Seminar Paper 2001

Yoshiko Kozakai

First Created on January 8, 2002
Last revised on January 8, 2002

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「Holdenと赤いハンチング帽」
"hunter" から "catcher" を経て "watcher" へ

 

    The Catcher in the Ryeは、16歳の少年Holdenが、社会に反抗し放浪した3日間を後に語ったものである。Holdenがその3日間ほとんど持ち歩いていたものが、赤いハンチング帽であった。そこで、赤いハンチング帽を通じHoldenの特徴を考えていこうと思う。

    Holdenは、16歳の冬にペンシー校を退学となる。6フィート2インチ半も背がある彼だが、頭の右半分には白髪が覆われている。これはHoldenの大人でもなく子供でもないアンバランスな状態をよく表している。また、白髪のある右側には右脳がある。右脳は感情面を、左脳は論理的に考えることをつかさどる。つまり感情面では老人であるが、思考力はまだ子供のレベルなのである。Holdenは放浪の3日間、何度も大人ぶるがことごとく子供扱いされている。しかも、子供の仲間に入ろうとしても受け入れてもらえない。そんな宙ぶらりんである彼の不安をよく表しているのが、次の場面である。

I pulled the old peak of my hunting hat around to the front, then pulled it way down over my eyes. That way, I couldn't see a goddam thing. "I think I'm going blind," I said in this very hoarse voice. "Mother darling, everything's getting so ,dark in here." "You're nuts. I swear to God," Ackley said.
"Mother darling, give me your hand. Why won't you give me your hand?"
"For Chrissake, grow up."(pp. 18-19)

    ここでHoldenは、お気に入りの帽子のひさしを前にして、真っ暗闇の中、自分自身をおどけることで表現したのだ。しかし隣室のAckleyは、彼の不安な思いを察していないため、道化を笑うことさえしない。ここにHoldenの孤独さが表われている。彼がセントラルパークのアヒルに思いをはせるのも、孤独な自分とアヒルを同一視しているからである。そのため、タクシーに乗るとアヒルがどこにいるのかをたずねている。湖が凍ってしまったため居場所を失ってしまったアヒルと、寒空の下、どこへ行けばいいのかわからない自分を重ね合わせていたのだ。そして、行き先もわからぬまま、Holdenはペンシーを後にする。

    Holdenは、赤いハンチング帽を3日間持ち歩く。この帽子の赤は、Holdenの死んだ弟Allieの赤毛を象徴している。Allieは死んでしまったからこそ、Holdenの中で純粋なままで存在し続ける。そのAllieの代わりとして、孤独なHoldenの守護神として、彼は赤いハンチング帽を持ち歩くのである。

    また、HoldenはAckleyとハンチング帽について次のように会話する。

"Up home we wear a hat like that to shoot deer in, for Chrissake," he said. "That's a deer shooting hat."
"Like hell it is." I took it off and looked at it. I sort of closed one eye, like I was taking aim at it. "This is a people shooting hat," I said, " I shoot people in this hat." (p. 19)

    ここでHoldenは、 "phony" な人々と戦うことを決意する。同室のStradlaterに技をかけたり殴りつけたりするのも、戦いの一つである。しかしその後Holdenは、人を殴っていない。彼はもともとげんこつが握れないため、肉体的なけんかの勝因は見出せないのである。そして、ペンシーを去るときに "Sleep tight, ya morons!" (p. 46) と叫ぶのは、Holdenが、武器を言葉に変えたためであろう。

    では、 "phony" な人とはどんな人なのであろうか。Holden自身は"phony"でないのだろうか。確かにHoldenは、この3日間で嘘を何度もついている。しかも彼の嘘はこの3日間に始まったわけではなく、慢性的なものである。それは、Holden自身が "I'm the most terrific liar you ever saw in your life."(p. 14)からも明らかである。では、 "liar" と "phony people" の違いはなんであるのか。それは、 "liar" は自分が "liar" であることを自覚しているのに対して、"phony people" は、自分が "phony"であることを自覚していない点にある。また、Holdenが嘘をつくのは、自分の弱さを隠すための強がりであり、話相手にのみその効果が発揮される。しかし、 "phony people" は、自分をよく見せるためのごまかしとして、幅広い人に向けられているのである。そう考えると、Holdenは、ただの "liar" であって、 "phony"とは言えないだろう。

    "hunter" になるべくしてペンシーを飛び出すHoldenだが、 "hunter" として長くは続かなかった。彼がコミュニケーションを求める "hunter" であったからだ。どこへ行っても伝言を頼み、電話をし、時には、ダンスを求めた。ダンスとは、Holdenにとって、理想的なコミュニケーションの一つであった。つまり、 "hunt" しなければならないような人にもコミュニケーションを求めてしまったのだ。しかし、彼とまともに接してくれる人もほとんどいない上に、SunnyやMauriceとの一件により、傷つきぼろぼろになったHoldenは、 "hunter" をあきらめ、別の道を選ぶことになる。

