけるわけでもないのにずっと着ていたことがあった。お気に入りの服はただ着ているだけで満足だったのだ―この時のHoldenの心理はこれと同じようなものではないだろうか。しかも彼はこの格好で “Then I got this book I was reading and sat down in my chair.” (p. 18)と、読書をしている。つまり彼にとってはリラックスできている状態であるといえる。お気に入りの物を身に着けていることは、Holdenでなくても安心感を得られるものである。

    上の引用からもわかるように、hatのつばを後ろ向きにして被ることがHoldenのこだわりである。 “corny, I’ll admit” であるけれども、それが良いと彼は言っている。この「後ろ向き」が意図するもの、それはHoldenの否定的な性格だといえる。学校でも「みんなと一緒」の行動がとれなかった、そんな彼の性格が一般的な被り方とは正反対のhatの被り方から伺える。また、hatの被り方が野球のキャッチャーのようであるという考え方もできる。The Catcher in the Rye というタイトルに掛けていると認識することもできる。またHoldenのキャラクターがキャッチャーと重なっていると捉えることもできる。野球のキャッチャーは、試合中ピッチャーや他の守備についているプレイヤー達と向き合っている、つまり試合を見渡すことができる唯一のポジションである。 “I was standing way up on Thomsen Hill, instead of down at the game.” (p. 3) とあるように、フットボールの試合を他の生徒達とは別の場所から眺めているHoldenの姿には、キャッチャーと重なる部分がある。  

 I pulled the old peak of my hunting hat around to the front, then pulled it way down over my eyes. That way, I couldn’t see a goddam thing. “I think I’m going blind,” I said in this very hoarse voice. “Mother darling, everything’s getting so dark in here.” (p. 21)

    上の文章は、HoldenがAckleyと話している場面でのものである。これは一見HoldenがAckleyをからかっているだけの様に見受けられるが、実はHoldenのこの行動からも彼の心情を読み取ることができる。それまで後ろ向きにしていたつばを前に持ってきて、それを更に深く被って「目が見えない、全てが真っ暗になっていく」とAckleyに向かって言っているのだが、このHoldenの言葉はただのからかい文句ではなく、まさにHoldenの状況なのだといえる。退学処分を受け、家族の元へ帰る決心もつかず、これからどうしようと途方にくれている真っ只中に置かれていたのである。Ackleyに対しておどけた態度をふるまうHoldenだが、深く被ったhatの中の彼の表情には、自分自身のこれからに対する不安が滲み出ているのではないだろうか。彼の言葉通り「お先真っ暗」な状態だったのである。

    “‘This is a people shooting hat,’ I said. ‘I shoot people in this hat.’”(p. 22) これもAckleyに対してのHoldenの言葉であるが、この帽子を被って「人を撃つ」というのだ。「撃つ」といっても、実際に銃で撃ちたいと思っている訳では無く、彼自身を含め人間というものに嫌気がさしている彼の気持ちを示唆しているのではないか。学校という社会、教師という大人の存在、友達。普通なら自然と学校という社会に適応して、教師をはじめ周りの大人たちと接したり、友達との関係を作り上げたりすることができるだろうが、Holdenは普通とは少し違う。学校にもあまり馴染めず、周りの大人たちや友人と接触しても、どこか否定的に捉えてしまっていた。そんな自分も含め、自分の周りの社会や人との付き合いが嫌になり“shoot people”という発想に至ったのではないだろうか。“That’s a deer shooting hat.”(p. 22)というAckleyのもっともな言葉に対して、Holdenは“Like hell it is.”(p. 22)と半ば投げやりな返しをしていることからも、人と付き合うことが面倒くさくなっているような印象を受けた。

