Seminar Paper 99

MAI NAKANISHI

First Created on January 9, 2001
Last revised on January 9, 2001

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「THE GREAT GATSBYとAMERICAN DREAM」
アメリカの夢の消滅

「The Great Gatsby」は、フィッツジェラルドによって書かれた小説の中でもアメリカを代表する大変優れた作品といわれる。その作品中に流れる空気は、発行された当時の1920年代のアメリカ、第一次世界大戦が終わった後の希望の時代、誰もがアメリカンドリームを信じて一攫千金を夢見た時代を色濃く残す。それを反映して、内容はトリマルキオ(成り上がりもの)の物語で、禁酒法や株式投機、ギャングの暗躍などの背景が複雑の絡み合った構成を持っている。この作品が今でも人々を惹きつけるわけは、やはりそのテーマが最もアメリカらしいからであろう。

この物語の語り手を担うニック・キャラウェイの目を通してこの物語は進んでいくことになる。フィッツジェラルドは、公正な立場からの視点を持つナレーターに一人称で語らせることにより、エドマンド・ウィルソンが指摘する「ロマンティックであると同時にロマンスに対してシニカルである」という作者の性質をうまく使い分けている。ニックはこの二重性を持ったアンビバレントな視点からこの作品を眺めつづけ、出来事に対して共感と反発を同時に持ち合わせる人物となっている。  

作品は、ニックがニューヨークでの体験を約2年ののちに回想しているという構造である。その思い出の中で唯一“the man who gives his name on this book, was exempt from my reaction”(p. 6)だったギャツビー。“an extraordinary gift for hope, a romantic readiness such asIhave never found in any other person and which it is not likelyIshall ever find again”(p. 6)という性質を体現した彼の見果てぬ夢とは何だったのか。  

証券会社に勤めるニックは、ニューヨークのロングアイランドのウェストエッグに居を構える。狭い入り江の向こうのはイーストエッグがあり、そこには彼のまたいとこのデイジーと大学時代の学友トム夫妻が豪奢な生活を送っていた。彼らの夕食に招かれたニックは、富裕階級の物質的豊かさと、田舎ものに対する威圧的な優越感を見せつけられるとともに、一方で精神的には荒んでいる様子を見てとる。同席していたデイジーの幼なじみジョーダンは、トムにはニューヨークに愛人がいて、そのせいで夫婦仲が悪いのだという。  

トムの情人マートルは、ニューヨークとウェストエッグの中間あたりの荒涼とした土地に自動車修理屋を営むジョージ・ウィルソンの妻である。彼女は甲斐性のない夫に決して満足せず、トムに対する希望を持ち続ける。つまり、トムとの結婚を夢見ているのだ。この場合、玉の輿に乗ることが彼女にとってのアメリカンドリームである。女性であるマートルの夢は、誰かによって叶えられなければならない、受身のものだ。しかし彼女は貪欲に積極的に、"vitality"によって自分の目的に近づこうとする。実際トムのアパートでのニックを交えたパーティーでは、まるで上流階級の仲間入りをしたかのような振る舞いをする。   

With the influence of the dress her personality had also undergone a change. The intense vitality that had been so remarkable in the garage was converted into impressive hauteur. Her laughter, her gestures, her assertions became more violently affected moment by moment and as she expanded the room grew smaller around her until she seemed to be revolving on a noisy, creaking pivot through the smoky air. (p. 35)

しかし彼女は、そのあまりの豊富な活力により、ただの情婦にすぎないという(自分より上流の男の側からの)現実的な視点から見た自分の立場をわきまえることができない。そのため物語の後半において、その夢の代償としてデイジーの運転する車によってひき殺される。

この物語の土台としての話に戻る。ニックが初めてギャツビーを見かけるのは、ブキャナン家に招かれた夜だった。名を聞き知るだけだったが、広大な庭に立つ人物を隣家の住人ギャツビーであることをみとめ声をかけようとすると、彼は入り江の対岸に見える緑の光へ向かって震える手を差し伸べた。この光こそ、ギャツビーが最後まで信じようとしていたものだった。デイジーの心が離れてしまったあとにも必死にとらえようとしたものだったのだ。

