Seminar Paper 2000

Yoshiko Kozakai

First Created on January 9, 2001
Last revised on January 9, 2001

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The Great Gatsbyの女性たち
フィッツジェラルドにとって最上の女性―デイジー

    デイジーは、男を惹きつける魅力的な女性として登場している。では、この作品に登場する多くの男たちは、デイジーのどこに惹かれたのだろうか。デイジーの美しさでもあるだろうが、彼女の一番の魅力は「声」である。デイジーの声に関する描写がとても多い。彼女の声が、魔力を持っているかのように男を翻弄している様子がよくわかる。"I've heard it said that Daisy's murmur was only to make people lean toward her;"(p. 13)という、彼女の声のうわさがたつほど、デイジーの声は魅力的でる。また語り手のニック自身も、デイジーの声を次のように評価している。

"I looked back at my cousin who began to ask me questions in her low, thrilling voice. It was the kind of voice that the ear follows up and down as if each speech is an arrangement of notes that will never be played again. Her face was sad and lovely with bright things in it, bright eyes and a bright passionate mouth―but there was an excitement in her voice that men who had cared for her found difficult to forget: a singing compulsion, a whispered "Listen," a promise that she had done gay, exciting things just a while since and that there were gay, exciting things hovering in the next hour.(p. 14)
"her voice compelled me forward breathlessly as I listened―"(p. 18)

つまり、デイジーに恋心を抱いていない男でさえ、惹かれてしまうような声をデイジーは持っていたのである。     またジョーダンは、デイジーとギャッツビー、デイジーとトムの恋の話をニックにした後、"Perhaps Daisy never went in for amour at all−and yet there's something in that voice of hers...."(p. 82) と言っている。そのことからもわかるように、男だけでなく女から見ても、デイジーは相手を誘惑しているかのような声で男性と接していたのである。

    他の多数の男にもれず、ギャッツビーもデイジーの声のとりことなっていた。それはギャッツビーが念願のデイジーとの再会を果たした場面からわかる。

"His hand took hold of hers and as she said something low in his ear he turned toward her with a rush of emotion. I think that voice held him most with its fluctuating, feverish warmth because it couldn't be over-dreamed−that voice was a deathless song."(p. 101)

    そして、ギャッツビーがデイジーの声を"full of money," (p. 127) と評価したのは興味深い点である。ギャッツビーにとってデイジーとは、"money"を含めて憧れの存在であったのだ。また、"That was it. I'd never understood before."(p. 127) からわかるように、ニックもギャッツビーの評価で、デイジーの声の魅力の素がやっとわかったのである。そしてそのあとニックはデイジーをこう評価している。

"It was full of money―that was inexhaustible charm the rose and fell in it, the jingle of it, the cymbals' song of it....High in a white palace the king's daughter, the golden girl...."(p. 127)

そしてその女性こそが、ギャッツビーの夢となり、ギャッツビーが命をかけて愛情を注いだ女性なのである。もしかしたらギャッツビーは、金がなく自分のものにできなかった女が、金の詰まった声の持ち主であることを、ロマンティックに考えたのかもしれない。そしてギャッツビーは"money" を求めて生きたのである。

    私がこの作品を読んでいて不思議に思うことは、なぜデイジーはジョーダンに嫌われなかったのかという点である。普通、男性をそそのかすような女は、同姓から嫌われるだろう。そういった女の嫉妬ともいうべき感情は、昔も今も変わらないと考えられる。ジョーダンに「彼女のあの声には何かある」と思わせておきながら、"I was fluttered that she wanted to speak to me because of all the older girls I admired her most."(p.p.80-81) と崇拝させていたのはなぜなのだろうか。お金持ちで、美しく、女性の憧れているものを全て持った女性であるからだろうか。確かにそれによって崇拝の対象になるが、逆にねたみの対象にもなりうる。しかもデイジーはお金持ちのお嬢様らしいわがままな性格である。ただ単に、ジョーダンがデイジーの誘惑の声による被害者にならなかったために、デイジーを崇拝していられたのかもしれないが、一番の理由は、彼女の「無邪気さ」であるだろう。デイジーは、美しいもの、楽しいものに素直に惹かれるのである。例えば、初めてギャッツビーのパーティに行ったときも、"These things excited me so,"(p. 111) とニックにささやいたり、ある映画スターを美しいと褒め称え、"`I like her,' said Daisy. `I think she's lovely.'"(p. 113) と言ったりしている。また、ギャッツビーの家を初めて訪れたときは、ギャッツビーが夢に描いた通り、もしくはそれ以上の無邪気さと素直さが表われている。ギャッツビーの家の物を全て褒め、ギャッツビーの寝室では、"Daisy took the brush with delight and smoothed her hair,"(p.97) と、髪をとかしてギャッツビーを笑わせた。そして、ギャッツビーのワイシャツを見たデイジーは、彼女にしかできない反応をしたのだ。

