Seminar Paper 2009

Madoka Saeki

First Created on January 29, 2010
Last revised on January 29, 2010

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The Great Gatsby の女性たち
Carelessな人々

 DaisyはGatsbyに促され、Tomを愛したことは一度もないと語った。しかしその発言はすぐに”I did hm once--but I love you too. ”(p. 139)と覆った。では、DaisyがGatsbyを愛していると語ったことも、疑わしいのではないだろうか。私は、Gatsbyと再会したDaisyの気持ちは、五年前のように愛へと変化してはいなかったのではないかと考えた。そこで私は、Daisyのキャラクターを考察しながら、DaisyはGatsbyとの再会後、彼を愛してはいなかったという仮説を検証、証明してみる。この仮説を裏付けるのに重要な役割を果たすのが次の会話だ。  

‘I am careful.’
‘No, you’re not.’
‘Well, other people are,’ she said lightly.
‘What’s that got to do with it?’
‘They’ll keep out of my way,’ she insisted. (p. 65)

上記の会話からも分かる通り、Jordanは自分がcarelessな人間であるということを自覚し、また客観的にもそう捉えられている。Jordanいわく“It takes two to make an accident.” (p. 65) だそうなのだが、彼女の考えに従うと、carelessな人とcarefulな人との間には親密な関係が築かれ、carelessな人同士の間にはan accidentが起こる。そこで、この物語の事件の鍵を握る、Tom、GatsbyそしてDaisyがcarelessかcarefulかを判別し、Daisyの心境に迫ろうと思う。

 まず最初に、Tomについて考えてみる。Tomはこの物語最大のan accidentのトリガーとなった。death carの持ち主は誰かと尋ねるGeorgeに、Tomはなんとも正直にGatsbyと答えてしまったのだ。GeorgeがTomと訪ねてきたとき

‘He came to the door while we were getting ready to leave, and when I sent down word that we weren’t in he tried to force his way upstairs. He was crazy enough to kill me if I hadn’t told him who owned the car. His hand was on a revolver in his pocket every minute he was in the house-’ (pp. 186-187)
という状況だったとTomが語っていることから、彼にはGeorgeが拳銃を所持していること、Gatsbyの名を知り得た勢いで彼を撃ち殺す可能性があることを充分に予測できたはずだ。それにもかかわらず安易にGatsbyの名を教えてしまったTomの行動はcareless極まりない。加えて、彼は“You two start on home, Daisy,’’ said Tom. “In Mr Gatsby’s car.’’ (p. 141)とDaisyがGatsbyの車に同乗することを促している。彼のこの行動もまた、Gatsbyの車をdeath carへと変貌させるきっかけとなっている。このほかにも“and if you want to take down any addresses here’s my little gold pencil.” (p. 113)とDaisyが気を利かせている場面を見ると、彼女はTomの気の多さに気づいていると受け取れる。同じ女性の視点から言うと、女性にこのような変な気を使わせるなど、carelessな男性のすることだ。もう少しcarefulに振舞ってほしいものである。

 次に、Gatsbyについて検証してみるが、彼がcarelessであることは言うまでもない。彼のDaisyに対する五年間の思いはTomをも巻き込んで三角関係を作り出し“Your wife doesn’t love you,’’ said Gatsby. ‘‘She’s never loved you. She loves me.’’ (p. 137) という言葉でan accidentを表面化させたのだ。結果、Tomのcarelessな導きによりGeorgeと引き会わされこの物語最大のan accidentとも言えるholocaustへと至ったのだ。もちろんここではholocaustの当事者であるGeorgeもまたcarelessな人物だったと言うことができる。彼はholocaust以外でも、浮気をしているMyrtleを尋常ではない束縛の仕方をしたり、death carの持ち主を拳銃を片手にTomに問いただしに行くなど、冷静さを欠いた行動が目立つ。

 Myrtleもまたan accidentに巻き込まれている。holocaustの序章とも言うべき事故、まさしくan accidentの被害者なのだ。そのan accidentというのも、Tomのものであると勘違いした車に向かって飛び出して行ったのだから、なんともcarelessである。しかし彼女にとっては、Georgeに浮気がばれてしまったことが一番のan accidentだったのかもしれない。

 そして、渦中のDaisyは果たしてどうなのだろうか。私が考えるところ、彼女が最もcarelessな人物であると思う。Gatsbyに促されてTomに“I never loved him,” (p. 138) と言い、そこからTomとGatsbyの険悪ぶりが表に出てしまったのだ。また

