Seminar Paper 2010

Nanami Iizuka

First Created on January 27, 2011
Last revised on January 29, 2011

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小説Lolita の女性たち
〜Nabokovにとっての女性観〜

 今回扱った作品「Lolita」は、作者Vladimir Nabokovが、「ロリータ、あるいは妻に先立たれた白人男性の告白録」という正題と副題で書き記したものであると序で紹介されている。事実、この作品は主人公H.Hの視点からの物語である。ここで主題となる「Nabokovにとっての女性観」とは、必ずしも女性である必要はないのではないかという私個人の考えを、同作品に登場する人物を挙げて考察していこうと思う。

<ロリータ>

 作品の多くの部分をこの少女が占めている。彼女は、直接H.Hと接点があるわけではない。しかし、偶然にも住む家を失ったH.Hと共同生活をすることで、徐々に自身の心を許していった。H.Hにとってロリータとは、まさにニンフェットであり、手が届きそうで届かない理想であった。のちに妻となるロリータの母・シャーロットとの結婚も全てはロリータと一緒に生活がしたいための口実であった。そこまでH.Hを狂わせるロリータとはどのような少女なのか?

 H.Hが幼女を好むようになった背景には、初恋の人アナベル・リーの存在が大きい。彼女との初めての恋愛がトラウマのようにH.Hにつきまとっていた。作中にたびたび「ニンフェット」という言葉が出てくるが、これは9歳から14歳までの範囲で、その2倍も何倍も年上の魅せられた旅人に対してのみ、人間ではなくニンフの(すなわち悪魔の)本性を現すような乙女であると定義されている。ここで注意したいのは、このニンフェットは完全 に女性になってはいないということである。思春期の女の子で、大人の真似事をする年頃ではあるものの、体はまだ未成熟で女性としての魅力も成人女性に比べれば劣ることだろう。アナベルとロリータに共通するのは、おそらく年齢とニンフとしての魅力だ。

 また、ロリータは成長するにつれて、H.Hが追い求めるニンフェット性が失われていくことに気づく。H.Hには、それが出会ったころのロリータより可愛さが失われているように感じる。ロリータが行方不明になってからの再会においてもH.Hの中で記憶として生きているニンフェットだったころのロリータからはかけ離れている容姿をしたロリータに愕然としているような文章もある。

<シャーロット>

 H.Hの妻であり、ロリータの母親。作中では、自立した女性という印象を読者に与えている。彼女は、下宿人としてやってきたH.Hに対して色目を使い、自分のものにしようとするところがある。母親としてよりも、一人の女性としてロリータに敵対しているような態度をしばしばとっていた。しかし、ニンフを求めるH.Hは、当然シャーロットを相手にしないが、H.Hの思惑にまんまとひっかかり結婚してしまう。そののち不運にも、事故で亡くなってしまうが、亡くなるまでロリータをキャンプQに行かせるなどしてH.Hを独占しようとするなど、シャーロットは一般的な女性がもつ独占欲を持った女性として描かれている。

 ロリータとシャーロットとの決定的な違いは、単に年齢や成熟度とは言い切れない。ある種の、女性的なものをどのくらい持っているかが問題なのではないかと思う。ロリータを代表とするニンフェットは、一般男性からの視点で見れば単に子供でしかなく、性的魅力を感じないことだろう。一方シャーロットは、 大人の女性で体も成熟しているため性的な魅力を持っている。しかし、H.Hには、一般的な男性が欲するような性的魅力の対象はロリータ(ニンフェット)なのである。また、ジェンダー的な見方をすれば、オイディプス的な要素を持っているように感じる。シャーロット(母)とロリータ(娘)は共に恋敵であり、娘は父親に恋をする。または、父親に近い人を愛する傾向がある。そのため 、この二人は互いに反発していたのかもしれない。

<リタ>

 ロリータが失踪してから出会った女性がリタである。彼女は、H.Hが今までに出会った女性の中で一番気立てのやさしい人であった。

 “I daresay she would have given herself to any pathetic creature or fallacy, an old broken tree or a bereaved porcupine, out of sheer chumminess and compassion.” (p. 258)

 この一節からもリタがH.Hに与えた影響は大きい。30歳の女性ではあるものの、どことなく少女っぽい行動をとることがある。H.Hもリタに気を許したことで、自分の野望(ロリータを奪った男を殺す)を話すという行動もごく自然にすることができたように感じる。成熟した女性の例は、前述のシャーロットがいるが、なぜシャーロットとリタでこのようにH.Hは態度を変えていたのだろうか。おそらく、これもニンフの要素を少しでも持っていた方にH.Hが傾いていったのではないか。上の引用にある通り、リタは純粋なのである。色目を使うこともなく、ありのままでいる姿はニンフェットとも共通するのではないだろうか。

 さて、ここまで女性について述べてきたが、これから先はちょっと見方を変えて女性というものを見て行こうと思う。

<クィルティー>

 私は彼が一番重要だと思っている。彼は、ロリータをH.Hから奪った人だが、のちに彼がロリータに対して肉体関係を持っていないことが明らかになる。男性としての機能が十分に働いていないのだ。彼が登場してから最期を迎えるまで、実に興味深い表現がされていることに注目したい。  

