ドイツ語入門2008
言語と文化        下川 浩
言語とコトバ
  ある集団の人々が、伝え合いをするときに共通して守る客観的法則(生きてはたらくキマリ)を言語というのでなければ、それを学習してアタマにたくわえ、能力として発揮することもできない。
  コトバ:言語の使用またはその産物
本物と代わり
代わり:本物ではないが、本物と同じような働きをする。

 本物:表されるもの 代わり:表すもの
代わりの種類
1.シルシ:原因と結果、全体と部分等の関係
     雨雲・足跡など
2.シンボル:似ているところがある
     ままごとの道具・地図など
3.記号:似ているところがない(約束事)
     お金・アルファベットなど
4.言語:一般的な記号・シンボル(記号の記号/シンボルのシンボル)
言語の非言語との違い
1.恣意性
2.二重分節性
3.体系性
言語と方言
方言は、ある言語を話す人々のうち、特定の一部の集団によってつかわれている変種のことをいう。言語学では伝統的には、方言という用語を地理的な言語変種をさすのにもちいてきたが、現在では、社会的に区分される集団に特徴的な言語変種についてももちいられる。
2つの言語変種が、ある言語の方言なのか、それとも別々の言語といえるほどにちがっているのかを決定するのは、むずかしい場合が多い。
言語学者は、この決定をする主要な基準として、相互に理解可能かどうかということをあげる。もし2つの言語変種がたがいに通じないならば、それらは2つの言語であり、たがいに通じて、相違点に規則性があるならば、同じ言語の方言だとみなされる。
言語能力と伝え合いの能力
  人間の能力としてとらえられた場合は、さらに2種類に分けられる。
  一つは体系の知識であり、語彙知識と、文法的な文をつくり、また理解する能力からなる。(言語能力)
  もう一つは、具体的な使用場面で適切な言語表現を用いることのできる使用能力である。 (伝え合いの能力)
言語の類型的な分類
類型的な分類とは、言語をある特徴ごとの類似点と相違点にしたがって類別するもので、同じ特徴をもつ言語は、その特徴については同じ類型に属することになる。
たとえば、英語と中国語はことなっている点も多いが、語順については、主語?動詞?目的語という同じ語順の類型に属している。
言語の系統的な分類
系統的な分類とは、言語を、その歴史的な発達を基準として語族に分類するものである。語族とは、共通の祖先に由来する諸言語のことをいう。
たとえば、英語やドイツ語、フランス語などの言語は、すべてインド・ヨーロッパ語族とよばれる語族に属しており、これらの諸言語の祖先はインド・ヨーロッパ祖語といわれる。
ピジンやクレオール諸語
ピジンやクレオール諸語は、複数の言語が混成してできあがった言語なので、語族に分類することはない。
ピジン、クレオール諸語は世界の多くの地域で話されているが、とくに、カリブ海地域、西アフリカ、インド洋および南太平洋の島々でもちいられているものが多い。
カリブ海地域には、ジャマイカ・クレオールやギニア・クレオールなど英語基盤のクレオールや、ハイチ・クレオールのようなフランス語基盤のクレオールがある。
そのほか英語基盤のクレオールは、西アフリカにもひろがっている。シエラレオネの人口の約10%はクレオールのクリオ語を母語とし、85%は第2言語として話している。
インド洋の島々のクレオールは、フランス語基盤である。
英語基盤のピジンであるピジン・イングリッシュは、パプアニューギニアで200万人以上の人々によってもちいられており、この国でもっともひろく使用される補助言語である。また、ソロモン諸島やバヌアツでも、同様のピジンが話されている。
系統的分類?
以上のように、語族・語派の分類には諸説がある。
孤立言語がいくつもある。
言語と方言の区別にも政治的要因がかかわってくる。
  −>系統的分類は決定的ではない。

世界には4000とも6000とも言われる言語があるが、「グローバリゼーション」や「環境・政治難民」などの影響で、1世紀以内に約1割の言語が消滅すると言われている。
文化とは?
ある集団の人間に共通した、ものの見方、感じ方、考え方、行動の仕方、生活の仕方
親から子へ、大人から子どもへと伝えられる。
 =>種の維持・繁栄
  =生きるため、より良く生きるために発展

行動や生活の道具、または文字などの記録(これらを含めて文化と言うこともできる)を通じて知ることができる。言語も含めることもある。
世界文化百科事典から
日本列島の文化
 (1)Japanese
(2)Buddhist
(3)Koreans
(4)Okinawans(母音が3つ)
(5)Burakumin(竹田の子守歌など)
ドイツ語圏の言語
ドイツには、スラブ語系のソルブ語が話される地域がある。

