Seminar Paper 2000
Akiko Komatsu
First Created on January 9, 2001
Last revised on January 9, 2001
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「The Great GatsbyとAmerican Dream」
夢と現実のジレンマ
夢を抱き、自由と幸福を追求することは、すべての人々に平等に与えられた個人の権利である。F. Scott Fitzgeraldの「The Great Gatsby」でGatsbyは、Daisyを振り向かせたいという唯一の夢に向かって、ひたすらもがき続ける。「金持ちにならなければ、金持ちの娘とは結婚できない」という不公平さをGatsbyは見据えてきた。「アメリカン・ドリーム」とは、富と名声を手に入れなければ実現されないのであろうか。あるいは、物質的なものであれ精神的なものであれ、過去がある限り、夢の完全な実現などありえず、Gatsbyの努力は報われることがなかったのだろうか。そこにGatsbyが実現しようとしたAmerican Dreamの問題点があるように私は思う。 まず、いわゆる「アメリカの夢」が実現されたといわれる1920年代はどのような時代だったのだろうか。 "And as the moon rose higher the inessential houses began to melt away until gradually I became aware of the old island here that flowered once for Dutch sailors' eyes- a fresh, green breast of the new world. Its vanished trees, the trees that had made way for Gatsby's house, had once pandered in whispers to to the last and greatest of all of human dreams;for a transitory enchanted moment man must have held his breath in the presence of this continent, compelled into an asthetic contemplation he neither understood nor desired, face to face for the last time in history with something commensurate to his capacity for wonder.(p.189)作者は、初めて新大陸を目にしたオランダの船乗りたちの感動と期待に満ちた喜びを Daisyの家の方に輝く緑の灯火をじっと見つめるGatsbyの胸のときめきと照らし合わせている。まっすぐと前を見つめるGatsbyの瞳には輝かしい未来のみが映し出されていただろう。 しかし、現実には、かつて美しく輝き、希望に満ちていたものが、のちには空虚なものに変化するというはかなさが描かれている。それは、物質的側面と精神的側面の両方に影響を及ぼしていると思う。過去と現在、夢と現実、ものが豊富になれば心がさびしく、心が満たされてもお金がないなど、人間は、いつも欲求の板ばさみで葛藤して、生きているのではなかろうか。 光さすところ必ず影があるように、この時代は表面の華やかさの裏にさまざまな 矛盾が渦巻き、むしろ、腐敗と非道徳と暴力の時代と言ってよく、孤独や欲求不満や 精神的価値観の喪失に満ちた時期だったのである。となると、あたかも「アメリカの夢」が実現したかのように見えた1920年代は、じつは夢の崩壊した時代だったのだ。フィッツジェラルドは、ギャツビーがデイジーに託した、純粋素朴な夢が、東部社会の「硬い悪意にぶつかって、ガラスのように砕け散った」様子を描いて、そのことを主張しようとしたのである。(文学とアメリカの夢、川上忠雄、英宝社、1997年)語り手Nickは、GatsbyとDaisyが再会する午後に、Gatsbyのむこうみずの幻想の危険性を見抜いている。 Almost five years! There must have been moments even that afternoon when Daisy tumbled short of his dreams- not through her own fault but because Of the colossal vitality of his illusion. It had gone beyond her, beyond Everything. He had thrown himself into it with a creative passion, adding To it all the time, decking it out with every bright feather that drifted His way. No amount of fire or freshness can challenge what a man will store Up in his ghostly heart. (p. 101).ここで、NickとGatsbyの情熱の追求に対する差異、Nickの現実的志向、Gatsbyの無邪気でロマンティックな想像性が感じ取れる。 またNickは、"I wouldn't ask too much of her," I ventured. "You can't repeat the past."(p.116) とGatsbyに忠告している。最終的に、この証言は的中し、Gatsbyは悲しい結末をむかえ、過去は取り戻せないという残酷なジレンマに至る。だが、Gatsbyの人生が、他の登場人物と比較してみて、むなしく意味をなさなかったとは、私は思えない。 "It was an extraordinary gift for hope, a romantic readiness such as I have never found in any other person and which it is not likely I shall ever find again. No- Gatsby turned out all light atthe end;it is what preyed on Gatsby,what foul dust floated in the wake of his dreams that temporarily closed out my interest in the abortive sorrows and short-winded elations men.(p.6)NickはGatsbyのことを「人生の希望に対する高感度の感受性」、「希望を見出す非凡な才能」をもっていて、結局Gatsbyには何の問題もなかったといっている。また最後には "You're worth the whole damn bunch put together.(p.162)という唯一の誉め言葉を残している。NickはGatsbyと気質は異なっても、最高の理解者であった。また、WilsonがT.J.エクルバーグ博士の看板の眼を見て、"God knows what you've been doing, Everything you've been doing. You may fool me but you can't fool God!"(p. 167)と言っているように神はすべてを知っている。 Nickは、責められるべきは、彼の夢の航跡にくっついて、浮き沈みしていたゴミのような連中であるとも述べている。これは、Tom, Daisy, Jordanを含み、Gatsbyのパーティ参加者、葬式に来なかった人々を指していると思われる。 長年かけて、Gatsbyが築き上げた富は、Daisyに託す夢を実現させるための手段に過ぎなかった。しかし、アメリカ社会の現実は、「アメリカの夢」と金銭的価値観を切り離すことはできなかった。 "That was it. I'd never understood before. It was full of money- that was the inexhaustible charm that rose and fell in it, the jingle of it, the cymbals' song of it. . . . High in a white palace the king's daughter, the golden girl. . . . (p.127)Gatsbyは、「金にあふれた声」をもつDaisyがいる上流階級に追いつくことで夢は達成されると思っていたのかもしれない。それが、この時代のもたらす大きな誤算となるが、それでも純粋なひたむきさで立ち向かう信念の強さ、情熱、Gatsbyの夢こそが、物質至上主義になりゆく社会の中で、真の現実をつくりだすもの、この作品でもっとも賞賛されるべきところではないだろうか。 "He must have felt that he had lost the old warm world, paid a high price for living to long with a single dream. He must have looked up at an unfamiliar sky through frightening leaves and shivered as he found what a grotesque thing a rose is and how raw the sunlight was upon the scarcely created grass. A new world, material without being real, where poor ghosts, breathing dreams like air, drifted fortuitously about. . .like that ashen, fantastic figure gliding toward him through the amorphous trees."(p.169)ここでNickが述べているように、もしGatsbyが、死の直前、ロマンティックな心情、夢を喪失したと自覚していたなら、人生の希望をも見失ってしまったのではないだろうか。 現実は、Daisyの家の桟橋の突端に輝く緑色の光を信じていたGatsbyの思いを裏切っていた。 He had come a long way to this blue lawn and his dream must have seemed So close that he could hardly fail to grasp it. He did not know that it was already behind him, somewhere back in that vast obscurity beyond the city, where the dark fields of the republic rolled on under the night.(P.189) 願望することは、皮肉にも、所有することよりも重要だった。巨大な富を所有する人間(トム・ビュキャナン)あるいは人生に打ち負かされた人間(ジョージ・ウィルスン)は、 小説の語るところによれば、「自分について思い描いた理想的観念から生まれ出た神の子」 であるギャツビーのような激烈な経験を欠いていた。このロマンティックな自我意識を失うことは、天国のような意識から地獄に墜ちることであり、それは、小説の中で、灰の谷に具視され、灰の谷の管理人であるジョージ・ウィルスンに具象化される。ギャツビー自身が驚きの感覚とロマンティックな心情を失いかけた瞬間、ギャツビーの世界は「実体のない物質」に変わり、バラの花は「グロテスク」になり、そしてウィルスンは、まさに彼に相応しく、ギャツビーの死の代理執行人となるのだ。(「偉大なギャツビー」を読む、リチャード・リーハン 伊豆大和訳、旺史社、1995年)この小説の最後に、 "So we beat on, boats against the current, borne back ceaselessly into the past."(p.189).とあるが、今という現実を懸命に生きること、それが、私たち人間の宿命なのかもしれない。 |
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