Seminar Paper 2011

Hiroshi Nakanishi

First Created on February 3, 2012
Last revised on February 3, 2012

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Levinの多面性
「陰」の性格と「陽」の性格

    本作の主人公であるLevinはCascadiaに来た1950年8月末から、大学を去るまでの間に多くの出来事に遭遇し(私は巻き込まれたと言った方が適切であると考えるが)、その性格の片鱗を数多く垣間見せている。私は、Levinのその性格が「不幸を基盤にすること」によって表現されているのではないかと考えた。作中で、Levinには内面に隠れた読者をハッと思わせるような性格と表面だって出される読者をクスッと笑わせるような性格の2つが見て取れる。私はこれを陰と陽の性格と仮定し、その周りに渦巻くLevinを襲った「不幸」と関連付けられるのではないかと考えた。前者については、Levinの抱える倫理観の欠如を中心に考え、後者については、物語中に点々と散りばめられたLevinのユーモアセンスあるいはまにけな振る舞いなどを中心に考察した。

    第1に、Levinの「陰」の性格について考察する。この性格を考える上で最初に挙がるのは、Levinの悪態である。 その1つとして、研究室への無断侵入がある。まず、Bullockである。借りていた本を返すために、Bullockの研究室を訪問した際、ノックをしても返事がなく、彼が留守であると分かったので、中に入り、机の上に本を置いて退室しようとした。その後、彼は”’These are lukewarm if not downright unsympathetic to athletes. I frankly can’t advise your key men to take their classes.’”(p.276)というスポーツに励む学生に対し寛容ではない先生がリストアップされたメモを発見し、自分もその中に入っていたため、そのことを誰に言おうか迷った挙句、Fabrikantにその話を持ちかけた。しかし、Fabrikantは特別な処置も取ることなく去ってしまったため、彼はそのメモを図書館でコピーし、原本を元の場所へ戻した。無断侵入の目的は、「借りた本を返すため」なので妥当性は高いが、メモを勝手に持ち出しコピーした目的は「Bullockに仕返しをするため」だったと推測できる。無断で他人の物を持ち出しコピーする行為は、通常では考えられない悪態ではないだろうか。そもそも、本の返却が目的とはいえ、無断で他人の研究室に入りこむこと自体が少し変わった行為のように私は受け取れた。 また、無断侵入の例はこの1件だけではなく、LevinはGilleyの研究室にも忍び込んでいる。”he had noticed Gerald’s door ajar, his office dark; this rarely happened.”(p.299)とあるように、Gilleyの研究室の扉が少し開いていたことに気付いたLevinは二度とないチャンスだと考え、またもや無断侵入した。その目的は、「Leo Duffyについて調べるため」であったが、実際に探していたファイルはあったものの、中身は無かった。Duffyについて、調べていた理由はBucketやFabrikantに聞いても答えらしい答えが返ってこなかったために、「自分で証拠を掴むしかない」と思ったからではないかと推測できる。

    さらに、Avisの研究室にも無断で侵入している。”He put his head out of the window and breathed the cold air, then sniffed inside and was convinced the warm odor was orange blossom.” (p.320) orange blossomとはAvisの香水の匂いであり、それを自分の研究室で嗅ぎ取ったため、LevinはAvisの研究室に忍び込んだ。そこで彼が見つけたのは、Levinの研究室に出入りした人たちが載っているリスト、Paulineの手紙のコピー、そしてAvisとDuffyの関係を綴った手紙であった。Levinはこの手紙を、自分とPaulineの関係をAvisに他言させないための脅しの材料として預かり、その話をAvisに持ちかけている。Avisの研究室に忍び込んだ理由は「彼女への仕返し」であると推測できるが、Avisを脅す行為は若干の倫理観の欠如が見て取れる。

    こうした悪態の背景には、「犯罪者意識」のようなものがLevinの性格に内包されているのではないかと感じた。Levinの父はひどい盗み癖があり、獄中で死を迎えている。父の盗み癖が完全に遺伝しているとは言えないが、その断片は確実にLevinの性格に根づき、無意識のうちにLevinを悪態へと導いてしまっているのではないかと私は推測した。さらに、Levinの母は父の獄中死が原因で精神を患い、自殺してしまっている。結果として、Levinは「孤独」という暗い「陰」を心の中に常に隠し持つ形となったのではないか。確かにLevinには悪態に走る正当とも思える理由があるが、盗めるチャンスが一瞬でも見えた場合、心の中に根づく「犯罪者意識」が「孤独」という陰によってそのリミッターが外され、無意識のうちに表面化された結果が、先に述べた悪態につながっていると考察する。つまり、「犯罪者の父の血をひいている」という絶対的な不幸がLevinの時折見せる倫理観の欠如につながっているのではないか。しかし、

