Seminar Paper 99

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Aiko Hayashi

First Created on December 31, 1999
Last revised on January 17, 2000

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Huckleberry Finnと父親たち
〜Who Killed Pap Finn?〜

    Adventures of Huckleberry FinnにおけるHuckの筏での旅が、父親からの逃亡であることは、言うまでもない。しかし、時には、Huckが父親から逃亡すると同時に、父親を追跡しているかのように見えることがある。Jimを始め、作中でHuckは様々な父親的人物と連れ立っている。Col. Grangerford、Col. Sherburn、Boggs、the King、Silas Phelpsなど、身分の上下にかかわらず、これらの父親たちは、ミシシッピー河畔に入れかわり立ちかわり現われる。

また、Huckの、暴力を振るう父親papから解放されたいという願望の中に潜む、彼の父親殺しの願望も、単刀直入ではないが、様々な場面で見て取れるように思われる。

物語が始まってまもなく、それはほのめかされている。 Tom SawyerのBand of Robbersの誓約に、秘密をばらした者の親は殺されるというものがある。"Some thought it would be good to kill the families of boys that told the secrets."(p.21)

またHuckは、papが溺死したかも知れないと思って、しばらく「ほっとした」ことがある。"Pap he hadn't been seen for more than a year, and that was comfortable for me; I didn't want to see him no more."(p.24) あるときpapは酔っ払い、蛇に噛まれる妄想に襲われた上、Huckに殺されると思い込み、Huckをナイフを持って追い掛け回す。"He chased me round and round the place, with a clasp-knife, calling me the Angel of Death and saying he would kill me and then I couldn't come for him no more."

そしてHuckは自己防衛のために、銃口を眠るpapに向け、武装警戒の姿勢で小屋に座り込むのである。"I slipped the ramrod down it to make sure it was loaded, and then I laid it across the turnip barrel, pointing towards pap, and set down behind it to wait for him to stir."(p.42)

しかし、Huckがpapの暴力的な束縛に耐えられなくなり、逃げだそうと決心した時、彼の父親殺しの願望が露呈する。脱出の手筈を整えたHuckは、野生の豚を一頭小屋に引きずり込み、喉を掻き切るのである。この行動に隠された象徴性を見逃すことはできない。以前、Tom SawyerのBand of Robbersの少年たちの会話の中で、papが「皮なめし場で豚どもとねていた」"He used to lay drunk with the hogs in the tanyard"(p.21)と語られているのである。

    逃亡に成功してまもなく、Huckは、洪水で流されてきた家の中で本物のpapの死体と出くわすことになる。このときのHuckの様子には、腑に落ちない点が多い。Jimがボロきれをかぶせ、Huckに見ないように告げたため、Huckはその死体の正体を確認することはできない。それどころか、Huckは見ようともしないのである。"I didn't look at him at all. Jim throwed some old rags over him, but he needn't done it; I didn't want to see him."(p62)ここでHuckが死体が父親だと分からないほうが変である。死体は裸であり、ということは、服なり、持ち物なり、付近に落ちていたことが考えられる。以前には足跡だけでもpapを見分けていたのだ。この次の章でも、Jimとの会話の中で、Huckは「誰があの男を殺したのか」という疑問にこだわる。「誰が死んだか」ではないのだ。"I couldn't keep from studying over it and wishing I knowed who shot the man, and what they done it for."(p.63)

このHuckのひどい固着ぶりは、自分の罪の意識を(自分自身からさえも)隠そうとして、無実を装っているように見える。

その後女装したHuckはMrs. Judith Loftusに出会い、彼女の口からSt. Petersburgのニュースを聞くことになるのだが、このとき、papの死にHuckがいくぶん責任をもつことが明らかになる。papは小屋でHuckが仕掛けたトリックにまんまと引っ掛かり、息子が殺されたと思い込み、殺人犯を探すためにJudge Thatcherから金を受け取り、その金で酔っ払って二人の男と姿をくらましたのである。

難破船Walter Scottの中では、papの殺害につながるような事件が再現されている。二人の男が、おそらくpapが殺されたのとよく似た状況で、別の男を殺そうとしている。しかもHuckは危険を冒してまで、沈みゆく難破船に取り残された彼らを救出しようとする。そのときHuckが心の中でつぶやく言葉は意味深である。"I begun to think how dreadful it was, even for murderers, to be in such a fix. I says to myself, there ain't no telling but I might come to be a murderer myself, yet, and then how would I like it?"(p.82) …「自分だって、いつ人殺しになるか分からない。」… この二人の男は、Huckの代役とも言えるのである。

こうしてpapが物語から巧みに姿を消すと、代役Jimがうまく後がまにすわる。興味深いことに、papの死体と遭遇した直後に、Huckの父親殺し未遂の責任がほのめかされているような事件も起きている。Jimが、papも恐れていた蛇に足を噛まれ、鎮痛用にpapのウイスキーを飲み、すんでのところで死を免れる。これもHuckのイタズラが原因となった出来事であったが、ここでもHuckは隠蔽に出るのである。"Then I slid out quiet and throwed the snakes clear away amongst the bushes; for I warn't going to let Jim find out it was all my fault, not if I could help it."(p.62) Huckは危うくこの父親代わりまで殺しそうになるのである。

   Jimは複雑な人物である。「良い父親」と「身分の低い父親」の混合の産物であり、Huckにとって父親代わりであると同時に仲間でもある。二人は社会において何らかの支配を受けている者同士である。Huckは父親からの虐待、Jimは奴隷制度と、違いはあるにせよ、これによる苦痛において二人は平等であると言えよう。よって二人は共通の自由への探求者となる。