 夜の闇に包まれたようなギャツビーの正体は、ニックの周囲の人々により明らかにされてくる。そしてジョーダンによって、ギャツビーがかつての恋人デイジーとの再会を願っていることを知らされ、ニックは快く協力をする。5年前、財産も何もなかった軍人時代にギャツビーの“夢の実体”となって彼の手中にあったデイジーは、現在は彼女と同じ資産家階級出身のトムと結婚している。彼女を再び取り戻すため、ギャツビーは闇の世界のギャングのボスであるウルフシャイムと手を組み、様々な不正なる手段によって莫大な富を築き上げた。今では彼らと同じように財産がある。デイジーを受け入れる体制はすべて整ったのだ。    

では、ここで作品のテーマであるギャツビーの夢とは何だったかを考えてみたい。もともとの彼のスタート地点は立身出世、ノース・ダコタの貧しい農民の息子から大金持ちになることであった。彼は自分の現状を受け入れようとせず、“現実の非現実性”を信じて夢の実現に励む。

He was a son of God─a phrase which, if it means anything, means just that─and he must be about His Father's Business, the service of a vast, vulgar and meretricious beauty. So he invented just the sort of Jay Gatsby that a seventeen year old boy would be likely to invent, and to this conception he was faithful to the end. (p. 104)

こうして“神の子として神の御業に従事する”ことになった彼は、夜の力を借りて創られたジェイ・ギャツビーと名前を変えて着実に夢に近づくことになる。

But his heart was in a constant, turbulent riot. The most grotesque and fantastic conceits haunted him in his bed at night. A universe of ineffable gaudiness spun itself out in his brain while the clock ticked on the wash-stand and the moon soaked with wet light his tangled clothes upon the floor. Each night he added to the pattern of his fancies until drowsiness closed down upon some vivid scene with an oblivious embrace. For a while these reveries provided an outlet for his imagination; they were a satisfactory hit of the unreality of reality, a promise that the rock of the world was founded securely on a fairy's wing. (p. 105)

しかし、戦争という大きな時代の変化が立ちはだかった。軍に入隊し、戦地での功績のおかげで出世の階段を上るにしたがって、彼は以前のよりもっと広い世界があることを知る。そこでギャツビーはデイジーという“良家の娘”に出会い、そのすてきな存在引きつけられ、彼女が彼の夢をもっとすばらしいものにしてくれるという幻想にとらわれてしまったのだ。それはデイジーの富とか、富裕階級の暮らし振りとかいったものによるが、ギャツビーの心を最もつかんだものは、彼女の魅力的な声だった。

"Her voice is full of money," he said suddenly. That was it. I'd never understood before. It was full of money─that was the inexhaustible charm that rose and fell in it, the jingle of it, the cymbals' song of it…High in a white palace the king's daughter, the golden girl… (p. 127)
 

しかも自分の力の及ばぬ何ものかの具体的な姿を求めていた彼にとっては、彼の夢が彼女自身に具現化され実体化されることによって、夢が現実のものになったと思ったのだ。

 この時点で、ギャツビーは当初の目的とは違うところを見ている。そしてそこが彼の人生を待ち受けていた罠だった。

He talked a lot about the past and I gathered that he wanted to recover something, some idea of himself perhaps, that had gone into loving Daisy. His life had been confused and disordered since then, … (p. 117)
 

ではギャツビーの夢の問題点とはなんだったのか。表面的なストーリーのみを追えば、結局貧乏人は金持ちとは結婚できないということである。これは作者フィッツジェラルド自身の体験とも重ねることができる。(最終的には作者は結婚できたのだが)しかしもっといえば、それはギャツビーの時間的感覚の欠如とそれを抜きにしても自分の夢を叶えられると信じているイノセントな心によるものである。それは時にとても幼稚で自分勝手な行動として現れる。彼はこの5年間で築いた富の力によってデイジーの失われた愛を取り戻そうとした。しかしそれはギャツビーの側のみで行われていたことで、その部分はデイジーと共有されたものではない。つまり、目的は彼自身の過去を取り戻すことのみにあったのだ。

