Seminar Paper 2000

Miki Harada

First Created on January 9, 2001
Last revised on January 9, 2001

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「GatsbyとNick」
The Great Nick   もう一人のFitzgerald 

 

   The Great Gatsbyは、Gatsbyという男のアメリカンドリームの成功と悲劇を、隣人であるNickの第3者の目を通して語られた物語である。GatsbyもNickも作者の分身といわれているが、何故敢えて自分自身を二人の全く異なる人物に分けたのか。またこの主人公はGatsbyであるが、話し手であるNickによる見解や想像がこの物語に及ぼしている影響は大きい。ここでは敢えてNickに焦点を当てることにより、作者フィッツジェラルド(F. Scott Fitzgerald)がNickに課した問題が何であるかを論じたいと思う。  

   まず始めにGatsbyとNickの二人が作者フィッツジェラルドにどのように酷似しているのかを見ていきたい。  
   まずNickの生い立ちから見ていこう。

My family have been prominent, well-to-do people in this middle-western city for three generations. The Carraways are something of a clan and we have a tradition that we're founder of my line was my grandfather's brother who came here in fifty-one, sent a substitute to the Civil War and started the wholesale hardware business that my father carries on today. (p. 7)

とあるように、Nickの出身は中西部の裕福な名家であり、それは大伯父が始めた金物類の卸商を始めて財を成した。一方フィッツジェラルドは中西部にあるミネソタ州のセント・ポールに生まれた。また彼の母方の祖父は「1842年両親と共に北アイルランドから移住してきたが、独立独行、自営の道を切り開き70年代にはセント・ポール屈指の食料品卸売商となっ」1ている。このように互いに中西部に生まれ育ち、家族の財も卸売商で独自の努力と才で成し遂げられたものであるという共通点を持っている。Nickの生い立ちは作者をもとにして作られたといってよいだろう。  

   また本文の中でNickが自分の性格を次の様に言っている。

 "I am part of that, a little solemn with the feel of those long winters, a little complacent from growing up in the Carraway house in a city where dwellings are still called through decades by a family's name" (p. 184)

キャラウェイ家で育った為に自己満足な嫌いがあると言っているが、フィッツジェラルドはというと、母親から甘やかされて育てられたために「いつの場合にも自分を前面に出したがる自意識過剰的性格」2 であったとされている。自分に根拠の無い自身を持った二人は大変似ており、Nickが作者自身と言ってよい理由の一つにあげられる。  

   このように点からNickとは、まだ小説家として名を馳せる以前の純粋であった作者がモデルとなっているらしい。    

   ではGatsbyはどんなモデルであるのか。彼の「後年のエッセイ『作家の家』」の中に子供時代を記した描写がある。「自分は両親の子どもではなく、世界を支配する王様の子どもなのだという信念」を持っていたと語られている。このことを心理学上で「血統空想」と言うらしい。3  この血統空想はGatsbyにも見られる。これはGatsbyが名を変えてダン・コーディーと出会ったことについてNickの想像ではあるが、

His parents were shiftless and unsuccessful farm as his parents at all. The truth was that Jay Gatsby, of West Egg, Long Island, sprang from his Platonic conception of himself. He was a son of God. (p. 104)

というように両親の子どもであることに耐えられず、自分の理想の人物像を描きそれに忠実に従ったのが現在のGatsbyであるというのだ。血統空想を抱き自分はいつか羽ばたくのだと夢見ているJames少年はFitzgeraldの幼き頃と同じである。アメリカン・ドリームを夢に抱く二人の少年の姿はぴったりと重なる。  

   また小説家として名が知れてきた頃の作者を描写している次の文がある。

20年代は第1次世界大戦後に到来した繁栄の時代であり、浪費が良しとされ,享楽主義が世にはびこった時代である。(中略)この作家ほど、富に憧れ、富を得、富を消費することの中にロマンスを見出した作家も、他になかった。4
『楽園のこちら側』が出版された年、1920年の4月から翌年の21年5月まで、フィッツジェラルド夫妻は時代の寵児としてもてはやされる生活を満喫している。(中略)二人の家ではしばしばパーティーが催され、夜を徹してばか騒ぎが続けられた.。そのパーティーには見も知らぬような人たちも集まってきたが、やがて印税で入った金も使い果たされてしまうと、人びとは二人のもとから去っていった。5
 

ここにあるように作者自身が富に憧れを抱き、処女作『楽園のこちら側』で富を得た作者は、妻ゼルダを手に入れ富に溺れる毎日を送った。この時代の作者はまさにアメリカン・ドリームに翻弄されるGatsbyの姿である。富を手に入れたことで愛する女性に振り返ってもらえるようになったこと、自宅で豪勢なパーティーを開き多くの人を集めたが最後の葬式には誰一人として来なかったこと等、Gatsbyの姿と作者の姿がぴったりと重なる。Gatsbyのモデルはアメリカン・ドリームに憧れ翻弄されたもう一人の自分、作者自身であったといってよいであろう。またこの体験から作者は富の幻とそれに群がる人々の空虚さ、孤独さをも実感する。体験した富の世界とその背後に潜む空しさ、浅はかさを認識したことにより、この作品はできたのであろう。この体験は富・金に夢を抱くギャッツビ―と、それに疑問を抱くニックの姿が浮かび上がってくる。GatsbyとNickは作者自身の心にある富・金に対しての相反する思いを託されたのだ。Gatsbyは作者の富への憧れを、またNickは富に対する疑問と反感を体現している。    

