基調講演

「濫喩としての翻訳」

巽 孝之

慶応義塾大学文学部教授・アメリカ文学専攻

　かつてイエール大学教授ポール・ド・マンは画期的論文「メタファーの認識論」（ 1978年）のなかで、「翻訳する」 “translate”という英語動詞がもともとはドイツ語動詞 “ubersetzen”の翻訳であり、さらにこのドイツ語はギリシャ語の“meta phorein”すなわち「隠喩」 “metaphor”の翻訳であることに注目した。 17世紀に英国哲学者ジョン・ロックが定義しようとしたところによれば、「運動」“motion”とはひとつのところからべつのところへの「移行」“passage”であり、それはすなわち「 移転＝翻訳」 “translation”であり、そしてそれは「運動」“motion”であるから、 “translation”はけっきょく永久運動めいた同語反復を生むばかりで定義しえない概念であると、ド・マンは言う。一般にわれわれは「隠喩」が定義可能な全体像を前提にしていると思いこんでいるが、じっさいに隠喩が行っているのは自らの位置をえんえんと反復することなのだ。単純明快な観念と信じられているものも修辞的言説ないし翻訳なのであって、それ自体が「定義」という名の欺瞞的な幻想を生み出しているにすぎない。

　こうした理論が教えてくれるのは、語源的に隠喩と不可分であり、ひとつの言語をまるごともうひとつの言語に「移行」させるといった全体像を前提にする「翻訳」が、じつは内部に隠喩的全体像そのものを崩壊させる契機を秘めていたことだ。ド・マンはのちに、敬愛するヴァルター・ベンヤミンの「翻訳者の使命」（ 1923年）を精読して、そこに翻訳を隠喩的どころか換喩的とする視点を見出す。すべての隠喩は内的危機を免れず、比喩の乱用すなわち濫喩の運命を免れないというのが、ド・マンの確信なのである。だとすれば、もともとがギリシャ的「隠喩」の翻訳だった英語的「翻訳」概念そのものも、必然的に言語的全体像そのものの危機と無縁どころか、むしろその濫喩的性格を活用して創造的活動たりえてきたといえる。この前提に立ち、ジェイムズ・クリフォードの「文化の翻訳」のヴィジョンを一歩推し進め、福沢諭吉以来二十一世紀に至る「文脈の翻訳」の系譜を輪郭づけるのが、本講演の目的である。

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