Seminar Paper 2010

Shinji Sukemori

First Created on January 27, 2011
Last revised on January 29, 2011

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小説Lolita のユニークさについて
世界を見るNabokov

 「Lolita」という物語は、ヨーロッパ男のHumbert Humbertがアメリカの少女Dolores Haze(Lolita)に魅了され、不幸な結末に陥っていくものでVladimir Nabokovにより描かれた。官能的な表現が多く見られ、その面を批判されることが多い。なぜ彼はこのようなテーマのものを書いたのか。また、著者は、言葉遊びを多用したり、他の自身の作品とのパロディーや、他作品への言及などしたりすることで、かなり複雑な作りになっている。Nabokovは何故ここまで複雑で文才に溢れた作品を描くことにしたのだろうか。難解なだけあって、謎は多いが、「Lolita」は当時のヨーロッパやアメリカなどの関係を表しているというように読み取れられることも多い。もし単なる喜劇ではなく、当時の世界の縮図のようにして読むことが出来たら、この小説の結末はどのように読み取ることができるだろうか。

 まず、ロシア人であった彼はなぜ「Lolita」を英語で書くことにしたのだろうか。

 Vladimir Nabokovは名門貴族の家に生まれ、幼い頃から英国人家庭教師から英語を習っていた。ロシア語よりも英語のほうが堪能になっていることを父親が知り嘆いたというエピソードもある。ロシア革命により母国を追われたNabokovは、ベルリンでロシア人亡命者の間でロシア語作家として生計を立てていた。ナチスの登場により、アメリカに亡命し、そこで初めて英語小説「Lolita」を執筆し、この大ヒットにより世界的な英文作家としての名声を確立した。彼は生涯決して母国語を捨て去ったわけではなかったが、亡命者が世界的作家として認められるには英語での執筆が不可欠だったのだ。

 また、彼がなぜ幼児性愛というテーマをわざわざ選んだのか。「Lolita」への批判は数多くある。出版社もこのテーマと結び付けられることを懸念した。ヴァイキング・プレス、サイモン&シュスターなどの出版社は「Lolita」をポルノと判断し、出版を却下した。ニュー・デレクションズも出版社、著者への影響を懸念し却下したが、フランスでの出版を提案した。しかし、Nabokovは諦めずに、ファラー・ストラウス&ヤング、ダブルデーという出版社に原稿を送ったがいずれも採用されなかった。英語で執筆した甲斐も無く、アメリカで版元を見つけられなかったので、Nabokovの代理人はパリのオリンピア・プレスに送り、ついに1995年全2巻(英語版)で刊行されることとなった。しかし、刊行直後から「不潔」で「慎みのかけらもないポルノグラフィー」という非難を浴び、翌年12月には発禁処分を受けてしまった。この処置に対し、発行人は対抗したが、Nabokovは作品を道徳的に擁護するのは作品自体であるとして取り合わず、自分の立場を正当化する為に『ロリータという本について』という長い評論で読者は「Lolita」に対する筆者の意図を誤解していると述べた。読者の反応を予測してか、コーネル大学教授の地位を守るためNabokovは匿名出版を希望していたという。さらに、「Lolita」はその内容から各国での輸入・出版が困難にされていた。アメリカでは、輸入は許されたが、出版されるまでには時間がかかった。アルゼンチンや南アフリカでは発禁に、イギリスでは輸入禁止にもなっていた。このように非難を受けやすいテーマを扱うことにより各国で話題になったというのは今考えれば、Nabokovの計算通りになっていたのかもしれない。

 多くの批判を受けながらも、小説「Lolita」の複雑な作りには高い評価がされているのも事実である。ナボコフは様々な技法を使用しているのだが、その中で注目したものが「他作品への言及」である。その例をいくつか挙げてみよう。

Did she have a precursor? She did, indeed she did. In point of fact, there might have been no Lolita at all had I not loved, one summer, a certain initial girl-child. In a princedom by the sea. Oh when? About as many years before Lolita was born as my age was that summer. You can always count on a murderer for a fancy prose style. Ladies and gentlemen of the jury, exhibit number one is what the seraphs, the misinformed simple, noble-winged seraphs, envied. Look at this tangle of thorns. (p. 9)

 ここで出てくる「海辺の公国」というのは、エドガー・アラン・ポーの詩「アナベル・リー」の書き出し、「幾年も幾年も前のこと 海辺の王国に ご存知かも知れぬが アナベル・リーという名の乙女が住んでいた」への言及であり、「熾天使」というのも「アナベル・リー」からの引用である。Humbertの少女アナベル・リーとの運命的なエピソードは、この詩を意図的になぞっているのだろう。

 もう一つ例を挙げてみよう。”A paper of mine entitled “The Proustian theme in a letter from Keats to Benjamin Bailey” was chuckled over by the six or seven scholars who read it.” (p. 16)「ベンジャミン・ベイリー宛のキーツの書簡におけるプルースト的主題」というのは、英国詩人ジョン・キーツが残した膨大な書簡群の中で最も有名なものの一つである、ベンジャミン・ベイリー宛に1817年11月22日付けで出された手紙で、キーツが懐かしい調べを耳にした時、その曲を初めて聴いた時に抱いた思索や感情が様々とよみがえり、想像力によって歌手の顔をこのうえなく美しいものとして思い描くということであり、これがマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』第一篇第二部『スワンの恋』の「小楽節」のエピソードに照応しているということである。「Lolita」ではHumbertがこの題の論文を書いたとしているが、Nabokov自身も『ヨーロッパ文学講義』の中でこのことについて論じたこともある。