   それでは何故作者は自分自身の中に含まれる相反する2つの感情を、この作品において二人の登場人物に置き換えたのか。Nickを詳しく見ていくことでその答えを探りたいと思う。  

   Nickの出身は前に述べたように中西部の裕福な名家であるが、それは大伯父の努力によるものである。TomやDaisyのような先祖代々の財産による金持ちとは異なると自負し、金持ち階級に嫌悪を抱いている。それが分かる場面は、 "for instance he'd brought down a string of polo ponies from Lake Forest. It was hard to realize that a man in my own generation was wealthy enough to do that." (p. 10)と、Tomの金遣いの荒さを非難し、自分には理解しかねると自分自身を優位に立たせている場面だ。自分のそこそこの裕福さと彼らの莫大な富とは全く違うものであると思っている。ここに金持ち階級への批判が見られる。  

   このNickの優位性はこの一連の出来事の体験からNickが気付く一つの欠点でもある。前に述べたようにcomplacent自己満足の嫌いがあると気付いたのだが、それはTomやDaisyに対してだけではなくGatsbyやJordanに対しても見られるものだ。しかしこのcomplacentがTomやDaisyそしてGatsbyよりも自分のほうが優れていると感じ、彼らと自分自身を区別し同化させないことで、彼らに批判することが出来た理由でもある。  

   Nickは冒頭で自分の性格をこのように語っている。 "In consequence I'm inclined to reserve all judgements" (p. 5)全ての判断を差し控える傾向があると言い、またこの性格を寛容 "tolerance" (p. 6)と誇りに思っている。この判断を差し控えるという性格が、TomとDaisy夫妻側にもGatsby側にもつかず最後まで公平な目でこの出来事を冷静に見届けることが出来た理由である。  

   またNickの観察力の素晴らしさには目を見張る。次の文章は初めてTomとDaisyの家へ行った時に、庭を説明したものである。

The lawn started at the beach and ran toward the front door for a quarter of a mile, jumping over sun-dials and brick walks and burning gardens---finally when it reached the house drifting up the side in bright vine as though from the momentum of its run. The front was broken by a line of French windows, glowing now with reflected gold, and wide open to the warm windy afternoon, and Tom Buchanan in riding clothes was standing with his legs apart on the front porch. (p. 11)

その美しさが目に映るようである。特に芝生の表現は流れるようでまるで映画のワンシーンを見ている様だ。こういったものの描写に限らず、Nickの観察は人の表情も敏感に捕らえ、それをもとに物語が進んでいく。彼の観察力の素晴らしさが、上流階級の中に潜む堕落や東部社会の空虚さを暴いていったのである。  

   このように中世部で生まれ育ったという事により、西部的なモラルや道徳を持つようになったこと。自己満足の傾向。そして判断を差し控えるという性格。観察力。これら全ての能力によって上流階級や東部社会に対する批判が成し得たのである。Gatsbyに降りかかる一連の事件を、冷静に独自の道徳観を持って判断することの出来る西部人のNickが第3者として見解を示すことで、上流階級や東部文明の裏に潜む欠点を暴き、よりその批判を鋭くし、尚且つGatsbyの夢追求の見事さを際立たせることが出来たのであろう。これが作者のNickに対する課題であり、自分自身をGatsbyとNickにわけた理由でもある。  

   こうして見ていくとこの作品はGatsbyのアメリカンドリームの成功と悲劇であるとともに、Nickの成長物語であると言えることも出来るのではないか。中西部からやって来た青年Nickが東部の都会の文明へ希望を膨らませ、順応していこうとする中で、その華やかな世界の裏に潜む、都会の冷たさ、モラルの崩壊、裏の世界を知り、西部に価値を見出し戻っていく物語といってもよいだろう。Nickはもう一人の作者Fitzgeraldであり、もう一人の主人公なのである。  



≪引用文献≫

1 永岡定夫「夢と挫折と―フィッツジェラルドの生涯と作品」刈田元司(編)『フィッツジェラルドの文学』(p. 23)荒地出版社
2 永岡定夫「夢と挫折と―フィッツジェラルドの生涯と作品」刈田元司(編)『フィッツジェラルドの文学』(p. 24)荒地出版社
3 永岡定夫「夢と挫折と―フィッツジェラルドの生涯と作品」刈田元司(編)『フィッツジェラルドの文学』(p. 25)荒地出版社
4 金関寿夫「フィッツジェラルドと〈富〉の問題」刈田元司(編)『フィッツジェラルドの文学』(p.174)荒地出版社
5 利沢行夫「フィッツジェラルドの郷土意識―東部と西部」刈田元司(編)『フィッツジェラルドの文学』(p. 53)荒地出版社


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