Seminar Paper 2000

Mai Takahashi

First Created on January 9, 2001
Last revised on January 16, 2001

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「GatbyとNick」
傷つきやすさと孤独感

    小説The Great Gatsby は次の冒頭で始まっている。"In my younger and more vulnerable years my father gave me some advice that I've been turning over in my mind."( p.5 )この時Nickは少なくとも三十歳ではあるのだから、自分の十代や二十代を指してyounger years というのは自然なことだろう。昔に比べて三十歳という年齢は確かにそれほど若くはないのだが、ではvulnerableということについてはどうだろうか。

    ある程度年齢を重ね大人になったら、十代、二十代のように傷ついてばかりいるのは大人気ない、というのはひとつの考え方として存在するが、実際のところ三十代になったからといって鉄のように強い心が急に手に入るわけではないだろう。いわば三十代というのは、若いときのようにいちいち傷ついてばかりはいられない、と意識し、いろんなことの修正に奮闘する、過渡期と言えるのではないだろうか。

    少なくともこの物語の語り手であるNickは、傷つきやすくナイーブな面を持ち続けている三十代である。

    Nickは大学を卒業した後、戦争に参加した、といっているが、そのことについての説明は少なく、彼の感想らしきものは次の一文のみである。"I enjoyed the counter‐raid so thoroughly that I came back restless."( p.7 ) 本当にNickは戦争を、侵略のやりとりを、面白い、楽しい、と感じていたのだろうか。だとしたら前述した彼のナイーブさ、傷つきやすさと矛盾するのではないだろうか。

    NickはGatsbyの葬式の後、故郷である中西部に帰ることを決める。その理由については、次のように述べられている。

        I see now that this has been a story of the West, after all―Tom and Gatsby, Daisy and I, were all Westerners, and perhaps we possessed some deficiency in common which made us subtly unadaptable to Eastern life.    
        Even when the East excited me most, even when I was most keenly aware of its superiority to the bored, sprawling, swollen towns beyond the Ohio, with their interminable inquisitions which spared only the children and the very old ―even then it had always for me a quality of distortion. West Egg especially still figures in my more fantastic dreams. I see it as a night scene by El Greco: a hundred of houses, at once conventional and grotesque, crouching under a sullen, overhanging sky and a lusterless moon. In the foreground four solemn men in dress suits are walking along the sideway with a stretcher on which lies a drunken woman in a white evening dress. Her hand, which dangles over the side, sparkles cold with jewels. Gravely the men turn in at a house―the wrong house. But no one knows the woman's name, and no one cares.
        After Gatsby's death the East was haunted for me like that, distorted beyond my eyes' power of correction. So when the blue smoke of brittle leaves was in the air and the wind blew the wet laundry stiff on the line I decided to come back home. ( p184,185 )

    この理由の語られ方を考えると、東部のあり方がgrotesqueというふうにNickに映り、自分はそれに合わないと感じたから東部を去るのであり、この物語の悲劇的な出来事すべての引き金であるニューヨークからの帰り道に起こった自動車事故は、その東部のグロテスクさを象徴する事例のうちのひとつにすぎないように思える。事実Nickははっきりと,自分が東部に惹かれたことを認めた上で、それにもかかわらずいつも東部に歪みを感じていた、"even then it had always for me a quality of distortion."と言っているのである。

    しかし、真犯人がDaisyであるという事実、また事故に関してのDaisyやTomの不誠実さ、Gatsby死後の周りの人々の不誠実さを知る前、単に自動車事故が起こりMartleというNickにとってはたった一度会っただけの、いとこの旦那の愛人が死んだという純粋な事実だけにもNickはかなり動揺していることが次の文章から分かる。自動車事故の現場に立ち寄った後Tomの家へいったん到着した時Nickは、JordanとTomにタクシーが来るまでの間中に入って一緒に夕食をとろう、と誘われ、次のように感じているのである。

        I was feeling a little sick and I wanted to be alone. But Jordan lingered for a moment more.
        "It's only half past nine." She said.
        I'd be damned if I'd go in; I'd had enough of all of them for one day and suddenly that included Jordan too. ( p.150 )