“…I saw this blood-spattered but still buoyant person get into his bed and wrap himself up in the chaotic bedclothes.” (p.304)

“I held one of his slippers instead of the pistol- I was sitting on the pistol.” (p. 304)

上記の引用から、クィルティーは男性的な側面をあまり表に出していないのではないかと思われる。すでに述べたように、ロリータに手を出すこともしなかったことを考えると、男性的よりむしろ女性的であるといえるのではないか。拳銃は、性的な視点から言えば、男性器の象徴である。その拳銃をH.Hはクィルティーを寝室で殺した時に、無意識に尻の下に置いていた。男性愛のような印象を受けるが、ここではそれは問題ではない。

また、最期に拳銃でクィルティーを撃った場所も寝室であり、異様な場所である。更に他の引用を紹介しよう。

“I had left my raincoat in the boudoir and Chum in the bathroom.” (p. 306)

先ほど述べた拳銃は、絶命したクィルティーの家に置き去りにされている。ここまでは、ロリータを奪ったクィルティーに対しての復讐が成功し、警察に逮捕されることに抵抗していないH.Hの行動であると読み取ることができる。しかし、興味深いのは、置き去りにされた場所にある。男性器の象徴である拳銃はバスルーム、レインコートは私室に置いてきている。クィルティーを殺した直後に手を洗うためにバスルームを利用している。おそらく、ここで拳銃を置いてきたのだろう。しかし、H.Hがクィルティー宅に侵入し、彼を探す時にバスルームを3か所まわっている。そして、3か所目のバスルームでクィルティーを見つけていることと関係しているのではないか。そこまでバスルームにこだわる背景には、やはり性的な関わりがあるのではないだろうか。

性的な観点からレインコートを考えると、身を隠す・守るものを寝室に置いてきたというH.Hの行動も意味があるようだ。

この「Lolita」という物語全体をもう一度考え直してみよう。世間一般に男性は母親に対してコンプレックスを持っている。それは、今も昔も変わらない。H.Hにしてみれば、小さいころに、母親を亡くしている。女性の欠如によってH.Hは、女性を求めようとしているのではないかと思えてならない。しかし、ここで言う女性とは、シャーロットのように、どこか裏のあるような女性ではなく、純粋な女性のことである。その女性像の象徴がニンフェットであったのではないか。

また、クィルティーのように男性的でなく女性的な面を持つ人に対して無意識のうちに執着してしまうのではないか。クィルティーだけに限らず、作中にはガストン・ゴダンという男性も登場する。彼の説明で初めて「同性愛者」という言葉も出てくる。ガストンも、女性に対して何の感情も持っていない。< SPAN lang=EN-US>H.Hはガストンに対して友好的に接している。

ここで少し違った視点から考え直してみよう。

クィルティーとガストンが内に女性的なものを持っていたとすれば、実際に女性的なものを持った女性には、興味が湧かないだろう。その点を考慮に入れると、ニンフェットとは男性的・女性的なものを内包しており、その理由から女性的なものを求めるH.Hは追い求めたのではないか。

一方でH.Hは、女性的なものを持った人間、更には女性性を自分のものにしたかった。しかし、ロリータは成長し、徐々に自分から離れていく。シャーロットは、不運の事故で亡くなる。更に言えば、ガストンも異国の地で絶命してしまう。最後に女性的なものを持つクィルティーを恋敵として自分の手にかけることに成功する 。言い方を変えれば、クィルティーを自分のものにできたのである。女性の獲得に成功したH.Hは、虚無感に襲われ、刑務所行きを受け入れたのではないだろうか。

 「Lolita」を読み進めていくと、話の大半をロリータが占めていたが、ロリータが失踪してからは、ロリータに関しての記述は極端に減ってしまう。ニンフェットに関しての記述もほとんどない。これは、中年男性H.Hがロリータに対して注ぐ情愛というテーマで書かれた作品ではないのではないだろうか。

そして「Lolita」を単にポルノ的な観点で読み進めることはできないだろう。少なくとも、私はそのように読んでいない。実際、Nabokovも「Lolita」をポルノ小説として出版してはいない。Nabokovの考える女性性とは、この作品を読んでわかるように、女性が女性であることを言っているのではなく、男性にも女性的なものを持っているということを言おうとしているのではないかと思う。少なくとも、Nabokovが描いた複数の場面には、男性愛的な要素が含まれていることが何よりの証拠だろう。

 ここでは、「Lolita」に出てくる4人の登場人物を例に、違った角度で「作者Nabokovの女性観とはどのようなものか」を見てきたが、正直私の考え方は偏っているのかもしれない。しかし、現実的に「ロリコン」という考えは存在しており、社会的に認知されていることを考えると、「Lolita」とは、やはり性的・ジェンダー的なものを含んだ作品であると思うのである。今では、「草食男子」という女性に対して消極的な男性が増えているが、先ほど述べた「女性性」の観点からみると、それは決して否定的ではなく男性にも女性的な面を持っているということが言えるだろう。Nabokovの書いた「Lolita」という作品が世界に与えた衝撃は計り知れない。


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