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Seminar Paper 98


Mitsuhiro Hidaka

First created on January 14, 1999
Last revised on January 14, 1999

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『ホ−ルデンと子供たち』
永遠の少年性

ホ−ルデンにとって永遠であってほしいものは、子供であり、ホ−ルデンはその子供の無邪気さや純真無垢な部分に触れることで喜びや生きがいを感じている。ホ−ルデンと子供達を何かに例えるならば、ホ−ルデンはライ麦畑号という名の船の船長であり、Phony という荒波に揉まれながらも必死に舵を取り、乗客である子供達のために、永遠の少年性が存在する桃源郷をめざしていた。しかし、人間は肉体的にも精神的にも成長していく生き物であり、いつまでも子供のままでいられるはずがない。

“The one side of my head-the right sideis -is full of millions of gray hairs.I've had them ever since I was a kid.And yet I still act sometimes like I was only about twelve." (p. 8)
と記述されていて、16才のホ−ルデン自身も髪の毛が半分白髪で、大人の世界と子供の世界のちょうど境目のような精神状態の中、彼に影響を与える多くの経験をしていき、人間的に成長していく。このスト−リ−でのホ−ルデンの位置づけを考えてみると、おそらく永遠に続く若者像であると思う。ちょうどホ−ルデンと同じ16歳〜20歳くらい若者が、必ず社会の矛盾を感じて心の中で葛藤し、ホ−ルデンと同じ苦しみ方をするかは人によるが、少なからずそれについて悩む時期があるはずだ。1950年くらいにこの本が書かれ、当初はこの主人公はいかれていると評されりしたけど、この時代に社会的に影響を及ぼす人間の内面の感情をあらわにするのはタブ−であったと思う。でも、多くの人がすぐにホ−ルデンという若者に対して自分と重なる部分を感じたりして影響を受けた。この本が出版され約50年たつ今でも、現代の若者像であると思う。そして、社会の体制が変わらない限り、ホ−ルデンはずっと人々の心の中に存在していくし、一昔前のピ−タ−パン症候群のように、汚く・いやらしく・くたびれた大人になりたくないという永遠の少年性を捨てないで生きていこうとする若者が生まれたりもする。

ホ−ルデンは、Phony と戦い続けた。まずは、インチキのかたまりみたいだったペンシ−高校を飛び出した。ペンシ−高校には、ホ−ルデンみたいに永遠の少年性を願う奴がいたかというと、おそらくいないと思う。大半の奴が、スペンサ−先生や校長が言っていた“‘Life is a game'" (p. 7)というように、人生は競技であり、そのル−ルに従って生きていこうとする野郎ばかりであった。身近な人で言うと、ストラドレ−タ−なんかはその典型だと思う。彼は美男子であり、スポ−ツマン、性格的にも憎めないものを持っている。いままで何人の女と寝たか競技では結構いいせんまで行くと思う。世渡り上手というか、ホ−ルデンとは比べものにならないくらいPhony 世界に順応していた。それから、よく分からないのが、アクリ−で、彼はストラドレ−タ−みたいにうまくやっているとは思えないし、かといって、ホ−ルデンのように永遠の少年性を大切にしているとは考えられない。彼がまったく謎の存在に感じた。しかし、この本を読み終えたあとに感じたのが、アクリ−のように生きるのが一番楽なのではないのか、ホ−ルデンのように永遠の少年性を抱き続けるのは不可能にちかいし、俗世間にドップリ浸かって生きるのもダメ−ジが大きいのではないか、ならば、理想など抱かないで何も考えず生きていこうとしているのではないかと感じた。

ホ−ルデンが予定よりも早く学校を出たきっかけになったのが、スペンサ−先生にお別れをいいに行った場面であると思う。自分をよく理解してくれていると思っていた先生が、実はPhony な人間であった。別れ際に、先生が言った「幸運を祈るよ」という言葉、Phony が使う無責任な言葉に、ホ−ルデンはがっくりした。そして、土曜の夜、荷造りしたカバンを持ち、赤いハンティング帽をかぶり、“‘Sleep tight,ya morons!'"(p. 46 )とありったけの声で叫んだ。この言葉は、スペンサ−先生の“‘Good luck!'" (p. 13) とは違っていて、無責任な言葉ではないと思う。心の底から思っている本音である。そして、旅立つときの姿は、Phony と戦っていくという意思表示でもあった。1ドルで買った人撃ち用のハンティング帽は、Phony に対する戦闘のためのものであって、ホ−ルデンを心強くさせた。また、愛してやまない弟アリ−の髪の毛の色が赤で、この帽子の色も同じであるのにも何かを感じる。私は、このハンティング帽をかぶるホ−ルデンを想像したとき、子供を従えているボ−イスカウトのお兄さんみたいに感じた。子供に慕われ、子供に生きてく上で必要なことを伝えていくというホ−ルデンが好みそうな職業である。でもこんなことをホ−ルデンにいったら怒られると思う。調べてたら、ボ−イスカウトのル−ツは、あるイギリスの将軍が国家・社会のために少年の心身を鍛え、善良・有為な公民にすることを目的として創立されたものだから、ホ−ルデンにとってはめちゃくちゃにインチキのものだから嫌がるだろう。

