Seminar Paper 2000

Yu Igarashi

First Created on January 9, 2001
Last revised on January 9, 2001

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「GatsbyとNick」
ニックの役割

    本作品の中でニックは重要な立場をになっている。それは、一体どのような点で重要だといえるのかを考察してみたいと思う。まず、ニックの役割のうち、最も重要なことの一つに、物語の語り手としての役割がある。この物語はニックの目を通してとらえられた現実を、彼自身が書き記している、という形式をとっている。つまり、私たちは物語を読んでも、物語の現実そのものを見ることはできず、すべてニックの受け取ったままの現実しかみることができないのだ。そういった点で彼の役割が非常に大事だといえると同時に、彼がどのような性格で、物事をどうとらえるか、つまり彼の人間性がどのようなものであるかが問題になってくる。私たちは、彼の語る現実しか知ることができない以上、彼の人間性を把握しておかなければ、物語の中の現実を正しく知ることはできないと思われる。そこで、ニックの人物像を考えてみることにする。この物語全体を通読して感じたことを述べると、まず、彼は他人から精神的に自立できていない。それはつまりどういうことかというと、たとえば、彼は他人に強く言われると、自分の意志に反して相手にしたがってしまうのである。例を挙げると、ニックがトムに自分の愛人を紹介するといわれて列車から無理矢理引きずり出されたとき(p.28)もそうだし、その後、トムとマートルが、かれらのアパートへ行こうとしたとき(p.32)も、ニックは帰ろうとしたが、トムとマートルに引き留められて、結局彼らについて行ってしまっている。ニックはこの小説の冒頭で次のように述べている。

In my younger and more vulnerable years my father gave me some advice that I've been turning over in my mind ever since. "Whenever you feel like criticizing anyone," he told me,"just remember that all the people in this world haven't had the advantages that you've had." He didn't say any more but we've always been unusually communicative in a reserved way and I understood that he meant a great deal more than that . In consequence I'm inclined to reserve all judgements, a habit that has opened up many curious natures to me and also made me the victim of not a few veteran bores. The abnormal mind is quick to detect and attach itself to this quality that in college I was unjustly accused of being a politician, because I was privy to the secret griefs of wild , unknown men. Most of the confidences were unsought----- frequently I have feigned sleep , preoccupation or a hostile levity when I realized by some unmistakable sign that an intimate revelation was quivering on the horizon-----for the intimate revelations of young men or at least the terms in which they express them are usually plagiaristic and marred by obvious suppressions.Reserving judgemens is a matter of infinite hope . I am still a little afraid of missing something if I forget that, as my father snobbishly suggested and I snobbishly repeat, a sense of the fundamental decencies is parcelled out unequally at birth.

    彼はこのようにここで、自分は寛容な精神をもっていて、どのような人間も一面だけから判断することはせず、そのせいでこれまで厄介な連中につかまることもあったが、それはやはり自分がこのような恵まれた性格の持ち主であるからであろう、と述べている。しかし、彼は他人に対し寛容であることと、なんでも他人の意見に従うことの違いを理解していない。彼は、そこのところを勘違いしているのだが、さらにそれが父の教えであり、自分はそのことに誇りをもってよいと思い込んでいるのである。そして間違った寛容さに誇りをもっているため、つまり、他人の言に常にしたがってみようと思える自分の性格に誇りを感じてしまっているため、自我が未発達のままここまできてしまったのだと考えられる。また、このほかにも彼が精神的に他人から自立していないとわかる個所がある。例えば、ニックが初めてギャツビーのパーティに招待され、一人で会場に行ったとき、

As soon as I arrived I made an attempt to find my host but the two or three people of whom I asked his whereabouts stared at me in such an amazed way and denied so vehemently any knowledge of his movements that I slunk off in the direction of the cooktail table -----the only place in the garden where a single man could linger without looking purposeless and alone. I was on my way to get roaring drunk from sheer embarrassment when Jordan Baker came out of the house and stood at the head of the marble steps, leaning a little backward and looking with contemptuous interest down into the garden. Welcome or not , I found it necessary to attach myself to someone before I should begin to address cordial remarks to the passers-by.

というように、やたらと一人でこのような場所にいることを恐れ、気まずくて仕方がないと述べている。一人でいては他人にどう思われるかわからず、そのためうろたえているのである。そしてこの後、ジョーダンの方へ歩み寄っていき、初めて落ち着くのである。しかし、彼のこの他者から自立していない精神は、言いかえれば、傷つきやすいゆえに敏感であり、また物事を繊細にとらえる能力を備えているといえるであろう。なぜなら、当然のことであるが、他者から自立できないということは、己の行動も他者次第であり、それゆえ他者の行動や気持ちに対し敏感であるからだ。そして、ニックのそういった精神が、この物語の登場人物たちの心情をよくとらえ、読むものに彼らの心情を細かに伝えてくれる。

    ただし、一つ問題がある。それはニックが語る現実は彼の都合の言いように、多少曲げられて私たちに伝えられる可能性があるということである。というのも彼は先程も述べたように、自分の人間性に誇りをもっているせいもあってか、自尊心が高いのである。彼は常に自分は素晴らしい人物であり、またそうでなくてはならないと思っているように私は感じた。そして周りの人間は自分よりも人間性が劣る連中だと、意識してか、無意識にかはわからないが、そう思っているように私は受け取った。彼がそう思っているゆえの言動と思われるものが物語の端々に見受けられるのである。例えば、先程取り上げた小説の冒頭での彼の自己紹介のほかに、次のようなところでそれが見られる。" Everyone suspects himself of at least one of the cardinal virtues , and this is mine: I am one of the few honest people that I have ever known."(p.64) そして彼はこの自尊心のために、自分の自尊心が傷つけられるような現実、つまりはずかしめられるような経験をしたときに、それを読者にそのまま伝えると体裁が悪いので、自分に都合のいいように書いてしまうのである。例を挙げると、ニックがトムとマートルのアパートでパーティに参加したとき、キャサリンがマートルはウィルソンに夢中であった、といった後、マートルは次のように言い、ニックはそれについて述べる。