"Can't repeat the past? " He cried incredulously. "Why of course you can!" He looked around him wildly, as if the past were lurking here in the shadow of his house, just out of reach of his hand. (p. 117)

昔のデイジーとなにかちがうと思いつつ、“過去は繰り返せる”と信じるイノセンスを持つギャツビーは、夜の闇の中に彼の夢が潜んでいるかのようにあたりを見回す。夜は5年前の彼の夢がそのまま生き続けている場所なのだ。デイジーがこの間変わっていないという前提で彼の夢は存在しうる。だからブキャナン家でデイジーの娘を見せられた時、その子を意外そうにながめやり、その存在をすぐには認識できなかったのだ。しかし彼女にとってトムとのこの数年間という時間、また結婚当初トムを愛していたという過去は否定しえない事実なのである。  

ギャツビーと対照的に、デイジーは現実の世界に生きている。そして、ウェストエッグの住人らしい価値基準を持ち、目的のない空虚な生活を送っている。彼女はかつての“white girlhood”から忠実に道をたどって金持ちの青年トムと結婚した時、すでに夢をあきらめてしまっていた。その時点で彼女は“ロマンティックなものを完全に失って”いる。(p.115)それはギャツビーと共有していたイノセントな感情の部分においてである。実際トムの浮気によって現実への幻滅をあじわわされたりしている。だから彼女はギャツビーのパーティーで、

She was appalled by West Egg, this unprecedented "place" that Broadway had begotten upon a Long Island fishing village─appalled by its raw vigor that chafed under the old euphemisms and by the too obtrusive fate that herded its inhabitants along a short cut from nothing to nothing. She saw something awful in the very simplicity she failed to understand.

単純さ、素朴さのなかに何か恐ろしいものを見出したのだ。それをプラザホテルにおけるトムとギャツビーとの論争によって決定的にみせつけられる。そこで初めてもはやただの演技ではない、結果を伴った行動をとっていたことに気づく(p.139)。 ギャツビーの彼女の愛を一途に求めるイノセンスと表裏一体であるウェストエッグのあの恐ろしいものを直視させられたデイジーは、再びトムと住みなれた世界へ引きこもってしまう。自分のしていたことを再認識してみると、彼女は今の裕福な結婚生活を捨ててギャツビーとの愛に生きるほどロマンティックな心を持ち合わせてはいなかったのだ。そこにギャツビーのように希望を見出せない自分が露呈し、彼の世界の住人とはなりえなかったのだ。

And all the time something within her was crying for a decision. She wanted her life shaped now, immediately─and the decision must be made by some force─of love, of money, of unquestionable practicality─that was close at hand.
  

そして、金持ち特有の無責任さと自分勝手さで、ギャツビーひとりを置き去りにし自分の世界へと逃げていく。    

トムの悪意によってはかなく夢を砕かれてしまったジェイ・ギャツビーは、もはや昔の彼自身であるジェイムズ・ギャッツに戻るしかなくなってしまった。ようやく彼の抱いていた幻想が不可能なものだったと気づいた時、過去5年間のギャツビーとしての人生は、今まったくの塵と化して崩れ去ったのだ。

He must have looked up at an unfamiliar sky through frightening leaves and shivered as he found what a grotesque thing a rose is and how raw the sunlight was upon the scarcely created grass. A new world, material without being real,─

目に映るすべてのものがグロテスクに見えるのは、彼が今までの5年間生きてきた夜の夢の世界が壊され、そこにしがみついていたギャツビーは昼の日光の中に否応なく放り出されてしまったからだ。“現実の非現実性”を信じていた彼にとっては夜の世界こそが現実であった。  

それでもなお、彼はデイジーに尽くそうとする。ホテルでの口論の帰り、興奮したデイジーの運転するギャツビーの車がマートルをひき殺してしまうが、自分が身代わりになって彼女をかばおうとする。彼はこの時点で自分が夢を妥協したことに気づいていた。