    事故を含むすべてのものが指し示す東部をグロテスク、と判断したことは確かであるが、やはりその中心にはあまりに無意味な死を遂げたMartleがいるように思えるのである。あるいはこの先東部がグロテスクであり続ける限り何度でも生まるであろう沢山のMartleがいるように思える。それは先に引用したNickが東部を去ろうと決める経緯にも表れているのではないだろうか。

    NickはWest Eggの夢を見るようになるのだが、それはひどく不吉で悲しい夢のようだ。その中に現れる、ストレッチャ―で運ばれ、誰にもその名を知ってもらえず、また誰にも名前など気にもかけられない a drunken woman in a white evening dressは、Martleなのではないだろうか。無意識の夢の中に出てくるほど、Nickはたいして思い入れもない、たった一度会っただけの友人の愛人である女の死に傷つき、悼んでいるのではないか。

    ここで戦争に対してのNickの感じ方の件に戻りたいのだが、今まで論じてきたことを考えると、あのあまりに短いNickの戦争体験の感想が強がりのように思えてくるのである。つまりひとりの愛してもいない女の死に動揺するような人間が、より無意味で無差別で大量の殺人を意味する戦争を楽しい、面白いなどと感じるだろうか。あるいは私はこう思うのである。Nickは戦争という体験に傷ついていたのではないだろうか。彼は十分に傷ついていて、だからこそたったの一文で、しかもenjoyedという軽い言葉で済ませたかったのではないだろうか。

    ここまでNickの持つ傷つきやすさについてろんじてきたが、次にNickの孤独、疎外感について考えたい。Nickは確かに孤独を感じていて、彼自身物語中そう言っている。そして彼は自分の孤独と同じものを、夕闇の中たったひとりでこれからくる夜を迎えようとしている街中の事務員に見つけ、自分を重ねたりする。あるいは街中の女の子の後を追い彼女のアパートのドアのところで微笑みかけられ彼女が部屋に消えてしまうまで見送る、という空想を楽しんだりする。これらのこと自体は、一般的に考えて淋しい、孤独だといってよいだろう。故郷から離れ、独り身ならば淋しくもなるだろう。しかし、このことを語るパラグラフは次のように始まるのである。"I began to like New York, the racy, adventurous feel of it at night and the satisfaction that the constant flicker of men and women and machines gives to the restless eye." (p61)孤独であるにもかかわらず、Nickはニューヨークが好きだと言っているのである。それは勿論東部にくらべ、田舎特有の煩わしさ―"interminable inquisitions which spare only the children and the very old"(p185)がないという都会の良い点に対する、容易い引き換え条件としての孤独だから、というのもひとつの理由として挙げられる。しかしその理由はNickが東部に来て周りの誰とも本当に深い関係におちない、とくに恋愛関係におちない理由にはならない。その点Nickは意図的に孤独を選んでいるように見えるのである。

    例えば、Nickが本当に付き合いたいと思ったら、Jordan にしろジャージー・シティーに住む会計係の女の子にしろ、それは可能であったはずである。特にJordanに関しては、普通の人なら自分は彼女が好きだと思う程度には十分惹かれていたはずだ。しかし結局のところ、Jordanが最後にNickと会って話したとき" Nevertheless you did throw me over." (p186) と言ったように、Nick自身が切り捨てているのである。そのことはNick自身も分かっていて、Gatsbyのパーティーからの車での帰り道、隣にいるJordanから好きだと言われた後次のように言っている。

        Her grey sun‐strained eyes stared straight ahead, but she had deliberately shifted our relationships, and for a moment I thought I loved her. But I am slow thinking and full of interior rules that act as brakes on my desires, and I knew that first I had to get myself definitely out of that tangle back home. (p63)