学校を出た後ホ−ルデンは、売春婦のサニ−やぼったくり屋のモ−リス、ア−ニ−のピアノ、本気でもないのに結婚しようと言ったサリ−など、Phony な部分に触れながら、それと戦い続けた。また、自分のこれからを模索し続けていたが、答えが見つからず、精神的にも肉体的にも限界に近づいていた。そんな状態の中、学校を出たときから一番会いたかった人物であるフィ−ビ−に会いに行った。Phoebeという言葉の意味は、狩猟の女神であり、ホ−ルデンにとってはまさに守護神であった。彼女は、ホ−ルデンの大好きな子供の典型であり、会って一緒に話をすることで今までの心の傷が癒され、心に溜まっていた悪いものが浄化されていった。私が印象的に感じた場面の1つで2人の会話のやりとりがある。
Phoebe: “‘You don't like anything that's happening'"
Holden:“‘Yes I do. Yes I do. Sure I do.Don't say that. Why the hell do you say that?'"
P: “‘Because you don't. You don't like any schools.You don't like a million things.You don't.'" (p. 152)
H:“‘I do! That'swhere you're wrong!-that's exactly where you're wrong! Why the hell do you have to say that?'" (p. 153)

P:“‘You can't say even think of one thing.'"
H:“‘Yes,I can. Yes I can.'"
P:“‘Well ,do it,then'"
H:“‘I like Allie'"
P:“‘Allie's dead - You always say that! If somebody's dead and everything, and in Heaven, then it isn't really-'" (p. 154)
ホ−ルデンは、彼女に「あなたは、世の中に好きなものなんて一つもないのよ」といわれ、いや君は間違っている」と答えた。そのあとに、「結局は好きなものを一つもないんでしょ」といわれ、ホ−ルデンは、「アリ−」と答えた。それに対し、フィ−ビ−は「アリ−は死んだんだよ。いつもそんなことばかり言うんだ。死んだ人は、天国へ行けば、実際には…」と現実を冷静に判断し、今のままでは駄目だといっている。この章で、度々「今の現状だとパパに殺されるよ」と言っているように、ライ麦畑の住人であるフィ−ビ−は、現実に存在しない人や物事に対して、理想を追い求めることを大人は決して認めてくれないことを知っていたから、ホ−ルデンに忠告というかそれでは駄目だと言っている。ホ−ルデンには、ライ麦畑の住人にそういわれたのが結構ショックであったと思う。

ホ−ルデンの理想とする世界、題名にもなっている“Catcher in the rye”のライ麦畑の世界というのは、子供だけしか存在せず大人は一人もいない。そして、ホ−ルデンの心の神アリ−は、そのライ麦畑=子供の世界の永遠のシンボルである。アリ−は、まだ無邪気で純真無垢なまま死んだから、永遠に子供のままである。そして、彼の中ではまだ生き続けている。
“What I did ,I started talking,sort of out loud,to Alie.I do that sometimes when I get very depressed."(p89)

“Every time I'd get to the end of a block I'd make believe I was talking to my brother Allie." (p. 178)
などの場面は、まだアリ−がホ−ルデンの心の中では存在していることを表している。ホ−ルデンがすごく落ち込んだときや精神状態が最悪のときに、アリ−に話しかけ助けを求る。

