2.2. 本の読み方


現代の学生気質

大学生はどのような本を読めばいいのか。それだけで一冊の本が書けるような大問題です。私は大学時代に経済史学を専攻していましたが、この分野ではマルクス主義と近代主義の名著を読破していることが教養のバロメーターでした。K.マルクスの『資本論』、M.ウエーバーの通称『プロ倫』、あるいは大塚久雄や丸山真男などの著作をひたすら読んだものです。当時、文学部の友人たちは右も左もサルトルだったような記憶があります。
ゼミの学生には、私自身の青春時代に心を揺さぶった本を読んでもらいたい気持が強くあります。事実、私が大学でゼミを開いた頃は、合宿などで学生に古典を読ませて格闘しました。しかし時代は変わっているというのが正直な実感です。今日の大学生の多くは仕事に役立つような実務知識や教養を求めてゼミに集まっています。法律や語学の専修学校が大学キャンパスの中で開講する時代です。
さらに現代の大学生は、昔では想像もできなかった生活空間に暮らしています。学生生活の定番であるサークル活動の他にも、ドライブ、パソコン、CD-ROMやDVD、携帯電話、レンタルビデオ、パーソナルテレビ、ライブコンサート、スポーツ観戦、マリンスポーツ、海外旅行、留学、ショッピング、ボランティア、インターンシップ、そして半ば職業化しているアルバイトと日常化した就職活動など、豊かな情報環境の中で時間を消費しています。学生にとって本を読むことは、生活時間の一部でしかありません。高価な学術書を買えば、携帯電話をかけることを控えなければなりません。つまりじっくりと本を読むことは、他の様々な体験相と引き換えになるのです。

古典は強かに生き延びる

不朽の名著といえども「時代の制約」や「読む人の関心」から逃れることができないと思います。いかに優れた書物でも、読む人の今の生き様に触れなければ意味がありません。学生に本を薦める時には次のようなことを考えます。
 (1)いま、この著者が仮に生きていたら何と言うだろうか
 (2)いま、この学生は何を必要としているのだろうか
古典や名著は”今の自分にとって”の古典であり名著であると思います。多くの識者が推薦する本は確かに優れていますが、それを読むか読まないかは、学生自身の生活の脈絡や問題意識に依存するものです。「師はそれを必要としている時に現れる」といいます。今は楽天的な学生たちも、実社会に出て自らの力量を試され、教養豊かな人に出会って圧倒され、時に失敗や不遇を通じて悩んだならば、良書の真の価値を知ることになるでしょう。言い換えるならば、優れた書物は時代を超えて強かに生き延びるということです。

現代と半歩先の未来を読む

現代を研究するためには、古典や名著だけという訳にはいきません。アカデミズムの中には、ビジネス書やノンフィクション、新刊書を低く見る人もいるようですが、一種の権威主義です。こうした本は毎日の食事と同じで、もりもり食べて栄養にして、後は捨てればよいのです。
現代を扱う本には、確かに権威がありません。しかし、世に出たばかりですから当然のことです。私たちが現実に関わりを持っているのは現代だけであり、さらにいえば本日の「今」の瞬間だけです。過去に後戻りはできませんし、未来は不確実です。私たちが切実に必要としているのは現在の生活を確かなものにする情報です。
単行本は企画してから仕上げるまでに何カ月かを要します。したがって理屈の上では、より鮮度の高い情報は雑誌で補い、さらに近時点の情報はテレビやラジオで、最新時点の話は口コミや直感に頼ります。しかし書籍は、本の中で現時点の情報を再現します。その理由は、著者が見通しを交えて執筆するからです。
「半歩先の未来」に関する情報も貴重です。半歩先と断ったのは、遠い将来を扱った文献の多くが無責任だからです。10年先のことなど、誰にも分かりません。自分が生きている保証もありません。そんな曖昧な情報よりも、3〜5年先の現実を考えておく必要があります。ビジネス社会に席を置くと分かることですが、経営者はもちろんのこと、営業マンや技術者にとって、近未来に関する精度の高い情報を集めることが至上の課題です。

