Seminar Paper 2010

Yuta Kawasumi

First Created on January 27, 2011
Last revised on January 27, 2011

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小説Lolita のユニークさについて
‘The reason why he was…

「小説Lolitaの女性たち」 ‘The reason why he was…’

   この「ロリータ」という作品を読み始めるにあたり私が一番最初に受けた印象は筆者の期待通り、あるいは予定通りに“衝撃”の二文字に尽きます。当時、および筆者のいたアメリカ社会と現代の私たち日本の社会ではこの‘ロリータ’という単語から受け取る印象は大きく違うと思いますが、この小説の刊行当初、5つの出版会社に刊行を断られ、初版はポルノグラフィティを扱う出版社から刊行されたという事実(wikipedia「ロリータ」より引用)からもこの作品が“衝撃的”であったことは見て取れます。  

   こうしたタイトルの第一印象からこの小説の冒頭にある”Lolita, light of my life, fire of my loins. ”(p.9)においてしきりに‘L’と‘F’の音を使用しているという言語的違和感よりも先にこの作品の主人公、あるいは語り手が薄気味悪い、少し悪い言い方をすれば、気味の悪い男だと素直に感じ、小説の中身のほうに簡単に引き込まれて行きました。そしてこの小説を読み進めるうちに私は大きな違和感を感じるようになりました。それは何故、ハンバートは最後の最後までドロレス・ヘイズに固執し続けたのかです。確かに彼が幼少のころに死に別れた恋人のアナベル・リーの面影があったのが最初のきっかけとしても、彼が本質的に好むタイプの女性は彼が‘ニンフェット’と呼ぶ現代の日本語では一般に‘ロ リータ’と呼ばれるような幼い女の子であり、その中でも特別な魅力を持つ女の子を彼は‘ニンフェット’と呼んでおり、

“Now I wish to introduce the following idea. Between the age limits of nine and fourteen there occur maidens who, to certain bewitched travelers, twice or many times older than they, reveal their true nature which is not human, but nymphic (that is, demoniac); and these chosen creatures I propose to designate as “nymphets”.(p.16)
煩悩と理性の狭間で悩みながらも本心では彼女らと関係を持ちたいとすら望んでいた。 そんな彼が、成長していくにつれ幼さや、いわゆるニンフェットらしさを失っていっても尚、彼はドロレスに固執し続けました。実際彼女のほかにも作中ではニンフェットと彼が呼ぶ女の子たちが出ており、彼女に再開しに行く途中でもニンフェットに彼は出会っています。それでもドロレスに固執し続けたことに私はハンバートがそもそも少女愛病者、いわゆるロリコンではなかったのではないかと仮定します。  

   まずこの小説には大きく分けて3つの時間軸があると私は考えます。ハンバートとドロレスが出会う前;2人が出会ってから別れるまで;2人が別れてからの3つです。  

   第一にドロレスに出会う前のハンバートはニンフェット全般に対して熱い情熱を抱く少々危険な思想は持っているものの一線を越える勇気はなく、彼は良識のある大人であった、或いはそれを演じていた。

“Overtly, I had so-called normal relationships with a number of terrestrial women having pumpkins or pears for breasts; inly, I was consumed by a hell furnace of localized lust for every passing nymphet whom as a law-abiding poltroon I never dared approach.”(p.18)
そんな彼が幼少時代の恋人の面影のあるドロレスに出会い、彼女と関係を持つために彼女の母親からの求婚にも嫌々ながらも応じるなど、彼女に出会ってから彼の行動は今までの彼からは想像もつかないほどに積極的になっており、母親の死後にはとうとう一線を越えてしまうほどに積極的になり、彼女を連れさらわれた後は最終的に殺人までやってのけるほどの法に従うものとは思えないほどの行動力を見せている。  

   では「何故」彼はここまで積極的になったのか。確かにハンバートが出会ったころのドロレスは彼の求めるニンフェットであり、そこに死に別れた子供のころの恋人の面影があったのであれば積極的になるのも頷ける。しかし、彼女と共に逃避行をし、彼女の成長を感じるにつれて彼女はニンフェットではなくなっていっていたはずであり、ハンバート自身気付いており、”She told me the way she debauched”(p.135) さらに月日が経ち、連れさらわれた彼女と再会した時にも彼はその道中に話したニンフェットではなく、あくまでもドロレスのことを思い続け、大金を払いってまで彼女の失踪を手伝いました。  

   ここで彼女を失った約二年の間を彼が共に過ごしたリタという女性のことに触れなければならないと思う。ドロレスを失ったハンバートは少女愛病あるいはニンフェット愛から目覚め、”the shock of losing Lolita cured me of pederosis.” (p.257) 諸事情からリタという女性と出会う。“Solitude was corrupting me. I needed company and care. My heart was a histerical unreliable organ. This is how Rita enters the picture.” (p.258) 気立てが優しく付き合いの良い女性であったためハンバートは彼女との生活を通じて、見つからないドロレスのことは忘れ、人生をやり直すような気持ちで彼女と生活をしていた折にドロレスから急に資金援助を求める手紙が届く。

