Seminar Paper 2010

Satomi Aihara

First Created on January 27, 2011
Last revised on January 27, 2011

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小説Lolita のユニークさについて
被差別階級としてのユダヤ人

    この小説の中で、実際に登場人物の誰かがはっきりとユダヤ系である、と描かれることも、実際にユダヤいう文字が出てくることもない。しかしいくつかの文章から、ハンバートはユダヤ人ではないかと考えることが出来る。主人公であるハンバートは、少女達(nymphet)を愛し、その中でもドローレス(ロリータ)という一人の幼い少女を愛するようになる。そしてこの少女と一緒にいたいがために、その少女の母親と結婚するのである。ハンバートにとって幸運なことに、この母親は途中で事故死し、その後は周りからの視線を避けるようにロリータと二人で旅を続けるのである。しかし、次第にロリータはこの父親のようで父親と言えないハンバートを受け入れることが出来なくなり、逃亡計画を立て始めるのである。その計画をあくまでも邪魔し続けるハンバートであるが、ある日ロリータはキルティーという劇作家の手助けにより、ハンバートの元から逃げるのである。そこからハンバートはロリータの追跡を始めるのであるが、ロリータを見つけた時には既に結婚し、子を身ごもっていた。そんなロリータがハンバートと一生を共にする気がもうないことを知ると、ハンバートはロリータに結婚資金として大金を与えるである。ロリータに惚れ込み、そのあげくどこまでも追跡を続け、一つの選択のために徹底した生き方を続けてきたハンバートであるが、最終的に彼は、ずっと憎み続けてきた人物である、ロリータが逃げる際に手を貸したキルティーの居場所をつかみ、死へと追いやりに向かうのである。この、狂人と化したハンバートは、表面上においては人種の遺伝子のサラダのような人間である父から生まれた国際的人間であるけれども、ナボコフが執筆している本の多くにユダヤが関わっていることや、文中からうかがえる点を考えると、彼こそが迫害によって国を負われたユダヤ人なのではないだろうか。 この小説を執筆したウラジミール・ナボコフの父親は、リベラルな政治家として有名であり、ユダヤ人擁護に努め、亡命ロシアの文化的指導者であった。その息子であるナボコフもまた、ユダヤ系ロシア人である妻を持ち、ユダヤ系ロシア人の団体への寄付も行っていた。このようなことが関係し、作者であるナボコフは反ユダヤ主義に対する思いを小説にも描いていたのではないだろうか。

    始めに、この文章の中にユダヤ人の存在が見えてくるのはロリータが通っている学校のクラス名簿の中である。Flashman Irvingという学生に対し、ハンバートは “ Irving, for whom I am sorry” (p. 53)とコメントしている。これは、この学生の姓名から判断して、彼がクラスで唯一のユダヤ系だからではないかと考えられる。

    次に、ハンバートのことを愛するシャーロットがハンバートの家系について尋ねる部分である。ハンバートに結婚して欲しいと思っているシャーロットでさえもハンバートがユダヤ系ではないのかと疑う部分である。

Charlotte interviewed me about my relations with God. I could have answered that on that score my mind was open; I said, instead−paying my tribute to a pious platitude−that I believed in a cosmic spirit. Looking down at her fingernails, she also asked me had I not in my family a certain strange strain. I countered by inquiring whether she would still want to marry me if my father’s maternal grandfather had been, say, a Turk. She said it did not matter a bit; but that, if she ever found out I did not believe in Our Christian God, she would commit suicide. (pp. 74-75)
ここでシャーロットは、ハンバートがスイス国籍の父親とイギリス人の母親を持ち、幼少時をロンドンとパリで過ごし、アメリカ移住後も自分がヨーロッパの教養人であるということを誇りに思っていることを知っているはずである。それにも関わらず、ハンバートに対して、家系に変な血筋はないかと尋ねるのである。たとえハンバートの曽祖父がトルコ人であっても問題はないが、もしハンバートがキリスト教を信じていないのであれば、自分は自殺する覚悟があるとまで言い放っている。どんなに愛しているハンバートでも、彼がユダヤ系であれば、シャーロットは結婚しないのであろう。それほどまでにユダヤ系か否かということは、深刻な問題なのである。

    また、The Enchanted Huntersでチェックインする際には、フロントで老人が礼儀正しく微笑みを浮かべ、ハンバートの容貌を調べ、名前が間違っている予約の電報を取り出し、暗い疑惑と格闘し、到着が遅れたために予約がキャンセルされたと伝えた。 “ ‘ The name,’ I said coldly, ‘ is not Humberg and not Humbug, but Herbert, I mean Humbert, and not any room will do, just put in a cot for my little daughter. She is very tired.’ ” (p. 118) ここでハンバートは、ロリータを独り占め出来る幸福感から色々と悪事を企てているのであるが、それが分からないよう、ロリータの年齢を実際より若く言うことにより、正当な親子関係であることを強調する。しかし、このフロント係が不信に思ったのは、ハンバートとロリータの関係ではなく、ハンバートがHumbergと言ったことからユダヤ系なのではないかと疑ったということであり、これが暗い疑惑なのではないであろうか。 ハンバートとロリータが旅を続ける間、同じようなことが他のホテルのチェックインの際にも起っている。これはハンバートがその時のことを回想している場面なのであるが、 “ On the other hand, I shudder when recalling that soi-disant ‘ high-class’ resort in a Midwestern state, which advertised ‘ raid-the-icebox’ midnight snacks and, intrigued by my accent, wanted to know my dead wife’s and dead mother’s names.” (p. 147) というように、ハンバートの言葉の訛りに疑問を抱いたフロント係がハンバートの家系を知りたがり、ハンバートの妻や母親の姓を名乗るように言った。 また、ロリータが一時期仲の良かったEvaというビアズレー校の女子生徒がいる。彼女について書かれている部分であるが、