人口問題との関連に注目する

未来予測の結果をそのまま信じる必要はありません。占いと同じで、最終的に自分が判断することです。私たちは未来予測を通して、何が問題となっているかを学びます。例えば人種問題や地政学的な問題が取り上げられていれば、ご託宣の内容はともあれ、この問題が21世紀前半にクローズアップされる可能性が高いということです。
長期的な未来情報の中で唯一、信頼がおけるものがあります。人口問題、すなわち人口数や年齢構成、地域分布などです。天変地異や大疫病がなければ、大幅には狂いません。したがって人口と関連した経済、社会問題の予測は精度が高いことになります。例えばわが国が高齢化社会になり、若年人口が相対的に減少することは間違いありませんから、関連する産業の予測も総論では狂いがありません。何かの予測があった場合に、その精度を判断するメルクマールとして、「風邪が吹けば桶屋が儲かる」式に人口問題との関連をたどるのも一方法です。
総務省の人口調査によると、2006年の死亡者数が107万2千人、出生者数が106万6千人でした。つまり2006年から日本の人口が減少を始めたと言うことです。古田隆彦氏は『日本はなぜ縮んでいくのか』(情報センター出版局)の中で、「わが国の人口は2004年の1億2700万人がピークで、2100年には5100万人まで落ちていきます。(p.149)」と述べています。政府の人口政策で多少の増減があると論じていますが、いずれにしても新世紀の日本がどういう時代になるかは明白です。

研究者を志す人へ

研究者を志す人は、ふつうの学生と本の読み方に違いがあります。結論からいえば、自分の研究に必要な文献だけではなく、研究者として生きていくために読まなければならない文献群や雑誌類があります。その範囲や分量は学問分野や学派によって程度の差があります。アカデミズムの中だけで存在する分野では必読文献のハードルが厳しいようです。
これらの文献を押さえておかないと、たとえ優れた研究者であっても、先行研究を無視しているという理由で資質を疑われます。研究者のオリジナリティーを育てるためには、過度の通過儀礼やトレーニングは好ましくない面があります。しかし教育者としての立場を考慮すると、全くの自己流にも問題があります。私の知人の学者は、「他人の論文を参考にしている訳ではないんだが、たまたま他の研究者と同じようなことを書いた時に、真似したと思われるのが厭だから目を通しているんだ」と悩みを語っています。
研究者を心掛ける人は、指導教員からこのような文献を学ぶ必要があります。それらに目を通すか否かは本人の考え方もありますが、少なくとも知らないでは済まされません。広告学は研究者になるための必読文献が少ない分野ですが(私の誤解かもしれませんが)、それでも欧米の広告文献や学会誌を押さえておく必要があります。この理由は、学問としての広告学の諸理論が、その発生から今日まで、欧米の広告学やマーケティング論に大きく依存しているからです。

本が丸ごと分かる時

専門書は決して易しいものではありません。しかし精神を集中して読んでいると、本のあちこちに散在していた疑問が、ある時点を境に、突然氷解する瞬間が訪れます。読者が著者に感応し、その世界を共有したような状態になるのです。これは誰にでもあると思われますが、自分で体験してみないと分かりません。
このような体験を初めてしたのは、大学時代に翻訳文献を読み始めた頃です。哲学書などは翻訳が難解だけでなく、その解説書がさらに難解な代物です。このような場合は、分からないままに何回か読み直していると、何がどこに書いてあるか内容を覚えます。そして突然、著者の論理の仕組みが見え出します。表現が難しいのですが、丸ごと分かるのです。普通は部分が分かっていくうちに全体が分かるのですが、そうではなくて、まず全体が見えてしまって、それから部分、部分が理解できるようになります。思考が高次元に飛び込んだのでしょう。
外国語の文献でも事情は同じです。これも私の体験ですが、1983年の3月、トニー・シュワルツ(ニューヨーク大学教授)の“Media, The Second God”の翻訳をしていた時のことです。難しい英文が多くて困っていました。徹夜で仕事をした明け方、何気なく朝の光で英語を読んでいて気づいたのですが、英語との距離感が消滅したとでもいいましょうか、英文が脳に直接焼き付いてくるのです。自分でも事態が飲み込めず、あちこちを開いて試してみたのですが、英語の分かり方がまるで違います。試しに机に置いてあるラジカセでサラ・ボーンのジャズヴォーカルを聴くと、そばで語りかけられている感じでゾクゾクします。興奮して寝られなくなりました。それから寝て、昼頃に起きると、感覚が元に戻っていました。あのまま続いてくれたらと思います。