スイスの公用語はドイツ語・フランス語・イタリア語・レトロマンシュ語の4つ

オーストリアにはたくさんの少数民族がいる。

ルクセンブルクでは、学校でドイツ語もフランス語も教えられる。
ドイツ語の方言
Deutsche Dialedte
http://www.deutsche-dialekte.at/
http://www.webgerman.com/german/dialects/
Deutsche St?mme und Dialekte
http://www.deutsche-schutzgebiete.de/deutsche-staemme.htm
Deutsche Welle
http://www6.dw-world.de/de/dialekt.php
ドイツ古典街道(ゲーテ街道)
Leipzig:Thomaskirche, Bacharchiv, Auer-bachskeller
Jena
Weimar:Goethehaus,Schillerhaus
Erfurt
Eisenach:Bachhaus
Fulda
Frankfurt am Main:Goethes Geburtshaus
ゲーテ Johann Wolfgang von Goethe
1749〜1832 ドイツの詩人・劇作家・小説家・科学者。ゲーテの詩には、自然や歴史や社会と人間精神との関わりへの革新的な観察眼があらわれており、その戯曲や小説には、人間のもつ個性へのゆるぎない信念がうつしだされている。そして、こうしたゲーテの作品は、評論や書簡もふくめて、同時代の作家たちや、彼が主導的な役割をつとめた文学運動にきわめて大きな影響をあたえた。19世紀のイギリスの文芸批評家マシュー・アーノルドによれば、ゲーテは、「ドイツ文学界の大御所」というだけでなく、「世界文学のもっとも多才な巨匠のひとり」であった。
シラー Friedrich von Schiller
1759〜1805 ドイツの詩人・劇作家・哲学者・歴史家。ドイツ古典主義文学の代表的作家であり、世界文学史上においても偉大な作家のひとりとみなされている。
1759年11月10日、シュワーベン地方のネッカー河畔の町マールバハで、ビュルテンベルク公につかえる軍医の息子として生まれた。公国の士官学校で教育をうけ、その後法律や医学をまなんで、80年にはシュトゥットガルトに常駐する連隊の軍医に任命された。学生のころから詩を書き、最初の戯曲作品「群盗」(1781)もそのころ完成させている。「群盗」は、82年にマンハイムの国立劇場で上演されて好評だったが、上演にたちあおうと無断で公国をはなれた彼は、そのために禁固刑をいいわたされ、以後の戯曲執筆も禁止されることになった。82年9月、シラーは故郷を脱出した。
バッハ Johann Sebastian Bach
1685〜1750 ドイツ・バロックを代表するオルガン奏者・作曲家。西洋音楽史上、屈指の大作曲家。
ドイツ中部のアイゼナハで生まれたバッハは、音楽家としてドイツ各地をおとずれ、教会や宮廷のオルガン奏者や楽長をつとめた。バッハは各地で多くの傑作をのこしたが、その作品は同時代の人々にはあまりみとめられず、オルガン奏者としてのみ名声をえた。しかし、19世紀後半以降、バッハの作品とすぐれた対位法の技法が高く評価されるようになる。対位法は、2つ以上の旋律を同時に進行させる作曲技法である。
メンデルスゾーン Felix Mendelssohn
1809〜47 ドイツの作曲家。初期ロマン派の主要音楽家で、バッハ作品を19世紀に復活させた。
1829年、バッハの「マタイ受難曲」を、自らの指揮で再演。作曲者の死後まったく演奏されることのなかったバッハ作品に対する一般聴衆の関心を復活させ、バッハ復興に尽力した。
1833年にデュッセルドルフ市の音楽監督、35年にはライプツィヒのゲバントハウス管弦楽団の指揮者に就任。41年にはプロイセン王フリードリヒ・ウィルヘルム4世につかえる楽長になる。また、ライプツィヒ音楽院の創設に奔走し、43年に開校にこぎつける。
シューマンRobert Alexander Schumann
1810〜56 ドイツの作曲家。19世紀前半のロマン主義運動の主要音楽家。
