Seminar Paper 2009

Yurie Fukuda

First Created on January 29, 2010
Last revised on January 29, 2010

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The Great Gatsby とMoney
金の切れ目が縁の切れ目

    この作品の登場人物に共通するのは、「お金があれば幸せになれる」と考えているところであると仮定する。そしてその考えこそが多くの問題を引き起こしていく。 では、この作品の登場人物たちと「お金」との関係性と「お金」が生み出す問題について述べていく。

    まず、この作品の語り手であるニックである。ニックの家は中西部にあり、三代続いて栄えているような名門の家系の出である。そのためお金持ちのトムやデイジーとも知り合いである。トムやデイジー程、お金持ちではないが、ギャツビー程貧乏ではない。この作品では、中立的な立場である。ニックの人物像は読者に近く、一般的な価値観を持っていると考えられる。

    次にこの作品の主人公であるギャツビーである。ギャツビーこそが「お金」=「幸せ」だと最も強く考えていた人物であろう。では、なぜお金に対してそのような価値観を抱くことになったのであろうか。それはギャツビーの生まれにある。 彼は中西部の貧しい家庭に生まれる。彼は自分を取り巻く環境に満足出来なかった。だが、ダン・コディとの出会いをきっかけに彼は自分の頭の中に描いた華美な世界を現実のものにしていく。そして十七歳の時、ジェームス・ギャッツは「ジェイ・ギャツビー」という人物像を作り上げる。彼は最後までその時描いた人物像を貫く。だから彼はここまでまっすぐな人なのだ。それがギャツビーが “Great” である所以であると私は思う。十七歳で作った人物像であるから、当然問題がある。それはギャツビーは徹底して趣味が悪いということだ。黄色いサーカスのような車、派手なシャツ、気取った話し方など、見るからに上品ではない。

    GENERAL RESOLVES

   No wasting time at Shafters or [ a name, indecipherable]
   No more smoking or chewing.
   Bath every other day
   Read one improving book or magazine per week
   Save $5.00 [crossed out] $3.00 per week
   Be better to parents (p. 180)

    これはまだ、ジェームス・ギャッツだった頃、お金持ちになるために心がけとしていたことである。現実的な心がけが多く、精神的なものが少ない。彼に精神的な教えを説いてくれる人がいれば、道を外れることもなかっただろう。これを見ると彼は世に出たいという気持ちが非常に強かったことがわかる。だが、結局デイジーの出現で彼はアメリカンドリームを得ることはなかった。

    次にデイジーとお金の関係について述べる。デイジーの家はお金持ちで彼女の立ち振る舞いはお金持ち独特の余裕が漂う。

    ‘Her voice is full of money,’ he said suddenly.
    That was it.  I’d never understood before.   It was full of money ― that was the inexhaustible charm that rose and fell in it, the jingle of it, the cymbals’ song of it… High in a white palace the king’s daughter, the golden girl… (p. 126)

    作品中、彼女の一番の魅力は声だとされている。そしてこの文から、その魅力はお金がいくらでもあるという余裕から成り立つものであるということがわかる。トムと結婚したのも、浮気されているのに別れないのも、全てお金が起因している。デイジーにとってはお金のない生活は考えられないのである。

Suddenly, with a strained sound, Daisy bent her head into the shirts and began to cry stormily.
    They’re such beautiful shirts, ’ she sobbed, her voice muffled in the thick folds.  It makes me sad because I’ve never seen such ― such beautiful shirts before.  ’ (p. 99)

    彼女は登場人物の中で最もお金に依存している人物であると言える。お金のためにトムと結婚したが、幸せではないデイジーにとって、この場面でトムよりお金持ちになったギャツビーの暮らしを見て、自分の選択ミスを実感したのである。自分だけを五年間愛してくれて、さらに財力もあるギャツビーの方が、デイジーが幸せになれる道であることは明白である。ギャツビーも彼女が誰よりもお金に依存しているということは十分理解している。それどころかそのことに憧れを抱いていることがこの作品で大きな問題となる。 デイジーと出会うまでは「成功してお金持ちになる」ということがギャツビーの目標であった。だが、デイジーと出会ってからは「デイジーと一緒になる」ことが目標になる。その目標を叶えるのにはお金が必要で、そのためにギャツビーは密造酒という悪事に手を染めてしまう。普通、お金を積まなければ結婚できない女だと分かった時点で、大概の男は尻込みするものである。だが、ギャツビーは違った。ギャツビーにとっては「お金を積まなければ結婚できない」ことこそが魅力だったのである。ギャツビーにとってデイジーの一番の魅力は「本物のお嬢さん」であることだったのである。それゆえ、ギャツビーはデイジーに自分の財力を見せびらかす。自分の家を自慢し、派手なパーティーをする。デイジーを家に初めて招いたときに、自分の財力と教養を見せつけようとクリプスリンガーにピアノを弾かせる場面がある。