“What I would like to know,” she said, “is why have you come so far? Was it some special reason, or just that the job happened to be here?”
Resisting much there was to say, he replied truthfully.
“When the offer came I was ready to go.” Levin rubbed his hands with a handkerchief.
“What ‘s there to say that hasn’t been said? One always hopes that a new place will inspire change---in my life.” (p.17)
と、彼は述べている。「なぜこんな遠くまで来たのか?」というPaulineの問いに対して、「新たな生活を求めて」と答えるということは、自分の中にある「孤独」と向き合い、生まれ変わろうという彼の向上心でそのものである。悪態を働くのはあくまで無意識な潜在的行動に過ぎず、Levinにはそれを改善する意識があるということが推測でき、不幸を振り切る意思が見て取れる。

    次いで、その「孤独」という不幸がLevinの「自己顕示欲」という「陰」の性格を作り上げたのではないかと考えた。普段はおとなしいLevinだが、自分と相手との間に意見の相違がみられたとき、あるいは自分の思い通りにいかなかったときに、自分の意見を相手に押し付けてしまうという隠れた性格があるのではないかと読み取った。例えば、”Levin got up. ‘I wish you luck in the election, Gerald.’” (p.290) Gilleyとliberal arts programについて意見が衝突し、言い合いになってしまった場面で、彼はこんなことを言ってしまっている。Gilleyの言葉に感化されて歯止めが利かなくなったLevinは「Gilleyなんか落選してしまえ」という感情を、皮肉めいて「選挙に受かるといいですね」と言ってしまっている。口を滑らせただけとも捉えられるが、少なくともGilleyは自分の上司であり、上司に対してこの物言いをするということは、Levinの心の中に柔軟性のない自己顕示欲のような性格が内包されているのではないかと推測した。

    ”‘I’m sorry, CD, but after thinking it over I’m not sure I can support your candidacy any more. I want you to know I like you personally but it’s the principle involved.’” (p.298) 次いでこれは、Fabrikantとの会話において、Duffyのことを探っていたLevinは答えをごまかす彼に対して、こんなことを言っている。「他者への献身(service to others)」を重要視するLevinは自分のキャリアを気にして弱気になっているFabrikantに対してservice to othersを感じていなかった。結果、Fabrikantは学科長にふさわしくないのではないかと疑問に思っていたため、こう言ってしまったのではないかと考えられるが、FabrikantもまたLevinの上司であるので、この発言にはservice to othersを彼に押し付けるようなニュアンスを感じた。

    良い意味で受け取れば、熱意がある真面目な講師であるが、感情的になると自己顕示欲の表面化を止められないという風にも受け取れる。Levinのそういった面が、最終的には自分が学科長になることを考え始める要因になったのではないか。そんなLevinに対してFairchildはこう言っている。”’Be humble. We must all be, especially those who teach others.’” (p.303)「謙遜しなさい」という彼の言葉は、Levinのこの性格に響く言葉だったのではないか。Levinもこの言葉をかみしめている。

    続けて、Levinの「陽」の性格について考察する。私が物語を通して終始気になったのは、Levinを取り巻く不幸を孕んだユーモアな描写だ。例えば、一番初めにLevinがGilleyの家を訪問した時、”Distracted, she missed Levin’s plate and dropped a hot gob of tuna fish and potato into lap.” (p.10)とPaulineがLevinの膝のうえに熱いツナとポテトのかたまりを落としてしまうという不幸に見舞われたLevinだが、さらに”He rose in haste, holding the still wildly laughing child at arm’s length as a jet of water shot out of the little penis that had slipped through his pajama fly.”(p.13)とGilleyたちの養子であるErikにおしっこをかけられるという小さな不幸に見舞われてしまい、立て続けに不幸に遭遇するという描写がある。

