Seminar Paper 2000

Chie Torii

First Created on January 9, 2001
Last revised on January 9, 2001

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The Great Gatsby と American Dream」
夢の崩壊

       

    The Great Gatsbyという物語は、主人公ギャツビーの夢を中心に書かれた物語であり、そこには作者フィツジェラルドにとっての「アメリカンドリーム」が覗え、ギャツビーの夢とアメリカの成功の夢を重ねて書いている。

    フィツジェラルドがThe Great Gatsbyで書いた「アメリカンドリーム」とは、万人にとっての機会均等、出目にかかわらず人生の階段を登ってゆく願望のことで「成功の夢」である。その成功とは物質的・社会的成功のことをいい、簡潔にいえば、裕福になるということである。ギャツビーがこの種の夢を抱いており、ギャツビーの葬式に参列するためにやってきた彼の父親が持ってきた幼少期の「時間割」と「誓」が、それを明らかにしている。

  " GENERAL RESOLVES
No wasting time at Shafters or [a name, indecipherable]
No more smoking or chewing
Bath every other day
Read one improving book or magazine per week
Save $5.00 [crossed out] $3.00 per week
Be better to parents " (p. 181)

    この「誓」から、強い決意と独立独行の精神を持ち、激しい労働の末に立身出世するフランクリン的成功者の特徴を、すでに少年のギャツビー(ギャッツ)に見出すことができる。このような貧民層で生まれ育った青年ギャツビーが豪勢な邸宅を構えるまでに成功する話は、もはやギャツビー個人の成功物語ではなく、アメリカの成功の夢の話となっている。さらにギャツビーにおける夢は、「アメリカの夢」との関連で、アメリカの歴史と結びついているようにみえる。開拓者の夢に始まり、フランクリンの流れをくむ成功の夢、あらゆる手段を用いて富を手に入れる「追いはぎ成金」の夢と多様な面を持ち、アメリカ文化に深く根付いた夢である。

    ギャツビーほど強烈ではないにしろ、ニックも同様に「成功の夢」を抱いていた人物である。彼は生まれ故郷を "Instead of being the warm center of the world the middle-west now seemed like the ragged edge of the universe"(p. 7)と感じ"The warm center of the world"(p. 7)であるニューヨークに出て来る。彼は購入した銀行業務や投資信託に関する本について、 "I bought a dozen volumes on banking and credit and investment securities and they stood on my shelf in red and gold like new money form the mint, promising to unfold the shining secrets that only Midas and Morgan and Maecenas knew."(p. 8)と語っている。このように、ニック本人はそれを明示しないが、確かに彼も社会的・物質的成功に対する憧憬を抱いているのである。

    ニックとは違い、「American Dream」の達成者として書かれているのが、富豪コーディである。度重なるゴールドラッシュにより成功し "many time a millionaire"(p.105)となったが、"physically robust but on the verge of softmindedness"(p.105)であり、金をとろうとする女達から逃れるために、死ぬまで航海をする。フィツジェラルドは成功者をこのような惨めな姿で書いている。

    これらのギャツビーやニックが抱いていた夢からもわかるように、この物語の中で「American Dream」は富や地位を得て成功することとして書かれている。さらにフィツジェラルドはギャツビーの夢をアメリカの成功の神話と重ね合わせている。ニックは最後の場面でギャツビーが抱いた憧憬と初めて新大陸を目にしたオランダの船乗りが感じたであろうものとの類似性を認めている。

    このThe Great Gatsbyの中では主人公ギャツビーの夢と崩壊が描かれているが、そのギャツビーが抱いた夢を詳しく分析していきたいと思う。まずギャツビーは2つの夢を持っていたといえるであろう。第一はフィツジェラルドが「American Dream」として描いた「成功して富を得る夢」、第二の夢は五年前に貧しさのために失った恋人デイジーを取り戻すことである。彼は始めに社会的な成功・物質的な価値に強く心を奪われた人物であるが、しかし富が可能にする生活に強く魅惑されていたものの、金銭的・物質的価値にのみ囚われて、蓄財に明け暮れていたわけではない。第一の夢は少年の頃から抱きつづけていたのもでもあったが、第二の夢をかなえる為にさらに不可決なものとなったのである。

    ギャツビーが五年前に出会ったデイジーは "High in a white palace the King's daughter, the golden girl" (p. 127)であり "Her voice is full of money"(p. 127)だった。そのため彼は持たざるものは金持ちの娘と結婚できないという彼の生きる社会の掟、彼とデイジーとの間に横たわる超えがたい障壁に突き当たった。戦争で前線に送られている間にデイジーが "came down with a hundred people in four private cars and hired a whole floor of the Seelbach Hotel, and the day before the wedding he gave her a string of pearls valued at three hundred and fifty thousands dollars"(p. 80)ほど大金持ちのトムと結婚したためである。そこでギャツビーは、デイジーは彼女が生きる価値観に強く条件づけられており、華美豪奢な生活が失われた愛の回復には不可欠だと感じ、それ以降一心に富を築くことになった。ギャツビーがデイジーのために富を築いたのは、デイジーが初めて彼の邸宅を訪れた時に "He hadn't once ceased looking at Daisy and I think he revalued everything in his house according to the measure of response it drew from her well-loved eyes."(p. 96)していたことからも読みとれる。しかし、この夢そのものが幻影であり、もともと崩壊する要素をもっていることに、彼自身は気づいているはずもなかった。