“Eva Rosen, a displaced little person from France, was on the other hand a good example of a not strikingly beautiful child revealing to the perspicacious amateur some of the basic elements of nymphet charm, such as a perfect pubescent figure and lingering eyes and high cheekbones. Her glossy copper hair had Lolita’s silkiness, and the features of her delicate milky-white face with pink lips and silverfish eyelashes were less foxy than those of her likes−the great clan of intra-racial redheads; nor did she sport their green uniform but wore, as I remember her, a lot of black or cherry dark−a very smart black pullover, for instance, and high-heeled black shoes, and grant-red fingernail polish. ” (p. 190)
ここで、このEvaという女の子はdisplaced little personと書かれている。キルティーがハンバートを難民呼ばわりする際の “You are either Australian, or a German refugee.” (p.297)で使われたrefugeeや、最後の部分で、ロリータとハンバートが唯一共にずっといることの出来る場所として “I am thinking of aurochs and angels, the secret of durable pigments, prophetic sonnets, the refuge of art. And this is the only immortality you and I may share, my Lolita.” (p.309)においてもrefugeという言葉を使っていることを考えると、ここであえてrefugeeではなく、displaced little personとされているのには何か理由があるのではないかと考えられる。この小説が書かれた当時、displaced little personといえば、ナチスによって迫害を受け、戦後国に戻ることが出来なくなったヨーロッパ人のことをあらわす単語であった。そのことを念頭に置くと、このロリータと同じ学校で仲良しであったRosenもまた、ハンバート同様にユダヤ系の人物ではないのかと考えられる。この章の始めにも、 “ There was Opal something, and Linda Hall, and Avis Chapman, and Eva Rosen, and Mona Dahl (save one, all these names are approximations, of course).” (p. 190) ここで、ハンバートがロリータの友達の名をあげ、一人を除いては名前は全て近い似である。としているのは、Evaがユダヤ系であることを示唆しているのではないかと考えられる。そして、 “Of the rest, none had any claims to nymphetry except Eva Rosen.” (p.190)という部分ではニンフェットになれそうな子はEvaしかいないと言っている。これは、Evaが可愛らしいからであるとか、ロリータやかつてハンバートが愛した女性達に似ているからという理由ではないわけで、ただ単に、Evaが自分と同じユダヤ系であったからではないだろうか。

    最後に、ハンバートがキルティーを殺す場面では、 “ You are either Australian, or a German refugee. Must you talk to me? This is a Gentile’s house, you know. Maybe you’d better run along.” (p. 297) とあるように、キルティーはハンバートの言葉の訛りから、始めはフランス人ではないかと疑うのであるが、最終的に、オーストラリア人かドイツの難民とし、ハンバートにとってキルティーの家は異教徒の家であるから出て行くようにと促すのである。また、この場面の始めにキルティーはハンバートに “ Are you by any chance Brewster?” (p. 295) と尋ねる部分があるが、このBrewsterというのもユダヤと関係しているものなのである。この当時、ユダヤ人迫害がとても多く見受けられ、その反ユダヤ主義を問題とした映画の一つに『紳士協定』というものがある。この映画の中で主人公がユダヤ人であることにより、ホテルに予約したものの泊まることが出来ないのである。ここでホテル側が主人公に対して言ったのが、 “ if you’d like, I can call the Brewster.” つまり、婉曲に宿泊を断り、ユダヤ人も宿泊の出来るBrewsterに電話すると告げたのである。

    このように、ハンバートはいくつかの場面において、幼い少女に対する愛ではなく、ユダヤ系ではないかということに対して疑われることが度々おこるのである。この作品の中におけるハンバートは、ロリータを媒介として、子供の頃に父親のリゾートで過ごしていた時に出会った少女、アナベル・リーとの思い出の様な幸せな時を取り戻したいのである。そのために、実際に手に入れることの出来ない欲を追求し、狂人となり、自分自身の満足のために、ロリータを自分から奪ったと考えたキルティーを殺す。しかしキルィーを殺しても結局自分が得るものは罪悪感だけなのである。なぜなら、この時既にハンバートは、大人になってしまったロリータに対して前と同じような気持ちを抱いているわけではない。文中ではっきりと、ロリータが娘を産み、その子が12歳になれば同じように愛せるのではないかと述べている。つまり、ハンバートがそこまでキルティーに固執する必要はもうないのである。ロリータに “ You are sure you are not coming with me?” (p. 279) と聞いているのも実際は彼女を今でも愛しているからではなく、彼女への追従に過ぎない。ハンバート自身が一番このことをよく分かっているけれども、ロリータに惚れ込み、どこまでも追跡し、そのあげく、そこからそれることが出来ず、自分が選択してしまった道を徹底的に歩み続けるのである。この狂人とはいわば独創的な知性の持ち主であり、その中において最高の価値を持つものなのではないだろうか。その最高の価値を持つものが、善悪でいうならば悪として描かれているのには何か理由があり、その理由こそが迫害されてきたユダヤ系なのではないだろうか。 このように、小説Lolitaでは、他作品への言及や偶然性を用いて、ナボコフの反ユダヤ主義に対する思いが描かれているのである。


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