    また、Levin自身のドジさが招いた不幸もある。”The bell rang and the class moved noisily into the hall, some nearly convulsed. As if inspired, Levin glanced down at his fly and it was, as it must be, all the way open.” (p.90)これはLevinが授業を終え、学生たちが騒がしくなったとき、Levinが気になって自分のズボンを見ると、授業中チャックが開いていたという間抜けなエピソードである。Levinは比較的まじめで、Cascadia大学の教育改革に対して熱意を持っている男性として描かれていたが、いざ教育の場面に立つと、ズボンのチャック全開で講義するという何とも皮肉めいて私は受け取った。

    強いて言えば、Levin最大の不幸は、彼を取り巻く多くの女性たちの存在ではないだろうか。Laverneと納屋に行ったときは、”’Your breasts,’ he murmured, ‘smell like hay.’ ‘I always wash well,’ she said.” (p.81)とロマンチックに言ったつもりの言葉が裏目に出てしまう。さらには前にも述べた、Avisの一件も挙げられるが、最も影響があったのはやはりPaulineとの浮気ではないだろうか。この影響で彼は仕事も失い、養子2人を預かることになってしまったのだから。

    しかし、こうした不幸続きのLevinのNew Lifeだが、「不幸」が「笑い」になっていることがMalamudの描いたユーモアなのではないかと感じた。現在でも、自らに起こった災難を自虐することによって、それを笑いに変える「自虐的笑い」があるように、この作品中にもそういったユーモアが散りばめられている。Levinの陽の性格はそのユーモアセンスにも由来しているのではないかと考えた。

    例えば、物語冒頭のこの会話が挙げられる。

“One can’t help be in a small town. Have you any pictures of your family in your wallet? Or perhaps a sweetheart?” She laughed a little.
Levin blushed. “No pictures, no sweetheart.”
He said after a minute, “No wallet.” (p.5)

    これはCacadiaの地に降り立ったLevinをGilleyとPaulineは迎えに来たあと、家まで送る道中でPaulineとLevinの会話であるが、「新たな土地では一人は心細いだろうから、家族や恋人の写真が財布に入っていないのか?」と尋ねたPaulineに対して、「写真はないし、恋人もいない。」と答え、しばらく経ってから「財布もない。」と付け足している。Paulineの質問に対する答えが簡易的すぎたことを反省したのか、同じ大学の上司であるGilleyとの間に流れる緊張感を緩和させるためなのかは定かではないが、ユーモアセンスの一面を見せている。ここで注目したのは、「写真がない」「恋人がいない」という些細な不幸を「そもそも財布がない」という些細な不幸によって、笑いに変えていることと、その自虐的笑いによって、Levinは場の空気が読める性格であると冒頭から示唆していることである。ジョークとしてセンスはあるが、言い方が無愛想な上にあまり器用とはいえないだろう。

    こうした自虐めかしたユーモアは他の会話にも見られる。例えば、物語終盤で、Gilleyのもとを離れて、LevinのもとへやってきたPaulineは子供の親権問題について、Gilleyと話し合いたいと言い、自分じゃ聞き入れてもらえないからとLevinに代わりに話してきてくれるように頼んだ。その際のGilleyとLevinの会話で、”’Living with Pauline through it can be pleasant is generally no bed of roses.’ ‘I have never slept on flowers.’” (p.355)という部分があるがこれも一種のユーモアである。Paulineとの苦労話を列挙するGilleyは「幸せ(roses)はだんだん無くなるだろう」と嫌味を言うが、「(鼻から)幸せ(flowers)なんて経験してない」と返す。幸福な人生を歩んできていないことは、これまでの不幸な出来事を見れば、読者にも容易に想像がつく。そんな「不幸」をあえて「笑い」(「皮肉」とも受け取れるが)として返しているのだ。

    Levinの生い立ちやそれに伴う孤独という不幸によって、彼の「陰」の性格は不法侵入や盗み、自己顕示欲として形成されていった。しかし、そういった不幸を笑いに変えるような描写をすることで、Levinの「陽」の性格として、不幸がユーモアに描かれている。A New Lifeとはそんな作品なのではないかと解釈した。不幸な出来事は誰にでも襲いかかる。それが原因で性格に陰りが見えることもある。しかし、そういった不幸を乗り越えるためには、不幸を不幸として感じさせないために、ユーモアで笑い飛ばしてしまうのが1番である。ユダヤ系作家Bernard Malamudが伝えたかったのは、こうしたユダヤ系ジョーク独特の教訓なのではないかと考えた。


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