    物語の序盤では特に、red hunting hatはHoldenにとっては必要不可欠なものであった。“I still had my red hunting hat on, with the peak around to the back and all. I really got a bang out of that hat.”(p. 27) “I took off my hat and looked at it for about the ninetieth time.”(p. 29) のように、大分red hunting hatを気に入っていることがわかる。この時のHoldenは、自分が孤独であるということに打ちのめされている状態であった。彼にとってred hunting hatは彼の心の大きな支えとなっていたのではないか。人は孤独を感じる時、そばに支えになってくれる人が居ない時、何かお気に入りの物を身につけていたり眺めているだけでさえ大分精神的に救われるものである。Holdenにとっては、それがまさしくred hunting hatであったのだ。彼にとってはただの古くさい帽子なのではない。心強い味方、精神安定剤の役割を果たしていたのである。

    “I pulled the peak of my hunting hat around to the front all of a sudden, for a change. I was getting sort of nervous, all of sudden.” (p. 34) StradlaterがHoldenの上着を借りて、Janeとこれからデートをするという場面である。これはHoldenでなくても、nervousになってしまいそうな状況ではあるが、Holdenは突然nervousになってしまい、hatを前向きに被った。このred hunting hatは“very, very long peaks”(p. 17)なので、前向きに被れば顔はほぼ隠れてしまうと推測できる。この場面でnervousになったHoldenが、自分のやり切れない気持ちが顔に出ているのがばれてしまわない様に前向きに被りなおしたとすると、red hunting hatの被り方はHoldenの感情の起伏を象徴するある種のスイッチのような役割も持っていると言えるのではないか。これまでの考察の通り、前向きにして被っていると自分のこの先に対する不安、JaneとデートするStradlaterを目の前にしてのやりきれなさ、というようなマイナスな精神状態を意味しているばかりである。逆に後ろ向きに被っていると、Holdenの気持ちは安定していて自分の世界に入れる、つまり彼らしくいることが出来る。一般的に考えると、後ろ向きに被ることはおかしいと捉えられるが、このどこかおかしい感じが物語の始めにおいてはHoldenらしさとして特徴付けられているといえる。red hunting hatの被り方、つばの向きはHoldenの心情を読み取るうえで、良い手がかりとなるのではないか。

I put my red hunting hat on, and turned the peak around to the back, the way I liked it, and then I yelled at the top of my goddam voice, “Sleep tight, ya morons!”(p. 52)

    Holdenが学校を去る場面である。寮の廊下で「しっかり眠れ、まぬけども!」と叫ぶのだが、「まぬけども」“morons” というのは、彼を取り巻いていた学校や人々に向けてだけでは無く、今までの彼自身のことも指しているのではないか。学校を出てこれから新しい世界に自分の足で進んでいくのだという決心をして、新しい自分として生きていこうというHoldenの決意も込められているのだろう。突発的に「今すぐ学校を出よう」と決めたこともあって、きっとHoldenは興奮していたに違いない。お決まりのred hunting hatを後ろ向きに被ったことがさらに彼を強気にした結果、上の引用のような行動をとらせたといえる。

    学校を出て新しい世界へ歩みを進めたHolden。この辺りからHoldenのred hunting hatに対する気持ちが変化していることに気付いた。“I just sort of sat and not did anything. All I did was take off my hunting hat and put it in my pocket.”(p. 53) 電車に乗っているHoldenは、何もする気になれず、ただhatを脱いでポケットに突っ込んだというのだ。この先の不安で気持ちが沈んでいるのかとも考えられるが今までのHoldenなら、このような状況の時こそred hunting hatを被るのではないだろうか。この場面に限らず、

I’d put on my red hunting cap when I was in the cab, just for the hell of it, but I took it off before I checked in. I didn’t want to look like a screwball or something. (p. 61)

のように、red hunting hatを被って変人扱いされたら嫌だから、人目のつく場所ではhatを被らないようになったのである。また、red hunting hatを被ったとしても

But it was freezing cold, and I took my red hunting hat out of my pocket and put it on--I didn’t give a damn how I looked. (p. 88)

I took my old hunting hat out of my pocket while I walked, and put it on. I knew I wouldn’t meet anybody that knew me, and it was pretty damp out. (p. 122)

