Seminar Paper 2009

Yoshie Shimada

First Created on January 29, 2010
Last revised on January 29, 2010

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The Great Gatsby と Time
〜ギャツビーはタイムマシーンを操れるのか〜

Time is Money. 『時は金なり』という言葉があるように、ギャツビーは時間をかけて金持ちになった。ギャツビーはデイジーとの復縁を目指して戦争から帰った後、彼女の理想の男性像に近付くために、自分の地位を上げるべく、時間を惜しまずにたくさんの努力をしてきた。ギャツビーはデイジーと離れていた五年という時間を取り戻そうとしてきたが、結果として彼はトムの愛人の夫であるウィルソンに殺されてしまい。彼の夢は実現されずに終わってしまった。ギャツビーが仮に生きていたとしても、彼は過去を取り戻すことはできたのだろうか。デイジーはギャツビーと再会した時点でトムと結婚していたし、子供もいた。トムには財力もあったので不自由することなく生活でき、トムが浮気をしていたことを除けば彼女は理想的な生活を手に入れられていたのではないかと考える。果たして彼女はギャツビーと復縁することを彼がそう思っていたように夢に抱いていたのだろうか。私はギャツビーが過去に戻りたがっていた一方で、でデイジーは自分が幸せになれるかどうか、という未来を見ていたのではないかと思う。よって、ギャツビーは過去を取り戻すことは不可能であったと考える。

 第一にデイジーについて考えてみたい。デイジーはもともとお金持ちであった。そして女性から憧れられる存在であると同時に、男性からも好意を抱かれ。ギャツビーと恋人関係にあった前後にも多くの男性と恋愛していたようである。また、トムとの結婚前にも婚約者がいたようだった。結婚後、ギャツビーと再会するまで浮気をする様子もなかったようであるため、多くの男性と恋をしたい、というよりも孤独であることを嫌って誰かといる、または常に自分の幸せを第一に考えていたのではないかと思われる。彼女は結婚式を挙げた直後まではトムと結婚することに対し、後ろめたい気持ちがあったように思われる。結婚式の後、普段飲まないアルコールを飲み、ジョーダンの前で涙を流している。結婚後、幸せであふれているはずの花嫁が気が狂ったように泣いたりするだろうか。この涙はギャツビーとの本当の別れ、すなわち気持ちの中での別れを表しているのではないかと思われる。子供を出産後、ギャツビーと再会しても当時の豊かな安定した生活を失ってまでギャツビーと復縁する気はなかったように思える。デイジーは五年という月日の間に結婚、出産、子育てを経て、自分の恋愛を中心とした人生よりも、自分の生活を中心とした人生を歩むようになったと思う。もし彼女が未婚であればギャツビーとの復縁もあり得たかもしれないが、結果としては、デイジーは過去に戻ることができない状況であった。

 続いてギャツビーの現在と過去について視点をあててみようと思う。ギャツビーがデイジーと出会ったことは将校に入っていた。彼はニックに自分の過去を説明するときに家は、家族がみな死んでしまったため金を相続し、金持ちになって大学もオックスフォードを出た、といったが実際は違ったようである。将校時代の間にギャツビーはデイジーと交際していたようであるが、ギャツビーが軍隊にとられたときに離れ離れになってしまう。この作品を通して、当然であることなのだがギャツビーはデイジーのことを一途に思い続けてきていた。他の女性の影は全くない。ギャツビーはデイジーとの過去については多くを語り、デイジーへの想いを熱く語るが、他の女性と過去に何かあったような様子が全くない。その上、この後触れることだが、金持ちになり、パーティーを開いても他の女性と関係を持つことはまったくなかった。ギャツビーは今まで女性関係を持つことがそれほどなかった上に、出会った女性が他の人から見ても魅力あふれる女性であるデイジーだったために、デイジーへの想いを抜け出せずにいたように思える。ギャツビーの中で、デイジーとの恋は彼の人生そのものであったのだ。

ギャツビーはデイジーとの復縁を試みる前(現在)は、周囲の人々から何か偉大なことをして財を成してきたと思われ、人によっては犯罪的な過去があると考える人もいたが、確信を得ていた人はいなかった。どんなに派手なパーティーを開いても、ギャツビーのことについて知る人は少なかったし、ギャツビー自身、必要以上のコンタクトを避けていたように思える。彼は実に計画的に財をなし、計画的にパーティーを開いて自分の偉大さをアピールし、計画的にニックを招待客としてパーティーに招き、計画的にデイジーとの再会を試みていた。だから、彼はパーティーを開くことは自分の顔の広さを示すためや、自分がどれだけ金持ちかを示すために意義はあったが、パーティーに来る人々には興味がなく、自分から交流を持とうとせずに、また周りからも交流を持たせようとしていなかったように思える。その結果、誰もギャツビー自身のことを知らなかった。彼の目的はデイジーとの復縁のみ、つまりは過去に戻ることのみだったため、他人のことはどうでもよかったのである。彼は自分が長い月日の中でデイジーを忘れることがなかったように、デイジーもずっとギャツビーのことを思いはせていた、と思っていた。デイジーがトムと結婚したのも、ギャツビーが貧乏で、長い間ギャツビーのことを待っていられなかったからだと思っていた。そのため、彼は財を得たら、当たり前のようにデイジーと復縁できるのだと思っていた。

