ギブ・アンド・テイク


 学生時代にゼミの面接で聞かれた質問に激しいショックを覚えたのを今でも思い出す。「あなたはこのゼミにどう貢献できますか」という質問である。

 学生の頃のゼミ選びといえば、就職がいいとか、面倒見がいいとか、司法試験合格者が多いとか、自分にとって得か損かという視点で考えるのが普通であろう。

 もらうことは考えていても、まさか与えることは考えていない。突然のことで、しどろもどろになり、何を答えたのか全く覚えていない。

 一応、合格するにはしたが、後で先輩に聞くと、最低点でギリギリ合格だったらしい。



 それから15年経ち、学生を指導する側に立つと、過去の質問の重さに改めて気付かされる。ゼミの選考がそろそろ始まる時期になるのだが、今さらながら学生の「クレクレ」姿勢が気になって仕方ない。

 つい先日も、よく見る学生が研究室に訪ねて来て、「どこのゼミがいいか教えて欲しい」という。間違っても、私の所に来る気はないようだ。もはやその段階で情報を「クレクレ」という姿勢なのが気になった。

 話を聞くと、特にやりたいことはない。就職がいい所か、資格が取れる所で、しかも楽にそれができる所が良いと言う。あきれてものが言えないが、当人は至って真剣なのである。馬鹿に付ける薬はないものか。

 そんな彼も身の程を知らずに、学部内随一の人気ゼミに入会希望を出しに行っていたらしい。もちろん、「もう決まっている」と門前払いされたそうだ。試験も受けずに官庁訪問をするようなもので、全く及びでない。



 本務校では、もともと1学年の学生数が少ないので、教員のなかには、1年生の頃から出来の良い学生に目星を付けて、早いうちから3年のゼミに勧誘するのもいる。

 それで定員を満たしておいて、希望者が後から来ても「もう決まっている」と断るのである。そうは言っても、取り得がありそうなのは、しっかり採用するのだからゼミもますます繁盛する。

 私の所に来た学生のように、右も左も分からないようなのをゼミに採れば、手間がかかるし、雰囲気も悪くなる。その気持ちはよく分かるというものである。



 そこで落とされた学生は、不本意なゼミ選択をさせられるので、ますますゼミに興味も関心も示さなくなるおそれがある。興味も関心もないから、発表をサボったり、無断欠席をして、ますますゼミに来る気が失せてしまう。

 そうした負のスパイラルから抜け出せるかどうかは、「クレクレ」の姿勢を脱却できるかにかかっている。よほど教員と相性が合わないのでなければ、ゼミなんていうのは、それ程大差はない。

 就職が良いとか、国家試験に合格しているというのは、その本人の努力であって、ゼミがどうのということはない。たかだか2年間法学のゼミにいたからといって弁護士になれる訳ではないし、会計のゼミにいたからといって会計士になれる訳ではない。

 それを予備校選びでもするように、ゼミを選択しようというのは根本的に間違っている。むしろ、指導教員や同期の仲間との交流を通じて、思い出を作ったり、人脈を築いたり、人格を磨いたりということが重要である。



 そのためには、ゼミで「何が貢献できるか」を問うことが必要である。「クレクレ」の姿勢でいる人間と付き合うほど無駄なことはない。

 そういう種族は、金の切れ目が縁の切れ目で、うまみのない人間関係には興味がなく、吸い取るだけ吸い取って、さっさと立ち去ってしまう。ゴミ捨て場を食い散らかすカラスのようなものである。

 教員としてそういう学生と接する機会も多いが、それはそれで仕事だから仕方ない。ただし、ゼミにそうした人間が入り込むと、明らかにゼミ生同士の関係に亀裂が入るから、それは別の話である。

 それらは、ノーリスク・ハイリターンを求めて、リスクは他人に、リターンは自分にという性向があるのだから、組織の輪が乱れて当然である。教員として、そうした学生でも指導するべきだとの考えもあるだろうが、組織の管理をして他の学生を守るのも教員の務めである。

 一人の学生に無駄な労力を使えば、当然、他の学生に向ける労力が失われる。ゼミに関しては、組織防衛を行うのは教員の役割であるし、教員にしかできない事柄である。

 ゼミに学生が合わせるべきであって、学生にゼミを合わせる話ではない。



 思えば、企業も同じである。問題のある人間を採用すれば、それだけ無駄なコストが発生する。だからこそ、採用時には、会社に貢献できる人間かどうかを基準にしているのである。

 採用面接で「待遇が良いから」「資格が取れるから」「海外に行けるから」などと、専ら「クレクレ」の姿勢で臨んだら、どこにも受からないことだろう。

 企業に学生が合わせるべきであって、学生に企業が合わせることはない。



 社会で必要なのは「ギブ・アンド・テイク」で、もらいっ放しではなく、与えることも必要になる。そうでなければ、およそ社会が持たない。もちろん、与えっぱなしでは自分が持たない。バランスが重要である。

 たかが大学のゼミではあるが、社会に出る前の準備期間だととらえ、学生目線から社会人目線へと切り換える場所として欲しいと思う限りである。

(2009/11/24)


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