しかし二人の間には社会規範による束縛という壁が立ちはだかっている。これは特に、白人であるHuckの側には、より高くそびえているように見える。それゆえにHuckは、良心と友情との葛藤に苦しむのである。しかし、Jimの洞察力に富んだ人生の知恵や誠実さ、無私の仲間意識や、惜しみない愛情に触れるうちに、Huckはより人間の本質に根ざした博愛主義的なものに気づいていく。

15章で霧の中で二人がばらばらに流されてしまい、翌日、それが夢だったとHuckがJimをからかった時のJimの反応は、Huckの心情に大きな変化を与えたようだ。

"What do dey stan' for? I's gwyne to tell you. When I got all wore out wid work, en wid de callin' for you, en went to sleep, my heart wuz mos' broke bekase you wuz los', en I didn' k'yer no mo' what become er me en de raf'. En when I wake up en fine you back agin, all safe en soun', de tears come en I could a got down on my knees en kiss' yo' foot I's so thankful. En all you wuz thinkin 'bout wuz how you could make a fool uv ole Jim wid a lie. Dat truck dah is trash; en trash is what people is dat puts dirt on de head er dey fren's en makes 'em ashamed." (p. 95)
このときHuckは、この言葉を取り消してもらえるならJimの足に接吻こそしかねないと思っている。"It made me feel so mean I could almost kissed his foot to get him to take it back."(p.95) Jimに謝りに行くまで15分かかったが、Huckはそれをやり遂げ、後悔しなかった。"It was fifteen minutes before I could work myself up to go and humble myself to a nigger---but I done it, and I warn't ever sorry for it afterwards, neither."(p.95)

この「父親」の入れ替わりは、霧のエピソードの次章でクライマックスを迎える。 Huckは奴隷捕獲人に、筏に乗っているのは白人であり、自分の父だと答えるのである。 "He's white....it's pap that's there,...."(p.111)

しかしこの重要で強烈な一瞬の直後、Jimは突然物語から姿を消す。またはかなり影の薄い脇役のようになる。そしてHuckは次々と父親的人物と出会うことになる。 最初の例として、Col. Grangerfordが挙げられる。Huckは彼をpapと比較しながら紹介している。

Col. Grangerford was a gentleman, you see. He was a gentleman all over; and so was his family. He was well born, as the saying is, and that's worth as much in a man as it is in a horse, so the widow Douglas said, and nobody ever denied that she was of the first aristocracy in our town; and pap he always said it, too, though he warn't no more quality than a mud-cat, himself.(p.125)
彼は、「身分の高い父親」の典型である。Huckはここで「息子」のように受け入れられ、居心地のよさを感じている。しかし、まもなく、「立派な人物」であるCol. Grangerfordの、どこか危なげな不審さが漂ってくる。そして宿根(feud)にとり憑かれた泥沼と化し、Col. Grangerford自身、そして息子Buckの殺害で幕を閉じる。これによって「身分の高い父親」の威信は損なわれることになる。すなわち、papと同じく、Col. Grangerfordも子供にとっては脅威となる父親なのである。そしてここで、一時的にではあるが、Jimが物語に復帰する。

しばらくすると、Col. Sherburnと酔っ払いBoggsの暴力による対決が描かれている。これは言い換えれば「身分の高い父親」と「身分の低い父親」の対立であるとも言えるだろう。

Grangerford家の挿話では、賞賛の高みにいた人物が下降し、威信を失った父親となり、そして「身分の低い父親」であるJimが復活する、という流れを組んでいるが、この挿話はそれとは反対に、「身分の低い父親」であるBoggsの死から始まり、最後にはSherburnが、集まった暴徒を高みから見下ろしている。しかし、この「身分の高い父親」の勝利も、この後にくるサーカスの場面で逆転しているように見える。Boggsを思わせるような酔っ払いが登場し、Huckをハラハラさせるのだが、実は彼はすばらしく技のうまいトリック・スターだったのだ。

また、the kingとthe dukeは、「身分の高い父親」のパロディーとも言えるだろう。彼らはペテン師であり、下劣な訳者である。つまり、正体を暴かれてしまえばただの平凡な男に過ぎないのである。ここでも家父長制と制度的な権威に不敬の念が表れている。

しかし、このような重いテーマも、物語後半では、Phelps家で繰り広げられるドタバタコメディーのようなものによってごまかされているようだ。年長者たちが、年少者たち(HuckとTom)にやすやすと手玉にとられる。大人たちは道化にされるのである。そしてJimさえも血祭りにあげられてしまう。

Huckの語る物語も終わりに近づくと、笑い者にされた父親的人物像であふれている。 しかしこれらのハチャメチャな茶番劇も、この物語全体に漂う父親殺しの性格を隠し切ることはできない。

Huckは"実際に"papを殺したわけではない。しかし、彼は最後まで、まさにその願望ゆえの罪の意識とうしろめたさから逃れられなかったように思える。物語の最後でJimの口から、あの死体がpapであったことを告げられた時、Huckが無反応であり、彼の心情に全く触れられていないのも、おそらくそのためであろう。

「誰が実際に罪を犯すのかは重要なことではない。心理学の関心事は、誰がそれを感情的に望んだのか、事件の起きたとき 誰がそれを歓迎したのかということだけだ。」

ジークムント・フロイト


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