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Seminar Paper 98


Hiroshi Baba

First Created on January 9, 1999
Last revised on January 9, 1999

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「ホールデンと赤いハンチング帽」
ハンチングの役割

The Catcher in the Ryeのなかで頻繁に登場する赤いハンチング帽と、物語の中での「濡れている」ことの象徴性を分析することによって作品のテーマを論じてみたいと思う。主人公ホールデンがニューヨークで1ドルで買ったというハンチング帽については、かぶり方や、かぶったり取ったりという細かい記述が多く見られる。

"then I put on this hat that I'd bought in New York that morning. It was this red hunting hat, with one of very, very long peaks. I saw it in the window of this sports store when we got out of the sub way,"(p. 15)
とある。また、
"The way I wore it, I swung the old peak way around to the back - very corny, I'll admit, but I liked it this way. I looked good in that way."(p. 15)
とあるが、ホールデンがスポーツ用品店で買ったハンチング帽をひさしを後ろにしてかぶるということは、彼は野球のキャッチャーを意識していると思われる。また、学校の寮の友人アクリーとのやりとりで、アクリーがハンチング帽のことを鹿討用だと言ったことに対して "'This is a people shooting hat,' I said. 'I shoot people in this hat.'"(p. 19) とあることから、このハンチング帽は人間を対象にしているものだという事が分かる。ホールデンは気分転換のためや、自分の気持ちを奮い立たせるためにハンチング帽をかぶり方にこだわってかぶることが多い。例えば、
"I put on my pajamas and bathrobe and my old hunting hut, and started writing the composition."(p. 33)

"I put it on, and turn the old peak around to the back, the way liked it, "(p. 40)
の記述から明らかである。特に、
"I put my red hunting hat on, and turned the peak around to the back, the way I like it, and then I yelled at the top of my goddam voice, 'Sleep tight, ya morons!'"(p. 46)
は学校の寮のインチキなmoron達に挑戦を挑むような場面であるが、やはりハンチング帽をかぶっている。この場面では何か自分でやらなくてはならないという責任感すら感じられる。これらの点から、キャッチャーとして、人間を対象として、自分の気持ちが奮い立つような、気分が良くなるような行為をする時、ホールデンはハンチング帽をかぶるのである。その行為とは、
"I keep picturing all these little kids playing some game in this big field of rye and all. Thousands of little kids, and nobody's around - nobody big, I mean- except me. And I'm standing on the edge of some crazy cliff. What I have to do, I have to catch everybody if the start to go over the cliff - I mean if they're running and they don't look where they're going I have to come out of some where and catch them. That's all I'd do all day. I'd just be the catcher in the rye and all. I know it's crazy, but that's the only thing I'd really like to be. I know it's crazy."(p. 156)
であるに違いない。ホールデンの潔癖なまでのphonyな大人の世界への反発、純粋で無垢な子供の世界への愛着は物語を通じて書かれている。子供が崖から落ちると言うことはphonyな大人の世界にはいって行ってしまうことを表わしている。どこへ行ってしまうのか分かっていない子供たちを自分の手で捕まえて、ホールデンが愛する純粋な子供の世界に残しておいてあげたいという彼の気持ちが読み取れる。赤いハンチング帽はその気持ちを象徴するものであり、きっとホールデンはこのハンチング帽をかぶってライ麦畑のキャッチャーを演じたいと思っているのではないだろうか。

そんなホールデンだが、一方では大人の世界になじめず、反発する自分が、これから先年を取って、生きて行けるのかとても不安に感じている。一見矛盾しているこの不安を良く表わしているのが、ニューヨークのセントラル・パークの池のあひるや魚のことを考える記述である。
"I was thinking about the lagoon in Central Park, down near Central Park South. I was wandering if it would be frozen over when I got home, and if it was, where did the ducks go."(p. 11)

"do you happen to know where they go, the ducks, when it gets all frozen over?"(p. 54)

"Do you happen to know where they go in the wintertime, by any chance?"(p. 74)

"I figured I'd go by that little lake and see what the hell the ducks were doing,"(p. 138)
これらの記述から、ホールデンは自分をあひるにたとえていると思われる。冬になって池が凍った時のあひるの行方をこれからの自分の行方と比べているようである。ここからは物語中の「濡れる」という意味も考えて、ホールデンが自分の理想の世界をあきらめて少しずつphonyな大人の世界を受け入れざるを得ないと言う事実を悟って行く過程に浸いて述べたいと思う。池のあひるを自分に近いものとして考えているホールデンだが、タクシーの運転手ホーウィッツ とのやり取りで、池の中の魚についても考えさせられる場面がある。ホーウィッツは言う。
"'It's tougher for the fish, the winter and all, than it is for the ducks,'" "'They live right in the goddam ice. It's the nature, for Chrissake. They get frozen right in one position for the whole winter.'"(p. 75)
ここで彼は、大人の世界、つまり池の中は外の子供の世界より辛いが、じっと耐えるしかない、それが自然なんだとホールデンに言い聞かせているのではないか。"If you was a fish, Mother Nature'd take care of you, wouldn't she? Right? You don't think them fish just die when it gets to be winter, do ya?'"(p. 76) とも言って、大変だが「母なる自然」が助けてくれるだろうと、大人の世界への参加を促す発言もしている。この時ホールデンは "'Would you care to stop off and have a drink with me somewhere?'"(p. 75)と誘い、"He was a pretty good guy"(p. 76) とホーウィッツを慕っていることから彼の考えを真面目に受け入れてみようかと思っているのではないか。この作品の中でのホーウィッツ の役割は意外と大きいものであると思う。ホールデンは夜にあひるを探して池に落ちそうになったこともある。"I damn near fell in once, in fact - but I did'nt see a single duck."(p. 139) 池に落ちると言うことは大人の世界の中に飛び込むと言うことである。当然魚たちはいつも濡れているので、「濡れる」と言うことは大人の世界の洗礼を受けるという意味ではないだろうか。ホールデンには大好きな弟のアリーがいた。アリーはホールデンの好きな子供の世界に住む人で、彼が死んでしまった時、拳で窓ガラスを割ってしまうほど悲しんだ。そのアリーの墓参りでの場面がある。ここでホールデンはアリーの墓が雨で濡れてしまうことをとても嫌がっている。"It was awful. It rained on his lousy tombstone, and it rained on the grass and his stomach" "I could't stand it anyway. I just wish he was't there."(p. 140) アリーがインチキな大人の世界にさらされるのを嫌がるホールデンの気持ちを良く表わしている。