    Holdenが次に選んだ道は "catcher" である。彼は、帽子のひさしを後ろにしてかぶることが気に入っている。そうすることは、野球のキャッチャーを連想させる。キャッチャーは、常に味方とは逆方向を向いていて、味方の動きも敵であるバッターの動きもよく見える。Holdenの味方とは、子供たちであり、物語の後半で彼が "catch" したいと願う子たちである。そしてHoldenの敵とは、 "phony" な人々である。キャッチャーは決して攻撃はできないが、防御には欠かせないポジションなのだ。

    Holdenが、ライ麦畑の "catcher" を目指すきっかけになったのは、 "If a body catch a body coming through the rye" を歌う子供であった。そして、妹Phoebeに自分のなりたいものを聞かれ、ライ麦畑の "catcher" であると答える。

"I keep picturing all these little kids playing some game in this big field of rye and all. Thousands of little kids, and nobody's around−nobody big, I mean―except me. And I'm standing on the edge of some crazy cliff. What I have to do, I have to catch everybody if they start to go over the cliff−I mean they're running and they don't look where they're going I have to come out from somewhere and catch them. That's all I'd do all day. I'd just be the catcher in the rye and all. I know it's crazy, but that's the only thing I'd like to be. I know it's crazy." (p. 156)

    このようにキャッチャーに憧れ、キャッチャーになりすましているHoldenだが、帽子のひさしを前に持ってくることがある。最初にそうしたのは、前述のAckleyの前で道化を演じたときである。二度目は、StradlaterがHoldenの理想の女性であるJaneとデートに行く前である。JaneとStradlaterのことを考えないようにするため、彼は何も見えない世界に自ら入っていったのだ。また、いかにお気に入りの帽子でも、人に会うときは必ず脱いでいる。彼がこの帽子を見せた相手とは、旧友であったCarl Luceに見放され傷ついた後に、優しく接してきれたクロークの女性の一人だけである。Holdenは、帽子を脱ぐことが社会のしきたりであるということをわかってはいるが、そうやって生きていくことへ不安を抱いているのだ。

    23章でHoldenは、Allieの代わり、守護神として扱ってきたこの赤いハンチング帽をPhoebeに渡している。それは、Phoebeから "Allie's dead." と言われたことが、影響している。死んだAllieに頼っていては自分の道がなくなってしまうと思ったのだろう。そこで、Holdenは、自分の分身であるJames Castleを助けたAntolini先生のもとへ行くのである。しかし、忘れてはならないのは、Antolini先生はJames Castleを救ったのではないということである。Antolini先生ができたことは、死んだ少年に愛情を注ぐことであり、James Castleが死ぬ前に助けてあげることはできなかった。 多大な期待を持ってAntoloni先生に会いに行ったHoldenだが、Antolini先生は彼を救うことができず苦しむ。 "Frankly, I don't know what the hell to say to you, Holden."(p. 168) とまで、Holdenに言ってしまう点から見ても、Antolini先生の苦悩がよくわかる。しかし、その後にAntolini先生が言っているHoldenの状態はかなり的を射ているように思われる。

"I have a feeling that you're riding for some kind of a terrible, terrible fall. But I don't honestly know what kind ......"(p. 168)
"I don't want to scare you," he said, "but I can very clearly see you dying nobly, one way or another, for some highly unworthy cause."(p. 169)

    このような死に方は、James Castleを思い出させる。Antolini先生にとって、救えなかったこの生徒は、後悔として記憶に残っているようだ。またHoldenのことをよく理解していても、救うことのできないもどかしさが、とても表されている。そして、Holdenも、Antolini先生の優しさは感じてはいるものの、自分を救うことのできない人物であると察知しているのか、先生が話していると眠くなったり頭痛がしたりしてくる。そして、HoldenがAntolini先生に抱いていた信頼の感情もなくなるような事件が起こり、HoldenはAntolini家を後にすることになるのだ。

    そして、Holdenは完全に孤独になった。最後の頼みの綱であるAntolini先生に救ってもらうことができず、Allieの分身として持ち歩いていた赤いハンチング帽はPhoebeのもとにある。そして、お決まりの電話もせずに歩き始める。孤独と不安からか、体が消えそうになる感覚が襲いかかってきたHoldenは、Allieに話しかける。結局 "really" なものには救われないと感じたHoldenは、西部で聾唖として暮らすことを決意する。その前にPhoebeに会おうとしたのは、クリスマスのおこづかいを返すためというよりも、現実の世界で一番信頼のおける人物に会っておきたいという気持ちからであろう。

    そして、Phoebeに会うために訪れた母校でHoldenは、 "Fuck you" と書かれている壁を見つける。その度にその落書きを消そうとするが、全てを消すことができないことがわかる。つまり、子供を全て "catch"して、 "phony" な大人にさせないことの限界を知るのである。そして、危険を冒しながらも回転木馬に乗るPhoebeを、Holdenは口出しもせずにただ見守るだけである。ここで彼は "catcher" から "watcher" になることができた。そうすることによって、Holdenはとても幸せな気持ちになったのだ。Phoebeにかぶらされた赤いハンチング帽が、寒さや雨、そして彼が3日間ずっと感じていた孤独から、救ったのである。つまりHoldenは、狩猟の守護神でAllieと同じように赤毛のPhoebeに救われた。赤いハンチング帽は、Allieのみならず、Phoebeにもつながっていたため、Holdenの守護神としての役割を十分果たしているのである。


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