He knew that when he kissed this girl, and forever wed his unutterable visions to her perishable breath, his mind would never romp again like the mind of God. So he waited, listening for a moment longer to the tuning fork that had been struck upon a star. (p.117)

デイジーが彼の夢に値する女性でありうるかはわからなかった。でも彼女には“金にあふれた声”があった。そして、

…Gatsby was overwhelmingly aware of the youth and mystery that wealth imprisons and preserves, of the freshness of many clothes and of Daisy, gleaming like silver, safe and proud above the hot struggles of the poor. (p. 157)

富の力に取り巻かれていることのすごさを思い知らされたギャツビーは、当初の思惑とはうらはらに“野心などどこかへ行ってしまって、どんどん恋の深みにはまってしまった”(p.157) のである。

 ここで物語は最後の展開を見せる。トムからひき逃げ犯はギャツビーだと聞かされたジョージ・ウィルソンが(浮気相手も彼だと思い込んでいる)、プールで浮かぶギャツビーを銃で狙撃しのち自殺する。起こるべくして起きた悲劇であった。しかし結局、ギャツビーは昼の光の下では生きていけなかったのだ。昼間の明るさの中で、昼の現実の世界の人間であるジョージに殺害されたというのは印象的である。彼はその夢とともに消え去る運命にあったのだ。    

ギャツビーの死後、ブキャナン夫妻ら金持ち連中の理不尽さや、それをとりまく東部の都会の堕落に幻滅したニックは、再び西部へ帰る決心をする。

I couldn't forgive him or like him but I saw that what he had done was, to him, entirely justified. It was all very careless and confused. They were careless people, Tom, and Daisy―they smashed up things and creatures and then retreated back into their money or their vast carelessness or whatever it was that kept them together, and let other people clean up the mess they had made…

かつてニックの憧れだった都会生活には“常にいびつな要素”がつきまとい、そこに存在するものすべてがゆがんで見える。上流階級の金によって守り固められている不注意さや無責任さ、そしてたとえ人を殺してもそれが許されてしまう東部社会の醜悪さにギャツビーはイノセントな心のままで挑戦し、無残に葬られたのだ。  

 最後の夜、ニックはギャツビーの巨大ながらんどうの屋敷を見に行き、彼が初めてデイジーの家の桟橋にきらめく緑の光を見つけたときの気持ちに思いをはせる。それはそのまま、かつてオランダ人たちがアメリカ大陸を発見したときの“新世界の新鮮な緑の胸”のイメージへと拡大される。

Gradually I became aware of the old island here that flowered once for Dutch sailors' eyes―a fresh, green breast of the new world. Its vanishes trees, the trees that had made way for Gatsby's house, had once pandered in whispers to the last and greatest of all human dreams; for a transitory enchanted moment man must have held his breath in the presence of this continent, compelled into an aesthetic contemplation he neither understood nor desired, face to face for the last time in history with something commensurate to his capacity for wonder.

ギャツビーは、オランダの船乗りたちと同じ“驚異を求める欲求”を持っていたのだ。そして緑の光を信じつづけたことにおいて、彼は“偉大”であった。しかしその光は結局、彼の夜の夢の中でしか明るく光ることはなかった。 この物語の最後において、デイジーはアメリカの夢の象徴に、ギャツビーは新大陸に夢を託したアメリカ人の典型に置き換えることができるだろう。ギャツビーは、ニックと知り合った当初に、

"What part of the middle-west?" I inquired casually. "San Francisco." "I see." (p. 70)

という会話を交わしている。サンフランシスコはアメリカの最西部である。彼にとってのフロンティアは、まだ極西にはなくてあくまで“中西部の”サンフランシスコにあった。さらに開拓すべき西部は続いていたはずだったのだ。しかしこの時代、フロンティアはすでに消滅しており、アメリカンドリームを実現することは不可能だった。結局、夢は過去のものであり、夢破れたギャツビーはひとり死んでいく。これは、アメリカンドリームはすでに終わっていたことに気づかなかったアメリカ人の悲喜劇が、ギャツビーに体現された物語といえるのである。 


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