‘One thing’s sure and nothing’s surer
The rich get richer and the poor get--children.
In the mean time, In between time--’ (p. 102)

    この歌詞は下品で教養がないのをばらしてしまうばかりか、デイジーの今の状況を皮肉っているようにも聞こえる。このようにギャツビーのお金持ちアピールは度々失敗している。これらの事からギャツビーにとって「デイジーを手にいれる」=「お金を手に入れる」であると言っても過言ではないだろう。

    そしてギャツビーとデイジーの二人を繋いでいたのが「お金」であることが最もよくわかるのは、ギャツビーの葬式の後である。ギャツビーの葬式にはニックとふくろう眼鏡の男と使用人、それとギャツビーの父親しか来なかった。それはギャツビーにはお金で繋がれていた人間関係しかなかったということである。デイジーも例外ではなかった。

‘He ran over Myrtle like you’d run over a dog and never even stopped his car.’
   There was nothing I could say, except the one unutterable fact that it wasn’t true. (p. 186)

    葬式後、少ししてニックとトムが偶然会う場面がある。そこでニックはデイジーがマートルを引いたということをトムに伝えていないことを知る。もしデイジーが本当にギャツビーを愛していて、トムと別れて結婚するつもりだったなら、ギャツビーの葬式にも駆け付けるだろう。そして早い段階で事実をトムに話していれば、ギャツビーが殺されることもなかっただろう。結局デイジーはギャツビーのお金に一瞬目がくらんだだけだったのである。ギャツビーはお金に最後まで翻弄され続けたといえる。

    “Well, there I was,‘way off my ambitions, getting deeper in love every minute, and all of a sudden I didn’t care.  ” (p. 156)

    If that was true he must have felt that he had lost the old warm world, paid a high price for living too long with a single dream.  (p. 168)

    ギャツビー自身も、死を前にデイジーを人生の目標にしてしまったことが間違いだったということに気付く。人生の目標にするのにはあまりにも頼りない女性であった。デイジー自身が言うように彼女はただ馬鹿できれいなだけの女性であった。だが、ギャツビーにとってはデイジーが人生の全てであり、もう手に入れることができないとなれば、ウエストエッグに豪邸を建てた意味もお金持ちになった意味さえもわからないといっても過言ではない。だが、ギャツビーが “great”であるのはこの一途さと自分が間違っていたと自覚できるところだと思う。ニックが彼のことを最後に見送ろうと思った訳はここにあると考えられる。

    次にこの事件を引き起こしたトムとマートルのお金との関係性と問題について述べる。デイジー同様、トムもお金でしか人間関係を築くことができない人間だといえる。トムの家もお金持ちである。そしてトムは自分のような資産家の生まれでない人間を見下している。

‘It’s really his wife that’s keeping them apart.  She’s a Catholic, and they don’t believe in divorce.
  'Daisy was not a Catholic, and I was a little shocked at the elaborateness of the lie.  (pp. 39 - 40)

    トムは自分が離婚しないのは、デイジーがカトリックであるからだとマートルに言い訳をする。トムがデイジーと離婚しないのは、マートルが良家の生まれではないからである。お金持ちの自分と釣り合う女ではないと考えているのであろう。トムもお金によって人を評価する人間であると言える。また、マートルはウィルソンと結婚したことを失敗だと思っている。

    ’He borrowed some-body’s best suit to get married in, and never even told me about it, and the man came after it one day when he was out: “Oh, is that your suit?” I said.  This is the first I ever heard about it.  ” But I gave it to him and then I lay down and cried to beat the band all afternoon.  ’ (p. 41)

    ここからお金がないウィルソンに嫌気がさしていることが分かる。マートルはお金持ちに憧れていたのである。その夢を叶えてくれるのがトムだった。トム自身を愛していたというよりもお金持ちの生活をすることに憧れていただけなのである。マートルも「お金」=「幸せ」だと思っていた人物であるといえる。

