Seminar Paper 2001

Tomo Nannichi

First Created on January 8, 2002
Last revised on January 8, 2002

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The Catcher in the Ryeにおける"fall"の概念」
―大人と子供の境界線―

     The Catcher in the Ryeにおいて、fall―落ちる、倒れるなどの表現は単に動作であるだけでなく、主人公のHoldenの精神状態や、象徴的な事柄を示す重要な言葉である。
その中心的な意味は、物語の後半で彼の恩師であるMr.Antoliniの台詞がもっとも具体的に表現しているだろう。

" The man falling isn't permitted to feel or hear himself hit bottom.
He just keep falling and falling. The whole arrangement couldn't supply them with. Or they thought their own environment couldn't supply them with. So they gave up looking. They gave it up before they ever really even got started.(p. 169)

 Mr. AntoliniはHoldenが底のない堕落へ落ちていく事、それは理想を追い求めるあまり、それにそぐわないとされるものを全て拒絶し、結果、"The mark of the immature man is that he wants to die nobly for a cause"(p. 169)現実に絶望した若者(Holden)が、その理想に殉じてしまう事を懸念している。
 Holdenはこの時、"I was'nt too sure what he was talking about. I was pretty sure I knew, but I was'nt too positive at the time. I was too dmn tired."(p. 170)と、話をきちんと理解していないような事を述べているが、Mr. Antoliniの渡したメモを後々まで持っていた事から考えると、Holden自身にとっても、恩師のこうした指摘は有り難い忠告だったに違いない。

 そしてこの物語に置けるfallは、そんな堕落と共に、Rovert Burnsの"If a body catch a body comin' through the rye"という詩(これはHoldenが誤って覚えていたもので、実際は"If a body meet a body coming through the rye"が正しい)を持ち出して、Holdenが語った夢の中でも象徴的に用いられている。

"I keep picturing all these little kids playing some game in this big field of rye and all.
Thousand of little kids, and nobody's around - nobody big, I mean - except me.
And I'm standing on the edge of some crazy cliff - I mean if they're going I have to come out from somewhere and catch them."(p. 156) 

 ここでのfallは子供が崖から落ちる事…即ちそれは子供が大人になるという事を意味している。
 物語の初めから終わり近くまで、Holdenは世の中のほとんどありとあらゆるものがPhonyだと言い続けており、そのためにMr. Antoliniのいうように、底なしのfallをし続けている。
しかしそんな彼にとって子供は唯一犯すべからずものであり、物語の中でも彼らに対しては常に大切に、親身になっている。
 しかしそんな彼らもいつかは、楽園のような「ライ麦畑」から落ちて(fall)Holdenが忌み嫌う大人へとなってしまう。
 Holdenは子供達のPureを愛し、"Certain things they should stay the way they are. You ought to be able to stick them in one of those big glass cases and just leave them alone."(p. 110)というように、Phonyの溢れる世の中でも永遠にPureなものとして、ずっとライ麦畑に止めておきたいと願っている。
 Holdenは自分を、年の割に子供っぽい事をすると何度か言っているが、彼はこの話中の時点ではまだ大人でも子供でもない、境界線に立つ人間である。
 その彼だからこそ、子供達だけが遊んでいるライ麦畑に1人だけ、成長した子供として存在する事が出来、また落下(不用意に、大人になってしまう)しそうな子供をさっと救う事が出来ると信じているのだ。
 しかし今のHoldenはもはや、ライ麦畑に立つことは出来ない。
もはや彼は、スケート靴をしめる鍵は持っていないし、同級生と一緒に手を繋いで、博物館に行くこともない。
 同時に、洗面所の石の床でタップダンスを踊ったり、雪玉をどこにも投げる事が出来なくて握り続けているような面もある。
 子供と大人、両方の側面を持つHoldenは、成長に従って崖から落ちてはみたものの、その下にある大人の世界からも足を踏み外して、延々落ち続けているのである。
 その兆候は、Mr. Spencerの家に向かう途中、
"It was icy as hell and I damn near fell down.(中略)After I got across the road, I felt like I was desappearing. It was that kind of a crazy afternoon, terrifically cold, and no sun out or anything, and you felt like you were disaapearing everytime you crossed a road."(p. 4)
またはMr. Antoliniの家を飛び出し、歩道を歩いている時に表れている。
"I had this feeling that I'd never get to the other side of the street. I thought I'd just go down, down, down, and nobody'd ever see me again."(p. 178)
 これらの記述から、Holden自身も、Mr.Antoliniの言ったような底なしのfallに落ち込んでいる事は自覚している事が分かる。
phonyを嫌い、pureを慈しみながらもどちらに属する事も出来ない彼は、ただどうする術もなく落ちていくしかなかったのである。