ホ−りデン、子供の世界=ライ麦畑にいるフィ−ビ−や子供たちが、インチキな大人の世界に落ちていくのを救うCatcher として生きていこうと考えてた。しかし、彼は、ライ麦畑の住人としてPhony と戦っているうちに、徐々に自分自身がもうPhony な世界に入りかかっているのに気づきだした。実際に子供からも、大人扱いというか、少なくとも同じ世界の人間としてみられていない。それを象徴的に表しているのが、“Then a funny thing happened.”(p. 110)から始まる文で、遊園地のシ−ソ−で遊んでいる二人の子供がいて、ホ−ルデンが近くによって行って重さの釣り合いをとってあげようとしたら、その子供たちに邪魔もの扱いされた。また、Catcher として子供を救っていくのにも限界があることを感じ始めた場面は、フィ−ビ−の通っている学校の中にあった落書き“Fuck you”しかもナイフで彫られてあったのを見たときである。そして、ハンティング帽をフィ−ビ−に譲っているところ“then I took my hunting hat out of my coat pocket and gave it to her." (p. 162) や、メリ−ゴ−ランドの場面で、子供が木馬から金色の輪を取ろうとして、落ちそうでも何にも言っちゃいけないといっている“The thing with kids is, …" (p. 190) では、Catcher として生きていくことをあきらめているのが読み取れる。

もし、Catcher をあきらめないで生きていこうとするとどうなるかは、私が最も印象深く感じた人物であるアントリ−ニ先生が教えてくれた。アントリ−ニ先生は最後に出会った人物で、非常に数少ないホ−ルデンの理解者である。そして、先生はホ−ルデンが捜し求めていた解決策を与えてくれた。彼は、ホ−ルデンの状態をみて、「君は、恐ろしい堕落の淵に向かって進んでいるようなきがする」“‘I have a feeling that you're riding for some kind of a terrible,terrible fall. But I don't honestly know what kind… Are you listening to me? '" (p. 168) と言っていた。また
“‘All right. listen to me a minute now… I may not word this as memorably as I'd like to, but I'll write you a letter about it in a day or two.but listen now, anyway.This fall I think you're riding for - it's a special kind of fall, a horrible kind. The man falling isn't permitted to feel or hear himself hit bottom. He just keeps falling and falling. The whole arrangement's designed for something their own environment could't supply them with. Or they thougt their own environment could't supply ever really even got started. You follow me?'" (p. 169)
以上のように、「堕落していく人間は、どこまでも落ちていくし、人間はある時期に、今おかれている環境が与えることのできないものをのを、捜し求めようとする。この状態が今のホ−ルデンである」と述べている。そして、このままだと自分の理想のために高貴な死を遂げようとしてしまうから、自分の進みたい道を早く見つけ出すべきであると言っている。行きたい道が見つかったら、学校へいって知識を得る。そうすれば自分の能力、脳みその大きさがわかるし、その頭でどんな思想を持てばよいのかが大体把握できるといった内容をホ−ルデンに伝えた。この章のこのアントリ−ニの言葉は、ホ−ルデンの現状やこれからを的確に示している。先生はCatcher として生きていくこと、永遠の少年性を追い求めることは、高貴な死につながるから、考えをあらためるべきと言っている。けど先生は、“Life is game" と言ったスペンサ−先生とは違っていて、大人の世界でどのように前に進んでいけばいいのか、Phony はすぐ隣に存在しているけど、自分が確固たる目標もち、多くの知識を得ていけば、ある程度自分の生きる道が選択できる。なるべくPhony と関わらずに生きていくことだって可能である。けど、Phony とは共存していくしかない。一種の妥協策のようにも思えるが、こうしていくしか方法はないのではとも感じた。この場面では、ホ−ルデンは肉体的・精神的疲労がピ−クに達しようとしていてあまり先生の話を聞いていない。だから、もっと早くにアントリ−に先生のところへ行っていれば、あんまり苦しまず前に進めたのではないかと感じた。

子供の純朴さを大切にしたい部分と、大人の世界はインチキだと見抜いているけども、少しずつ進まなければならない部分が混在しているのが、ホ−ルデンである。そして、この心の葛藤は、誰もが、子供から大人へ成長していく過程で、経験する普遍的なものである。ホ−ルデンにとっては、やはり子供というには永遠なモノであり、一生それを抱えて生きていくと思う。彼は、ライ麦畑号の船長として舵を取ることは無理だけど、子供達が自分自身で舵を取り、その進んでいく船旅の過程を温かく見守る、船を見送る側の人間として、生きていこうと考えたのではないかと思う。そういう意味では、ホ−ルデンと子供たちは、一生つながっていけると思う。また、この小説は現代の若者の暗部な内面をホ−ルデンという人間に凝縮していて、子供の世界と大人の世界の狭間でもがき苦しんでいるホ−ルデンを通じて、少年性を忘れてしまっている大人へ対するメッセ−ジであるようにも思えた。

 


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