Seminar Paper 2000

Yoko Yasu

First Created on January 9, 2001
Last revised on January 9, 2001

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The Great Gatsbyの女性たち」
20年代が生んだ個性

  The Great Gatsbyは、1人の青年が昔の恋人を取り戻そうと野望を抱くが結局夢は叶わず破滅していくという悲しく切ない物語である。この物語の中で女性たちが演じる役割は大きく、しかも特徴的で奇抜な女性ばかりが登場してくる。彼女たちは一体何者なのか、なぜああいう性格なのか、を1人ずつ分析していき、最後に共通して見られる性質を見出し、この作品に見られる女性観を探ってみたいと思う。

  まずデイジーだが、彼女を一言で表現するとすれば「大人になりきれていない、薔薇のような華やかさを備えた女性」だと思う。きくほうが思わず耳を傾けてしまうような優雅でささやくような声を出して、男心をそそる。良家のお嬢様で、美人で愛想がいい。かと思うと突然何の脈絡もなくとんでもない話や提案をしたりと、わがままで感情的な面もある。第1章でニックに子供の話をする場面などは、デイジーの子供っぽさがよく表われている。トムが浮気をしているという事実が彼女を悲観的にさせているのだろうが、その感情を久しぶりに会った遠い親戚のニックにぶつけるのは、御門違いである。彼女は同情を誘おうとしてニックに甘えている。その後すぐに彼女はこんなことを言っている。

"You see I think everything's terrible anyhow," she went on in a convinced way. "Everybody thinks so――the most advanced people. And I know. I've been everywhere and seen everything and done everything." Her eyes flashed around her in a defiant way, rather like Tom's, and she laughed with thrilling scorn. "Sophisticated――God, I'm sophisticated!" (p. 21)
ここでデイジーは自らを「最先端を行く人」と言い、今では全てが退屈で嫌になっていると嘆いている。確かにデイジーのように上流階級の身分で暮らしている人には、体裁を気にしたりと華やかな見た目からは見えない苦労や悩みがあるかもしれない。しかしデイジーは深刻に悩んではいないだろう。むしろ金持ちであることに満足しているように見える。実際にニックにはこの言葉は単なる金持ちの自慢にしか聞こえなかった。
  ではなぜ金持ちがいいのか。それは金持ちが「安全な立場」だからである。彼女は大きな変化を恐れている。変化は彼女に困難をもたらすかもしれない存在で、その困難を乗り越える自信も意欲も彼女にはないからだ。だから彼女はあのような声を出し、誰からも咎められることのない女性を演じ、自らを守っている。ジョーダンが彼女の声について "there's something in that voice of hers...."(p. 82) と言っているが、そのsomethingとはこういう思いなのではないかと思った。また、彼女の声は "Her voice is full of money,"(p. 127)とも例えられている。これは、moneyには良い意味と悪い意味があり、良い意味では優雅さを、悪い意味では駆け引きや欲を表しているのではないかと思った。
  大きな変化を恐れるという彼女の思いがよく分かるのが "Please don't!"(p. 137)という言葉である。ギャツビーが核心に触れるようなことをトムに言おうとした時に、彼女の口から出た言葉である。この昼食会にギャツビーを招いたのはデイジーなのだから、招いたらこのようなことになることはギャツビーと話し合った時やまたは勘で判っていて、覚悟はできていたはずである。しかしいざとなると、トムとの関係を壊すという変化が彼女には大きすぎて怖くなってしまった。また、後半部分でデイジーの運転していた車がマートルをひいてしまって、デイジーは急いで車を走らせて逃げたという場面にも、彼女の変化を恐れる思いがよく出ている。彼女は社会的に見れば自分の問題を自分で解決できない、弱くて無責任な女性である。
  しかし、デイジーはギャツビーをあれほどまでに夢中にさせた女性である。きっと「恋をする相手」としては、素晴らしい女性であったにちがいない。実際にデイジーはギャツビーと再会してからロマンチストになった。 "I'd like to just get one of those pink clouds and put you in it and push you around."(p. 99)とギャツビーに囁いているくらいである。しかしロマンチックな気持ちというのは、時には周りを見えなくさせてしまうこともある。周りの常識では成金ギャツビーが怪しい仕事に携わっていることは明らかであるのに、デイジーはギャツビー本人から聞いた「ドラッグストアを経営している」という真実とは言えない話を信じ切っている。しかし、それは永遠に続くものではない。ギャツビーがデイジーに "I never loved him."(p. 139)と言わせようとした時、彼女はギャツビーの愛の重さに応えていけないことに、永遠にロマンチストではいられないことに気づき始めたのだろう。その後トムがギャツビーの正体を明らかにすると、彼女の心の中には困難への恐怖が広がり、ギャツビーのことはもう愛せないという結論に至ったのだろう。

  次にジョーダンだが、彼女は常に冷静。尊大な態度を保ち、懐疑的であり、時々軽蔑的な眼差しさえする。すらっとしていて姿勢も良く、プロゴルファーとして社会的に自立できている。しかしその尊大な態度の裏には、嘘をついたりしてごまかす不正直な性質があった。そしてそれに気づくような男性を避けていた。自分を守るために。