 短い間にいくつもの出来事を経験し、どうしようもなく打ちのめされたHoldenはしかし、物語の後半で、ついにそのfallから抜け出す事になる。
PheobeのベッドやMr. Antoliniの暖かい言葉からも逃げ出したHoldenは、
"I decided I'd never go home again and I'd never go away to another school. (中略)I'd start hitchhiking my way out West."(p. 178)
と西部に行くことを突発的に決心し、その地で、
"I'd pretend I was one of those deaf-mutes. That way I wouldn't have to have any goddam stupid useless conversations with anybody."(p. 178)
障害者のふりをして誰とも語り合わず、
"I'd build me a little cabin somewhere with dough I made and live there for the rest of my life. I'd build it right near the woods, but not right in them...(後略)"
phonyな世の中との縁をほとんど切ってしまおうと思い立つ。
森の中ではなく傍に家を建てようと思うのは、Holdenが都会に住む少年だからという理由の他に、phonyな世界は大嫌いだけれども、その中にある少数のpureなものとの繋がりを完全に断つ事は出来ない。
あるいはphonyな世界であっても、それまで自分が住んでいた世界と完全に決別してしまうのは恐ろしい孤独であり、また、不可能な事でもあると理解しているからだろう。
 Holdenはこの計画が実行出来るものとは思ってはいない。後にPhoebeが一緒に逃げよう、と言い出した事で、いかに無計画な話かということを自覚し、取り止めている。

 しかしこの、Holdenにとっては素晴らしい計画は恐らく、考えるだけでも彼の救いになったのではないだろうか。
想像の中でも、それまでの思い煩いから一切解放された自分の姿を思い浮かべるだけで、Holdenの心は躍ったに違いない。
 故にHoldenは逆に、神聖な場所であるはずの学校にすら、消すことの出来ない卑わいな言葉が存在すること、尊敬しているMr. Antoliniにももしかしたらphonyな部分(ホモかもしれない)という部分が存在することなど、phonyとpureの混在する世界を受け入れる準備が出来たのではないかと思う。
"If you had a million years to do it in, you couldn't rub out even half the 'Fuck you' signs in the world. It's impossible."(p.182)という台詞も、Pencyを出たばかりの頃のHoldenにはとても言えないものだろう。
 そしてHoldenは博物館のトイレで倒れ、その時に"I felt better after I passed out."と感じた。
この時倒れた事でHoldenのfallは止まり、彼はphonyなもの、即ち大人になるという事を受け入れたのである。
 そのため、Pheobeが回転木馬に乗っているのを見つめているシーンでは、

"The thing with kids is, if they want to grab for the gold ring, you have to let them do it, and not say anything. If they fall off, they fall off, but it's bad if you say anything to them."(p.190)
と言うことが出来る。シーソーに手をかけて釣り合いをとってやろうとしていたHoldenと、ここでのHoldenは明らかに違う。
 Holdenは落ちに落ちて落ち続けて、これ以上無いというほど追いつめられてようやく、ここで地に足をつくことが出来たのである。

 物語中で何気なく書かれているfallの描写を追っていくと、それが実はCatcher in the Ryeのテーマと深く関わっている事が分かる。
 Holdenはこの後、再び新しい学校へいって、またphonyなものを嫌悪したり、pureなものを慈しんだりするのだろうが、それは以前のように全てを拒絶するものではなく、自身をphonyなものから守りながら、立ち向かっていくことの出来る、強さを備えたものになるだろう事は、Holdenがこれだけ長い時間をかけ、この物語を語ってきた行為そのものから、期待する事が出来ると思う。


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