"" Who said I was crazy about him ? I never was any more crazy about him than I was about that man there." She pointed suddenly at me and everyone looked at me accusingly . I tried to show by my expression that I had play no part in her past."
 というように、これまで述べたようなニックの性格ならうろたえたであろうはずなのに、そうは書かず、自分は愛情を期待してなんかいないのだ、と読者に信じてもらおうとしているように私は感じた。こういうわけで、ニックの自分自身の心情についての記述は必ずしも現実通りではなく、すべてをうのみにすることはできないであろう。しかし、先程述べたように、彼特有の現実のとらえ方を通して物語が語られることによって、物語全体が、深いものとなっているように思う。それはまさにニック自身が" life is much more successfully looked at from a single window , after all "(p.9) と言っているように、ニックの視点からのみ語られることによる物語の深みなのであろう。こういう理由で、ニックは語り手として重要な役割をはたしているといえる。

    次にギャツビーの理解者としてのニックについて考えてみることにする。なぜニックはただ一人だけギャツビーの理解者となったのであろうか。また、なぜギャツビーを親友とまで認めたのであろうか。ニックがギャツビーと出会ったばかりのころ、ニックはギャッツビーにたいし、

" I had talked with him perhaps half a dozen times in the past month and found , to my disappointment ,that he had little to say . So my first impression , that he was a person of some undefined consequence , had gradually faded and he had become simply the proprietor of an elaborate roadhouse next door." (pp.68-69)
 というように、ギャツビーの理解者であるとは言えなかった。というよりもギャツビーに対する興味は薄れていた。それが、ジョーダンにデイジーとギャツビーが昔恋人であったことを聞かされた後、ギャツビーが自分のウェストエッグの家を買ったのは、入り江の向かいがデイジーの家であるからだと知る。そこで彼が" He came alive to me delivered suddenly from the womb of his purposeless splendor ."(p.83) と述べているように、ギャツビーにたいして深く興味を覚え始めるのである。そしてさらにジョーダンは言葉を続ける" He wants to know ---if you'll invite Daisy to your house some afternoon and then let him come over ."(p.83) それを聞いたニックは、その彼のささやかな要求に心を揺さぶられた。
"The modesty of the demand shook me . He had waited five years and bought a mansion where he dispensed starlight to casual moths so that he could " come over" some afternoon to a stranger's garden."(p.83)
 こうしてニックの中でギャツビーは人間味を帯びることになる。ニックの目にはギャツビーはたんなるいわくありげな金持ちとしてではなく、一人の夢を手に入れようとして、けなげな努力をする青年として映ることになる。さらに、ニックはギャツビーが、全くの無名で、貧しい身から財をなし、それがデイジーを手に入れるためだけの立身出世であることを知り、その好奇心は最高潮に達したのだ。

    そしてニックは、ギャツビーの成し遂げようとしたことの困難さを知っている。この物語の当時のアメリカの風習として、金のない若者は、金持ちの娘と結婚することができなかった。ギャツビーも若いころ貧しく、金持ちの娘だったデイジーと相思相愛の仲にありながら結婚することができなかった。その挙げ句、金持ちの青年であるトムにデイジーを奪われてしまう。しかし、ギャツビーはそういった当時のアメリカ社会の病的側面に屈することなく、デイジーを取り戻そうとした。つまり彼は「富を得て美女を得る」といういわゆるアメリカンドリームを追い求めたのだ。そのあまりの一途さにニックは心を打たれるのである。その困難を乗り越えてまで、夢を追うギャツビーの姿に。しかし、ギャツビーの夢はかなわなかった。ギャツビーはデイジーを結局手に入れることはできなかった。その上ギャツビーはトムやデイジーのせいで死に追いやられることになる。その、金のない若者は結局、金持ちの娘とどうしても結婚できないという社会風潮に対する反感と、金持ち連中のてぎたなさに対する怒りから、ニックはギャツビーに同情の念を抱くのである。つまり、ギャツビーの無念さにニックは共感したのだ。それゆえにニックはギャツビーの父親に" We were close fiends ."(p.176) とまで言ったのであると私は考えた。そしてこのようにニックがギャツビーの理解者であることは、つまるところ、作者自身がそういったアメリカ社会の病的側面に反感を抱いていて、そのおかしさや不公平さを世の中に訴えたかったということなのであろう。

    では、ギャツビーはニックに対してどのように思っていたのであろうか。デイジーを手に入れるためにだけ他人との接触をはかっていたギャツビーであったが、ニックについてもやはり、初めはデイジーに近づくための手段にしか思っていなかったのではないかと私は思う。しかし、ニックとデイジーは親しいとは言えないまでも、よく接触する機会があり、またギャツビーとニックは隣にすむもの同士であったので、行動を共にすることが多くなった。そしてギャツビーに接することが必然的に増え、そのため彼を理解し、共感を覚えるに至ったのであろう。ニックがギャツビーの唯一の理解者となり得たのは、恐らくこのように、ニックがデイジーにも近く、ギャツビーとも物理的に近いことがその理由なのではないかと考えられる。


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