Jordan Baker instinctively avoided clever shrewd men and now I saw that this w as because she felt safer on a plane where any divergence from a code would be thought impossible.(p. 63)
恐らく彼女は幼い頃からこういう性格ではなかったであろう。東部に出てきて1人で生きていくためには、こうならざるを得なかったのだろう。 ジョーダンを最も上手に表現できている文はこれだろう。ニックの言葉である。
But there was Jordan beside me who, unlike Daisy, was too wise ever to carry  well-forgotten dreams from age to age.(p. 143)
彼女は「大人」だった。周りでどんな事が起ころうとも決して動じず、自分の中でうまくバランスを取り冷静でいることができる。トムとギャツビーとデイジーの修羅場に居合わせた時でさえ冷静を保てた。そして状況に応じて彼女の持っている多くの顔を使い分け、うまく世の中を渡っている。そして何より、彼女は夢を持たない。これが「大人」ということなのだろう。この物語に出てくる唯一の「大人」の女性である。上のニックの言葉の中でwiseが使われているが、これには「ずる賢い」というニックの大人への批判的な気持ちが込められている。

  次にマートルについて考えてみたい。彼女は冴えない夫に愛想を尽かし、トムの愛人になった。夫は彼女のことを愛してくれているのにも関わらず。そしてトムも結局はデイジーが一番で自分は遊び相手に過ぎないと気づいているのに。しかし彼女は叶わないと気づいていながらもトムと一緒になることを夢見ていたのだろう。正確に言えば、「トムと一緒になること」ではなく「財産・地位を手に入れること」を。トムと一緒にいる時のマートルは、くすぶりつづけた結果体内からあふれ出てくる生気を一気に発散するかのように、横柄な態度、暴力的、感情的になる。上流階級の女性を必死に演じようとする。長い間夢見てきたことがやっと実現したマートルは、この夢を手放したくないとでも思ったのだろう、彼女は家の中がいっぱいになるほど物を買いまくった。物こそがこの夢が実現した証拠にでもなるかのように。彼女は買った物を見て自分が金持ちだと確認し、自己満足をしたかったのだろう。次の文は彼女が犬を買った時の様子である。

The airedale―undoubtedly there was an airedale concerned in it somewhere thou gh its feet were startlingly white―changed hands and settled down into Mrs.Wilson's lap where she fondled the weather-proof coat with rapture.(p. 32)
  彼女の「財産・地位を手に入れる」という夢には問題がある。それはその夢が全てトムに託されているということである。自分の努力次第でどうにでもなる世に言うアメリカンドリームとは異なり、トムにその気がなければその夢は叶う可能性はなくなる。自分ではどうすることもできない。そのような夢の見方が彼女を追い詰め、不幸にさせているような気がする。

  次はギャツビーのパーティーで喧嘩していた夫婦を取り上げてみたい。まだ帰りたくない女達はすぐに帰りたがる夫について文句を言っている。それを男達はおどおどしながらきいている。パーティーの最中は陽気で愛想が良かった女達だが、ふとしたことがきっかけで感情的になってしまい、どうすることもできなくなってしまった男達は女達を無理矢理抱きかかえて外へ出て行くという場面である。ここにフィツジェラルドの女性観がよく表われているように思う。

  最後に今まで見てきた女性たちに共通するところを挙げてみる。
  まず1つ目の共通点は、女性たちは皆周囲を振りまわしているというところだ。言い換えれば、女性たちは自己主張をしている。毎日毎日家事や育児をして家を守っているお母さん的女性像はこの作品には描かれていない。1人の独立した人間として、喜怒哀楽があり個性を持った1人の人間として描かれている。
  2つ目は、皆仮面を被っているという点だ。デイジーは声という仮面を持っているし、ジョーダンは冷静さという仮面を持っている。マートルもトムと一緒にいる時には別人になってしまう。彼女たちは皆いくつもの顔、性格を持っていて、その時によってそれを器用に使い分けている。
  3つ目は、結局は女性は男性よりも弱いというところだ。デイジーとマートルは男性に経済的な面ですっかり依存している。もし男性からの経済的援助がなくなったら、彼女たちは生活していけないだろう。この作品では経済的な面が主に描かれているが、女性は男性に頼らなければ生きていけない存在であるという男女の関係が描かれているのが分かる。また、パーティーで喧嘩をしていた夫婦の、最後に夫が妻を抱きかかえて出て行く行為も、女性は男性よりも弱い存在であると表現しているのではないかと思う。
  それではフィツジェラルドは男尊女卑の考え方をする人だったのだろうか。妻ゼルダは当時売れない作家だった彼の安い給料が嫌で婚約を破棄したという。その後売れてから結婚したが、フィツジェラルドは派手な生活をするため必死にお金を稼がなければならなかった。こんな苦労をさせられながら彼は、女性は男性が経済的援助をしてあげるもの、守ってあげるものだと思ったのかもしれない。


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