 As he left the room again she got up and went over to Gatsby and pulled his face down, kissing him on the mouth.
‘You know I love you,’ she murmured.
‘You forgot there’s a lady present,’ said Jordan. Daisy looked around doubtfully.
‘You kiss Nick too.’
‘What a low, vulgar girl!’
‘I don’t care!’(p. 122)
上記の場面では、Daisyの周囲を気にしない様子が描かれている。同時にこの場面ではJordanがcarefulな人物であるという解釈もできる。Jordanには周りを気にするという感覚があるのだ。これでJordanとNickがうまくいかなかったのもうなずける。彼らはcareful同士のカップルだったのだ。さらに極めつけは、彼女がdeath carの本当の運転手であることだ。この事故は、まさしくJordanが語ったcarelessな者同士のan accidentそのものである。

 ここまでTom、Gatsby、George、Myrtle、Daisyがcarelessな人物であることを証明してきたわけだが、ここで面白いことに気がつくことができる。Wilson夫妻、Buchanan夫妻は互いにcarelessな者同士で結ばれた夫婦なのだ。要するに、carelessな者同士なわけだから、夫婦仲がうまくいかないのは当然なのである。そして、不倫関係にあるTomとMyrtle、GatsbyとDaisyもまたcareless同士のカップルであり、やはり良い結末にはなっていない。F. Scott Fitzgeraldは、彼らの関係をそのキャラクターに暗示させていたのだろうか。なんとも滑稽である。

 では、Daisyがcarelessであることを証明したことで、何が見えてくるのだろうか。ここで、Jordanが語ったcarelessである自身についての言葉を思い出していただきたい。

‘I am careful.’
‘No, you’re not.’
‘Well, other people are,’ she said lightly.
‘What’s that got to do with it?’
‘They’ll keep out of my way,’ she insisted. ‘It takes two to make an accident.’
‘Suppose you met somebody just as careless as yourself.’
‘I hope I never will,’ she answered. ‘I hate careless people. That’s why I like you.’ (p. 65)
ここでは自身をcarelessだと思っているJordanの考えが表れているが、これをcarelessという共通点を持つDaisyに置き換えて考えるとどうだろうか。Daisyもまた、carelessな人を好まない、つまり、TomやGatsbyのようなタイプは好きではないのだ。では、Gatsbyとの再会後、一時二人の気持ちが通じ合ったように見えたのはなぜだろうか。

 The Great Gatsbyの登場人物の中でも、Gatsbyは特別である。なぜなら彼はcarelessな人物に分類されるが、二面性を持っているからだ。

‘Was Daisy driving?’
‘Yes,’ he said after a moment, ‘but of course I’ll say I was. You see, when we left New York she was very nervous and she thought it would steady her to drive -...’ (p. 150)
上記の会話からも分かるように、Gatsbyは精神的に疲れているDaisyをかばおうという配慮が見られる。このからGatsbyにはcarelessな部分とcarefulな部分の双方があるということがうかがえる。さらに、彼の素性においても二面性がある。彼はDaisyとの再会を果たすべく上流階級のようなパーティーを開くが、そこにつぎ込まれた大金はきれいなお金ではない。Daisyに相応しい経済力を身につけるべく集められた、裏商売のお金なのだ。このようにGatsbyには良く見える面とそうではない面の双方が見られるが、いずれにせよDaisyのためにのみ働く長所であり、Daisyが関わらないとそれは発揮されない。つまり、Daisy以外の者から見ると、Gatsbyは結局carefulな人物とは言えないのである。

 よってDaisyとGatsbyを結んだものは彼らの間同士のみで理解し合える感情なのだ。Doctor T. J. EckleburgやNickといった、すべてを客観的な視点から眺めている者には想像できるものではない。またJordanの言葉には、不注意な人との出会いを避けたいという意思が含まれている。TomとGatsbyが口論する中“Please don’t.” (p. 139) や“I won’t stand this!” (p. 140) などと泣くDaisyの意思と一致しているのだ。以上の事柄から、DaisyはGatsbyとの再会後、彼を愛してはいなかったのだと私は解釈する。

 さてThe Great Gatsbyにはcareless同士の衝突、いわゆるan accidentや、路側帯ぎりぎりを走るNickとJordanのように距離が縮まらない人物たちの人間関係が描かれているが、なぜFitzgeraldはcarelessなGatsbyをgreatと表現したのだろうか。もしかしたら、そこには愛の力で完璧ではなくともcarefulな面を身につけたGatsbyへの憧憬の念が込められているのかもしれない。そして、数日にして幸せを失ったGatsbyへの同情が込められているのかもしれない。いずれにせよ、愛する人を守って死んでいったGatsbyの姿は、私たち女性にとって美しく映り、その気持ちを蔑ろにしたDaisyの姿はなんとも憎らしい。しかしながら、同じ女性として、Daisyの気持ちも理解できてしまうから悲しい。女心と秋の空とはよくいったものだ。


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