    もしかしたら私個人の考えかもしれないが、通常、自分のことを捨てて去った者から資金援助だけを求める都合の良い手紙を寄こされて相手にするだろうか?まして、ハンバートのように共に生活するほど深い関係であった者を捨ててまで要望以上の金額を持って会いに行くだろうか?  ここで私は先ほど述べた仮定に戻りたいと思います。もし仮に彼が少女愛病者でないとすれば「何故」ここまでドロレスに固執しえたのか、それは彼が彼女に昔 燃えるような恋をしたアナベルを照らしていたからだと私は推察します。「何を今更・・」と思うかもしれませんが、ハンバートが初めてドロレスと出会ったときに彼はあまりにアナベルに似ていることに衝撃を受け、果として彼女がヘイズ夫人の娘と知り情熱の限りをつくすようになります。“I find it most difficult to express with adequate force that flash, the shiver, that impact of passionate recognition. “(p.39)や、”my Lolita, was to eclipse completely her prototype.” (p.40)と述べているように彼がドロレスに情熱を燃やした最大の要因はアナベルに酷似していたことにあるのであり、ドロレスがニンフェットであったからではないのだということです。分かりやす例示すれば、仮にアナベルと恋に落ちるのが成人になってからで彼女が既にニンフェットでなく、大人の女性になっていたとすれば?或いはドロレスにアナベルの面影が微塵も無かったとすれば?多少なりとも惹かれはしたかもしれないが、おそらく、あそこまでの情熱は注がなかったと私は推察します。私はハンバートがニンフェットに魅了されると語っているのを本人の誤解だと仮定し、本質は幼少時に恋人を亡くなることで終わった燃えるような恋、あるいは、恋人を追い求めているのだと推察します。  

   つまり、彼はあくまでも亡くなってしまったアナベルという過去の恋人を追い求めているのであり決してドロレスがニンフェットだったからではないと考えます。ドロレスがアナベルに酷似していたからこそ彼女を溺愛し、彼の持つ理想の恋人像(=アナベル)を押し付けようとし、彼女が金銭に困り助けを求めたときにも彼女が彼の求める恋人だと信じて疑わなかったから助け、またその自分の中にある幼少時代の美しい思い出を汚し、自分の理想の恋人を奪い悲しませた男を許せないから法律という大きな壁を越えて人殺しまで行えたのだと思います。もっと極端な物言いをすればニンフェットという存在自体がハンバート自身が作り上げた偶像であり、彼の挙げたニンフェットという幼くて年齢がある程度離れている男性を魅了する力を持つ9歳〜14歳ぐらいの女の子という定義自体が彼の認識違いで、彼がニンフェットだと認識していたものはアナベルと照らし合わせたときに、どれほど彼女に似ているかだったのではないかと私は推察します。

   つまり、前述した彼がドロレスを失ったことで少女愛病者を克服したという彼の証言は彼自身気付いていない間違いで、それが正常な感覚なのかどうかはともかく、彼ははじめから少女愛病者ではなかったのだと言えると私は推察します。その立証として彼がドロレスに資金援助のために彼女に会いに行ったときに、再会した彼女を見た第一印象は、全く彼女とは似ても似つかず、彼女は死んでしまったとすら表現していますが、

“Couple of inches taller. Pink-rimmed glasses. New, heaped-up hairdo, new ears. How simple! The moment, the death I had kept conjuring up for three years was as simple as a bit of dry wood.” (p. 269)
彼女と話を進めていくうちに彼自身、不思議に感じながらも自分と生活していたころの面影があり、今も昔も美しかったと表現しています。
“I say “familiar” because one day she had welcomed me with the same wrist dance to her party in Beardslay. We both sat down on the divan. Curious: although actually her looks was faded, I definitely realised, so hopelessly late in the day, how much she looked?had always looked?like Botticelli’s russet Venus?the same soft nose, the same blurred beauty.” (p. 270)
これはつまり彼自身気付いていなかっただけで少なくとも彼はドロレスを失うかなり前から少女愛病者ではなく、ドロレス個人を好きになっていた=少女愛病者ではなかったといえると思います。    

   では「何故」ハンバートはドロレスに固執していたのか。人の死は多くの人にとって大きな悲しみであり、心的外傷(トラウマ)の大きな要因になります。また幼少期の経験は感性が豊かであるためか、成人してからの同種の経験よりも、大きく、深く心的外傷として残る一般的に言われています。つまり、彼の場合、幼いころにした情熱的な恋愛とその対象者である恋人の死という2つの大きな要素が複合して彼の言う少女愛病が発現したのだと私は考えます。そして彼の言う少女愛病とは厳密には彼の幼少時代の恋人であるアナベル・リーへの愛情を彼が自己分析した結果少女愛として置き換えることによって生まれたものだと思います。事実、彼自身、自らの愛の対象がアナベルの妹達であると表現しています。”The fact that to me the only objects of amorous tremor were sisters of Anabel’s, her handmaids and girl-pages, appeared to me at times as a forerunner of insanity.” (p. 18) これはつまり、彼自身、意識してかしないでか自分が少女に対して起こす劇場めいたものが実際には少女に対してのもではなく、幼少期の恋人であるアナベル・リーに向けられていたものあると自ら証言しているのだと私は考えます。

   そしてこの定義をロリータに登場する女性たちに当てはめていくと、幼少期にハンバートと年齢が近いということはヘイズ夫人やリタよりもドロレスや彼が呼ぶいわゆるニンフェット達を好むのは明白であり、そのうえで、彼が他のニンフェット達ではなく、ドロレスを選んだのは、もちろん、ヘイズ夫人」という接点があったからという理由もありますが、それだけではあの法律の従者が一線を越えようとは思うはずがないと私は考えます。「なぜなら」たとえヘイズ夫人がドロレスとの関係を許してもドロレスがそれを好むとは限らず、失敗いたときのリスクが高すぎると考えると思うからです。事実、彼は町や海辺で会う他のニンフェット達には近づこうともしませんでした。そうしたリスクの計算という概念すらも吹き飛んでしまうほどにドロレスはアナベルに近い=ハンバートの理想像に近く、それゆえに成長したドロレスを見ても尚彼の彼女への思いが消えなかったのだと思います。


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