線を引いて読む

専門書は「心読」するものです。といっても若い人には心読の意味が分かりにくいかもしれません。昔ながらの方法は、心を空しくして声を出して読むことです。次が指先で文字の下をなぞって読む方法です。
しかしいずれの方法も、今の若い人にはアレルギーがあると思います。そこで現実的なのは、受験勉強と同じで、ポイントと思われる箇所を、線を引きながら読むことです。他にも、ページを折るとかポスト・イットを貼るなどして要点をチェックするやり方があります。何か思いついた場合は欄外に書き込みます。最低限、線ぐらいは引かないと本気で読んだとは言えません。後に述べるように、重要な記述はノートを取ります。
本を汚さずに読むように心掛けている人もありますが、本の収集家ならばともかく、一般の学生にはお薦めできません。本に読んだ痕跡が残らないということは、ほとんど頭に残っていないことと同じです。断片的に覚えていても、原稿を書く際に役に立ちません。ただし、図書館で借りた本に線を引いたり、ページを折ることは厳禁です。

ノートはたくさんとらない

ノートを取る際に気をつけることは、たくさん取りすぎないことです。とくに経営関係の分野は新しいことが次々と現れますから、ノートに取っていると時間が幾らあっても足りません。時間とともに風化する理論や事例も少なくありません。MIS、 OA、INSなどは一世を風靡しましたが、今ではほとんど聞きませんし、80年代の松屋や伊勢丹のCIを調べても、論文としてポイントレスになる可能性があります。
本を読む際にはノートは原則としてとらないぐらいの気持ちで臨み、一通り読み終えたら、ポイントの中から重要なものだけをノートに拾います。もちろん、線引きや書き込みはします。本の一部分だけを用いるならばメモ用紙で十分ですが、後の確認を考えて、ノートやカードに貼って保管しておく必要があります。
読んでいる原稿に重要な文献や資料がでてきた時は、注釈を見て元の文書に当たります。引用された出典や数値はしばしば間違っていますので、孫引きをすると連座することがあります。分析された数値の中には著者の思惑で加工されたものがありますので、引用する際には元の数値に当たることが必要です。

子供向けの本が役立つ

「原書を読め」とか「古典に当れ」と常に言っている方が教員としての仕事柄、間違いがありません。しかし難解な専門書を読むことは、時間に恵まれた研究者や学生だからできることです。ビジネスの世界では専門書をじっくり読む時間がありませんし、また読む側に相当の理解力や語学力を必要とします。したがって、概説書や入門書、いわゆるハウツー書を活用する方法も考えなければなりません。
かつてロケット博士の糸川英夫氏は、「何かを研究しようと思ったら、まず子供向けの本を捜して読め」と言いました。現代経済が分からない学生は、中学校の社会の教科書から始めることです。いま流行の経済マンガ本でもかまいません。私が釣りを始めた時ですが、初めに『少年海釣り』『少年川釣り』を読みました。
概説書をすばやく読むためには、目次と本文の小見出しを追い、関連がありそうなところだけを詳しく読みます。最後のインデックス(索引)から逆引きして中身をひもとくこともできます。自分のテーマと関連する項目のインデックスが完備していれば、すぐにポイントの部分が出せます。受験参考書ではありませんから、隅から隅まで読む必要はありません。

本代を惜しまない

 三日書を読まざれば
 面貌憎むべし
 語言味なし   (黄庭堅)

雑誌を読んでいたときに見かけてメモに取った言葉です。黄庭堅は中国宋代の書家です。電子メディアが発達した時代とは言っても、私たちの教養の最大のバックボーンは書籍です。人間の思考の多くは言葉を介在して行われます。言葉の栄養補給が乏しいことは、端的に言えば教養がないことに繋がります。本を軽く見ることはできません。
図書館で良書を見つけたならば、別に買い求めます。書店で良書や新刊書を見つけたならば購入します。インターネットと新刊や古書を買うのも便利です。借りて読むのは、急場しのぎに過ぎません。買って手元に置いてこそ良書です。
電話代は毎月1万円前後支払うのに、本代を惜しむ人がいます。相当に高い本でも、和書ならば学生コンパの1回分に過ぎません。それでいて何十年も手元に残ります。ゼミのテキストが8000円ぐらいの年があると、学生が一様に驚きます。コンビニでたった1日バイトをすればいい金額です。生活に特別な事情がなければ、週に最低1冊は本を買いましょう。
これは余談ですが、本は貸すと返ってきません。督促をすると、貸した方が強欲に思われるという不思議な性格を持っています。しかも借りた人は、その本を読んでいないことが多いのです。本を貸すときは差し上げるつもりで貸し、大切な本は頼まれても貸さないことです。
(2.2. 本の読み方/終)

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