Seminar Paper 2010

Kondo Manami

First Created on January 27, 2011
Last revised on January 28, 2011

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小説Lolita の女性たち
Nabokovの女性観からみる人種問題

   この『Lolita』という物語は、ヨーロッパからアメリカへと移住してきた中年男ハンバートとアメリカ少女のロリータの非日常的な生活を記録した、手記という形でつづられた物語である。

    私は当初、この物語に登場する女性たちを分析することでナボコフの女性観を考えていきたいと思っていた。もちろん、この物語の一番のテーマである少女愛について、ナボコフの価値観を明らかにするつもりだった。しかし、分析するにつれて、少女愛という作品のテーマ以外にも、ナボコフのメッセージがあるように感じた。この物語に登場する女性たちは、当時の価値観が顕著に現れている。そこからナボコフの人種に対する考えが読み取れ、それがナボコフの女性観につながるのではないか、ということである。そこで、私はナボコフの女性観を、当時の価値観や人種という観点から考えていこうと思う。

   まず始めに、それぞれの価値観について分析したい。シャーロットは、ハンバートと出会う前に夫と死別してしまった未亡人であり、一児のシングルマザーである。ハンバートと出会う前に、シャーロットは近くの都会に働くつもりでいた。これは収入を得るためであるが、その後働かずにハンバートと出会って結婚に至ることから、キャリアを求めているというよりは、愛や夫による経済的な安定を求めていたことが分かる。これは当時の世間一般の価値観そのもので、女性の幸せとは、社会的な地位の確立と経済的な安定によってもたらされる、と考えられていた。シャーロットも例に漏れずそう考えていたのだろう。次に、ロリータの価値観について。ロリータは、高校で演劇部に入り、演劇の世界で活躍することを夢見ていた。クィルティに気に入られ、そのツテで演劇の道が開きかけるが、クィルティからの性的な要求を満たさなかったため、その道は閉ざされてしまう。その後、自身のためにハンバートとの生活を経て、ハンバートのもとを去りワーキングクラスのディックと結婚する。一見ロリータはシャーロットのように社会的な地位や経済的な安定には関心がないように見えるが、結局ハンバートがいないロリータには、残された道は社会的な地位の低い男ディックと結ばれるしかないのだ。

“I’ll die if you touch me,” I said.  “You are sure you are not coming with me? Is there no hope of your coming? Tell me only this.  ”
“No,” she said.  “No, honey, no.  ”
She had never called me honey before.  
“No,” she said, “it is quite out of the question.  I would sooner go back to Cue.  I mean―”
She groped for words.  I supplied them mentally (“He broke my heart.  You merely broke my life”) “I think, ” she went on―“oops”―the envelope skidded to the floor―she picked it up―“I think it’s oh utterly grand of you to give us all that dough.  It settles everything, we can start next week.  Stop crying, please.  You should understand. Let me get you some more beer.  Oh, don’t cry, I’m sorry I cheated so much, but that’s the way things are.” (p. 279)


   それにロリータは最終的に社会的な地位の低いディックと結婚しさえしたが、ハンバートのもとを去るまではクィルティに媚びたり仕方なくハンバートと一緒にいたり、ハンバートと再会してお金を要求するなど、みなしごロリータにとって経済的な安定は無視できない問題だったことが分かる。

    次に人種という観点から見たそれぞれの人物像について分析する。まずシャーロットに関しては、シャーロット自身の生い立ちというよりはシャーロットの人種に対する価値観について触れたい。“Charlotte interviewed me about my relations with God.  ”(p. 74)にあるように、シャーロットはハンバートの人種について質問をしている。この文から、シャーロットはハンバートがユダヤ人の血筋なのではないかと思っていることが分かる。さらにその後、

She said it did not matter a bit; but that, if she ever found out I did not believe in Our Christian God, she would commit suicide.  She said it so solemnly that it gave me the creeps.  It was then I knew she was a woman of principle.  (p. 75)


このことから分かるように、シャーロットは人種に対して差別意識を抱いている。しかし、当時の人々はこのような人種差別意識はごく当たり前のように抱いていた。むしろシャーロットは一般的な考えの持ち主であることが伺える。次に、ロリータの高校の同級生であるエバについて少し触れたい。エバは登場する部分はあまりないが、ロリータの考え方に大きな影響を与えた女性である。エバは単にロリータに影響を与えた人物というだけでない。彼女もまた、ロリータのように親や兄弟を亡くしてしまったみなしごなのだ。この二人が仲良くなったのは、こういった境遇の共通点があるからではないだろうか。というより、ロリータの親友の相手としてエバを選んだのには、ナボコフの意図を感じる。というのも、ナボコフ自身の生い立ちとして、ロシアに生まれながらもイギリスに亡命し、その後アメリカに渡ったという、一種のディアスポラ的な背景がある。この境遇を、エバに重ねているのではないか。さらに、ナボコフの父親は反ユダヤ思想に対して批判的な人物であり、その影響でナボコフ自身も当時の反ユダヤ思想に対して強い不平を感じていたという。