とあるように、「ひどく寒くて仕方なく」red hunting hatを被ったというように受け取ることが出来る。自分が被りたいと思ったから被ったのではなく、自分の意思とは関係なく被らざるを得ない状況だったのだという表現である。red hunting hatを被るという事に対しての言い訳のようなことが描かれるようになった。これは明らかに先に述べたHoldenのred hunting hatに対する気持ちが変わったと言えるのではないか。

    しかし、彼のこの変化の全てを否定的なものとして捉えることは無いのではないか。初めはred hunting hatがHoldenのお気に入りであることが読んでいてわかるくらいであったのが、急にhatに対して冷たい感情を持つようになった。しかしそれはhatが嫌いになったという理由なのでない。Holdenが周りの社会を彼なりに気にするようになった表れなのではないか。以前は周りの目を気にすることも無く自分のお気に入りのred hunting hatを身につけることで精神的な安定を得ていたが、新しい生活、自分自身の力で生きていかなければならないという事を彼なりに理解して、周りに適応することを意識し始めたのである。学校を出る前のHoldenは周りに合わせることもせずに自分の好きなように行動していた。しかし、学校を出ることを決意した彼はこのままではいけないと気付いたのだろう。周りを見ること、それに合わせる事も生きるためには必要なのだと知ったHoldenのこれらの行動から、彼が人間として成長しつつある事が伺える。“I’d already taken off my hunting hat, so as not to look suspicious or anything.”(p. 157)からは周りの目を気にしている彼の様子がはっきりとわかる。繰り返して言うが、Holdenはred hunting hatを嫌っているのではない。むしろ彼にとっては特別なものであることに変わりはないだろう。ただ、自分の好きなものを好きなようにするだけでは生きていけないことを彼なりに受け入れた結果、人前でred hunting hatを被ることを控えるようになったのである。大人が頻繁にするように、彼は帽子を被る際に「寒いから」という言い訳を使っている。皮肉なことではあるが、無意識であろうとphonyな大人たちと同じように言い訳をしている点からも、彼が大人に近付いていることがわかる。

    物語が進むにつれてred hunting hat への依存が少なくなっていったHolden。“Then I took my hunting hat out of my coat pocket and gave it to her.”(p.180) 彼はred hunting hatをPhoebeにあげた。“Then, all of a sudden, I started to cry. I couldn’t help it.”(p. 179) 急に泣き出してしまったHoldenを見て怯えてしまい、家を出て行こうとするHoldenを引き止めるPhoebeにhatを渡すのである。一体どうしてHoldenは大切なred hunting hatを手放してしまったのか。きっとPhoebeの怯えた様子が少し前までの自分に重なったのではないか。“She likes those kind of crazy hats.”(p. 180) とあるようにPhoebeが変わった帽子が好きだからという理由だけではなく、この先自分と同じような悩みを抱えた時にきっと心の拠り所となってくれると思ってPhoebeにred hunting hatを渡したのだ。Holdenはもうhatを支えにしなくても平気なのだろう。だから今度は自分が妹のPhoebeを支えたいと考え、red hunting hatを譲ったのである。Holdenが相手のことを心から思えるようになったのは大きな成長の証だといえる。

    HoldenはPhoebeにred hunting hatを譲ったけれどやはりhatのことを強く思う気持ちは変わらない。“The reason I saw her, she had my crazy hunting hat on--you could see that hat about ten miles away.”(p. 205) たとえ変わったhatだとしても10マイル離れたところからでもわかるのは、Holdenのred hunting hatに対する気持ちの強さが表れているのではないか。便利さや変わったデザインも勿論だが、つらい時にHoldenのそばにずっとあった支え、今はもう必要ではないかもしれないが、Holdenの理解者という面でred hunting hatは大きな意味を持っているのである。

    上の考察によって、red hunting hatはThe Cather in the Ryeの作品の中で様々な役割を与えられていることがわかった。Holdenの精神的な支え、Holdenのその場面での心情を読み取ることが出来る手がかり、そしてHoldenのキャラクターを象徴するもの、様々な役割を果たしている。たかが古くさいhunting hatかもしれない。しかしこの作品においては無くてはならない役なのである。人間の理解者がいなかったHoldenにとってred hunting hatはHoldenの最高の理解者であったのである。


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