"Suddenly with a strained sound Daisy bent her head into the shirts and began to cry stormily. `They're such beautiful shirts,' she sobbed, her voice muffled in the thick folds. `It makes me sad because I've never seen such―such beautiful shirts before.'"(p. 98)

ここでのデイジーは、単に美しいものに感動して泣いたと言うよりは、こんなに素敵な物を手に入れるだけの財力を持ったギャッツビーに感動したのだろう。

    しかしデイジーは無邪気であるがために、軽率でもあった。特に動揺すると何も考えずに話したり行動したりする。ニックに突然"You remind me of a―of a rose, an absolute rose."(p. 19) と言ったり、ギャッツビーに子供を見せたり、ギャッツビーの前でトムとの結婚話で盛り上がったりする。また、トムの前でギャッツビーに、"She had told him that she loved him,"(p.125) かのように、"`you look so cool.'"(p.125) と言ったりもする。そのため、それまで褒め称えられたデイジーの声は、ニックに"She's got an indiscreet voice," (p. 127) と、非難されてしまう。また事件の日は、あまりにも暑かったため、いつもよりもデイジーの行動はめちゃくちゃであった。

"`What'll we do with ourselves this afternoon,' cried Daisy, `and the day after that, and the next thirty years?' `Don't be morbid,' Jordan said. `Life starts all over again when it gets crisp in the fall.'"(p.125)

この部分は、デイジーの軽率さとジョーダンの冷静さが、よく表われている部分である。これからどうなるかは、ギャッツビーがデイジーに聞きたい状況であるのにもかかわらず、そんなことを平気で言ってしまうのである。そしてプラザホテルでギャッツビーとトムがもめてやっと自分が、"a beautiful little fool"(p. 21) の女であることに気づくのだ。そしてそのときデイジーがとった行動は、"Her eyes fell on Jordan and me with a sort of appeal,"(p. 139) である。結局お嬢様は自分ひとりでは何もできず、困ったら人に頼るという習性が出来上がってしまっているのだ。それに比べてジョーダンは、"there was Jordan beside me who, unlike Daisy, was too wise ever to carry well-forgotten dreams from age to age."(p. 143)とニックに思われるほど、賢い女なのである。しかしジョーダンは賢いというよりは、ずる賢く、"dishonest"(p. 63) な女である。冷ややかで高慢な微笑みをするために、彼女は不誠実であった。デイジーもジョーダンも"careless" であるが、二人の違いは、何も考えていないか、考えているかの違いである。

    1920年代はアメリカ全盛期の時代である。フラッパーを代表したデイジー、女性の進出を目指すジョーダン、金持ちに憧れ見栄を張るマートル、パーティに明け暮れる女たち。そして、アメリカンドリームを信じるギャッツビー、女性の進出を馬鹿にするトム、一人の女も愛せないニック、妻の言いなりのウィルソン、酒目当ての男たち。彼らはこの時代だからこそ存在しているのである。しかし、今も昔も変わらないものがあるとしたら、「男が女のことを理解することは不可能である」ということだ。"Sometimes she and Miss Baker talked at once, unobtrusively and with a bantering inconsequence that was never quite chatter,"(p.p. 16-17) や、"`I don't see the idea of going to town,' ... `Women get these notions in their heads−'"(p.126) などからそれがわかる。だから、このような物語が誕生するのである。

    デイジーは、フィッツジェラルドが愛した女性そのままである。男の気を存分に惹きつけるような女性を、フィッツジェラルドは愛した。学生時代の恋人ジニブラも、妻のゼルダもそういったタイプの女性であった。しかし、妻ゼルダとデイジーの決定的な違いは「酒」である。"... she came out with an absolutely perfect reputation. Perhaps because she didn't drink."(p. 82) と書いてあり、また、"`Never had a drink before... "(p. 81) と本人も言っている。確かにデイジーが酔っ払っているのは、この場面だけである。デイジーは酒を飲まない人だということをここまで強調しているということは、ゼルダが酒を飲むことに耐えられなかったのかもしれない。もしくは、自分が酒なしではだめでありながら、酒が入った時の不祥事があまりにも多く、ひどかったため、自分自身が酒に手を出したことを後悔しているのかもしれない。いずれにせよデイジーが、ギャッツビーだけでなく、ギャッツビー以上にフィッツジェラルドの理想の女性を指していることは確かである。そのため、フィッツジェラルドはギャッツビーと同じような、波乱万丈の人生を送った。"What'll we do with ourselves the next thirty years?" の言葉が重要な意味を持つ気がしてならない。この作品を出版後、わずか15年でフィッツジェラルドはこの世を去る。リスクの高い女性を愛してしまった男の結末は、決して輝かしいものではなかった。"Gatsby turned out all right"(p.6) とは、まるでフィッツジェラルド自身に言い聞かせているようである。


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