    ここで、ハンバート自身の人種について考えたい。なぜナボコフの女性観を分析するのに、ハンバートについて考えるのかというと、ハンバート=ナボコフの分身だと捉えられるので、ハンバートについても考える必要があると私は思ったからである。ハンバートはシャーロットから疑われたように、この物語の至るところでユダヤ人なのでは、と疑いの目を向けられる。

while I cleared my throat through the throng to the desk.  There a bald porcine old man―everybody was old in that old hotel―examined my features with a polite smile, then produced my (gargled) telegram, wrestled with some dark doubts, turned his head to look at the clock, and finally said he was very sorry, he had held the room with the twin beds till half past six, and now it was gone.  A religious convention, he said, had clashed with a flower show in Briceland, and―“The name, ” I said coldly, “is not Humberg and not Humbug, but Herbert, I mean Humbert, and any room will do, just put in a cot for my little daughter.  She is ten and very tired.  ” The pink old fellow peered good‐naturedly at Lo―still squatting, listening in profile, lips parted, to what the dog’s mistress, an ancient lady swathed in violet veils, was telling her from the depths of a cretonne easy chair.  (p. 117‐118)

この場面では、ロリータとやっと再会したハンバートが、二人が泊まる予定で予約しておいた魅惑の狩人というホテルの受付係とのが描かれている。事前に予約した際に、ハンバートが自分の名前を間違えて伝えてしまったため、ホテルの受付係がハンバートをユダヤ人なのではないか、と疑い、部屋が空いているにも関わらず、部屋は空いていないと嘘をつき断っている。しかし、ハンバートが娘のロリータが疲れているから、と言うと、受付係はロリータのほうをさりげなく見て、娘ロリータにユダヤ人の面影がなかどうか確認してから部屋が空いている旨を伝える。この当時は、ホテルですらもユダヤ人は入れなかったのである。

 
“I am willing to try,” he said.  “You are either Australian, or a German refugee.  Must you talk to me? This is a Gentile’s house, you know.  Maybe, you’d better run along.  And do stop demonstrating that gun.  I’ve an old Stern‐Luger in the music room.  ” (p. 297)


また、物語の最後の部分であるクィルティを殺害しに行ったところでも、ハンバートはクィルティにユダヤ人と間違われる。なぜハンバートはユダヤ人なのでは、と疑われるのかというと、ハンバートの顔つきや肌の色がユダヤ人を思わせるものであったからであろうが、実際ハンバートはユダヤ人であったのか。それは、物語の中では明らかにされていない。ハンバートもたびたび疑われても、特に否定もしなければ肯定もしない。しかし、上記の魅惑の狩人でのくだりに出てきたハンバートの間違えた名前は、ユダヤ人を思わせる名前であり、この物語にはそういった名前がよく出てくることから、ハンバートはあえてユダヤ人に間違われるような名前を使っていたのではないか、と思う。そして、この物語の最後の締めくくりには、こう記されている。

 
Thus, neither of us is alive when the reader opens this book.  But while the blood still throbs through my writing hand, you are still as much part of blessed matter as I am, and I can still talk to you from here to Alaska.  Be true to your Dick.  Do not let other fellows touch you.  Do not talk to strangers.  I hope you will love your baby.  I hope it will be a boy.  That husband of yours, I hope, will always treat you well, because otherwise my specter shall come at him, like black smoke, like a demented giant, and pull him apart nerve by nerve.  And do not pity C.Q.  One had to choose between him and H.H., and one wanted H.H. to exist at least a couple of months longer, so as to have him make you live in the minds of later generations.  I am thinking of aurochs and angels, the secret of durable pigments, prophetic sonnets, the refuge of art.  And this is the only immortality you and I may share, my Lolita.  (p. 309)
この部分から、ハンバートがロリータとthe refuge of artで永遠に共にいることをハンバートが記していて、ハンバートが自身をrefugeeだと思っていることが伺える。つまり、この最後の部分からナボコフはハンバートに自分を照らし合わせているといえるのではないだろうか。

   以上のことから、ハンバートの分身であるナボコフは、自分のことをrefugeeだと思い、登場人物にも人種を考えさせるなんらかの関係を持たせたのである。主人公であるハンバートを筆頭に、シャーロットやエバ、そして自分の愛するロリータにも。この物語は当然少女愛がテーマなのだが、ハンバートがロリータを愛した理由は、ただ単にハンバート自身が少女を好き、という性癖だけではないのではないか。ハンバートはただ単にシャーロットをニンフェットではないから愛せなかっただけでなく、自分と同じようなrefugeeではないから、ということも理由に挙げられないだろうか。物語や登場人物の中にこれだけの人種に関する関係性が伺えることから、少女愛という物語全体の大きな流れの背後には、ナボコフの人種に対する関心の強さが感じられると同時に、ナボコフの女性観の中に実は人種という要素が大部分を占めているのではないか、と思う。

    つまり、ナボコフの女性観とは、年齢や見た目はもちろんのこと、さらに根底では人種という問題が常にあって、少女愛と同時にテーマにしているナボコフの人生観そのものなのではないだろうか。


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