初期はおもにピアノ曲を書いていたが、1840年になって突然に方向転換し、歌曲の創作に熱中するようになる。この年のうちに、アイヒェンドルフの詩による「リーダークライス」、ゲーテ他さまざまな詩人の詩による「ミルテの花」、シャミッソーの詩による「女の愛と生涯」、ハイネの詩による「詩人の恋」などの連作歌曲が、立て続けに作曲された。このため、40年はシューマンの「歌の年」といわれる。これらの歌曲では、詩の行間にひそむ微妙な人間心理の綾(あや)が繊細な音楽で描写され、またピアノ伴奏が歌と対等の役割をにない、詩の雰囲気と意味を表現するために貢献している。
バウハウス Bauhaus
ドイツの有名な美術工芸学校。近代の建築、工業デザイン、グラフィック・アート、舞台装飾にはかり知れない影響をあたえた。
1919年に建築家グロピウスは、19世紀イギリスのウィリアム・モリスとアーツ・アンド・クラフツ運動の理念にもとづき、ワイマールの美術学校と工芸学校を合併してバウハウスを創設した。その理念とは、芸術は社会の要求にこたえるべきであり、美術と工芸を区別すべきではないとするものであった。彼はさらにそれを一歩前進させて、産業界の要求や影響にも積極的に対応し、美的基準と技術的基準を同時にみたすデザインをめざそうとした。
リスト Franz Liszt
1811〜86 ハンガリー生まれのピアニスト・作曲家。19世紀ロマン派の主要作曲家で、ピアノのソロ・リサイタルという興行形態を創始した史上屈指の大ピアニスト。
10月22日、ショプロン近郊のライディング村に生まれる。父にピアノの手ほどきをうけ、9歳でコンサート・デビュー。その後ウィーンでオーストリアのピアニスト、チェルニーにピアノを、イタリア出身の作曲家サリエリに音楽理論をまなぶ。23年、両親とともにパリにうつり、イタリア出身のオペラ作曲家パエールとチェコ系フランス人の作曲家・音楽理論家レイハに作曲を師事。24年、ソロ・リサイタルをひらいて成功をおさめ、ピアニストとして名声を確立する。
ルター Martin Luther
1483〜1546 ドイツの神学者、プロテスタントの宗教改革をおこした指導者。その影響力は宗教だけでなく、ひろく政治や経済・教育・言語にもおよび、近代ヨーロッパ史の重要人物の一人にかぞえられる。
1517年10月31日、ルターは「九十五カ条の提題」をラテン語で発表、広く議論をまきおこすこととなった。それは、ロ」ーマのサン・ピエトロ大聖堂の建築費用をあつめるために贖宥状が乱発されたことを批判するものだったからである。
カール5世はルターを帝国から追放したが、領主のザクセン選帝侯フリードリヒが保護検束によって彼をたすけ、ワルトブルク城にかくまった。そこでルターは著作活動に専念し、新約聖書を原典のギリシャ語からドイツ語に翻訳する作業にとりかかった。この翻訳聖書は、標準的なドイツ語の確立に重要な役割をはたすことになる。
メルヒェン街道
Hanau:グリム兄弟の生家  H?nsel und Gretel
Marburg: Rotk?ppchen
Kassel:グリム兄弟博物館
Hanm?nden:Dornr?schen, Doktor Eisenbart
Hameln:Rattenf?nger von Hameln
Bremen:Bremer Stadtmusikanten
 ハンザ同盟都市
グリム兄弟
兄ヤーコプ・ルートウィヒ・カール・グリムJacob Ludwig Karl Grimm(1785〜1863)、弟ウィルヘルム・カール・グリムWilhelm Karl Grimm(1786〜1859)。
言語学と民俗学の分野で19世紀ドイツの指導的地位にあった学者兄弟。とくに「グリム童話」として知られる民話を収集し、まとめなおしたことで名高い。
アルプスの少女ハイジ(オープニング)
ハイジ Heidi
スイスの児童文学者ヨハンナ・シュピーリの小説。第1部が1880年、第2部は81年に刊行された。スイス・アルプスの山の村にすむ少女ハイジが、その素直で思いやりにあふれたやさしい心によって、人々の心の扉を開いていく。
人々の病んだ心と体をいやすアルプスの少女ハイジは、アルプスという自然にひめられた癒しの力の象徴でもある。おじいさんもクララも医師のクラッセンも、ハイジの天真爛漫(てんしんらんまん)なやさしい心にふれ、アルプスの自然にふれて、生き生きとした人間に生まれかわった。作者シュピーリはハイジをとおして、現代文明によって心身をむしばまれた人々をアルプスという自然が健康にするということをうったえかけているようである。
おわり(ハイジ・エンディング)