    ‘...I’m going to give you this dress as soon as I’m through with it.   I’ve got to get another one tomorrow. I’m going to make a list of all the things I’ve got to get.   A massage and a wave, and a collar for the dog, and one of those cute little ash-trays where you touch a spring, and a wreath with a black silk bow for mother’s grave that’ll last summer.   I got to write down a list so I won’t forget all the things I got to do.  ’(pp. 42-43)

    これはマートルがトムに買ってもらうものをわざわざマキーの妻に言っている場面である。このマートルの発言からも彼女のお金への依存心が伺える。マートルはわざわざ新車のラベンダー色のタクシーを呼んだり、ドレスを何度も着替えたり、ボーイを馬鹿にするなど徹底してお金持ちのふりをしている。その様子が滑稽である。お金持ちのふりをして、逆に下品さが目立つ、これはギャツビーとマートルの共通するところである。

    そして、もう一点、共通するところがある。ギャツビーもマートルもお金を追い求めて、命を失ったのである。ウィルソンに監禁されて、トムに助けを求めようとした。トムが貧乏から救い出してくれると思っていたのである。だが、そこに乗っていたのはデイジーで、自分の身分を何よりも気にするデイジーは一度も止まらずにひき逃げしてしまうのである。デイジーとトムの保身の被害者という点でも共通しているといえる。

    私は仮定としてこの作品の登場人物は「お金があれば幸せになれる」と考えているとした。ギャツビーはお金があればデイジーと一緒になれると考えていた。デイジーはお金持ちのトムと結婚すれば幸せになれると思っていた。マートルはウィルソンと別れ、トムとお金持ちの生活をするのが夢だった。トムは自分と釣り合うお金持ちのデイジーと結婚し、自分の身分を固持することが何よりも大事だった。これらの点から彼らが「お金があれば幸せになれる」と考えていたことは妥当であると考える。 そして、この考えが問題であるということも、お金を追い求めるあまり誰も幸せにはならなかったという結果を見れば妥当だと言えるだろう。この作品の登場人物たちの過ちは「人の価値」=「お金の価値」だと考えていたところにある。そう考えているもの同士が一緒にいれば、その関係は非常に空虚なものとなる。“ ‘ You said a bad driver was only safe until she met another bad driver, didn’t I?’ ” (p. 184) これはベーカーが言った言葉である。これはこの作品の人間関係の様子を表していると考えられる。トムとデイジー、デイジーとギャツビー、トムとマートル。この全ての恋愛関係において片方ではなく、両方ともお金のことしか考えていない。これが不幸を招く要因であったと考えられる。

    “After Gatsby’s death the East was haunted for me like that, distorted beyond my eye’s power of correction.  ” (p. 183) ニックはギャツビーの死後、東部に対して不気味だという感情を持つようになり、東部を離れる。それは、ギャツビーが死んでも葬式に来ないパーティーの客や、ギャツビーに罪をなすりつけて何もなかったように生きているトムとデイジーのような人間とは人間関係を築けないと思ったからであろう。「お金の切れ目が縁の切れ目」というようなことが当然のように行われる東部に我慢ならなかったのである。

    最後にこの作品は作者自身の経験を投影したものであるという点にも触れておく。作者の妻のゼルダは、アラバマ州の名家の娘で、いったんはフィッツジェラルドと婚約するが、将来に不安があるとして婚約を破棄した。その後、彼が作家として華々しくデビューしたあとで結婚した。(参考wikipedia) これはまぎれもなく、デイジーのモデルになっていると言えるだろう。トムとデイジーと同様に、作者フィッツジェラルドと妻ゼルダはその人生の中で多くの問題を抱える。作者が生きた時代は第一次世界大戦の最中であった。こうした激動の人生の中で、彼自身もお金と名声を追い求めた。だが、多くの不幸が付きまとった。これは時代の激変とその波あらがえずにいる彼自身の自伝だともいえるだろう。

    お金は人生に華を与える。だが、金をあまりに追い求めると人間は人間らしさを失う。この作品を読んでお金とは幸せを与えてくれるものではないということを再認識させられた。そしてこの物質社会の中で、人と人の繋がりはお金ではなく、人間の心で繋がっているべきだと作者は伝えたかったのかもしれない。


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