物語が進むにつれてホールデンも自分が置かれている立場を理解し始め、大人の世界への第一歩を踏み出そうとする場面がいくつか出てくる。その中でもハンチング帽を妹のフィービーに譲る場面は象徴的である。ここからは、いよいよホールデンがライ麦畑のキャッチャーを放棄して大人の世界へなんとか、やっとの思いで一歩踏み入れるまでを書こうと思う。 "Then I took my hunting hat out of my coat pocket and gave it to her. "(p. 162) ここでホールデンはあんなに気に入っていたハンチング帽をフィービーにあっけなくあげてしまう。そしてその後すぐアントリーニ先生夫妻の家を訪ね、大人の世界を受け入れるための更なる説得を受けるのである。アントリーニ先生はホールデンが以前やめた学校の先生で、ホールデンのよき理解者である。先生はこれからのホールデンの行く先をとても心配し、大人の世界を受け入れなければならないと言う事を必死で説得する。ホールデンはそれにあまり反発せず、その考えを理解しようと努めているようである。先生の家に泊まろうとしたホールデンであったが、ちょっとした事件で急に家を出ることになる。その時、妙にホールデンが汗をかき、濡れる所がある。"I was sweating, too"(p. 174) "I started sweating like a bastard- my whole shirt and underwear and everything."(p. 178)

汗で濡れることも、大人になることの洗礼を受けていると考えられる。そしてホールデンは自分が消えてしまいそうな不安に陥り、弟のアリーに助けを求める。"I'd say to him, 'Allie, don't let me disappear. Allie, don't let me disappear. Allie, don't let me disappear. Please, Allie."(p. 178)

この時のホールデンの心境は、自分は大人の世界に入ることを認めつつあるが、まだどうしても入りきれず、不安でならないものではないか。まだどうしても拒否反応を起こしてしまい、大人の世界を受け入れる上での葛藤が読み取れる。自分が今までとても嫌っていたものを受け入れようとしているのだから、当然だろう。体も拒否反応を起こし、"I sort of passed out."(p. 184) と倒れてしまうが、ここで倒れておきあがった時、変身して大人の世界を受け入れる体になったのではないだろうか。"I felt better after passed out."(p. 184) の記述からも明らかである。少し前に考えた大人の世界を受け入れず西部へ逃げるという計画もこの時点ですでに気が変わったはずである。この後、待ち合わせでフィービーと会う場面があるが、その時彼女はハンチング帽をかぶって登場する。"She had my crazy hunting hat on."(p. 185) どうやらフィービーはライ麦畑のキャッチャーを交代してほしいというホールデンの頼みを受け入れたようである。ホールデンと一緒に大人の世界から西部へ逃げるつもりだったフィービーはホールデンの気の変わり様に怒り、ハンチング帽を投げつける。"All she did was, she took off my red hunting hut - the one I gave her - and practically chucked it right in my face."(p. 186) たぶんフィービーはホールデンと一緒にライ麦畑のキャッチャーを演じたかったのだろう。ここでホールデンはハンチング帽を自分のポケットに入れるが、もう決してかぶらない。ハンチング帽はかぶって始めてその役割を果たすのである。ホールデンの決心がうかがえる。しばらく怒っていたフィービーだが、ホールデンはライ麦畑のキャッチャーにはならないが、フィービーのキャッチャーぶりを見守ってくれるということを次第に知り、"No, I'll just watch ya. I think I'll just watch,"(p. 190) 新しい世界に旅立っていくホールデンを認める心境になる。キャッチャーからウォッチャーへと変わるホールデンを許したのである。それでもホールデンには少しでも子供の心を持っていてほしいと思うフィービーは、キャッチャーにまだ少し未練のある兄の気持ちを察してのことでもあったか、前に投げつけたハンチング帽をホールデンにかぶせる。"Then what she did- it damn near killed me- she reached in my coat pocket and took out my red hunting hat and put it on my head."(p. 190) いよいよ最後の場面になるが、ホールデンは大人への洗礼の雨でずぶ濡れになりながらも、"I felt so damn happy all of a sudden,"(p. 191) と感じる。これは大人の世界をやっと受け入れることができた喜びであろう。ハンチング帽は少しでもホールデンが濡れる−大人になることを防ごうとしたが、"My hunting hat really gave me quite a lot of protection, in a way,"(p. 191) 結局ホールデンは大人の世界へ入った。"but I got soaked anyway."(p. 191)ハンチング帽は最後までその役割を果たしたといえる。この後、ハンチング帽はもちろんフィービーに手渡されただろう。 The Catcher in the Ryeは一人の少年が大人になっていく過程、悩み、葛藤などを見事に表現した作品である。これからも多くの若者に読まれ続けられるだろう。

 


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