    ギャツビーの夢の問題点としてはニ点挙げられる。第一にデイジーに自分の夢を具現化し、さらに彼女を理想化していたこと。ジェームス・ギャッツが自分の理想観念からジェイ・ギャツビーという人間像を創り出したように、その想像力で魅惑の世界を創り出し、その夢をデイジーに具現化したのである。ニックに "a romantic readiness such as I have never found in any other person and which it is not likely I shall ever find again"(p. 6) を有していると評されるギャツビーは、その浪漫的心情ゆえに具現化・理想化が可能だったのである。当初冒険心旺盛な青年将校と駐屯地近隣の両家の娘の気紛れな恋に過ぎなかった二人の関係だが、ある日の体験がギャツビーに具現化・理想化をさせた。

"His heart beat faster and faster as Daisy's white face came up to his own. He knew that when he kissed this girl, and forever wed his unutterable visions to her perishable breath, his mind would never romp again like the mind of God. So he waited, listening for moment longer to the tuning fork that had been struck upon a star. Then he kissed her. At his lips' touch she blossomed for him like a flower and the incarnation was complete."(p. 117)

    ギャツビーにとってデイジーこそ、一方で物質的成功を望み、他方で限りなく浪漫的であるギャツビーの求めに、完璧に答える存在になったのである。しかし、このギャツビーの憧憬は本来一個人に担いきれるようなものではなかった。やっとデイジーとの再会を果たした時のギャツビーを、ニックは次のように観察している。

"As I went over to say goodbye I saw that the expression of bewilderment hadcome back into Gatsby's face, as though a faint doubt had occurred to him as to the quality of his present happiness. Almost five years! There must have been moments even that afternoon when Daisy tumbled short of his dreams- not through her own fault but because of the colossal vitality of his illusion. It had gone beyond her, beyond everything. He had thrown himself into it with a creative passion, adding to it all the time, decking it out with every bright feather that drifted his way. No amount of fire or freshness can challenge what a man will store up in his ghostly heart." (p. 101)

    このようにギャツビーが再会の後に困惑し疑念を抱いていることから、彼の夢の本質は "some idea of himself perhaps, that had gone into loving Daisy"(p. 117)ではないかと、ニックは憶測している。彼がデイジーに描いた幻影は彼の理想の中で限りなく膨れ上がりデイジー個人を超え、すべてを超えていた。つまりデイジーはギャツビーが望みながらも手の届かない何ものかの具体的な姿にすぎなかったのである。

    ギャツビーの夢の崩壊の第二の原因は、時間を無視していることにある。二人の最初の出会いから流れた五年という年月は、ギャツビーには無に等しい。再会して間もない頃、 "You can't repeat the past.(p. 116)"と忠告するニックに、ギャツビーは "Can't repeat the past?" "Of course you can!(p. 116)"と断言している。しかしデイジーとの再会以来幾度も現実にぶつかるのである。例えばデイジーの家で初めて彼女の子供を見たときのギャツビーは "learned down and took the small reluctant hand. Afterward he kept looking at the child with surprise.(p. 123)"となっており、この様子をニックは "I don't think he had ever really believed in its existence before.(p. 123)"と見ている。またギャツビーの浪漫的心情は五年間の空白を無視し、人の心が五年前も現在も同じであると信じて疑わない。それは4人で遊びに行ったプラザホテルにおける "Just tell him the truth―that you never love him―and it's all wiped out forever. (p.139)"という発言から読みとれる。ギャツビーはデイジーに「夫を愛したことは一度もない」を言わせることによって時間の経過を抹消しようとしたのである。しかしデイジーはそんなギャツビーに向かって "I love you now―isn't that enough? I can't help what's past.(p. 139)"と抗議する。ギャツビーは時間の経過を無視し、五年前の時点からやり直そうとするが、その浪漫的夢はデイジーの現実主義にぶつかって砕けたのだ。彼の心は五年前の過去の夢と、夢が実現する将来のいつの日かにのみ向けられていたのである。

    このようにギャツビーはその浪漫的心情ゆえにデイジーを理想化し、二人の間に流れた五年間に目を向けようとしなかった。しかしデイジーはギャツビーが超えようとする現実にしっかり根をおろした存在だったのである。よってギャツビーの夢の問題点とは、最初から崩壊すべき要素をもった夢であったことだと言えるのである。


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