 他にも多くの作品の言及が見られる。その範囲は小説だけには収まらず、絵画や当時の事件・出来事に対する記事への言及も見られる。Nabokovがここまで様々なものに言及しているのはなぜだろうか。

 「Lolita」における多くの作品の言及は「良き読者」による著書であるということを示しているのではないだろうか。これだけ多くの引用がされているということは、それ以上に多くの作品を読んでいなければならない。ロシア人亡命者であるNabokovは、自分が「良い読者」であることを認められるために多くの言及をしたのではないだろうか。ただ多くの作品を読んだからといって、それが「良い読者」と証明することが出来るわけではないが、ここまで様々な技法を用いつつ、複雑な作品にそれぞれの要素を盛り込むことができるというのは、彼が「良い読者」であるということをこの小説は示しているだろう。Nabokovは「小説は頭で読まず 背筋で読む」と述べている。抽象的一般論を嫌う彼は、個々の具体的な形・感覚・味わいといった細部が結びき、それぞれが肉体のように絡み合うことで、その作品に秘められた生命の存在感がゾクゾク感を起こすのであるとしている。

 そのような小説感を持ち、緻密な計算をした彼が「Lolita」を通じて描きたかったのは本当に幼児性愛に苦しむ男性の幼女に振り回される滑稽な姿であろうか。ここまで緻密な作品を作り上げておきながら、わざわざそのような茶目っ気で非難されたいわけがない。それでは、幼児性愛という題材を批判されながら、秀でた文才を賞され、その先に彼が求めたものは何だったのだろうか。

 「Lolita」は1948年に書き始められ、1953年に完成されたとされている。第二次世界大戦が終わり、冷戦がグローバル化した時期である。米ソの間に立ち、Nabokovはこの小説を書いたのだが、ヨーロッパ男性がアメリカ娘に魅了されていく様子は、当時の世界をそのまま表しているではないだろうか。当時、世界は米ソに二極化していったのだが、世界語としての認識は英語であったようだ。だから、この小説も英語で書かれた。旧ヨーロッパが憧れるアメリカ。アメリカン・ドリームという言葉もあるとおり、革命により貴族から亡命者ともで地位を落としたNabokovにとっては、アメリカという地はまさに魅惑の地であったのではないだろうか。

 また時折出てくる「赤」の存在がある。これは共産主義を意図しているようにも感じられる。”A thousand-mile stretch of silk-smooth road separated Kasbeam, where, to the best of my belief, the red fiend had been scheduled to appear for the first time, and fateful Elphinstone which we had reached about a week before Independence Day.“ (p. 247) この「赤い悪魔」というように「赤」を敵視したり、危険視したりする表現はたびたび出てくる。やはり、革命を通して共産主義にはそのような思いがあるのだろうか。また、アメリカの自由主義としての立場からの思いが表れているのだろうか。いずれにせよ、ここに当時の旧ヨーロッパ・アメリカ・ソ連の関係をHumbert・Lolita・Clare Quiltyに見ることができる。共産主義が世界に広がり、完全に支配してしまうと全てが不幸なことに陥ってしまうということをQuiltyの存在の脅威と重ね合わせることができてしまうのだ。

 しかし、ここでNabokovが指摘しているのは共産主義に関してだけではないことも確かである。Humbertには、幼女Lolitaに魅了されていく姿には、旧ヨーロッパの封建制に対する思いが描かれ、自由を求める姿が映されているのではないだろうか。そして、アメリカの自由主義もLolitaの「ニンフェット」としての魅力が消えていくように永遠ではないということ、さらに、Quilty扮する共産主義に脅かされるというように未熟な面もあるということが描かれている。そして最終的には、Quiltyが殺され、Humbertが死に、Lolitaは年老いていく。

 そうすると、どの国にも当てはまることが「無常」ということである。「Lolita」が完成したのが1953年であるが、冷戦中にも関わらず、Nabokovは冷戦後の世界がどのようになるかを予知していたかのようだ。現に、Quiltyが殺されるようにソ連は滅んだ。Humbertが病気で死んでいくように、封建制も無くなっている。そして、興味深いものが次の部分である。”’Good by-aye!’ she chanted, my American sweet immortal dead love; for she is dead and immortal if you are reading this. I mean, such is the formal agreement with the so- called authorities.” (p. 280) 「ニンフェット」として魅力を持っていたLolitaはHumbertが死ぬ頃には、もう死んでいて、永遠に生き続けるとあるが、「ニンフェット」という魅力を米国の掲げる「自由」するとどうだろうか。「当局との正式な取り決め」、つまり世界の流れでは、封建制が完全に絶える頃には、米国には自由は無いであろうということだ。これに関してはまだ現在進行中の状況なので、明言することはできないが、その可能性は十分にある。

 英語で執筆したのは世界語であるから。わざわざ非難を受けやすい題材にしたのは各国で注目されやすくするため。小説を複雑で難解にしたのはそれだけ優れた作品であると魅せるため。幼女や様々な生命を扱ったのは「ニンフェット」の衰退していく様子や死んでいく様子を通して、世界が「無常」であることを表すため。当時、Nabokovがどこまで計算していたのかは謎である。しかし、「この作品が単にエロチックな作品ではない」と彼はたしかに述べている。


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