    そのNickの欲望をいつも押しとどめてしまうブレーキになっているもの、つまり" interior rules"とは、物語中彼が常に守っている道徳的な節度であり、救いようもなく嘘つきなJordanを捨てさせたものであり、最後に彼女と話すのをawkward, unpleasant と感じながらも"I wanted leave things in order." と考えさせ、きちんとけりをつけさせたものであり、冒頭でNickの父親が言ったNickが持っていて他の人が持っていない"advantages"なのだろう。とくにJordanについては、" Dishonesty in a woman is a thing you never blame deeply"(p63) などと読者に対して寛容であるかのようなことを言っておいて、やはり許せなかった。あるいは寛容なふりをしたのではなく、自分にそう言い聞かせ許そうとしていたのかもしれない。だとしたら悲しいが、結局のところそういう曖昧な態度が彼女を傷つけたのである。彼女は最後に“I thought you were rather a straightforward person. I thought it was your secret pride."と言ってNickを責めているが、今まで論じた通りに考えると、何に対してNickがstraightforwardでない、と責めているのかが分かる。JordanはNickが自分の欲望、ここでは恋心に正直でない、と責めているのではないだろうか。それに対してNickの答えはあまりにはっきりしている。

    " I'm thirty," I said. "I'm five years too old to lie to myself and call it honer."(p186) 自分に嘘はつけない、つまり" interior rules" は破れない、と断言しているのである。

    つまり彼は父の忠告とまったく逆のことをしていることになる。父はadvantagesがあるからこそ、人を批判するな、と言っているのに対し、Nickは自分の道徳的美徳に意識的ではあるが、それを基準に人を判断し、(つまりreserve all judgements など初めから最後までしていないのである)その結果切り捨てているのである。だからこそNickは孤独なのであり、どうすればそこから抜け出せるか知っていながら、自分の美徳だけは譲れずにいるので、そのことが彼が自ら孤独を選んでいるように見せている。

    先にNickはreserve all judgements,すべての判断を控える、なんてことはしていない、と述べたが、そこにはGatsbyという例外がある。Gatsbyのあきれるようなセンチメンタルさ、けばけばしさなどにうんざりしたり軽蔑したり心のなかで冷笑したりしながらも、NickはGatsbyを切り捨てない。それはなぜかというと、次の文章に尽きるだろう。

        "If personality is an unbroken series of successful gestures, then there was something gorgeous about him, some heightened sensitivity to the promise of life."

" it was an extraordinary gift for hope, a romantic readiness such as I have never found in any other person and which it is not likely I shall find again."(p6)

        NickはGatsbyの持っている何かを、自分にはないもの、あるいは失ってしまったものだと認識していて、だからこそそれに強く惹かれ、憧れのような感情をいだくのである。では、その自分にはなく、Gatsbyにあるものとは何か。Gastbyが五年前の秋のある晩、Daisyにキスをした話をした後、Nickはこう語っている。

        Through all he said, even though his appalling sentimentality, I was remind of something―an elusive rhythm, a fragment of lost words, that I had heard somewhere a long time ago. For a moment a phrase tried to take shape in my mouth and my lips parted like a dump man's, as though there was more struggling upon them than a wisp of startled air. But they made no sound and I had almost remembered was uncommunicative forever.(p118)

    GatsbyがDaisyに深く恋することができること、またその願いが叶うと信じることができること、願いを叶えるためにすべてを賭けて生きようと専心できることに対し、Nickは自分にないものを感じ惹かれ、憧れるのである。Nickのこの想いは、ある種恋愛感情に近いものがある。しかし先にも述べたようにNickはGatsbyに対して、そのけばけばしさに軽蔑を感じている上に、その打ち明け話のあちこちに、今までのveteran boresと同様、plagiaristic(どこかから盗んできたような、ありきたりな)な表現にへきえきし、また彼のセンチメンタルさも気に入らないらしい。私はそのことがNickの恋愛感情が成立するのを防ぐ障害になっているのだと思う。そのかわり、そこには友情が成立する。

    そのようにGatsbyに対し思い入れをもつことができるNickによって語られるからこそGatsbyの人生は美化され、あたかも美しい青春を生き抜いたヒーローのような印象を与えることができるのではないだろうか。Nickのこの小説における最大の役割は、読者に真実を伝えることではなく、いかにGatsbyを偉大に、華麗に見せるかということにある。


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