 The Great Gatsby の話の中で、ギャツビーとデイジーの中を取り持つのに重要な人物がこの話の語り手であるニックである。ニックは今まで関わりがなかったギャツビーがデイジーと再会してから彼が死に至るまでの間ずっと彼を気にかけてきた。なぜ彼は昨日まで全くの他人であったギャツビーのためにここまでしてきたのだろうか。ニックはギャツビーと関わりを持つまで全く彼のことを知らなかった。豪華で華麗であるギャツビーのことに興味を抱いていた。しかしながらギャツビーは実際用人深く、デイジーと再会し、いざデイジーと話をするとなると引っ込み思案な一面が見受けられた。このギャツビーの性格がニックをひきつけたのではないだろうか。ニックはギャツビーと出会ってからほとんどの時間をギャツビーに費やしてきたように思う。そして、ニックは彼らが復縁することを応援していた時もあった。ニックはギャツビーに惹きつけられるようにともにいて、彼らの関係を取り持ったりもした。ギャツビーやデイジー、トムにかかわるうちに、ギャツビーが過去に戻ることは難しいと感じ、ギャツビーに対しても説得を試みる。しかしながら、ニックは自分の誕生日でさえも彼らと行動をともにし、ニックは唯一ギャツビーの最後まで面倒をみる人物であった。それは過去に戻ることができるかどうかは別にして、ニックはギャツビーと同じ価値観を持ち、時間を費やす価値のある人物である、というふうに捉える事ができる。

 ここで、具体的に作品の中でどのように時間が意識されて描写されているかを見ていきたいと思う。" Once I wrote down on the empty spaces of a time-table the names of those who came Gatsby’s house that summer."(p. 67) というギャツビーのパーティーに来客した人々のリストが書かれている時刻表がある。時刻表というのが時間の電車の発着時刻を表している表であることから、ギャツビーはかなり時間を意識していることが読み取られ、時間に正確になり、時間と戦っていることが分かる。また、

A dead man passed us in a hearse heaped with blooms, followed by two carriages with drawn blinds, and more cheerful carriages for friends. The friends looked out at us with the tragic eyes and short upper lips of southern-eastern Europe, and I was glad that the sight of Gatsby’s splendid car was included in their sombre holiday. As we crossed Blackwell’s Island a limousine passed us, driven by a white chauffeur, in which sat three modish negroes, two bucks and a girl. I laughed aloud as the yolks of their eyeballs rolled toward us in haughty rivalry.(p. 75)
という場面で、ギャツビーたちが乗った車が霊柩車やリムジンと橋ですれ違う。これは橋を渡っている彼らが時間の流れであることを示しており、さまざまなものとすれ違うことでニューヨークの特殊性を表しているとともに、ギャツビーの人生をも表しているように思える。霊柩車とすれ違うことで「死」を意識したり、リムジンとすれ違うことによってギャツビーが時間を経て得た地位のことを表しているように思える。また、その直後に" 'Anything can happen now that we’ve slid over this bridge’ I thought; ‘ anything at all…'" という表現があるように、これから何かが起こることを予想させるような何かがあるように思わせる。また、この部分の表現はWilliam Faulknerの作品であるThe Sound and the Furyの中に出てくる描写にしている部分があるように思える。それは" The arrow increased without motion, then in a quick swirl the trout lipped a fly beneath the surface with that sort of gigantic delicacy of an elephant picking up a peanut" (p. 116) という自殺を試みようとする男性が川でマスを見つける場面である。この作品では川の流れを時間、マスを時間にとらわれない川の主として描かれている。そして自殺を試みようとしている男性は時間に対して神経質になっており、時計を見ないように心がけていた。これはデイジーと復縁するタイミングを意識していたギャツビーとは正反対であるように思える。しかしながらギャツビーは時間に追われすぎていたために、「死」が早く出向いてきたように思え、このThe Sound and the Furyとの共通点を感じた。時間というのは過去に戻るものでなく、未来に向かうものであり、それは「死」につながるものなのである。

 このようにデイジー、ギャツビー、ニックのそれぞれに焦点を当ててきたが、時間を取り戻す、ということはギャツビーに限らず、不可能である。それは個人の性格はもちろんあるが、それぞれの過去に起こった事実は変えられないということと、気持ちも変化していくものである、ということにつながる。時間をかけることは冒頭でも述べたようにお金をかけることと同じようなことである。自分の時間をどう過ごすのかはそれぞれの価値基準で異なる。ギャツビーは多くの時間をデイジーのために費やしてきた。ギャツビーの人生はデイジーにそそがれた、といってもいいだろう。そのデイジーもモノではなく人間であるため、時が流れるごとに気持ちや状況に変化をもたらした。デイジーとの過去に戻ることのできないギャツビーは、もはや何もない。事故ではあったが「死」が最後に待ち受けていたのも当然の結果であったのかもしれない。そして、「死」後に彼を受け入れられたのはニックただ一人であった。流れに逆らうことは人生をまっすぐ生きることにならない。一度だけの人生は過去を振り返らずに新しい自分を見つけなければならない。


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